思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

うつろふ(移ろう)・無常・もののあわれも・やまと言葉の世界

2010年09月30日 | ことば

 いきなり能面の写真ですが、これは「深井の面」で今朝は世阿弥の話も出ますのでこの写真としました。

 やまと言葉(古語)の「にほふ」、現代の「匂う」と言う言葉ですが、この言葉に継承されている日本語独特の感覚的な意味に、香りと漂うという表現が含まれるほかに、色彩も、音の風景も「にほふ」という言葉の概念に息づいていることを見てきました。

 今朝は日本的な特徴とされる「無常」「もののあわれ」にも関係するやまと言葉の「うつろふ」に焦点を当てたいと思います。

 過去に「もの」という「やまと言葉」(2)というブログで扱った万葉集の歌があります。

万葉集巻18-8に

 久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

 紅(くれない)は、うつろふものぞ、橡(つるばみ)の、なれにし来ぬに、なほしかめやも

という大伴家持の歌です。

 歌全体の意味についてはいろいろな解釈があるようですが、今朝はこの中の「うつろふ」というやまと言葉に注目したいと思います。

 過去のブログの中では、「もの」というやまと言葉についての考察の中でこの歌を参考例で出して言います。その内容は次のようなものでした。

<過去ブログ>

 その時は大野晋先生の本から引用しその歌が含まれていました。掲出した時の記事は、

<「もの」という「やまと言葉」(2)>から

 国文学といえば大野晋学習院名誉教授がおられ最近岩波新書から「日本語の源流を求めて」という本を出されている。タミル語と「やまと言葉(ヤマトコトバ)」の関係、したがって南インドとのかかわりで日本語の源流を論じているが、その中に「もの(モノ)」という言葉について次のように述べている。

 ① 世の中はむなしきものと知るときしいよよますます悲しかりけり(万葉)
   (人の死に際会して、ああ人の世は空しい。これが運命というものだと自 覚するとき、いよいよますます悲しみの感を新たにする)
 ② かくばかり恋ひむものぞと思はねば(万葉)
   (別れるとこんなに恋に苦しむののがきまりだと思わなかったので・・・・・)
 ③ 紅はうつろふものぞ(万葉)
   (美しい紅色もあせるのがきまりだ)
 このようにモノは「自分の力では変えられないさだめ、きまり」という意味が最も古かったと見られる。しかし、右(上記)に挙げた「紅はうつろふものぞ」のモノは「色が変わってしまう物だ」ともとれなくはない。こうした使い方からモノが「物」へと発展した。

と語っている(同書P68)。

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ここでは、

 紅はうつろふものぞ=美しい紅色もあせるのがきまりだ

というように、故大野先生は「うつろふ」を「色あせる」と訳しています。現代人からすれば少しピンときませんが、ほとんどの万葉集解釈本は「色あせる」に訳しており普通の解釈なのです。

 つまり「うつろふ」という言葉には「色あせる」という感覚的な概念があることになります。

では得意の辞書調べと行きましょう。どんな古語辞典にも「うつろふ」というやまと言葉(古語)を二種類に分け説明しています。

●うつろ・ふ【移ろふ】
① 位置が変わっていく。住むところが変わる。
② 変遷していく。時世が変化していく。
③ 色があせていく。
④ 色づく。染まる。
⑤ 散っていく。
⑥ 心変わりしていく。

●うつろ・ふ【映ろふ】
 <意味略>
 
という言葉があり(けさは「にほふ」を問題にしますので【映】については略します。
 この言葉の元になる言葉は、言葉の活用からも、元になる言葉は、

●うつ・る【移る】[自ラ四]
① 位置や場所が変わる。移動する。
② 官位や職務が変わる。転じる
③ 色や香が他の物に付く。染まる。
④ 色があせる。
⑤ 花や葉が散る。
⑥ 物の怪が祈祷によって、寄りましにつく。乗り移る。
⑦ 病気が伝染する。
⑧ 時間的に変わっていく。時が過ぎていく。
⑨ 死ぬ。あの世へ行く。
⑩ 心が他に移る。
⑪ 前とちがった状態になる。

●うつ・る【映る・写る】
 <意味略>

となります。実に一語の中に多くの意味概念があることが分かりますし、【映る】の意味も含めると過去にも話しましたが、「うつる」というやまと言葉の不思議な世界があります。

 しかし今朝は、「うつろふ」に注目していますので、その話に戻します。

 うつろふ=褪(あ)せる

 日本語で「記憶が薄れる」「記憶が褪せる」と表現します。これは日本語だけの特徴ではなく英語の「あせる(褪せる)」は、

 fadeは、(色)がさめる。(音)が消えていく。

で、日本語と同じように

 fade(away):記憶が薄れる。記憶が褪せる。
 

 と使われます。しかし英語のfadeという単語は、あくまでも事象が消えていくと概念を表す言葉で、やまと言葉のような多義の意味概念を有していません。

 分かると思いますが、英語の「移す・映す」は表記するまでもなく別単語です。

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 今朝は、「うつろふ」という「無常」に関係する言葉を考察していますので、次の二人の宗教学者の分を紹介します。はじめに原始仏教典の研究家でもある故中村元先生の著書からです。 

 著書『日本思想史』(中村元英文論集 春日屋仲昌編訳 東方出版)の第3章中世思想(p99~p100)の「時と移ろいの概念」からの引用です。

<引用>

五、時と移ろいの概念

 日本的思惟方法の一つの主要な特徴は現象世界における現実性を絶対的なものとして受容する態度であった。
 日本人は、普遍よりも直観的・感覚的・具体的事物に重きをおき、また事物の流動的・端緒的な性質に重きをおく態度をとってきた。この思惟方法は現象世界そのものを絶対者と見なし、現象世界を超えて絶対者が存在するとの認識を拒否する。明治以後の哲学者に「現象即実在論」として広く知られているものは日本の伝統に深く根ざしているのである。
 
 あらゆる種類の事物のなかに霊が宿っているという信仰は古代日本人の宗教観の特徴であった。すなわち、人間の霊以外の他のあらゆる種類の霊を人格化して、それらをすべて祖先神とし、あらゆる霊を神々の本体とみようとした。こうした一連の思惟から神道における神社が誕生した。すなわち、宗教的な儀式を行なうために神々や霊はある特定の場所に固定されたのである。

・・・<中略>・・・

 仏教哲学も同様にこの思惟方法に基づいて受容され、同化された。日本仏教は現象世界の移ろいやすさを強調した。しかし、この移ろいやすさにたいする日本人の態度はインド人の場合と非常に異なっている。日本人の気質は、普遍的なものよりも、直観的に把握される感覚的・具体的な事柄をいっそう強調する。
 
 これはインド人が移ろいゆく世界に対して示す特徴的な反応と正反対である。インド人は、移ろいゆく世界を回避し、究極的な実在すなわち超越的な絶対者にこそ、現象世界の絶え間ない流動からの心の安らぎを見いだすことができるとする。それにたいし、日本人の反応は、現象世界の流動性やはかなさを受容し、歓迎さえするのである。

中村先生は「移ろい」という言葉のインドと日本の比較を述べています。実に分かり易い解説をされています。

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 では次に「うつろう」を「無常」との関係で故田村芳朗先生の著書からの引用です。著書は当該ブログで時々使用すろ『人生と仏教9 伝統の再発見』(佼成出版社)からで、分かってもらうために長い引用になります。
 
<引用>

 宣長は、日本人本来の自然の情を愛し、儒教であれ、仏教であれ、教訓くさいものをしりぞけた。「此物語の本意を、勧善懲悪といひ、殊には好色のいましめ也といふは、いみじきしひごと也」「もののあはれを見せむと作れる物語を、教誡(きょうかい)にとりなすは、たとへば花を見んとて、植おふしたる桜の木を、伐(き)りくだきて、薪にしたらむがごとし」(『玉の小櫛』)というところである。「いみじきしひごと」とは、たいへんな心得ちがいという意である。※宣長の著書『玉の小櫛』
 
 こうして、宣長は仏教渡来以前の日本を是とし、日本の文化や文学から仏教の色彩を取り除こうとした。しかし、実際は形だけでも仏教の影響が見られるのであるから、宣長の意図には、いささか無理であるといわねばならない。ひいては、彼の『源氏物語』評釈にも、故意と偏見が感ぜられる。その点は、割引して考えねはならないが、それにしても、『源氏物語』の特色を「物のあはれ」と規定したところには、宣長の鋭い洞察力が働いており、当を得たものといえよう。

 日本人は、移ろいゆく人生のはかなさに美を見いだし、その中にひたる。それを一口でいうならば、宣長の主張した「物のあはれ」である。「物のあはれ」とは、人生の無常なさまに趣を感じ、美を見いだすにある。吉田兼好の『徒然革』に、それが、はっきりと説かれている。すなわち、
                
 「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山(とりべやま)の姻(けむり)立ちさらでのみ住みほつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」(第七段)

 と。鳥部山とは、京都にあった火葬場のことである。また、「折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ」(第一九段)ともいっている。
 ここから、人生・自然の移ろい、衰えていく姿にこそ、かえって興趣が感ぜられ、美があると強調するにもいたった。同じく『徒然草』に兼好が、
 
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行衛(ゆくえ)しらぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきはどの梢(こずえ)、ちりしをれたる庭などこそ見所おほけれ」(第一三七段)

 とて、花しおれ、月かくれるところに、あわれに情ふかさが感ぜられるといっている。

 能楽の大成者・世阿弥も、『風姿花伝』(花伝書、一四〇〇年)において、「花のしをれたらんこそ面白けれ」(第三)とて、さかりの花よりも、しおれた花に高次の美を発見しようとした。
 
 興味ぶかいことは、移り変わりに美を見いだすということが、独特の芸術理論を生みだすにいたったことである。世阿弥の能楽における序破急(じょはきゅう)、千利休の茶道における守破離(しゅはり)がそれである。
                                        
「序破急」は、世阿弥の 『風姿花伝』や『花鏡(かきょう)』(一四二四年)に論じられているが、特に後書には、「序破急之事」という条項のもとに、くわしく解説している。

 『花鏡』の初稿本と考えられる『花習(かしゅう)』(一四一八年)には、「能序破急事」とて、その部分だけが残っている。「守破離」は、『利休百首』の中に見られるもので、茶道の心得を百の歌にしてよんだ、その百番目に、「規矩(きく・意味:きまり)作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」とうたわれている。茶道の心得を締めくくったものである。

 序・破・急は、もともとは舞楽の術語であって、それを世阿弥が取り上げて、高度な理論づけをほどこしたのである。いわば、日本的弁証法とでもいうべきものである。この序・破・急は、いけばな(立花)にもとりいれられた。十五世紀の半ば以降、いけばなに関する種々の口伝ができてくるが、それを編集したものに『仙(せん)伝抄』があり、その中で、真・行・革が序・破・急に当てて説明されている。茶道のほうの守・破・離も、序・破・急と似たカテゴリーで、やはり一種の日本的弁証法として、すぐれたものといえよう。
              
 最初の序あるいは守ということであるが、それは、まず形を整えるということで、破は、それが次にくずれ、破れていくことを意味する。三番日のうち、急は、破がゆきつくところまでゆくこと、いいかえれば破が速度を加えて最後的段階に達することをいったものである。離のほうは、そこにおいて突破が生まれること、いいかえれば型を破り、離れて、新たな局面を生みだすことをいったものである。

 守破離は、茶道の名人の域を表現したものでもあるが、さきの歌の「本を忘るな」とは、規矩作法にこだわらず、それから自由になりながら、しかも、基本の型を忘れないという意である。この守破離に関して、千利休に次のような逸話がある。
 
 彼は、あるとき師匠から庭掃除を命ぜられ、庭に出たところ、すでにきれいに掃除されていた。しかし、利休は、すぐ師匠の心をさとり、樹をゆすって数枚の葉を庭に落としたという。
 
これが、守被離だといわれる。
 序破急にしても、守破離にしても、一種の弁証法(正・反・合)といってもいいような、すぐれた論理をそなえている。日本人は論理性に欠けるとの批評をよく耳にし、一章のところでも、その批評を紹介したわけであるが、この序破急や守破離の説、そのほか前にあげた種々の概念など、その批評をくつがえすものといえよう。ただし、西洋的な意味における論理とは、質を異にすることは事実である。
 
 たとえば、ヘーゲルやマルクスの弁証法において基底をなすものは、対立の観念である。その対立、ないし対立に対する止揚(アウフヘーべン)は、人為的なものである。つまり、人為的変革である。それに対して、序破急や守破離は、あくまで自然的変移を基底としたものである。
 
 つまり、四季の自然、あるいは物みな移り変わっていく姿にことよせ、そこに美を感じて立てられた論理である。ここにまた、日本的特色がにじみ出ているといえよう。西洋側からすれは、それは論理でもなく、弁証法でもないというかもしれないが、ともあれ、日本的弁証法といえば、いえなくはないであろう。
 
 このような日本的思考は、古代から日本文化史の底に流れつづけてきた。そうして、それが室町期あたりで理念化し、文芸の各分野の成立・発展の礎となった。いけばな(立花)についていえば、「古今遠近(ここんえんきん)と立つべし」というような口伝も生まれたところである。
         
         せんげい
 この口伝は、池坊の専慶(十五世紀半は)が言い伝えたものとされているが、いけばなの伝書として最も古いといわれる『仙伝抄』には、「奥輝之別紙(おくてるのべつし)」という項のところに、「三具足の花はしょくだい(燭台)につい(対)して。右長左短。古今遠近と立べし。ひらく枝は慈悲。いだく枝は知恵と心得べし」との口伝がのせられている。ちなみに、専慶は池坊の第十二世と伝えるが、実際は、池坊の創始者である。
(同書p227~p231から)

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二人の宗教学者の分を引用しました。私見をはさむまでもなく、この文章を自分のものにするのは、それぞれの現在持ち得る理解力からです。頭ごなしに否定もできますが、私の場合は両者に納得なのです。

 「やまと言葉」の不思議と素晴らしさ、素晴らしいというのか現代的ではないと批判されそうですが、忘れてはならない日本の心があるように思います。

 「匂い・いろ(色)・音・うつろふ(移ろう)」の言葉から、無常やもののあわれも含め言葉の世界を思考しました。

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