
東京都渋谷の駅になんと巨大な絵画が飾られました。いや、飾られたのではなく現れたと表現したくなるくらい堂々と目立つ場所に「明日の神話」がお目見えしました。約30年前に岡本太郎がメキシコで制作したものですが、展示予定のホテルが建設中に頓挫し、この絵の行方もわからなくなっていました。つい数年前に発見され、傷んだ部分を修復し展示されることになった軌跡の作品です。僕はこの絵の発見も日本へ移設されたこともテレビのニュースで知りました。岡本太郎の傑作の一つとの名声も同時に知りました。それが渋谷駅で見られるとなれば、立ち寄らないわけにはいきません。驚いたのは展示に向く施設ではなくて、JR渋谷駅と京王井の頭線を結ぶ連絡通路にあるのです。ハチ公広場からも一部見ることができるのです。広島の原爆ドーム、大阪の万博記念公園の候補先を退けて渋谷を選んだことは英断でした。なぜなら、それが作者岡本太郎の意志に最も近いと思われるからです。渋谷駅は日本でも人の往来が最も多い場所の一つです。つまり、より多くの人の目に留まる場所なのです。高さ5.5M、幅30Mの巨大な絵を素通りにできる人は逆に少ない筈です。また作品も人の心に深く突き刺ささる重いテーマを描いています。この絵は核爆発を表現してあり、核社会の進行に警笛を鳴らすことを芸術で形にしたメッセージ性の強いものです。たくさんの人の目に触れて、たくさんの人々にその重要性を発し続ける運命を背負った作品にも見えます。また、日の目を見ないまま葬り去られかかったことを考えると、この作品は傷つきながらもその天命を全うするために、あえて環境の悪い場所で展示する方が似合う気がします。列車の振動、人混みの粉塵、日光や季節の温度差などから絵の寿命を縮めることを覚悟の上だと思うと感動も深まります。もちろん、防止策や対応策は充分に配慮されているのですが、それにしても凄いことです。中央の不気味な骸骨、邪悪な赤い炎、匿名性のある人々、死の灰を浴びた第五福竜丸・・・・。核爆発の瞬間を美しく劇的に描いたこの絵のパワーをずしりと感じることができました。現代の僕たちは戦争を止めたくても止めることができずに途方に暮れている気がします。戦争をするための努力が抑止になると信じて核兵器を作りながらも、戦争を止める努力を同じくらいしてこなかったのではないか。いや、そうではなくて戦争を予防することにあまりにも関心が低かったのではないか。と思うのです。若い時の僕にとって、東京の玄関は渋谷でした。今では渋谷にあまり近づかなくなりましたが、絵の磁力に引き寄せられてしまいました。



保存は大変だとは思うのですが、展示品にたまたま触れてしまって咎められたりすると、重要な価値感がそこで下がってしまったりします。
今日、万博公園の太陽の塔を高速で通過するときに見ました、夜に見る太陽の塔は私にはとても悲しく見えるのです。
昼間は名前の如く太陽があるから、あの塔は輝いているんだろうなって勝手に思ったりしている次第です。圧倒されるのは、岡本太郎氏の思いのつまった作品は情熱のスケールの大きさですね。