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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

息子に先立たれた老婆の悲しみ・鶴瓶の家族に乾杯

2013年11月05日 | 仏教

 毎週月曜日の午後8時から放送される「鶴瓶の家族に乾杯」という番組、毎週欠かさず見ています。昨夜は、阿川佐和子さんと山口県下関市を旅する後編でした。

 鶴瓶さん、阿川さん最後は角島に至るのですが、鶴瓶さんが40年前にこの島を離れ息子さんの死を機に帰島した御夫婦の家を訪ねました。大阪の岸和田に住んでいて長男が突然自宅近くで事故死してしまったご夫婦。

 奥さんは、現場を見るとびに悲しみのどん底におかれ毎日嘆きの連続体調も崩していた。夫はそれを察し、島に帰ることを決意・・・そのオタクを鶴瓶さんは訪ねました。

 会話等から思うに鶴瓶さんとの出会いは、ご夫婦にとってとても励みになったように思いました。

 その時にふと江戸時代の僧侶、盤珪さんを思いだしました。禅文化研究所から出ている『盤珪禅師逸話集』につぎ次の話が書かれています。

<『盤珪禅師逸話集』禅文化研究所>

「息子に先立たれた老婆の悲しみ」

 法話の席上、一人の老婆か盤珪さんの話を聞いていましたが、しきりと声をあげて泣くのです。ようやくにして涙を押さえて、盤珪さんに身の上話を始めました。
 
「私は龍野の者ですか、跡取りの息子が、四十近くになって病んでしまい、何かと養生をいたしましたか、本復することなく、つい先ごろ亡くなってしまいました。まことに孝行な子で、世間さまも善人だと言うてくれましたが、かわいそうに若い者が先立って、老いのわたしがこのように存命いたしております。息子が死んでからというものは、三度の食事も喉を通らないはどの悲しみでございます。そんなわたしを見て、一族の者は心配して、何とか和尚さまにお目にかかって、お示しをいただきなさいというので、今日まかり出でました」。

 盤壊さんはじっと話を聞いておられましたが、
 
「そなたは、息子さんを孝行者だ、善人だとはめなさるが、いや、そなたの息子は大不孝の悪人というものだ。そのわけを言うて聞かすほどに、よう聞きなされ。まず、そなたに尋ねるか、息子は親にも孝行で、他人にもいい人であったか」。

「ここに兄弟たちもみなおりますが、はんとうに一度も親に逆らわず、兄弟にもよく分かるように言葉やわらかに言い聞かせ、他人にも、人のためになることならば、自分のことのようにしてやる子でした」。

「なるはど、そんな子ならば嘆き悲しむのももっともな話だ。で、その息子か死ななければ、そのように嘆き悲しむまで迷うこともあるまいがの」。

「息子さえ元気でいてくれますならば、何でかように悲しむことかありましょう」。

「うん、うん。すれば、元気でおりさえすれば親をこのように悲しますこともあるまいに、親に先立って、生き残った母を悲しませているその息子は、はんに悪人の大不孝者だ」。

 こう言われてポカンとしている老婆に向かって、盤珪さんはさらに言葉を続けました。

「さて、ここか一番大事なところだ、よくお聞きなされ。そなたのように嘆き悲しみ迷うていては、息子は三悪道に落ちて、二度と人界へ生まれ来ることはなるまい。そなたは、そなたの親が生みつけられた仏心があるのに、我が子を失った悲しみに嘆き迷うているか、それこそ、そなたの親たちへの大不孝だ。そなたをそんなに悲しませている息子も大悪人で、地獄へ落ちるほかはあるまいぞ。どんなに嘆いても元に返らぬことを悔み、くよくよ嘆いておるが、親をそんな畜生道に落とした罪で、息子は地獄へ落ちるが、それは親の慈悲でござるまい。それはかえって子を憎むというもの、無慈悲なことだ。そなたの言われたように、孝行で善人だった息子は、その高徳によって成仏はうたがいあるまいに、そなたの嘆きによって引き戻し、地獄へ落とすのか。何と、そうではござらぬか」

と、懇切に示されて、老婆もようやくにして身の非を悟ったのです。
(御示聞書16)

<以上上記書p181>

ある人との出会いに光を照らされる。生きる意味を見出す。このような出会で自己のこれまでの態度に変化が生まれる。V・E・フランクルの「態度価値」と呼ばれるものですが、出合いには不思議な力があります。善きに悪しきに何がしかの意味を問うものです。

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道元さんの心の旅

2013年11月02日 | 仏教

[思考] ブログ村キーワード

 最近道元さんの『正法眼蔵』の「是什麼物 恁麼現成」「これなにものか、いんもにきたる」(この様なものがどの様に生じたのか)という言葉に意味への意志を見ているのですが、今回は以前ブログアップした正法眼蔵「現成公案」中の「他己」を中心に思考したいと思います。

 仏道をならふといふは、自己をならふなり。
 
自己をならふといふは自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむなり。
 悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

をこの有名な教示を手元に生る解説本からその解説を見てみたいと思います。

 仏教的真理を学ぶということは、自分自身を学ぶということであり、自分自身を学ぶということは、自分自身を意識しなくなることである。自分自身を意識しなくなるということは、自分自身が宇宙によって体験させられることである。自分自身が宇宙によって体験させられるとは、自己の身心すなわち主観と、他己の身心すなわち客観とから主観とか客観とかという意識を脱落させることである。悟ったという痕迹を他に知らせないということがあり、他に知らせないその痕迹を長い期間に亘って発現させるということが行なわれる。
    (金沢文庫 現代語訳正法眼蔵第一巻 西嶋和夫P86から)

 仏道をならとは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心とも脱ぎ捨てることである。悟りいたったならば、そこでしばらく休むもよい。だが、やがてまたそこを大きく脱け出てゆかねばならない。
    (講談社学術文庫 正法眼蔵(一)全訳注 増谷文雄 P44から)

 仏法を求めるとは、自己とは何かを問うことである。自己とは何かを問うのは、自己を忘れることである、答えを自己のなかに求めないことだ。全ての現象のなかに自己を証すのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。覚りとは、自己および自己を認識する己れをも脱落させて真の自己を無辺際な真理のなかに証すことである。こうしたことから、覚りの姿は自らには覚られないままに現われてゆくものだ。
    (河出文庫 正法眼蔵1 現代文訳 石井恭二P23から)

 個人的に理解が難しいのが後半部分にある「佗(他)己」という言葉です。この語について、御茶ノ水大学の住光子さんは、その著「NHK出版 哲学のエッセンスシリーズ 道元 P57・58」で次のように述べています。

 この「他己」というのは、道元が多用する言葉である。他の存在について言い表すにあたって、他の存在と自己の存在とが切り離され対立したものではなく、つながり合って密接な相関関係にあるということを示すために、「他」に「己」という字をつけて「他己」とするのである。この場合の「他己」とは、人に限らず山川草木などすべての存在者をさす。

 ここで「他己」について、わたし自身が感ずる人の意識の視点が気になるのである。

 上記の中でわたし自身がすっきりする注釈表現は、石井先生の「自己を認識する己れをも脱落させて真の自己を無辺際な真理のなかに証すことである。」という表現であり、「自己を認識する己」が、唯識教学における「自証分・証自証分」の関係に思えるのです。

 「一切皆成仏を率直には認めない法相唯識学など、およそ禅師の高い宗旨とは全くかかわりのないものと思われてきた」(中山書房仏書林 唯識の心と禅 太田久紀 P123)というように道元さんの言葉を唯識で解釈することは、叡山の天台教学が、開創以来、法相教学は決して相容れるものではなく、また太田久紀先生が上書でいうように唯識用語や唯識典籍が引用されることはないのは承知の上で、わたしはそう感ずるのです。

 西田幾多郎先生は、哲学論文集第七で次のように述べている。

 道元の云う如く、自己が真の無となることである。仏道をならふというは自己をならふなり、自己をならふことは、自己をわするるなり、自己をわするるとは萬法に証せらるるなりと云って居る。科学的真に徹することも、之に他ならない。私は之を物となって見、物となって聞くと云う。否定すべきは、抽象的に考へられた自己の独断、断ずべきは対象的に考へられた自己への執着であるのである。我々の自己が宗教的になればなる程、己を忘れて、理を尽し、情を尽すに至らなければならない。(岩波書店 西田幾多郎全集第十一 哲学論文集第七 二 場所的倫理と宗教的世界観 P424から)

 わたしは、「断ずべきは対象的に考へられた自己への執着」の執着の主体は、「他己」であると思う。そして、わたしが観ずる唯識の最終的な決めの不足感、曹洞禅の坐禅の継続重要性と意義は、「佗己(他己)の身心をして脱落せしむなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。」の言葉に示されていると思う。

 いつものようにまったく別視点の話を追加します。鶴見俊輔さんの対談集『学ぶとは何だろう』に次のような「小泉八雲」の話が掲載されています。
  
 小泉八雲の日本語は奥さんの節子さんとの交歓でしょう。節子さんが、いろいろなたくさんの種本を仕入れてきて話して聞かす。八雲はそれを一生懸命に聞いて覚えておいて書く。そのときの小泉八雲の家庭の言語というのは国語ではない日本語ですね。たとえばこんなふうなんです。「このあいだ話した怪談はまだ書いてないのですか」と節子さんが尋ねると、「まだ友だちではありません。友だちが来るまで待ちます」というんです。(晶文社 学ぶとは何だろうかP265から)

という話しですが、これがなかなか興味深いのです。上記の話は要するに小泉八雲が、日本語に堪能になる前の話しで、自分の今の気持ちを表すのに、知る限りの日本語と表現方法を使い妻に今の心境を伝えたわけです。

 言葉というものは、その使用者にとって、純粋に道具であり、手段である。
 言葉は、意味の表現、伝達にとって、もっとも理想的な用具である。と言われている。
 言語は、意味を表す以外に、ほとんど何も表わさない。

柳父章さんは、(法政大学出版局 翻訳語の論理P4・5)で言っていますが、八雲にとって「友だち」という言葉は、意味以外に何も無いとはいえないほど使用される言葉の奥深さを「読む側」に投げかけていると思うわけです。

 使用している作者の知識はともかく年齢、環境、知り得る語彙数も当然、その文書内に表わされている。

 ある命題があって、その究明のために心の旅に出る。旅によって蓄積されてゆく知識等は後に文章に示される。

 結局私は何を言いたいのか。『正法眼蔵』に、わたしは道元さんの心の旅を感じるのです。  

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こころの時代・人生に光あり・青山俊董

2013年10月06日 | 仏教

 今朝のEテレ「こころの時代~宗教・人生~」は愛知専門尼僧堂堂長青山俊董(あおやましゅんとう)さんの「人生に光あり」でした。昨年平成24年5月6日に放送された者の再放送になります。

 この番組は私の人生の指針の教えとして録画や音声、文立ての書物の形にしてどのくらい勉強していまだに学びを続けている学びの光の出会いでいまだに照らされています。

 早朝からこの番組を視聴しようという精神的なこころの求めに、さらなる仏の光を感じるとともに、言葉を変えて表現をすれば現前の現象そのものが人生の意味を放出している、環境が情報を放出している場所の中に唯一、絶対の私がいることを自覚させられます。

 色々な人がこの番組に出会ったでしょう。苦悩するたゞ中にいる人、人生の意味という言葉に考えないではいられない人、この番組は聞き手の金光寿郎さんのわかり易い青山先生への問いかけに、その視聴者の問いかけを重ねることができます。

 私の今足りないものは何か。知るということ、わかるのということ、1時間番組の中で語られる中にそのきっかけがあります。

この「こころの時代」には、とても参考になるサイトがありこれまでに何回となく紹介しています。

 このサイトは更新されアドレスが変更になりリンクしない方が良いので、次のように紹介します。

 検索ドライバーに「こころの時代へようこそ」を入力してください。

すると「こころの時代へようこそ」(黄色マーカー)が出ますのでクリックしてください。次にこのような画面が出ますので、画面下方にカエルの絵に「戻る」が書かれていますので、ここをクリックします。



すると番組番号の画面が出てきますので「541~560」を選択します。

ここに

 「544」「人生に光あり 愛知専門尼僧堂堂長 青山俊董・金光寿郎」

と書かれています。そして「人生に光あり」部分をクリック。そこにはメモ忘れも解消してくれる宝物を発見することになります。

 私はこれを印字して座右の書としています。 


お大師様に導かれ・四国霊場第十三番大日寺の金昴先住職

2013年09月08日 | 仏教

 今朝のEテレ「こころの時代」は、四国徳島県にある大日寺の金昴先(キム・ミョウソン・55歳))住職の「お大師様に導かれ」というお話で、女性僧侶金さんご自身の運命とそこから語られる仏道でした。

 私がはじめて金武住職を知ったのは2年前の2011年10月2日にNHK総合のドキメント20minで放送された『韓国舞踊家運命の愛に生きる』という番組でした。
 
 金昴先さんは、韓国伝統舞踊の名手で間違いなく人間国宝に指名される予定の流舞踊家でした。1995年に徳島で舞踊公演した際、大日寺に宿泊した。そのとき住職であった大栗弘栄さんが金さんに一目惚れ、縁あって一年もしないで結婚、そこには赤い糸ともいえる運命がありました。

 長男・弘昴(ホンミョ)君(現15歳)も生まれ舞踊にも力を入れて幸いの日々を送っていたが2007年4月に住職で夫の大栗弘栄さんが急死、幼子の弘昴(ホンミョ)君と二人きっりになり前途がまったく閉ざされた状態になりました。

 金昴先さんは「韓国に帰りたい」と気持ちでいっぱいになり、帰国を決断するが、しかし、息子の弘昴君が病院での死に際の父である大栗弘栄さんの意識状態での手の動きから父の気持ちを理解、「僕は父さんのような僧になりたい。20歳になるまで母さんが守って」と訴えた。

 2007年7月、得度して尼僧になり、真言宗大覚寺派の指導で一から勉強し、翌年12月に住職に就任した。今は、「弘法大師が、わたしをこの寺に置いてくださった」と語る。「すべては弘法大師のお導き」四国霊場第十三番大日寺は多くのお遍路さんが巡礼で立ち寄る。

 先月の徳島の阿波踊りに「韓国連」が参加したようです。弘昴君は現在アメリカに留学、国際的な感覚を持つ僧侶として育つことを夢見て、そこには金住職の個人的な夢も重なる。世界が平和であるように。韓国、中国、日本の関係は現在最悪な状態です。「愛」「ありがとう」「おもてなし」そんな言葉が金住職から語られる。

 韓国舞踊には僧舞があり「お坊さんの修行は別物ではない。自身の中では踊りと僧を両立し、本当の僧舞が踊れている」と語っていました。

 英語、中国語、韓国語、スペイン語、そして日本語。金住職は舞踏家である頃100カ国ぐらいを公演するなの間違いなく国際人です。アジアは一つというよりも世界は一つ(We are the word)、「四国八十八か所霊場を世界遺産に登録したい」「息子を21世紀の立派な宗教家い育てたい」それは先代住職である夫大栗弘栄さんの意向でもあるという。

 徳島県の「徳」、高知県の「高」で徳の高い四国、愛媛県の「愛」そして香川県の「香」で愛の香りが出てくる四国、本当の香りが出てくるお遍路の国になることは世界が平和になるそこに四国精神があるという。

先代住職の語った言葉、

「仏縁で生まれた人は生まれ変わっても遍路になる」

「仏さまは我慢できるくらいの試練と不幸をお与えになる」

また、「辛い時、悲しい時、寂しい時、そんな大変な時に誰も助けてくれない。結局人生は楽しんだ者が勝ち、だと思う。人生は必ず幸せになるようにできている。だから楽しんだ者が勝ちだから楽しんで前向きで自分を傷つけないでチャレンジ精神で頑張って乗り越えて活き活きするだけ。」

 そして「運命を自然に任せるだけ」と語っていました。

 「結局人生は楽しんだ者が勝ち」とは、運命の与える意味を理解し、態度価値を持たれた方の言葉だ。そこには間違いなく「第二生まれ」をした人の姿が見えていた。

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今朝の今現在説法

2013年07月03日 | 仏教

[思考] ブログ村キーワード

 平成24年6月6日にEテレ日曜日「こころの時代」で放映された、愛知専門尼僧堂堂長青山俊董(しゅんとう)さんと金光寿郎との対談『人生に光あり』は私にとって永遠に私を包むお話で、いまも時々再確認しています。

 その対談の後半部に「因果」の考え方に言及している箇所があります。

【金光寿郎】よく聞く言葉に、「今ここ」ということを聞きますけれども、「一歩前に出す」というのも、今ここで一歩出せばそこに結果が現れる。

【青山俊董】そうなんですね。

【金光寿郎】これは因の場合、原因は一歩出す。結果は、身体は前に行っている。

【青山俊董】自ずから「因」と「果」―「修」と「証」は一つなんだ、と。そこでもう一つ、果を待たない―結果を待たないでやればいいんですわなぁ因を。話が行ったり来たりですがね、「百不當」のさっきの話に戻りますけども、私自身が大学の二、三年頃でしたかね、ですから二十二、三歳ぐらいでしょうかね。

 その時の学長先生が衛藤即應(えとうそくおう)先生だった。私は、衛藤即應先生に、「〝百不當〟だけ書いてください。〝一老〟は要りません」と。二十二、三歳の頃は、どっかに悲愴な思いがありましてね。「私などは一生涯やたって、一老はありそうもないと。なくてもいいから百不當、千不當の努力はさして頂きたいと思うから」というようなことを言いまして、「百不當」だけ書いて頂いて、「一老」が書いてないお軸を今大事にしていますですよ。

 しかし後に、「百不當」はそのまま「百當」なんだと。「一老」を向こうへもっていっちゃいけないんだ、ということに―勿論もう一つは、「老」を考えなくていいんですわね。今の結果を考えなくていい。今ここでやることだけ考えたらいい。だから結果は問わずに、ただただやるだけ。

 そこがやはり私が心で忘れない一句ですが、大竹晋(おおたけすすむ)先生という唯識の先生がおられましたね。ここにも何度もお越しになりました。こうおっしゃったですね。今の「修」と「証」を、「修」が「因」、「証」が結果の「果」、「因」と「果」ですわな。「仏教は因果論というけれど、我々が発言権をもっているのは、因のみ、果に発言権はない。ただ良き師の仰せのままに、限りなく良き因を積むのみ」とおっしゃった一言が忘れませんですね。

 「限りなく良き師の仰せのままに、今ここを良き因を積み続けるのみ。果に発言権はない。果はお任せ」こうおっしゃった言葉、そういう意味で、「修」と「証」とかね、そういうのは結果を問わず、今私が為すべきことは何なのか。同時にやりたいことじゃなくて、仏様の光に引っ張って頂きながら、今ここをどう仰せのままに一歩踏み出す。

 限りなく一歩踏み出すことだけを考えていく。そうすれば、行くべき方向に向かって、そうすれば自ずから果は付いてくる。ほんとは同時でしょうけどね。同時でしょうけど、そして最後に熟するという先の方にも果はありましょうけど、証はまた証待たず、修だけ修のみある。修のみを考えていこうじゃないか。この辺が修と証においては修証、その辺がそうですね、大事なことですが、良き人の仰せのままに、今ここを光に導かれながら、わかってもわからなくてもいいから、ただ仰せのままに今ここを一歩一歩、歩もうじゃないか、と。その辺が修あるのみ。

【金光寿郎】 それが戯論に陥らない。自覚への道ということになるんでございましょうか。

【青山俊董】 そうですね。より深い世界へと・・・。

<以上>

 最後の金光さんのおっしゃる「戯論」とは、「誰々がおっしゃった」ということです。自分の身から出る言葉ではなく、私もそうなのですが「誰々がそう言っている」話でそれが動かしがたい真理であると・・・・。そういうのを戯論(けろん)というのだそうです。

 今現在の一刹那という「因」の今いまが一大事であるということです。

 一大事とは、今日ただ今のことなり。(正受禅師)

 再確認ですが、

『一夜賢者の偈』

  過ぎ去れるを追うことなかれ。
 いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ。
 過去、そはすでに捨てられたり。
 未来、そはいまだ到らざるなり。
 
 されば、ただ現在するところのものを、
 そのそのところにおいてよく観察すべし。
 揺らぐことなく、動ずることなく、
 そを見きわめ、そを実践すべし。
 
 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
 たれか明日死のあることを知らんや。
 
 まことに、かの死の大軍と、
 遭わずというは、あることなし。
 
 よくかくのごとく見きわめたるものは、
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。
 かくのごときを、一夜賢者といい、
 また、心しずまれる者とはいうなり。
       (中部経典 増谷文雄訳)


参考
今現在説法と一夜賢者の偈[2006年02月19日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/8d3e2267cb8ccc8a7891dda95396781e

 朝に夕に唱える般若心経、好きな現代語訳の中に、

<抜粋>

シャーリプートラよ。
 この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で[ありうるので]ある。
 実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

 [このようにして、]およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
 これと同じように、感覚も、表象も、意志も、認識も、すべて実体がないのである。

という箇所があります。全くわけが判らない。戯論かもしれませんが、ある日突然わかった気がするときがあるのです。ストンと・・・。(中村元訳)

<以上>

一刹那にそう思うときがある。苦楽もないそのときを。

参考
好きな「般若心経」現代語訳[2013年01月25日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/08a6d0527b7e12c5d76d657fbb617776

今朝のブラブラ散歩で感ずる今現在説法でした。

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慈雲尊者の十善

2013年06月06日 | 仏教

 昨日の夕方は雷鳴轟く、大雨となりました。梅雨に入って晴れ間が続き、梅雨はどこへ行ったのかと思わせるような晴天が続いた中、久々の雨でした。

 話題がない時には天候の話というのが、他者との会話の切り出しですが話題にしない人はいないと思います。

 花の咲き方一つ見ても昨年とは大きくずれがあるように思います。千だって豊科近代美術館のバラ祭りのことを書きましたが、バラの咲く時期が今年は昨年よりも20日以上も早いものでした。

 昨年はバラまつりとスイレンの話を6月の3週目頃に書いていましたからその季節の異常さがわかります。ということでついでに昨年の今日6月6日のブログを見て見ますと、江戸時代の真言宗の僧侶慈雲尊者の話を書いていました。

 書いた週の前の日曜日に放送されたNHKこころの時代で「安らぎの世界へ~慈雲尊者の言葉から~」と題して福岡県徳永にある心空院の御住職小金丸泰仙さんが話された慈雲尊者のことを話題にし、

人天の法は
生死の法じゃ
仏法のみあって
生死解脱の法じゃ。
是を知らせたい
ものじゃ。
(慈雲尊者法語集)

心自不知心の
 こころをよめる

心とも
知らぬこころを
いつのまに
我が心とや
おもひ染めけむ

(慈雲尊者和歌集)

の歌と、慈雲尊者の十善法語に言う「十善」

第一、慈悲、不殺生戒(あわれみぶかい心をもち、生命を損なわない)

第二、高行、不偸盗戒(かたく節操をまもり、ひとの領分を侵さない)

第三、浄潔、不邪婬戒(身をきよらかにして、よこしまなことをしない)

第四、正直、不妄語戒(心を正直にして、嘘をつかない)

第五、尊尚、不綺語戒(志を高くかかげて、ことばを飾らない)

第六、柔順、不悪口戒(柔軟な心をもち、ひとをののしらない)

第七、交友、不両舌戒(交わりをたいせつにし、仲間われをおこさせない)

第八、知足、不貪欲戒(分限をわきまえ、むさぼらない)

第九、忍辱、不瞋恚戒(よく忍耐して、腹をたてない)

第十、正智、不邪見戒(正しい智恵にしたがい、偏見をもたない)

が書かれていました。

「心とも 知らぬこころをいつのまに 我が心とや おもひ染めけむ」

 最近は毎日綴るブログではないのですが、間違いなくその時の私は、私であってその時から今日までどのような私を作ってきたのだろうか、そんなことを考えながら今日が始まりました。

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感情の鈍麻・現実存在は輪郭線で現れる。

2013年04月22日 | 仏教

 突然の雪で信州の果実の生育に大きな打撃があったようです。1週間前に例年よりも早く花が咲いた梨の花。花の根元にある果実のもとになる部分はこの寒さで黒く変色し、こうなると実はつくことはないと悲しそうに語る果実農家の老人の姿がニュースで流れていました。

 果実だけでなくレタス、アスパラ等も雪の影響があり出荷目前だったものはダメージを受け、本格的な出荷は5月連休後になるとのことです。地球温暖化はこのような天候異常をもたらしている・・・・そう考えるのが普通ではないだろうか。

 天候不順が続く一方でこれも地球規模の異変である地震の発生です。四川省の地震は以前に発生した場所に近く、淡路島の地震も似たような場所が震源地でした。北の海からアジア大陸の西まで、太平洋プレートが活発に活動しているのでしょうか。

 そんなこともあり富士山が噴火するのではないかという話まであります。雪解けの地下水の影響かもしれないのですが富士山の林道が陥没するという話が映像と共に報道されていました。

 今は情報があり過ぎる。ネット社会ですから手に取るように個人で情報を得ることができます。押し付けられるというよりもこちらから求め・・・・行きつく先は、不安と怒りです。

 昔から爆弾闘争があり、親殺し子殺しがありました。しかしそれを知る機会のない昔ならばのどかな春の一日を過ごしていたのでしょうが、今は心配しなくともいいことも心配しなければ落ち着かない。

 午前中のブログアップ後にペットの子犬とともに散歩に出ました。30分ほど穂高有明けの山麓の小道を歩き畑の土手で一休み。



 犬の名は「ララ」。黄色のリボンを付けていますがオスです。

 遠くに美ヶ原高原が見えます。

 畑のタラの芽の木はまだ芽が出てきていません。

 還暦を過ぎてたら情報を遮断して仙人生活、隠遁生活に入ろうか。

 突然召集令状が来ることはないだろうし、失礼なことを言いますが放射線による退去命令もないだろうと思う。

 自然災害はどうしようもないが、人災だけは避けたい。

 自然災害も人災に近いものもあります。手抜きによる災害。

 原始仏教の国では「業の法則」という教えがかなり教え込まれていて自分におとずれる災いもその法則によるものと理解し、その場で報いを受けていることになるそうで、怒りもなく反骨精神もない。忍従どころか苦しみの境遇さえも感情の現れとして出てこないように思える。貧しさの基準はその国々によって異なるかもしれませんが、北朝鮮のような格差になくとも貧乏と裕福なものがいるならば、そこには間違いなく嫉妬とか怒りが湧くのが普通で、それがないのは「感情の鈍麻」であるように見えます。

 そこに北朝鮮のような力と思想で押さえ付けられていない・・・・いつの間にかそのように育てられているところに北朝鮮とは異なる怖さがあるように感じます。

 最近まで内戦もあり宗教対立もあったとなれば、その生き方は悟りという範疇のレベルではないように思える。

 「業の法則」・・・・便利な言葉です。業はサンスクリット語でカルマと言いますが、行為、働きであって仏教では過去・未来・現在の三世にわたる業のはたらきを言います。

 彼らの死に至った人々の廻向は、近親者ではなく生まれ変わりがあると考えますから、そういう関係性の認識で幅広く親戚に対する廻向になるようです。

 「生きとして生けるものが幸せであるように」

という言葉に感動しますが、原始仏教の国と大乗の国の「草木国土悉皆成仏」とは異なるようです。

 私はネコになることもなければイヌになることもない。木にも草になることもない。

 一切の現象は因果の連鎖のなかで、絶えず変化している。
 「自我」というからは幻想で、
 「私」も世界も、ただひたすら変わり続けている。

と「無常観」について説く一方で「今、この瞬間をありのままに見て生きる」とも説く。

 ここには矛盾がある。固定されない流れのなかでありのままはあるのか、という疑問です。

 最近画家の絹谷浩二さんの「無著・世親菩薩像」の話がありました。上記の無常感から輪郭線を引く現実がリアルな現実であるという話をしていました。衣の輪郭線を黒色で入れる。そこに現実存在がまさに有るのです。

 今まさに問題となっているものは何か。

 「感情の鈍麻」で善いのか。

 常態が情報の世界ならば知るべきなんだと思う。あえて離れることは小国の感情の鈍麻であるように思う。


梵天勧請の意味に照らされて

2013年02月27日 | 仏教

[思考] ブログ村キーワード

 ブログにコメントを寄せていただけるのは嬉しいのですが、私に何を求めたいのか理解しがたいものも多く、どうしようもないのは削除しています。好意的であるのかそうでないのか、凡人である私はし方がないので削除しますが、過去の仏教ブログへのコメントですので縁をもたせ今朝は雪ですので早めの出勤に遅滞が生じしない範囲で書きつづりたいと思います。

原始仏教典中村元選書の「犀の角」を読んでみた話[2012年06月11日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/b938781b4f0aff3870d300d96b5bb5c5

に書かれたコメントで、

>そういえば、どうせ愚民どもには俺の教えは分かりはしないと考えてたシッダールタはある時、梵天にその教えを広めてくださいと、お願いされて仕方なく教えを広めたんだよね。

という内容で、「俺の教えは分かりは」の主語たる俺は「お釈迦様」のことで梵天勧請の話を私に教示しているわけです。

私のブログの書き出しが、

<自宅に帰り久しぶりに仏教サイトを見ると原始仏教典のスッタニパータの「犀の角のようにただ独り歩め」の話が書かれていました。仏教学者の中村元先生の訳の話について書かれてて、本当かなぁという話なので分厚い中村選書の「犀の角のようにただ独り歩め」の35-37番を見てみました。第6章「慈悲」に書かれ次のように解説されていました。>

中村元先生の「犀の角のようにただ独り歩め」の話に関するブログに私が知り得ていることとは異なる内容であったので個人的なメモとして書いたのですが、どうもそれを読んだ人が「何を思ったのか」私のブログに書き込みをする決意をさせたようです。

 Unknown (麩)というネームでサイトリンクも無く何処のどなたかどのようなお考えなのかよくわからない方からのものです。

「仕方なく教えを広めたんだよね。」

という言葉にネガティブな感情を感じます。その実存的吐露に向かわせた梵天勧請とはどのようなお話なのか、明治期から現代までのお釈迦様物語があるのですがその中から取り出しやすかった(全集なので)すずき出版の「仏教説話体系」から第40巻「仏陀の教え」からこの「梵天勧請」を引用したいと思います。

<「仏陀の教え」から>

伝道の決断

 釈尊……とわれわれは呼ぶことにしよう。ブッダガヤーの菩提樹の下で真理に目覚めて、“ブッダ(仏陀)”になられた方である。″釈迦牟尼仏″″ガウタマブッダ″と呼んでもよいが、近年は“釈尊”なる呼称のほうが一般的である。そこで、われわれはその一般的な“釈尊”といった呼称を採用することにする。

 十二月八日、菩提樹の下で成道を宣言された釈尊は、それからしばらくの間座禅を続けておられた。
<自受法楽>---仏典はその間の釈尊の有様をこう記述している。ご自分が発見された法 (真理)をじっとご自分で楽しんでおられたのである。牛が食物を反すうするように、釈尊も真理を反すうして味わっておられたわけだ。

 時間はある意味で停滞していたのかもしれない。あるいは、三七、二十一日間という時間が一瞬のうちに流れ去ったのかもしれない。ともあれ、釈尊は菩提樹の下に座り続けておられた。

 実は、釈尊はその時こんなふうに考えておられたのである。
 --- わたしの発見した法(真理)は難解である。凡人には理解できそうもない。凡人にそれを説くのはむだであろう。愚なる大衆に法を説くとき、わたしにはただ疲労のみが残る……。だから法を説くのをやめよう。自分はこのまま静かに涅槃に入ろう。

 涅槃とは、燃え盛る煩悩の火の消えた状態を意味する語である。「静けさの境地」とでも訳せばよいか……。釈尊は悟られた真理を胸に秘めたまま、永遠の世界に帰還されようと考えておられたのである。

 しかし、それではわれわれのこの世界はやみに閉ざされたままである。釈尊が発見された真理でもってこの世を照らしていただいてこそ、われわれに救いがある。

 「世尊よ、どうかわたしたちに法(真理)を説きたまえ……」

 それがわれわれ世人の願いである。その願いを代弁したのが梵天(ぼんてん)であった。
 梵天はインドのバラモン教の神である。バラモン教の神が天界からやって来て釈尊に懇願した。
 
「世尊よ、衆生のために法を説きたまえ」

 だが、釈尊はその要請をはねつけられた。

「わたしの悟った真理は難解である。怠惰と放恣(ほうし)のうちにある一般世人が理解できるものではない。それを説いても、わたしにはただ疲労のみが残るであろう。わたしはこのまま涅槃に入るつもりである」

 梵天は必死になって懇請を繰り返す。しかし、釈尊は二度日の懇願をもにべなく拒否された。梵天はそれにひるむことなく三度日の懇願をする。

 三度目、釈尊はようやくにしてその懇願を受け入れられた。

「では、わたしは法を説こう」

 釈尊は伝道を決意されたのである。
 わたしたちはここで確認しておきたい。釈尊は初めから伝道を考えておられたわけではない。ある意味ではわかりきったことだが、釈尊は伝道を前提にして悟りを開かれたのではなかった。逆である。悟りを開かれた後で、その開かれた悟りを人々に教示しょうと考えられたのであった。

 梵天というのは、たぶん釈尊の内面で行われた対話(「伝道しょうか……」「いや、わたしの教えを世人は理解できないかもしれない。だからこのまま涅槃に入るべきではないか……」といった迷いの心理)を表現するために、仏伝作者が登場させた人物であろう。
梵天と釈尊との対話は、伝道に対する釈尊の躊躇が大きかったことを意味する。

 そして、迷いに迷った末に釈尊は決断された。

  ---人々に法を説こう……。

その法が、つまり釈尊によって人々に説かれたその教えが“仏教”なのである。“仏教”.とは、文字どおり「仏陀の教え」という意味である。

<以上上記書p15~p19>

 最近森繁久彌さんの詩から「人の心は 変わらない」という言葉について書きました。上記の梵天勧請とどのようなつながりがあるのか、私はどちらかというと生命哲学が好きですから直感でものを言いますが「お釈迦様も人である」という感動です。

 私たちと変わらない人間であること私は梵天勧請に感動するのはそこです。

コメント者「Unknown (麩)」の「仕方なく教えを広めたんだよね。」という吐露。心から漏れるその言葉。これこそが人間的であると思うのです。コメント者と変わらない仏陀がそこにいます。

 仏は蓮の花の台座の葉の一枚一枚の数ほど変化(へんげ)します。コメント者の心にもその変化の現れが現れているように思います。「万物来たって我を照らす」今まさに吐露のその瞬間に我が身が気づけば「涙こぼるる」と気もあるように思います。

 なぜ私はその衝動に走るのか・・・・。

 人間ですから理由をもっているはずです。自由意志で平等に誰からも何も言われることも無い開かれた存在である「わたし」がそこにいます。

 お釈迦様の縁がなければこう言うコメントもしなかったでしょう。また私自身がそのようなブログを書くことも縁です。

 お釈迦様はバラモンたちの聖典であるヴェーダの権威を認めませんでした。ウッパニシャッドが主張する宇宙原理の実在性を認めず、お釈迦様やそのお弟子さんたちはウッパニシャッドと同じようには自己と宇宙との同一を主張しませんでした、が別の方法で「自己と宇宙の本来的同一性の経験」を追求したのです。それが縁起説です。

 インド哲学の歴史の本にはそのように書いてあり誰もが承知のことだと思いますが、経験から知り得たこと、縁起説を自分のものとすることは大変難しいこと、お釈迦様は凡人には理解できないだろうと思惟する一方、「万物来たって我を照らす」その目覚めは御自身のうちなる慈悲の声を感応させたのかも知れません。

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Eテレ『般若心経』の最終回から

2013年01月31日 | 仏教

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 昨夜Eテレ100分de名著『般若心経』の最終回(全4回)が放送されました。262文字のお経、個人的にも身近にあるお経だけに学びの視点から全回にくぎ付けになりました。

 今回はゲストに玄侑宗久さんが出られていて東北の大震災の経験とともにいま日本人に必要な感性を般若心経を唱える、写すの意味理解の視点から離れて語られていました。あくまでも番組批評でなく私個人の感想のメモであることを最初に記しておきます。

 さて今回は「見えない力を信じる」というテーマで、般若心経の根幹である「空」「無」の語り得ない世界を後半に唱えられる呪文部分を中心にその神秘な力が解説されていました。

 ここで今の私の頭に浮かぶ言葉があります。それは同じEテレで放送された「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」で語られた円相図です。それは次のような話でした。


<円相図>
 
 その西田哲学を象徴するのがこちらの図です。円相図です。


 
 筆で描かれた円、その横には西田の文字で、
 
 心月孤円光呑万象(しんげつこえんひかりばんぞうをのむ)
 
どういう意味なんでしょうこれは?
 
【藤田教授】 これは心を一つの月に例えているわけですね。円に例えているんですけれども、しかし、その中に無限のものを孕んでいる、内包している、無限なものの根源というそういう意味が円の中にあるわけですね。そういう万象、すべての事柄を呑み込んだ円というそういうものを、禅では悟りの境地をあらわすものとして非常に重視してきたわけですけれども、そういう西田幾多郎が考えた「無」というものと、非常に通じるものが禅でいう円相の中にはあるということですね。
 
【福岡教授】 円相というものを見て、やはり非常に西田の哲学が私たちに喚起してくれるイメージというものには深いものがあると思いますね。
 だから生物というものはどんな場合にもまず円の中の空間、それが段々形を成して行くというふうに生命というものは現れてきているんですね。だから丸に空間がある、そこに何も決定されない何もまだ関係が行なわれない、そういうところから世界が始まるんだというヴィジョンは非常に生命的であるし、それを哲学の言葉が先取りしているなぁと私は感じたました。

という話です。名著『般若心経』では、「我が身のもっている本来の力を取り戻す。」般若心経にはその力があるという話がありました。この「我が身」が私の場合円相図に重なったわけです。

 我が身とはこの身体のことです。この身体(からだ)ということです。「み」と「たい」で「たい」は体重でもわかるように重さのある存在というよりも私的には「ある」という存在を思います。「み」はこれまでも何回となくメモ書きしているのですが「実・み」と同音で稲穂に例えれば実を結んだ米粒、「もみ殻」で包まれた「実の一粒」を思います。「から」に包まれたそのもの、我が身は「わがみ」であって「我が実」というものその存在が身体と感覚的に思うのです。人は我というものにしばられ、あれやこれやと考え続ける存在です。考えることで縛られる。思い悩み苦悩するばかりではなく、楽しいとか嬉しいという時もあります。常に想念に縛られ中にいます。

 我を消すことで本来の自由になれる。無明の中から解き放され、縛られていた狭い世界観から解放される。

※無明(むみょう):煩悩にとらわれて、真理を悟ることができない心の状態

 身体という存在である「わたし」から殻を破り360度に開かれた開(あ)けの常態の「わたし」になるそんな感覚を得ました。

 円相図の円の線が殻ということではありません。もともと無いという「無限を呑み込んだ」という言葉の概念を円にしているだけです。

 「から」=空(から)、殻(から)、体(から・だ)、そこ「から」

「空」は「うつろ・移ろ」で移ろいゆくもの、それが存在としての「わたし」である。天然自然の「わたし」になる、ということにつながると思うのです。つながるということは「実(み)を結ぶ」ということです。

 番組では呪文とオノマトベ 「擬声語および擬態語」の話もありました。意味よりも音で人は言葉によって、言葉にした途端にある意味縛られる。言葉はどうしても概念としての範疇化で的確にそのものをそのことを表現していませんし表現できません。

 だから意味理解は感覚で掴むことになります。だから相手の心意も不確かなものになります。キラキラ、ギラギラ、サラサラ、ポツポツ・・・・その意味するところは感覚で分かります。呪文はそれと非常に近いものがあるとの話し、番組では絵心経も紹介されていました。とりあえず早朝短時間で以上をここにメモとして書いておきたいと思います。

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好きな「般若心経」現代語訳

2013年01月25日 | 仏教

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 Eテレの100分de名著は『般若心経』で、262文字で構成された最も親しまれている大乗仏教典が紹介されています。個人的に寺や仏の前で年間を通して唱える経なので興味がある所です。

 素人なので数多ある解説本を購入、マニアックなところがあります。超訳と称するものもあり、昔から親しまれている松原泰道さんの『般若心経入門』(祥伝社)や柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智慧』(小学館)、そして岩波文庫の『般若心経・金剛般若』(中村元・紀野一義訳註)などがあります。

 今朝はその中から自分が最も好きな現代語訳を紹介したいと思います。過去には一部を紹介し感想を書いたこともありましたが、けさは全文を紹介したいと思います。原本は中村元監修の『般若心経の世界』(学研・2004年版)でサンスクリット語、中国語、韓国語そして日本語の般若心経の読経と加藤剛さんの現代語訳の朗読が入ったCD付のものです。

 加藤剛さんの朗読は時々今も聴くことがありますが、現代語訳ですが親しみのある観音様の語りのような響きがあります。

【現代語訳】

般若波羅密多心経 中村元・訳
              
全知者である覚った人に礼(らい)したてまつる。
求道者(ぐどうしゃ)にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性(ほんせい)からいうと、実体のないものであると見きわめたのであった。

 シャーリプートラよ。
 この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で[ありうるので]ある。
 実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

 [このようにして、]およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
 これと同じように、感覚も、表象も、意志も、認識も、すべて実体がないのである。

 シャーリプートラよ。
 この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
 生じたということもなく、滅(めつ)したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減(へ)るということもなく、増すということもない。

 それゆえに、シャーリプトラよ。
 実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、認識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体(からだ)もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の識別の領域にいたるまでことごとくないのである。

 さとりもなければ、迷いもなく、さとりがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。
 こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。
 苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制してなくすことも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。

 それゆえに、得るということがないから、諸(もろもろ)の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆(おお)われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒(てんどう)した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

 過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい日ざめをさとり得られた。
 それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言(しんごん)、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮(しず)めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。

 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。)

ここに、智慧の完成の心が終わった。

以上の訳です。大変理解に苦しむのですが番組の解説はこの訳から離れるものではないことを確信しています。中村元先生の東京書籍から出版されている『現代語訳・大乗仏教典1・般若経典』があります。これも重複するところがあるのですが座右の書としています。

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