仕事で渋谷に来ました。セルリアンタワー東急ホテルの上階でフォーラムがあったのです。仕事の話は抜きで久しぶりに渋谷に来てみて懐かしさと同時に、様変わりが早い渋谷の街の変化にも新鮮さを感じます。渋谷は思い出の多い街です。若かりし頃、何度も何度も足を運び、それこそ何もすることが無いなら散歩するだけでもとよくぶらついたものです。僕にとって東京の入り口は、東急東横線の終点渋谷駅でした。渋谷で夜を明かしたことは何度あったのだろうか思い出すことも難しいです。一時期治安が悪いと聞いて立ち寄ることを避けてきましたが、今ではすっかり様子が変わり、明るいお洒落な街に戻ったような気がします。セルリアンタワー東急ホテルには初めて入りました。渋谷界隈では一番高い建物になるのかな。集合の時間に少し早く着いてしまったので、待ち時間に案内された控え室の椅子に座り、窓の隙間を覗くと東京の街が見えました。それは僕が今まで見たことがない東京の街でした。手前に明治神宮と代々木公園が楕円形の輪郭を見せ、その先には新宿副都心のビル群が整列するように建ち並んでいました。意外とこんな至近距離で新宿副都心を一望できる場所はないかも知れません。少し興奮気味でデジタルカメラで撮影してしまいました。高層ビルの一つ一つがよく見えます。生まれて初めてみた新宿副都心は中学校の修学旅行で宿泊したホテルの窓から見た夜景でした。「都会だ!」なんて指差していた奴がいたような気がします。その時ははるか遠くでした。神奈川県に住んでいた時は、寮の屋上で同僚と夢を語り合いながら、新宿副都心を眺めたこともありました。都庁が完成した後はプライベートでも仕事でもこの西新宿にはよく来ました。都庁のデザインに感嘆して、都庁を見るのも楽しみでした。近くで見上げる高層ビルも良かったし、中野辺りから建物の隙間から見える高層ビルも良かったし、高尾山から見えた高層ビルも印象的でした。だけど、セルリアンタワー東急ホテルから見る新宿副都心の高層ビルは別格です。僕にとっては新しい風景でした。空も晴れていて良かったです。夜景もきっと綺麗だろうな。
日本は寒気に覆われ、強い冷え込みの朝を迎えました。僕は朝の移動で新幹線に乗り込み、三島駅に降り立ちました。東京では6年ぶりの積雪が観測されましたが、三島では雪は降っていませんでした。しかし曇り空です。少し早めに到着したので、歩いて「三島大社」へ行き、お参りをしてきました。これで二度目の訪問です。行く道で空lからあられが降ってきたので傘を差さなくてはなりませんでした。駅から歩いて来ると冷気が体に凍みてきて、震えを抑えながらの参拝になりました。大鳥居をくぐり、境内の中に入ると途中には池があり、その池には今やるべきことは何も無い様子の鴨の群れが水面にぷかぷかと浮かんでいたので、見ているだけでこちらも寒くなります。まあ、彼らには立派なダウン(羽毛)があるのだから平気なんでしょうけど。足元が悪くてもここは伊豆の国の一宮です。参拝客も祈祷を受ける人も熱心にお祈りをしていました。平日だというのに絶えず人がやってきます。三島大社は奈良・平安時代の書物に記されているほど古い神社です。いつからあるのかよくわからないらしいので古い神社の一つに違いありません。本殿、拝殿、舞殿は幕末に再建され、明治元年に落城した建造物で、重要文化財にも指定されています。総欅素木造り(そうけやきしらきづくり)という造りは、重厚であり、きらびやかな装飾をまとってしかるべき建築様式だと思いました。三島は富士山の湧き水が多く出る土地で、いい水が豊富に安定して得られることから、太古から住むには都合の良い土地だったのだろうと思います。古くから人が住む場所には大抵古い神社があるような気がします。市街地にありながら、広い境内を今でも維持しています。きっと地元の人達に昔から大事にされたんだろうと思います。こうして古い神社に参拝することが面白くなってきました。それと諸国の一宮を巡ることにも興味が出てきました。一体いくつ行ったかな一宮に。



2012年の干支は辰ですね。運気が昇るといいなと初詣をしながら願ったりします。龍の神社ってないのかな。と、ふと考え探してみたら、ちゃんとありました。場所は、なんと京都の伏見稲荷大社の奥にあるんです。伏見稲荷大社は稲荷山の麓にある神社で、登山道というべき道が山頂まで延々と続いています。その道を伝う途中に「伏見神宝神社」(かんだからじんじゃ)があります。早速参拝してきました。わかりにくい所です。そして、ここへ辿り着くには少しコツが必要です。というのは後からわかったのですが、「伏見神宝神社」は伏見稲荷とは別の神社なんです。てっきり伏見稲荷大社の末社か摂社だとばかり考えていたので、現地の案内図に従って行けばよいだろうと高をくくっていました。ところが、案内板をいくら探してもどこにもありません。しかたなく、伏見稲荷大社の境内でスマートフォンにマップを表示させ「伏見神宝神社」をプロットし、現在地と比較しながら歩いて向かうことにしました。勘を頼りに千本鳥居を抜けて奥の院を左に曲がり、少し登ったところで脇道に入り、しばらく山道を歩いたところにありました。辺りは静謐で伏見稲荷大社の賑やかさとは別世界です。とてもこじんまりしています。こんなところでも(失礼かな?)人はいるようです。ここの狛犬はわんこじゃありません。龍です。そう辰年にぴったりの神社とは狛犬ならぬ狛龍なんでんす。ちょっと珍しいです。右が天龍。左が地龍。厳密な説明では天龍が辰で地龍が巳なんだそうです。辰年と巳年が並んでいるんですね。めでたい。それと、ここはかぐや姫の伝説もあるとかで、絵馬にはかぐや姫が描かれていました。神社の裏は杜ではなく、竹林になっていて「竹之道」と称する歩道がありました。不思議な神社ですねえ。ひっそりしていて僕は好きですけど。中日ドラゴンズのファンはやって来ないのかな。でも阪神ファンに阻止されそうです。







滋賀県北部には「お多賀さん」と親しみこめて呼ばれる神社があります。僕が「多賀大社」へ参拝したのはこれが初めてです。今までどうして行かなかったのだろうと自分でも不思議です。この近辺は相当昔からうろついていたんですけどねえ。寺社仏閣に興味を持つようになったのは最近のことですから、仕方がない気もしますけど、それにしても遅い参拝となりました。三ヶ日から時は経ち、一月とは言え平日でしたから、人手はそれほど多くありませんでした。駐車場も空きは少なかったけど、何とか車を停めることができたので幸運でした。まばらながら、参拝者は途切れることなく続き、この神社の人気ぶりが伺えます。人が写らないように写真を撮るびは大変でした。実は、同行の若い社員がおみくじを引いて御守を買いたいと言うので、だったら仕事ついでに立ち寄って行くことにしようと意見がまとまり、ここ「お多賀さん」へやって来たのです。境内に入ると境内は広く、拝殿と本殿が並んで建ち、その奥の鎮守の杜が大きくて、神聖な趣を強く感じられます。同行者はパワースポットが良かったらしく、中に入るなり少々興奮気味でした。延命長寿、縁結び。厄除けのご利益があるとされ、古事記に記載されるほど古くからあるとされる由緒もパワースポットらしいのでしょう。最近は若い人にも神社に参りたがる人が現われました。僕が若い時とは違うなあ。作法は知らなかったみたいだけど。「お伊勢参らばお多賀も参れ。お伊勢お多賀の子でござる。」なんて言葉もあります。「お多賀さん」は昔から厚い信仰を受けていた神社なんですね。さすがに「寿命そば」はいただきませんでしたが、家族の健康をお祈りしてきました。いつかは立ち寄ってみたいと思っていた場所だったので、参拝することができて良かったです。
名古屋で一番参拝客が多い神社が「熱田神宮」です。僕は、毎年お正月に参拝しています。今年は天気も悪いこともなく、寒さもそれなりだったので楽に出かけられました。五日も経つと正月気分も失せるんじゃないかと思うけど、やはり人出は多かったようです。屋台もいっぱいです。B級グルメのご当地ものが増えましたね。「熱田神宮」の本宮は尾張造りから神明造りに改築され、伊勢神宮と同じ造りになりました。神々しさもアップしたでしょうか。「熱田神宮」は、皇位継承の三種の一つである草薙の神剣を御神体としているため、地元では厚い信仰を集めています。実を言うと僕は「熱田神宮」の端から端まで歩いたことがないのでその広さは実感がありません。でも歩いているだけで相当広い神社だと思えます。この感覚が神妙な気分にさせます。人混みをかき分けて参拝をしてから、おみくじを引きました。先日は、小吉でしたからね。もういっぺん運試しです。結果は大吉!やりました。昨年に引き続き大吉です。昨年はいろいろあったけど、結局は何とかなるというか、いい結果になることがいっぱいあったので、今年もそんな年になって欲しいですね。「幸運多し。徳を積むべし。」いい響きです。願望ー期待してよし。失物ー出る。旅行ー行くがよし。商売ー売るがよし。争い事ー気長に構えれば勝つ。開運色ー藍色。病気ー治る。縁談ー一人に定めよ。(これは関係ないか。)何もかもいいので恐いくらい。おみくじ一つで気が向上して、幸運に恵まれるなら安いよね。昨年もそうしたけど、大事に財布の中に入れて持ち歩くことにします。それで今日、一月五日は初えびすです。「熱田神宮」の境内の中には別宮、末社、末社などたくさんありますが、えびす様もいます。正確には・・・えーと・・・「上知我麻神社」(かみちまじんじゃ)と言うそうです。・・・なんて言う神社か知りませんでした。商売をされている方はこちらの参拝の方が重要なので、人口密度は本宮より高かったです。昨年、日本経済は後退してしまったのは確かです。今年は、どうなるのでしょう。先行き不安な話ばかり飛び交っていますけど、僕は楽天思考でいくつもりです。波というものは下がれば必ず上がります。そんな気がします。

尾張一宮とはこの「真清田神社」のことです。参道が商店街になって活気があったのは、はるか昔のことになりました。僕の子供の頃はまだ活気が残っていたような気がします。今ではショッピングモールにそのお株を奪われ、シャッター商店街になってしまいました。さて、今日のお昼は家に誰もいないので、ペットの犬を連れて散歩がてら「真清田神社」に参拝に行くことにしました。木枯らしが吹いてとっても寒いので、上下にヒートテックのアンダーを着込み、ダウンのコートにニット帽をかぶることにしました。これくらいでちょうどいい感じです。初詣なんですけど、実は今年になって二カ所目。セカンド初詣というとおかしいのかな。「真清田神社」は今年初めてですが。初詣はその年に初めて参拝するから初詣なんですからね。でもセカンドバージンだって日本語にうるさいNHKが放送して市民権を得たのだから、ちっとも悪くない気がします。お正月も四日目になると空いているだろうと思っていたら、長蛇の列ができていました。拝殿に向かって真っすぐ並ぶようにガイドが設けてあるので、門の手前から並ばなくてはありません。それなりに人気があるようです。二礼二拝一礼。そこで今年を占うおみくじを引いてみました。「小吉」です。まあ、これくらいがいいかな。とちょっぴり嬉しい気がしましたが、内容を良く見ると「・・・気をつけないと損をする。女難にことに気をつけなさい。」と書いてあります。ははは。女難は毎年気をつけておりますですよ。おかげさんで。だいたい家の中は僕以外は女ですから。え!家の中の話じゃないって?旅行ーよろし色事慎め。だってさ。どうやら2012年は女性と口を聞かないように暮らした方が良さそうです。まいったな。こりゃ。帰り道、うら寂しくなった商店街を歩いていると、建物が無くなって駐車場に変わっているところを見つけました。シャッターを閉めているだけなら、その建物が面影を残しているものですが、アスファルトと向こうが見える空間だけになってしまうと、思い出まで持っていかれたような気分になります。子供の頃、賑やかだった商店街を思い出しながら、冬の風が吹く家路に向かいました。

大きな出来事が多かった2011年が暮れ、2012年がやってきました。とても一年で起きたと思えないことが次々とあった年でした。ニュースは記事のネタに困らないほど事件が続き、惜しくも永眠された人々は思い出すのも時間がかかります。震災と原発事故だけでなかった一年でした。目を移すと僕の身近な人達も、いろいろ大変だったようですし、そしてこの僕自身も一生にそうない希少な出来事がいっぱいあった気がしています。きっと何かの節目であったに違いないと思うのだけど、それが一体何ものなのだろうか。それさえ分からないことにも興味があります。こうして無事(?)に年を越すことができたことを神様に感謝しなくては。2011年はよく泳ぎました。OWSという競技に目覚め、練習のかいがあったのか公式レースに参戦することができました。いい経験をしただけでなく、泳ぐことに人生観まで重ね合わせるようになりました。年を重ね、間違いなく、確実に、明確な理に準じて身体は衰え出し、ダウンヒルが始まった僕にとって、たるんだ肉体を鍛錬し、溺れて死ぬかも知れない恐怖に立ち向かいながら泳ぐことは、挑戦であり冒険であり希望でもあると思えてきました。泳ぐことで生死の感触を確かめながら暮らすことができます。だから今年も続けて泳ぐつもりです。毎年、年越しは実家に帰り、家族一同過ごすことにしています。兄弟の子供達がまだお年玉を欲しがる年齢でもあり、そろって食事をとるのも少なくなったので、年末くらいは家族が集まるのもいいなと思っています。0時を回り、皆で年越し蕎麦を食べて、お年玉を渡し切った後で、子供達を連れて近所の神社へ出かけました。いつもは誰もいない静かな神社ですが、年越しはかがり火を焚いて人が集まってきます。今年は雪も風もなく穏やかでしたが、気温は低く寒い夜でした。かがり火は竹をくべていたので、時折激しくぱちんと大きな音を立てて弾けるので恐かったです。火の粉が真っ暗な冷たい夜空に舞い上がるのが優美に見えました。正月らしく門松が飾られた小さな拝殿は、かがり火に照らされて幻想的に見えました。灯りは、かがり火だけです。願い事は、家族の健康。それだけでした。

ヴォーリズ建築に惹かれ、出張先でついでに立ち寄れるような物件があれば見学することを覚えました。今日は大阪の堺市へ来たので、南海電鉄浜寺公園駅付近にある「近江岸邸宅」まで足を伸ばすことにしました。いつも思うことですが、この辺りは何度も来ているはずですが、ヴォーリズ建築が残っているなんて知りませんでした。おぼろな情報だけで駅に降り立ち、きょろきょろしながら探すというラフな方法をとったので、最初「浜寺公園」まで行ってしまい、その後回れ右して駅の地下道をくぐり、住宅街の中にある「近江岸邸宅」を見つけました。駅前には高級住宅街で屋敷のような家が建ち並んでいますが、ヴォーリズの設計した住宅は一際目立ちます。モダンな家々の中にレトロな家があるんですからね。誰だって見分けられます。到着して後悔することになったのは、ここは実際に人が住んでいる現役の一戸建てだということでした。つまり、見学はいいけれどカメラを向けて撮影するというのは覗き行為に近いということなんです。ちょっと後ろめたい気分です。垣根や塀で囲まれ中は安易に見ることはできませんが、それにしても気が退けるのでパパッと写真を撮って帰ることにしました。堺市の観光ガイドにも載っているし、国が指定した文化遺産の一つで、登録有形文化財でもあるため、見学者が多いことを理解しているのか、窓という窓はカーテンで遮蔽され、プライベートを保護する用心はあるようです。赤い屋根に白い壁。二階にはバルコニーが多いスパニッシュスタイルがこの家の特徴です。大正から昭和にかけて造られた和洋折衷の構造がレトロ感をいっそう増幅させています。僕が着いた時には小雨が止んで夕陽が差し込むようになり、これはこれでいい味が出たなあ。と思いました。地中海の気候のように、さんさんと降り注ぐ太陽の真下、雲一つない晴天がこの家は似合うはずですが、黄昏れ時も悪くありません。ヴォーリズ建築には煙突がよく施工されています。この家も可愛い煙突がちゃんと乗っています。こんな家に生まれてきた子供は、サンタクロースの話を聞かされたら信じてしまうでしょうね。煙突が無いマンション住まいの子供だって本気になるんだから。
「隊長ぉぉぉぉお!!謎の球体が街のど真ん中に出現しましたぁああ!」「何ぃぃいっ。」「宇宙からの侵略者かも知れません!」「ヨシッ。すぐ現場に急行して正体を確かめるんだァ!全員出動!」名古屋白川公園の中にある名古屋市科学館のプラネタリウムがリニューアルされ、連日すごい人気で行列ができています。特にプラネタリウムのチケットはすぐに売切れてしまうために入手するのは困難です。どういうわけだか妻が行きたがり、とうとう行列に並んでチケットを買いに走りました。自分のチケットは購入できたみたいで、残り枠があるとメールが届いたので僕の分まで買ってもらいました。最後の一枚だったらしく、当然席は離れ離れ。ロマンチックでもなんでもありません。午前中には完売したそうです。最終16時30分からのスタートなので少し科学館も見学をしてみました。以前と同じものもありますが、竜巻を人工的に作られる「竜巻ラボ」や、これまたチケットの入手が難しい「極寒ラボ」は人気があります。「放電ラボ」は残念ながらコイルの出火が原因で閉鎖されていました。小さな子供なら一日遊べるくらい面白いところです。僕は小学生の頃この科学館のプラネタリウムを見たことがあります。夏休みだったので天の川とさそり座の話を聞きました。とても話が面白かったので強く印象に残っています。その時使われたプラネタリウムの幻灯機も展示してあり、懐かしさを感じました。新しいプラネタリウムは椅子も良くなり、コンピュータを駆使してより幅広い表現が可能になって、大人が見ても十分楽しめます。リアリティも格段の進歩があります。街中の夜空と山間部から見上げた夜空の比較など本物っぽい気がします。見ていない人は見てください。昨日の皆既月食の話も少し出ましたが、クリスマスの季節らしく、ベツレヘムの星とは何だったのか。その考察がテーマになっていました。紀元前のキリストの誕生を示した福音書にある輝く星は実際何だったのか。2000年以上前の夜空を再現し、その謎い迫ります。こういう話、僕は大好きなんですねえ。福音書の叙述がすべて事実だとは限らないのでなんとも言えませんが、想像すると楽しい話です。見渡すとこの時間のプラネタリウムはカップルが多いですね。だからネタもカップル向けなのかな。語りは昔と変わらず上手でした。僕が子供の頃聞いた人とは違うと思うけど、プラネタリウムの面白さはナレーターのテクニックによるところも大きいと思います。





ウィリアム・ヴォーリズの建築物は日本に1000カ所くらいあるそうです。「旧八幡郵便局」は一粒の会というNPO法人によって維持管理を運営されていて、ここは内部の観覧が可能な建物で、常駐で案内係がいます。この案内係の人から聞いた話では、ヴォーリズが設計した建造物は1000以上あっても外観しか見学できないものがほとんどだそうです。軽井沢にもたくさんあると教えてくれました。ここ近江八幡市はヴォーリズのお膝元ですから、現存する作品も集中しています。「旧八幡郵便局」は1921年の竣工で、郵便局として使われなくなってからは、廃墟と化して忘れ去られかけていました。そこへ地元の有志が集まり、自分達で掃除や補修を続けて、今では観光スポットになったのです。このいきさつが凄いところです。市民活動は京都ではごく当たり前に行われているのですが、滋賀県も大人しくはないようです。僕も少ないけど募金をさせていただきました。資金調達など難しい面があると思います。木造二階建ての和洋折衷(屋根は瓦だったりする。)の様式は今でも存在感はあります。中に入ると一階は土産売り場になっていて、局長室にも入ることができます。二階にも上がることができたので見学してきました。元は電話交換室でかつては大勢の女性が働いていたそうです。今はヴォーリスの写真がイーゼルに飾られ椅子が並び、集会所のような趣です。ヴォーリズ夫妻の結婚式の写真が印象的でした。外に出て改めて外観を眺めると、まるでヨーロッパのどこか小さな田舎町の一角のような錯覚を覚えます。住宅や商店が密集した場所に所々にヴォーリズ建築は点在しています。ボランティアの方が道端で案内をされているし、学校帰りの子供達が何やらわいわいと勝手なことを言い合いながら歩いているし、バスでやって来た観光客もたくさん見かけました。とても賑やかです。活気も感じます。それにしても古い物を大切にする心は大切だって人は言うけど、やってみると大変なんですね。努力しないと。




