
昨日Eテレで「マイケル・サンデル 5千人の白熱教室」 「すべてをお金で買えるのか」[前編] という番組が放送されました。
1回目は、番組紹介で、
マイケル・サンデル教授が、東京国際フォーラムで5千人の聴衆に向け行った特別講義の模様を前後編でお届けする。前編のテーマは、市場原理。市場原理が社会のありようを大きく支配している今、民主主義の可能性を探ることがねらいである。中国では医者の診察を受ける権利が高値で販売されたり、アメリカでは、いい成績を達成した生徒や教師に報酬が支払われたりしている。簡単には答えを出ない難問を5千人で考える。
と書かれていて、サンデル教授信奉者ですので畑仕事を早めに終わらせ、番組を観ました。
何か涙が出るほど感動しました。今の世の中何か足りない。世の中というよりも住みよい社会を形成するはずの個人がバラバラになってしまい、本来はみなそれぞれに多様だがどこかに妥協点を見いだし住みよい社会の実現を駄目にしている、そのような認識を持ちました。
この番組を観る前に、「朝日新聞2012年6月7日朝刊オピニオン面 マイケル・サンデルインタビュー」という記事を読んでいました。
「市場経済」と「市場社会」この言葉が番組の中でも十分に説明されていました。今社会では何が起こっているのか。
お金の持つ価値、使われ方すなわち目的性、個人の持つ美徳、尊厳・・・・5000人の参加する会場、意見を出している人も決して多いわけではありませんが全体で何かを考え、私ならこう考えるとなど一丸となっていたように見えました。
サンデル教授の集約とそれに対する解説には感動です。「こうすべきである」「こうあるべきである」という視点からすれば、「こういうことが必要なのではないか」と軽さを感じる人もいるかとは思いますが、そういう軽さの視点をもってしまう人が昨今多いように思います。
「結論が先だ」
市場社会は、どうしてもこの論法が先行してそれとともに「価値判断」が優先し、しかもその「価値」の意味熟考社会になっています。
起きるか起きないのか。
間違いなく「この夏には起きる」
人間がもたらす危機、自然がもたらす危機、本来人間も自然の中の一員、なのに人は「格率」のもたらす判断に価値観を見い出し、それが善的な判断だとしてしまいます。
自然災害はいつでも起こる。四方を海に囲まれて、火山大国、地震大国に住んでいることを忘れています。
政府がやること判断することはすべてが、強権的で軍国的という価値判断ではなく、「何かが失われている日本」、しっかりした議論やしっかりとした判断で行われている国家行政ならばよいのですが、過去の経験を見る限り、また今現在の様子を見る限りそうは見えない。
判断する人々のレベルの低さ、人間本来の美徳を失った人々そんな姿が見えてなりません。
番組からあらぬ方向に行ってしまいましたが。番組は難しい議論ではなく、ゆっくりとしたペースで進められていました。
先ほど「朝日新聞2012年6月7日朝刊オピニオン面 マイケル・サンデルインタビュー」のことを書きました。これを知らない人のために次のブログ記事を紹介します。
ねこねこブログ
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1680824.html
このブログを読んで、また番組を観てみてください。23日(土)には後編が放送されるとのこと、とぎのように紹介されています。
<NHK「白熱教室」サイトから>
6月23日(土) 午後2時~午後3時
「これからの日本の話をしよう」[後編]マイケル・サンデル教授が、東京国際フォーラムで5千人を相手に行った特別講義の後編をお届けする。議論をするのは、原発の再稼働、電気料金の値上げ、震災のガレキの受け入れなど、今日本が突きつけられている難問ばかり。しかしサンデル教授は、それらの議論を尽くしていくことで、日本は世界に向けて民主主義のお手本を示すことができると考えている。簡単には答えの出ない難問を5千人で議論していく。
なにをそんなに感動したのですか、サンデルは正義を語ろうって言うけど、どう見ても正義が分かってないように見える。
サンデルの問題など「公の為」で解けばすぐ解ける問題ですよ。みんな分かっていない、私はイライラしてみましたね。