ブックマークのブログに、次の記述がありビックリしました。
「かみ」ということばの語源は、「噛(か)みしめる」の「かみ」である。この世界に気づいてときめく体験を「かみ」といったのであり、そんな心の動きから「起源としての神話」が生まれてきた。
私も前に「神」ということばの発想はどこから来るのだろうか思考をめぐらしたことがあるからです。
作者は天性の自由な発想でその結論を出しているのですが、これは私も同じように考えたことがありました。
「神(かみ)」は、カ行とマ行の組み合わせです。神と同じような使い方をするにことばに「上(かみ)という言葉もあるのです。同じ「かみ」ですので現代は同じ発音で使われているのですが、古代は「み」の発音でことばの意味を変えていたことが音韻学で明らかにされています。神の場合の「み」は口を前に尖らして発音し、上の「み」は、普通に発音したようです。
マ行の「み」は、このような口の使い方をしても実は普段人によってですが発音している時があると思います。古代人はしっかりとこの発音のしかたが確立していたようです。
例えば何気なく意識しないの「噛む」と発音の仕方は上記の「神」と同じで「上」とは異なります。
古代の噛むで発想されるのは、酒造りです。そして古代では酒は神と非常に関係が深い存在でした。三輪山は神の山であるとともに「三輪」はお酒のことでもあるのだそうです(万葉学者犬養孝先生)。
醸(かも)し出すという字は、醸造の「醸」で、酒に関係すること承知の事実です。
「かもす」は何か得体の知れない「もの」の気配を感じますが、これが「神徳」から生じるものとされ、今日の写真の昭和2年な発刊された国文学者倉野憲司先生の『古事記の新研究』の記載の一部でも「噛む・醸す」の神徳を示すことばとして考察した学者の名が出ています。
したがって、「神」を「噛む」に語源を求めることは一概に否定できないことです。
いつかちゃんと書かれる予定がおありなら、答えていただかなくてもいいです。そのときを楽しみにしています。
今とても気になっているのだけれど、よくわかりません。
柳田國男先生の説にあるのでしばらくまってください。