MA社会研究所情報

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占領下の日本。庭が畑にされて食糧難に対応、ホームレス、住宅難、戦災孤児、戦争花嫁。

2015-08-07 15:51:37 | Weblog
 太平洋戦争に敗北し降伏した日本は1945年から米国を中心とした連合軍の占領下にはいった。当時の写真を見ると、国会議事堂の庭も畑にされて食料増産に励んでいた。上野駅の地下道はホームレスのたまり場になっていた。闇市ができてにぎわった。皆疲れ切り、他人を気遣う余裕がなくなっていた。子供は売春婦のパンパンをまねた遊びをしていた。住宅難で、バスを住宅にして住んでいた。日本橋の道路の中央分離帯が麦畑にされ、農作業が行われた。電灯はなく、ランプのともしびが頼りの生活だった。テレビは1951年に実験放送が始まり、1953年に本放送が始まったが受信機は普及していなかった。戦災孤児が増えて、さつまいもを食べて飢えをしのいだ。連合軍は脱脂粉乳を飲ませ、しらみを駆除するためにDDTを散布した。ファシズムの象徴だといって連合軍に禁止されていたラジオ体操が復活した。飲み屋もできたが、カストリ焼酎という粗悪な密造酒が出回った。1946年にサントリーウイスキーがトリスを発売してハイボールブームが起きた。台風などの災害も日本を襲った。占領時代に占領軍兵士と結婚して米国などに渡る戦争花嫁も多かったという。敗戦となると大変な社会になるようだ。