
『荘子』はこのように読み解いていくものなのか・・・解説される『荘子』
昨夜の100分de名著『荘子』は最終回「万物はみなひとしい」でした。
物化=物の変化
状況が変われば現在の出来事も変わる。
胡蝶の夢、胡蝶の舞
荘子のこの「胡蝶の夢」に起源する話し。
過去に私は、
「菩薩道とは如何なるものか」というブルグアップで何ごとかを考えたこともありました。
思考視点が大きく変わるわけではないが、この番組を見て、また新しき目覚めの理解に入れた気がします。
「大夢(だいむ)」
人生のことを大夢という。
人が亡くなったことを「大夢にわかに遷(うつ)る」とも仏教では言う。
「死生観」を大きく変えてくれます。
生も死も変化の連続にすぎない。
万物斉同=隔てがない
伊集院光さんが「隔てることが知識を得ることのように感じていた」
万物はすべて斉(ひと)しい。
小さな卵から大海の大きな魚に変化し、やがて天空に羽ばたく大きな鳥へと変化する。
メタモルフォーゼです。
参考
「哲子の部屋」における“メタモルフォーゼ”は、何を語っていたのか。[2013年08月29日]
鯤(こん)と鵬(ほう)
鯤は卵で鵬は鳳凰で鳥の大様
玄侑さんは、
「鯤とは元々魚の卵の意味なので小さいはず。ところがそれが大きくなって、しかも魚が鳥になって飛び立ったならば、その高さや大きさやが尋常ではない。われわれの常識を笑うが如くにものすごく変化してゆく。どのように変化してもおかしくない。」
旨を話され、荘子の考え方の特徴として、
物事は360度に変化をする。
を語る。そこで示される「道枢(どうすう)」という言葉がまた響きます。
回転ドアの軸が天(上)と地(下)の穴に入っている。その穴の部分が「道枢」という。
常識という柵(しがらみ)、桎梏がいかに自分を苦しめて・・自分を苦しめている原因がいかに自分のなかにあるのかを知らしてくれる。今の世の中は進歩するという考え方に相当に翻弄されている。荘子の中には「退歩」という考え方が出てきて、進歩ではなく行き過ぎを警鐘する言葉もある。
命が安らかに、和合して暮らして行くには、行き過ぎてはいけない・・・ことを考えさせる思想。
世の中を運営するルールは儒家的な考え方が必要だが、その同じ理屈で個人を運営するということは辛すぎる。
“心の自由”がどう実現できるか。
それを荘子は教えてくれる。
テキストと番組を重ねると、より『荘子』が近づいてきました。
万物斉同(ばんぶつせいどう)
仏教に至れば平等(びょうじょう)で無分別智の思想へとなるようです。
私の今日の出来事も胡蝶の夢であるのかも知れません。
今回の番組『荘子』、『荘子』は老後の思想で、儒教は若い時に学ぶものと思っていましたが、今の世の中確かに「疲れる人」が多いような気がします。
そうあるべきだという柵に拘束され実存的虚無感に陥る人が多い。
「これ性」のただ中に居る私ですが退歩すれば、何かが見える。
東洋思想の思考視点の鋭さを見た感じがします。