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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

こころ動かす

2013年08月14日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 早朝の北アルプス燕岳、常念岳の登山口に向かう県道中房線を多くのタクシーが通ります。午前5時30分ころは登山口まで登山客を送り終わったタクシーが「空」の表示を出して下ってきます。槍ヶ岳方面まで縦走する方も多くいるのでしょう。

 ブラブラと真言宗松尾寺を経由で散歩し、田の稲穂の様子を見ます。田植え時期は同じでしたのに、田によって稲穂の実り方に違いがあるのが解ります。首を垂れる稲穂と言いますが、まさに垂れ始めている稲穂もあれば、垂直に稲穂になりつつあるのもある、そんな風景を見ることができます。

 今朝はもう秋に近づく涼しさがあります。葉から余分な水滴が出て(おしっこ)水玉が葉に付朝陽に照らされています。

 同じころという時間で思うと考えてみればその稲穂のたれ具合も、稲穂になっているのですから大した差があるわけでもなく・・・・・と考えると、時間をその時その場におき物事を見るのと、思い出しの時間で物事を捉えるのでは現象に思いの相違が出てきます。

 意味不明な書き方をしましたが、その捉え方、人は常に時間とともにこころを動かされます。

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日本列島の夏

2013年07月22日 | 風景

 植物写真家の埴沙萠(はにしゃぼう)さんの足元の小宇宙、生命を見つめる世界で稲のおしっこを知ってから、早朝に見る稲に生成する光り輝く水玉に足を止めることになりました。

 気温が低い時に余計な水分を放出するようです、今朝も輝いていました。安曇野有明の山麓の家々には紫陽花が今盛りです。真言宗の松尾寺の紫陽花はあおいんですねぇ。

 それもバックに水車小屋の茅葺屋根があると一枚の風景画になります。



こんな姿もありました。

 今日は月曜日。新しい一週間が始まります。衆議院議員選挙も終わり、早くも来たらざる未来に慷慨の声が聞こえます。因に最大の責任があって結果には責任はない。民主国家に在っては多数が少数を抑圧すると考えればいつまでも慷慨の念に囚われる。

 多数も少数もあったものではない。流れのなかでそのような姿が現れるならば結局その中で意味を問われ、意味に応答し生きるが肝要であろう。

 あらゆることに備える。

 自然は時には牙をむける。

 人間も自然のなかの一員であることを叫ぶ人ほど備えを忘れる。

 7万年前に東へ東へと向かった人々。

 自然の豊かさを求め、また争いの大陸から東の希望の国を求めて回帰の心で海を渡った人々が集う列島。

  それが今の日本。

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ブルーベリーをほおばる

2013年07月16日 | 風景

 NHKサービスセンターから毎月出版されている「ラジオ深夜便」の月間小雑誌の7月号に『鉛筆部隊と特攻隊』の著者きむらけん氏の3月27日に放送された『疎開児童の見た特攻隊』が活字で「明日へのことば」に掲載されていました。放送を聞いたわけではなく、不思議な出会いに驚きます。この7月号も昨日書店で手にしたわけでこれも驚きです。

 昨年出版され地元松本市浅間温泉の話しなので、この話に接することがあるのは必然的ですが、7月号で先月には書店に並べられているわけで、7月の半ばにまだ残っていたことは偶然の仕業のように思う。

 今朝の裏山の有明山(2268m)にはすそ野と頂上付近には雲がかかっています。ここ安曇野穂高宮城は山から涼しい風が吹いています。

 しかし昼間になると暑いでしょうね。

 今朝はブラブラ散歩から帰り、ブルーベリーの畑に向かい目の癒しに食することにしました。この季節鳥との勝負で早い者勝ち。

 ブルーベリーの実は一斉に熟するのではなく、日ごとに変わります。土曜・日曜と子どもたちや親戚が来て採って行きましたが、祝日は誰も採りませんでしたので、ご覧のとおり私を待つ実がありました。

 実感するのは、眼に効き目があるということです。気持ちの問題ではなく間違いない人体実験の結果です。

 手づかみのほおばりです。

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「おひさま道祖神」後世へ

2013年07月06日 | 風景

 今朝は東から生暖かい風が吹いています。空はどんよりと曇り空。きのうの地元紙を見ると安曇野の話題として“「おひさま道祖神」後世に」”という見出しで2011年4月から放送されたNHK連続テレビ小説“おひさま”のセットで使われた道祖神に体のその後について書かれていました。


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から・村祭り)


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から・兄弟妹と道祖神)

 “おひさま”ファンの私はこの道祖神の石像の行く末を案じていましたので



 一体は、安曇野市豊科博物館の玄関横に、もう一体は水車小屋のロケセット跡近くの私有地に置かれている、とのことで今日時間があれば見に行きたいと思っています。

 以前ブログにも書きましたが、ロケセットが撤去されすべてが元の畑に変わり、何も無かったかのようにその地は静かでした。



 何回となくその風景が好きで出かけた場所で、いつも出会っていた双体の道祖神、「おひさま道祖神」と名付けられ後世に残されることになりました。

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睡蓮(スイレン)と民話の森の住人たち

2013年06月17日 | 風景

 6月も半月が過ぎこの季節に咲く花に睡蓮(スイレン)があります。安曇野市の南西部に室山という地籍にこの睡蓮が咲く池があります。昨日日曜日の午前8時前に家を出て20分ほどでお目当ての池に着きました。



 一眼レフの大きなカメラで撮影している男性がシャッター音を響かせていました。池には大きな鯉が蓮の葉の間を泳ぎ時々かをを出していました。



 ウグイスの声が聞こえ、鯉が跳ねるポチャッという音が聞こえる。

 池一面に咲いているわけではないのですが毎年この季節には来ています。

 午後は安曇野市立中央図書館に併設されている安曇野市穂高交流センターに演劇を勉強されている方々の「あづみのアクターズアカデミア」の卒業記念発表会があり「~民話の森の住人たち~」という語りを中心にした演劇を見に行きました。

 地元の民話「八面大王」「でぃらぼっちゃ(巨人)」などが紹介されていました。民俗学にも興味があり当然各地の民話もその範疇でみなさんの熱き演技に感動しました。

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懐かしさの中の道祖神のある風景

2013年06月14日 | 風景

 太平洋側の台風が熱帯低気圧に変わりぐずついた天気が続き梅雨空の朝です。スッキリとした朝焼けは望めないなかボツボツと朝のウォーキング。

 安曇野有明宮城山麓にもクマの出没が広報され、最近は人家近くにクマ以外にも天然記念物のカモシカなどが現れています。

 携帯を職場に忘れ今朝は古いデジカメを携えてボツボツと・・・。

 自宅に帰り撮ったデジカメのSD内を見るとなつかしい道祖神尾風景がありました。連続ドラマ“おひさま”の道祖神のある風景。よくブログにアップしました。



 今和このセットはなくなり、道祖神だけは何処かに保存されているらしいのですが、まだ出会いません。安曇野市の観光課に問い合わせればきっと会えるのだと思いますが、偶然性の出会いにまかせて積極的な探索はしないつもりです。

 どういう偶然性で出逢うのか、そこが楽しみなのです。

 しかしセットとして作られた風景なのですが、なぜか懐かしさがホッコリと・・・あります。

 今朝はそんな朝です。

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今朝の風景の中で

2013年06月03日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 水無月の3日、衣替えで今日は出勤することになります。

 いつものようにいつものように始まる一日。

 五十代も間もなく最後の一年間になります。

 トボトボと歩き始めて薬師堂の木立のなかに鶯の「ホケキョー」の声を聞き、林間にその響きを感じる。



 ランニングは歩き三昧に代え、風景に気を取られながらの時間です。

 何をするにも意志による意識の世界に、ある意味目覚めのなかにいるのですが、人間とは不思議なものです。

 その時は間違いなく、わたしであるのですが、年をとりボケてくるとそれは私であるのですが、第三者から見ると昔の私と異なり、私の言動は間違いなく今の私と異なり、人が変わったようになるのですが、私にとってはそれが私に違いないのですから、今現在だけが私なんでしょうね。とまぁそんなことを今現在考えてブログに書いています。

 「このような純粋経験や自己超越は、われわれの意識的な行為以前の無意識的な行為であった。ここで無意識という意味は、あたかも眼が眼自身を見ることができないのと同様に、意識は意識自身を意識することができないが故に必然的に無意識的であらざるをえないという意味での無意識であった。つまり、意識は本来、自己否定的・自己超越的に働くものであるということである。われわれの自己の根柢には、このような意識されざる意識、自己を超えた自己が宿っており、それをフランクルは「識られざる神」と呼び、西田は「真の自己」と呼んだ。個人性の発揮ということは、この自己の根柢にある「識られざる神」ないし「真の自己」の実現ということでなければならない。」(山田邦男著『生きる意味への問い V・E・フランクルをめぐって』佼成出版社p184から)

どうも個人的に深層心理学でいうところの心の構図を、

というあたかも形があるような気で物事を考える癖になると、最近はどうもそうではなかろうという思いが湧いてくる。

 目覚めとともに開かれた世界があり、間違いなく今日が始まっていることを意識する。

 間違いなく太陽は稲に光を、熱を注いでいるのです。

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安曇野市豊科近代美術館バラまつり開催中

2013年05月27日 | 風景

 安曇野市近代美術館のバラ園では第13回「バラまつり」が開催されています。期間は「5月25日(土)~6月2日(日)」で、昨日26日(日)の午前中に行ってきました。

 昨年は、最終日に近いころで盛りが過ぎていましたが今回はこれからが盛りといった感じでした。バラの花それぞれ品種ごとにそれぞれ異なる香りがあり・・・いいですね。






(美術館の壁面に)














(薔薇といった感じの色彩を放っていました)




(「祭」という名がついていました。)







ということで今朝は豊科近代美術館のバラ園の風景でした。


妙の風景・安曇野の朝

2013年05月15日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 午前5時にはすでに東の空に太陽が顔を出しています。時で過ごす私たちは日の長さの長短を体感し、季節と日の昇りに妙(みょう)を思います。


(数日前とまた異なる様相)

 竹内敏晴さんの『声が生まれる』(中公新書)から音の世界、光の世界・・・五蘊(ごうん)「色蘊(しきうん)・受蘊(じゅうん)- 感受作用・想蘊(そううん)- 表象作用・行蘊(ぎょううん)- 意志作用・識蘊(しきうん) - 認識作用」そして般若心経の「五蘊皆空」と「無色無受想行識」について過去に言及したことがあります。

 光と混沌とした音、匂いも全てが純粋経験という言葉の中では全てが意味の理解はなくそれを空とも無とも言う。


(穂高有明の松尾寺の石仏との今朝の出会い)

 それが一歩みはじめると色の世界が現れる。修と証はそれをよく表わしている言葉です。修業するから証としての今現在の世界が現れている。全ての現前の現象のその意味理解は修からはじまる。

 太陽の光、目覚まし時計、または体内時計が我を起す。

 そして妙の風景に出会う。

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