外国のテレビ局で日本を取り上げた番組を紹介する民放番組を観ていたところ、世界遺産に登録された富士山の山頂で、来光を求める日本人を取材して、「日本人はサンライズが大好き、という面白い人たち」というような話をしていました。
哲学者の梅原猛先生に言わせればエジプトの太陽神と同じ次元で日本人の深層にも太陽を崇めるこころがある、というような話になるのですが、この内容を放送外国の国の名前は忘れましたが、「このこころ」という言い方で通じるかわかりませんが、「このこころ」がその国にはないということだけはハッキリ言えそうです。
神と言っても形があるわけではなく、働き全体のことを言うのであって、心理学的な「意識、前意識、無意識」を貫く働きの内にあり自我的に意識しているわけではなく、自分を超えて見ているのであろうと思う。
フランクルのいう自己超越の意味は、そのような働きのうちにあることを言うのであって、極限状態にあったユダヤ人強制収容所で囚人たちが見た陽の光の感動はそのこを言っているのであって、それは体験価値というものであると解説されます。
「日本人は面白い人たち」は、語る側の「何かを忘れている自分たち」の嘆きのように聞こえます。
今朝は上限の雲と下限の大地の間(はざま)の陽光となりました。携帯ですので実際の風景とは違いますが、「はざま」だけは表現できているように思います。働きのうちにある「はざま」が見える、と言ったところです。