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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

今年の新米

2011年11月13日 | 文化/歴史/技術
義理の父は今年、肺ガンの摘出手術を受けて自宅で療養を始めましたが体力的に弱っている様子です。玄米を精米して欲しいと依頼があったので、キャリングカートを持参して妻の実家へ行きました。30kgの玄米を一袋精米したいが重いものを運ぶのに自信がないからという理由でした。30kgは確かに軽いとは言えないなあと思いながら、用意してあった軽トラックの荷台に詰め込んで近所のコイン精米所に運びます。僕は生まれてこのかた精米をしたことがありません。以前からこのコイン精米所というのを不思議な目で見ていたので、使っているところを一度見てみたいと思っていました。義理の父は自分で食べる米を玄米で購入し、自分で精米して食べるのが習慣のようです。米の入手先までは知りませんが、地元で穫れた米らしいです。コイン精米所は目立つ存在ではありませんが、今日は先客もいましたし、後から待つ客もやって来るくらい繁盛していました。お米の収穫の時期ですから、新米を持って来るのでしょう。30Kgでは精米料が400円になります。米の重さによって料金が違います。袋から玄米を一気に投入したら、その袋を取り出し口にセットして、お金を入れてボタンを押すだけであとは待つだけです。簡単ですね。技術は必要ありません。精米された米が袋に戻ったら、裏に回って米糠を少しいただいて完了です。妻の実家に戻り、積み荷をどこに降ろそうか尋ねると、義理の父は「それは自分達で食べる分だ。」というので、ここで初めていただきものだと気付きました。少なくとも他に3袋まだ買い込んでいましたから。120kg以上新米を玄米の状態で購入していました。なんだ。手伝いって自分達の食べる分だったのか。そうか。そう言えば、義理の父がお裾分けで持って来てくれることがあったなあと思い出しました。そんなこんなで今夜は新米のご飯が食卓に上がりました。精米したての米です。ご飯の味は微妙なものですが、新米は美味しいですね。普段はスーパーで買って来る普通の米を食べているので、なおさら美味しく感じました。ところで、日本人は米を食べなくなったから食品自給率が悪くなっているだそうです。パンと麺が多い僕には後ろ指を刺された気分になります。これからもっとご飯を食べるようにしようかな・・・。

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横浜 旧横浜港駅プラットフォーム

2011年11月05日 | 文化/歴史/技術
横浜は明治の始めに開発が進んだ港町です。そして、僕の好きな街でもあります。休日の朝、桜木町駅から汽車道を歩いて赤レンガ倉庫へ向かい「旧横浜港駅プラットフォーム」を見学してきました。横浜には、ふ頭の先端までかつて汽車が走っていたのです。調査してみると大正時代に入り、氷川丸に乗船して横浜から海外に向かう人のために、東海道から線路を引き込み、東京駅と横浜港駅を結ぶポート・トレインが運行されていたのです。引き込んだ線路は貨物線として1986年まで使われていたとか。汽車道はその線路の跡を利用して作られた遊歩道で赤レンガ倉庫へは近道となっています。前後左右どこを眺めても景観が良いので歩いていると時間を忘れさせてくれます。休日の午後、赤レンガ倉庫の前はイベントの開場前で人が多く集まりかけていました。そんなお祭りムードをよそに、地味な「旧横浜港駅プラットフォーム」を目指します。公園の休憩所という利用方法になっていますが、脇には線路跡も残しプラットフォームに立てば、当時の面影をひしひしと感じます。昔は、東京からやって来る蒸気機関車が発着し、向かいには四号上屋と呼ばれる出国手続きを済ませられる大きな屋根付きの建物があり、中には待合所やバーなどの飲食店もあったでしょう。クラシカルな洋装の紳士淑女や着物姿のままの人でごった返しだったのかなあ。そして四号上屋は、エプロンという橋渡しを伝って横付けされた氷川丸に乗り込むことが可能だったので、汽車の終着駅が海外の入り口だったわけです。現代では空港に電車が乗り入れている感じでしょうか。船の見送りは紙テープと汽笛が合います。なんてセンチメンタルな光景なんだろう。飛行機が無かった頃は誰もが船で海外へ旅立って行きました。当時の人達は、海外へ出かけるのはとても貴重な体験だったでしょうし、今生の別れを覚悟する人も多かったように思います。僕の夢の一つは、船で海外に渡ることです。できれば世界一周。蒸気機関車で客船に乗り付けるなんて今ではかなえられないものになりましたけど、船旅はやっぱり憧れます。トランクにコートに帽子もいるかな。
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横浜 関帝廟

2011年10月25日 | 文化/歴史/技術
横浜へ来るとすぐ中華街へ行ったものです。ところが、いつも中華街では飽きてしまって、この数年間は足が遠ざかっていました。今日は泊りで横浜に来ることになったので横浜の夜景でも見学してみるかと思い、どこか適当ところはないかとネットで調べたら「関帝廟」のライトアップがヒットしました。「えーと何だっけ?」と思ったので早速見学して参りました。十代の頃から中華街をうろうろしていた癖に僕は「関帝廟」を知らなかったんです。毎度のことながら、無知なんですねえ。中華街の中にあるとはいえ、碁盤の目の縁にあるので今まで気付かなかったようです。行ってみると飲食店が少ない「関帝廟道」沿いの「横浜中華学院」の隣にありました。この「関帝廟」ですが、三国志に登場する関羽を祀る建物なんです。何だか神社かお寺のようなものに思えてきます。時間外で中には入れませんでしたが、中には関帝の像が安置されています。日本では三国志と言えば項羽と劉邦を真っ先に思い浮かべてしまいますが、中国では関羽の人気が高く、中華街に勤める中国人の厚い信仰心のよりどころになっている様子でした。というのも写真を撮っていると、観光客だけでなく通りすがりの人がふと立ち止まり、手を合わせて頭を下げて立ち去る人を何人か見かけるのです。これから職場に向かうのかそれとも仕事帰りなのか。門構えは装飾も色彩も豊かで、東照宮を思わせる派手さがあります。正直言ってこんな立派で凄いものが中華街にあったなんて知らずに損した気分でした。これって言わば聖地ですよね。ライトアップされてその存在感は威光のように輝いています。一見の価値ありです。実在の人を祀るところは神社のようですし、手を合わせて拝むところもよく似ています。建物のデザインはお寺を感じさせるところがあって、中国の廟というのは仏教なのか神道のルーツなのかよくわからなくなってきました。と言うより、日本の神社って回教のモスクがモデルじゃないかと言われたり、お寺の柱はギリシャ神殿の影響があるなんて話もありますから、アジアの宗教的建築物には何かしら大陸とつながりがりを持っていると考えた方がいいと思えてきます。二礼二拍手一礼はしませんでしたが、僕も合掌して頭を下げお参りしました。
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Thanks.Steve.

2011年10月07日 | 文化/歴史/技術
スティーブ、君がこの世の人でなくなったとニュースで知った時、僕は「嘘だろ。」と疑うことしかできなかった。もちろん、君の体調が思わしくないことくらい知っていたよ。だけど、こんなに早く亡くなるなんて、思ってもみなかった。世界中の人達が君の死を残念がっている。僕は、ただのマックユーザーであり、アップル社のカスタマーであり、スティーブ・ジョブスのファンに過ぎない。まだコンピューターが特別な人にしか扱えない時代に、「将来、コンピューターは誰にでも扱えるようになる。」という話を信じてコンピューターの勉強なんかしないでおこうと決心した僕の前に現われたのは、君が創造したマッキントッシュだった。生まれて初めてパーソナル・コンピューターに触れた時の衝撃は今も忘れない。それから僕は、四台のマックを買い替えながら使い続けてきた。それはとても素晴らしい体験になったよ。コンピューターの勉強をしなかったから他のことに時間を費やすことができたしね。最初に手にした「LC575」は皆がそうしたように、できるだけチューンナップさせてもらった。「iMac350ブルーベリー」は傑作だった。後ろ姿もお洒落なパソコンなんて他になかった。我が家のマスコットになったよ。日本ではオムスビって呼ぶんだ。おかしいだろう?「iMacG5アンビエント・ライト・センサー」はモトローラのチップを積んだ最終モデルだ。君がMPUをインテル社製に乗り換えるって言うから慌てて買ったんだよ。懐かしいエピソードだ。今はインテルベースの「iMacG5」を愛用している。君の偉業を僕が賞賛しても始まらない。だけどお礼が言いたくなったんだ。今まで君の発言には耳を傾けてきた。君の言う革新的な思想に心開いてきた。でも、もうそれが聞けなくなると思うと寂しい。君が提唱した世界はまだこれから始まるんだよ。その目で確かめて欲しかった。もっと君の創造するデバイスやシステムを体験したかった。安らかな眠りを心から祈っている。Thanks.Steve.
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凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展

2011年10月06日 | 文化/歴史/技術
INAXギャラリー大阪で、「凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展」が開かれています。紹介してくれたのは「相生山の自然を守る会」の代表である近藤さんです。名古屋ギャラリーより先に大阪のギャラリーで展示が始まっていたので寄ってみました。(近藤さん、ごめんね。)イナックスのショールームの中にあるので目立たないギャラリーなので分かりにくい場所なのか、来客は少ないようです。この展示会は5人のアマチュアスクラッチモデラーが製作した自動車の模型を展示しているのですけど、これがただの模型ではないところに興味が尽きません。対象となる車種が歴史に残る名車であるところ、調査や取材を自分で行い、材料からパーツを忠実に再現し、緻密な気が遠くなるような作業を、時には一台に一年以上もかけて、塗装もすべて一人で仕上げていると思うと見方も違ってきます。少し暗い展示室で、静かに彼等は見学客を待っていました。クラシックカーを得意とする濱上晴一氏の「ブガッティT35B」は美しいですね。好きです。それにしても酒井文雄氏の「ポルシェ356Aスピードスター」を見てください。どうやって作ったの?このボディー!曲げ加工が素晴らしいですよ。「ブラフ シューペリアSS100」を作り上げた高梨廣孝氏のバイクは知らないモデルでしたが、実に精巧に作られていて見事でした。フェラーリしか作らない山田健二氏の「フェラーリ 250テスタロッサ」は迫力の1/6スケール。オープンだからヘルメットも作っちゃったんだから凄い。12気筒エンジンが印象的です。水野秀夫氏の「アルピーヌ220B」の原形には心動くものがありました。アルピーヌは僕が大好きな車の一つです。完成車がないことが残念でした。斉藤勉氏の真鍮製の「ホンダS800」も実車以上の美しさを感じる逸品で、モデルカーの奥深さを感じます。こうして見ていたら、僕はフランス車が好きみたいです。プジョー406クーペは今でも本当に好きだし、308カブリオレは買って乗ってみたいと思っています。アルピーヌはA110もA310GTも良かったなあ。車好きのあなただったらこの展示会は興奮すること間違い無しです。プラモデルを作る人だったら、熱くなって倒れるでしょう。なんて言いたくなるくらい面白いから。




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ヴォーリズを探せ! ~日本キリスト教団水口教会礼拝堂

2011年09月08日 | 文化/歴史/技術
このシリーズどこへ行き着くのか本人さえ分かりかねますが、今年はヴォーリズ建築の見学に目覚めてしまい、本日も仕事で滋賀へやってきたので、ついでにヴォーリズ建築を一件観賞してきました。現場は滋賀県水口町の住宅街の中にある「日本キリスト教団水口教会礼拝堂」です。この辺りも仕事の関係でかなり昔からうろうろしていたはずですが、近くにこのような貴重な文化遺産があるなんて想像していませんでした。改めて驚きを覚えます。昭和5年に近江ミッションが建造したもので、木造モルタル仕上げの平屋建て、屋根の構造が十字になってるところが特徴的です。中に畳式の和室があるそうですが、そこまでは見学ができませんでした。それもそのはずで、現在は水口幼稚園として利用されていて関係者でないと敷地内に入ることができません。僕が訪問した時間はまだ帰宅前の園児達が母親の迎えを待っている時だったので、可愛い声が外にもれていました。こうなるとかえって写真が撮り辛くなります。僕がカメラを向けている様子は保育士だけでなく、近所の方も目撃しているはずです。建物を中心に撮っていることを理解してくれたのか、僕には温かい目に感じられたのが救いです。決して園児の盗撮ではないので、ここではっきり記しておきたいと思います。「日本キリスト教団水口教会礼拝堂」の感想ですけど、いたってシンプルなのでヴォーリズらしさを強烈に感じられないところがありますが、素朴で異国情緒はたっぷり味わえるので好感度が高い建築物でした。庭の草木がまたいいですね。園児の発育に一役買っているのでしょう。使っていない建造物を保管するのは難しいわけですから、施設として利用されていることは幸運だったと思います。きっとこの幼稚園の卒業生が大人になって、ある日、自分がヴォーリズ建築の幼稚園に通っていたことに気付くことでしょう。そんな想像をすると何だか嬉しい気分になります。

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濃尾大花火 2011

2011年08月14日 | 文化/歴史/技術
今年は大震災の影響で各地で花火大会が中止されています。地元の濃尾大花火大会も中止の噂が囁かれましたが、何とか実施にこぎつけたようです。実家の家族や兄弟など親類とそろって花火見物をするのが毎年の行事になっているので、席の確保をするために夜明け前に起きて場所取りしてきました。まだ暗いのに懐中電灯を持ってやって来ている人もいました。毎年、こうやって先に来て場所を取る人が増えてきたように思います。今年は雨の心配もなく、夏だから暑いけど昨年ほどの猛暑でもないために、快適な花火日和になりました。濃尾大橋のすぐ北側の中州から打ち上げる花火は、一宮市と羽島市の両岸から見物できるとあって愛知県と岐阜県をまたがる自治体が合同主催する珍しいイベントになっています。打ち上げられる花火は5000発と中規模な花火大会ですが、20号が6発も打ち上げられることがこの花火大会の売り物で、地響きのする音を体験すると病みつきになるくらい気分がいいです。迫力あります。8時に一発、8時15分に一発、8時30分に一発、8時45分に三発打ち上げられます。事前にマイクアナウンスで予告があるので、見物人は20号が打ち上げられるのを今か今かと待っているのです。点火して筒から抜ける音から違いますからよく分かります。爆発すると顔に衝撃波が当たるんですから。今年はデジタル一眼レフカメラでその20号の花火を中心に三脚をセットして写真を撮ることにしました。岸から近い場所なのでもっぱら夜空を背景にした花火のクローズアップのフレームになります。慣れてきたのかやっと花火らしい写真が撮れるようになりました。レンズ24mmの画角ですと、僕の持っているD90では36mm換算になります。トリミングしているので掲載している写真のままではありませんが、岸辺から撮影すると20号の花火はフレームから少しはみ出します。写真に収める花火も綺麗ですけど、目で見る花火は一瞬の記憶に焼き付けた後、儚くも夜空に吸い込まれるように消えてゆくので、よりいっそう美しく感じるものです。夏になると花火を思い出すのも風流じゃありませんか。

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ヴォーリズを探せ! ~大丸ヴィラ

2011年07月27日 | 文化/歴史/技術
京都には、僕が知らないものがまだまだたくさんあります。ヴォーリズ建築を見学しようと思い立ち、京都にあるヴォーリズ建築を検索したら、京都御所のすぐ脇の地下鉄丸太町駅の出口付近に「大丸ヴィラ」という洋館があるのに辿り着きました。ん?ここは烏丸通りではないか。というか僕はこの建物の前を何度も往来している良く知った場所です。なんたることか。思い出すとこの場所は物々しい雰囲気があって近付いてはいけないような感じがしていました。僕は天皇家に関係していると思い込んでいて、見てはいけないとさえ思っていたような気がします。地下鉄丸太町駅の2番出口もよくよく見たら、この「大丸ヴィラ」の外壁と共有されているではないですか。そうだ古い煉瓦造りだった。今更ながら驚いています。昭和7年に当時の大丸百貨店の社長下村正太郎氏の邸宅として建造されたようです。戦前とは言え昭和の時代ですから、建築様式としてはもっとモダンなものがあっただろうと思いますが、下村氏の意向で純粋にイギリスのチューダー様式に従い、中道軒の異名まであります。ハーフティンバー(半木造)に見える装飾が素晴らしい外観ですけど、実は鉄筋コンクリートの3階建てです。現在は非公開で道端から覗き見ることしかできません。通りすがりの女子大生が「ここお化け屋敷?」なんてつぶやいていました。その気になって見ると実に見事な洋館ですね。江戸川乱歩の小説に出てくる大金持ちのお屋敷みたいで、ミステリーがよく似合うと思います。(メイドもいて欲しい。)映画ロケに使いたい監督はいっぱいいるでしょう。何故だか僕がデジカメを持って撮影しようと思っていると、丁度門を開けて車で中に入ろうとしている作業服のオジさんがいたので、声をかけて了解をとってから写真を撮らせてもらいました。だから門を全開の状態でこの写真は撮ることができました。幸運とはこうしてやってくるのです。良く手入れされた庭の植木もこの旧邸を守るように生えているようですし、煉瓦の煙突も重鎮な屋敷の趣を演出しています。実に見事なヴォーリズ建築の傑作ではないでしょうか。ゆっくり見たいけど通行人も多いし覗き屋みたいで恥ずかしいから早々に撤退しました。内装も家具もヴォーリズの息がかかって市の重要文化財だそうで機会があれば入ってみたいです。


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松本 四柱神社

2011年07月19日 | 文化/歴史/技術
中央線は台風の影響でダイヤが乱れ、予定より早いけど遅れて到着した特急あずさに飛び乗って何とか甲府から松本にやってきました。乗車したのは「あずさ3号」だったけど、どうしても狩人の「あずさ2号」の歌が頭から離れなくて列車に揺られながらエンドレスで僕の脳裏中で狩人は同じ歌を歌い続けていました。特急あずさに乗るとどうしてもこの歌が聴こえてくる人は他にも大勢いることと想像します。さて、予定より早く到着したために雨が降る中松本市内で時間を潰さなくてはならなくなりました。キャーリーバックを引きずって松本城を見学するのも億劫なので、「四柱神社」(よはしらじんじゃ)へお参りに行くことにしました。ブラブラしていたら辿り着いてしまった感じです。女鳥羽川に沿って建立され、鳥居から拝殿まで距離が無くコンパクトな境内です。ここへはもう何度も訪れていますが、きちんと手水で身を清め、拝殿の前で参拝したことはなかったので、ちょうど良いと思いました。今まで散々素通りだったことを反省しながら、鈴を鳴らし二礼二拍手一礼をしてきました。この神社は歴史は明治になってからで、諏訪信仰の厚いこの土地に何故?と疑問も湧く神社です。四柱も諏訪大社の御柱を連想しますがそれもまったく関係ないらしく、謎を極めます。四つの神様を崇めているために四柱と名付けられたのだそうで、地元では「しんとう」さんと呼んでいるそうです。もともと神仏分離令(廃仏毀釈)が出され、 これによって明治7年2月に松本に神道中教院が建てられましたがそれを神社にしたのが「四柱神社」なのだそうです。だから「しんとう」さん。明治天皇がここへ来て渡ったとされる橋があり、「御幸橋」と名前が付きました。天皇がお出ましなったというのがそのいわれ。そしてこの神社のご利益が何でも願いが叶うというもので、特に縁結びに強いとか。僕はこよなく神社を愛する人だから悪気はないけれど、いささかインスタントに造営した割には、何でもござれのご利益というにはあまりにも都合が良過ぎる気もします。もちろん家族の健康を願った僕にもその同罪を免れない一面はありますが、明治天皇が立ち寄ったことはいいとしても、だからと何でも願いを叶えてしまうほどの霊気があると言い切られると、そこは神道らしいと思えばそれまででしょうか。台風接近の雨の平日なので参拝客はまばらでした。拝殿の隣に恵美須様も見つけました。商売繁盛もオッケーなようで・・・何でもありです・・・。

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近江八幡 白雲館

2011年07月12日 | 文化/歴史/技術
早くもシリーズ第二弾。「ヴォーリズを探せ!」です。何故かまた滋賀県に来る用事ができて近くのヴォーリズ建築を見学して帰ろうと、これまた適当に「白雲館」というキーワードだけを頼りに訪れてみたら、ここは近江八幡の観光地八幡堀周辺の中でした。観光バスも行き交うし、平日でもカメラをぶら下げた観光客で賑わっていました。僕はそんなこと全然想像していなくて、てっきり田んぼの中か畑の中にぽつんと「白雲館」は建っているとばかり考えていて、到着した時は少し慌てました。近江兄弟社学園も近くにあって学生の姿も見受けられます。ヴォーリズは建築家でありながら、メンソレータム(メンターム)を販売する近江兄弟社を設立するかたわら、キリスト教伝導師でもあるため、教会や学校の建築を多く手掛けています。そして近江八幡に住んでいたために、ヴォーリーズ建築が密集している場所でもあるんです。(来てから分かったけど。)無知は恐ろしいというか、よく調べもせずに思い付きでやって来るいつものパターンなので、それはそれで驚きや感動が増していいかも知れません。「日牟禮八幡宮」「旧家住宅」「かわらミュージーアム」「八幡堀」など徒歩圏内に見どころが多く、他の観光もしたくなる気持ちを抑えて、「白雲館」だけに的を絞って見学してきました。門から見上げると立派な洋館です。駅舎のような雰囲気があるのは大きさがそうであったからで、建てられた目的は学校だったそうです。明治10年、八幡東学校として多くは寄付を賄って造られたそうです。疑洋風建造物と呼ばれていて、学校以外にもその後いろいろ利用され改装が及んでデザインが変形したために、現在は最初に建てられた時のデザインへ修復されて展示されています。二階建ての一階は土産屋と喫茶でほぼ占められており、階段を伝って上ってみるとがらんとした殺風景な空間があるだけでした。でも階段を上る途中に見上げると綺麗なステンドグラスが鈍らせた光りを屋内に誘い込み、板間の奥の一角の畳の和室が和魂洋才の趣を演出し、維新後10年にしてこのような建物が完成していたとは、感嘆すべき出来事だったと想像できます。この辺りに住んでいた庶民が江戸時代の終焉からわずか10年でこの建物に触れたかと思うと、歴史のダイナミズムを感じます。保存して後世に残したい貴重な遺産でしょう。

※後日、白雲館はヴォーリズ建築でないと指摘があり訂正させていただきます。早とちりで近くにあるヴォーリズ建築と混同しました。誠に申し訳ありません。


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