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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

たつの 素麺神社

2013年02月26日 | 文化/歴史/技術
日本の神道には謎が多いことに魅力を感じますけど、風変わりな神社にも日本文化の底深さを感じざるを得ません。今日は仕事でたつの市にやってきました。ここは素麺の産地です。「揖保乃糸」をご存知の方は多いと思います。揖保川を挟み山間のどこか長閑な景色が広がる街です。そこに素麺神社があるのです。正確には大神神社と言います。これは一体どうどういうことかというと、揖保乃糸の生麺業の歴史は古く(どのくらいか知らないけど。)、明治時代に奈良の三輪素麺の産地には大神神社があるというので、この地にも神様を勧請して大神神社を創建したのがことの始まりです。2004年に地元の素麺協同組合が中心になって改装をして素麺神社としたのです。真新しい神社でした。「そうめんの里」という大きな駐車場付きの資料館と工場とレストランとお土産屋が一体となった施設があるのでそこから徒歩で移動できます。まず、この「そうめんの里」で素麺を試食してから参拝することを強く勧めます。無料で高級素麺を堪能できます。冬は温かいにゅうめんでいただくことができます。何を隠そう無類の麺好きの僕ですから素麺だって大好きです。夏は冷麦素麺に大変お世話になっています。売店の店員さんに教えていただきましたが、麺が細いほど高級なのだそうです。ずずっと一杯やってお参りしてきました。しかし、素麺神社って書いてありますけど、完全に洒落を超えていてモノホンの神社です。・・・やっぱり本気なんでしょうね。奉納した個人名や企業名がたくさん掘ってありました。日本製粉、日清製粉の名やキャンディーズのスーちゃんこと女優の故田中好子さんの名前もありました。階段を上がって右手にある手水舎はこじんまりしてシンプルですが、龍の口から出る吐水は赤外線センサーが来場者に反応して出るしくみでテクノロジーを使っています。こんな神社見たことないです。そして拝殿の前には揖保乃糸の登録商標が掲げてありました。絶句するほど奇抜な神社です。ある意味素麺の聖地です。三輪素麺とどういった結びつきがあるのか知りたくなります。もし、素麺が好きで好きでたまらなく、素麺を愛しているならここへきてお参りをするのはいかがでしょうか。僕はこういうノリは大好きです。帰りにもう一度「そうめんの里」煮立ち寄ってお土産を買うのがよろしいじゃないでしょうか。僕は、「にゅうめんセット」「手延べうどん」「龍の夢」(中華麺)の三点を買いました。

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京都 出町妙音弁財天

2013年02月08日 | 文化/歴史/技術
2013年は巳年です。蛇にちなんだ神社はないだろうかと探してみたら京都にありました。京都って何でもあります。何でもあるから京都なのかも知れません。場所は京阪出町柳駅から下鴨神社へ移動する途中にあります。ちょうど高野川と加茂川が合流し鴨川になる付近です。小雪がちらつく寒い中、足を伸ばして参拝してきました。それにしても今日の京都は寒かったです。僕は凍えていました。こじんまりとした敷地に収まる出町妙音弁財天です。鳥居があるので表向きは神社ですが、造りはどうみてもお寺です。弁財天は七福神の一人ですし、どこにも社の文字は見当たりません。「妙音天」と掲げてありました。神仏習合?なんでしょうか。拝殿ではなくお堂らしき建物があり、手前に賽銭箱と鰐口がありました。お香も炊いてあります。手水舎はあります。とりあえず神式にならい、鳥居をくぐって手水舎で手を清め、鰐口を鳴らしお賽銭を放りこみ二礼二拍手一礼しました。名前の通りここは弁財天を祀る場所であります。鎌倉時代にできたみたいです。平安時代に弘法大師の筆によるとされる「絹本着色青龍妙音弁財天画像」が安置されています。この絵は見事な筆使いに見えました。青龍は御所の位置から東にあるので東青龍と呼ばれた地名からその名があります。弁財天はヒンドゥー教の神様で元々は河川を表すサンスクリット語サラスヴァティーからきているので川と深い関係があります。京都七福神の一つでもあります。京都で川と言えば鴨川と桂川。京都の碁盤目、洛中はその間にあります。東側に流れるのが鴨川。その鴨川の二つの支流が重なる場所が青龍というわけです。水に関係するなら蛇も関係するのだと誰が思い付いたのかわかりませんが、蛇の絵がいっぱい掛けてありました。だから蛇神社。本堂にぐるりと一周いろんな蛇の絵があります。瓦に描いた蛇もいました。不思議な場所ですね。ミステリーです。ちょっと残念に思うのは蛇の絵はどれも今一つ素人臭い絵ばかりだったことです。躍動感やリアリティを追求したものはありません。裏には小さな六角堂も建っていました。やっぱりお寺なのか?境内と呼べるほど広い場穂はありませんが、小さな赤い鳥居があり、「豊川稲荷大明神」が勧請されていました。こちらも思わず参拝してきました。おみくじも引けるみたいでしたが、「京都で一番キツいみくじです」と張り紙がしてあったので、何かのメディアで紹介されていたことを思い出し手は出しませんでした。確か、どれもひどい事が書いてあるので、キャーキャー騒いで楽しむためのものだったと記憶しています。これは悪趣味だよね。

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府中 大國魂神社

2013年01月29日 | 文化/歴史/技術
松任谷由実の中央フリーウエイに出てくる「右に見える競馬場、左にビール工場」は実在のレイアウトで競馬場とは東京競馬場です。JR、京王、西武各電鉄会社の駅と中央高速道路と国道20号線が交差する交通の要所に府中はあります。そこには街の真ん中に居座るように大きな神社もあるのです。京王府中駅から延びるケヤキ並木通りはまっすぐ「大國魂神社」に続いています。前から行きたいと思っていた神社にやっと来ることができました。とても賑やかな場所に鎮座していることもあって、地元の人と深い関係を続けている神社だとすぐにわかりました。大変良く整備されています。縁日屋台は休業ですが、参道にはあちらこちら残っていました。参拝客も代わる代わるやって来ます。府中という地名から国府が置かれていたことはおのずと明白で、古代から人の営みはあったようです。意外にも土器の出土や万葉の歌にも詠まれるなど古い歴史が残っています。いつも通り過ぎてしまうところですが、こうして途中下車して散策すると新しい発見があります。境内は思ったほど広くなく、中雀門をくぐると金箔をあしらった拝殿が待ち構えています。本殿は流造です。ぐるりと裏へ廻ると垣間見ることができます。奥には鎮守の杜がありました。古い大木も生えています。この神社は人気があるのか初めての僕にも親しみ易さを感じました。強引ですが地元の真清田神社に似ています。創祀は古く、武蔵の国の総社として崇められているようです。というのは武蔵の国一宮から六宮まで東西に祀られていて六所宮・六社神社と呼ばれているからです。なんじゃ?しかもですよ。様子を見ながら境内をくまなく歩いてみたら、住吉神社、大鳥神社、日光東照宮、稲荷、など勧請された摂社が所狭しと鎮座しているのです!もう一回、なんじゃこれ。いろいろ節操のない神社はありますが、これはこれで凄い。国府が設置されたとは言え、辺りはまだ未開拓な辺境の地だったのでしょう。京の都から遠く離れた場所にあり、江戸幕府ができるまでは西国の力のあるものを取り入れてこの地を治めることに役立てたような気がします。厄除けに力が入っていますね。それと祭も盛んなようです。祭祀と厄払いの神社ではないでしょうか。最後に府中は江戸時代には軍馬の産地として徳川家に厚く保護を受けたそうです。競馬場があるのもそのためでしょうね。

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甲賀 油日神社

2013年01月25日 | 文化/歴史/技術
滋賀県には僕の興味をそそる神社が幾つかあります。行ってみたいはいいけれど、山と山を縫い合わせるようにくねくねした道理を通過するために目的地を絞って一つ一つ時間をかけて参拝しています。今日は油日神社に出かけました。「白洲正子の愛した近江」で紹介された「かくれ里」のイメージそのものです。美しい日本の風景の中に佇んでいます。本当は別の場所を考えていましたが、大寒気が近づいていて空がどんよりして、いつ雪になるかわからない天候を気にしました。それに冷たくて強い風も吹いていました。比較的に新名神高速道路から離れていないこともあり、日没と帰り道のことを考慮して急遽行き先を変更したのです。滋賀の道路には「飛び出し坊や」がいっぱいいますが、この周辺では忍者の衣裳を着ています。甲賀の里ですからね。油日神社は御神体になるであろう油日岳の麓にあります。ここもどこか大神神社と似ていてアニミズムの片鱗を感じる神社です。創建の正確な記録がないそうですが、用明天皇、天武天皇、聖徳太子が関わっている伝承が残っています。神社はひっそりしていました。誰もいません。まだお昼だというのに夕暮れの薄暗さの中、カラスの鳴き声だけが響くのでちょっと恐かったです。二礼二拍手一礼。回廊付きの楼門の奥に舞台がある社殿があります。拝殿と本殿も含め重要文化財なんです。このハードウエアに関しては記録がはっきりしているらしく、本殿が1493年建立。三間社流造の檜皮葺。拝殿 が桃山時代建立で入母屋造妻入、檜皮葺。楼門は1566年建立。入母屋造、檜皮葺。そして回廊は1566年建立。と中世の文化そのものです。周囲の雰囲気も当時を思わせる景観なので、NHKの大河ドラマ「清盛」や映画「大奥」のロケに使用されています。機材を持ち込むスペースもあるし、ぐるりと歴史を感じさせる建物と木々に囲まれているので撮影には好都合です。社殿はいいですね。とても古そうな万葉かるたのような絵がずらりと飾ってありました。境内に一人、寒空の下に立ち尽くし耳を澄ませていると、畏怖の念は残っているものの、どこか霊魂を浄化していくような心持ちになっていきます。油日は一風変わった名前からか、油の神様にされてしまったようで油の一斗缶が奉納されていました。かどやのごま油・・あ、奉納じゃくて献油ね。

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伊賀 敢国神社

2013年01月23日 | 文化/歴史/技術
今年はいつになく神社参拝に力が入っています。伊勢神宮は20年に一度、出雲大社は60年に一度の式年遷宮に当たる年だからでしょうか。一生に一度の記念にそれぞれお参りに行きたいとは思っています。どうなるかわかりませんが。日本人が神道に深い関わりを持ち、メンタルの土台になっているのではないかと思うように至り益々興味が募っています。車で関西方面に出張することになり、西名阪道を利用しました。亀山と天理を結ぶ無料化された高速道理(正式には自動車専用道路)はそのほとんどを三重県を縦断する道路です。よく利用する道路なのですが、この道路沿いに伊賀の国一宮、敢国神社があるなんて。確かに伊賀一之宮インターがあります。地名「イチノミヤ」がある以上一宮の神社があるはずです。調べてみるとそのインターからわずか数分で行ける場所でした。あると分かったら行きたいなります。寄り道というほどでもないので帰り道に立ち寄りました。駐車場もあるのですが、何とも地味な神社です。小さな自販機があるだけで、饅頭などの類いを売る茶店はありません。南宮山の麓にひっそりと建っていました。僕が到着した時は二人の人影を見かけましたが、ちょうど入れ替わりだったので僕一人でぽつんと参拝することになりました。実はトイレを使いたかったけれど、鍵がかかっていて利用できませんでした。まだ一月なのに参拝客を拒んでいるかのようです。境内は細長く山の裾に沿って末社などが並んでいます。拝殿は赤い鳥居をくぐってすぐにあり、石階段を登ることになります。本殿は拝殿の奥に鎮座して近寄ることはできませんでした。厳かな匂いは充分ありました。コンパクトなサイズでありながら歴史の重さを感じます。記録によれば創建は658年。他にもいろいろと歴史を綴る証拠があるようです。少なくとも1000年以上前に存在し、この地の有力な一族に信仰され続けてきたようです。伊賀は忍者の里だけじゃない。古墳もあることから飛鳥時代まで遡って人の営みがあった場所なんでしょう。桃太郎岩が祀ってありました。子宝、安産のご利益があるようです。でも桃太郎って岡山じゃなかったっけ?ミステリーですねえ。奈良にある大神神社を連想しました。山を拝む信仰から始まったとされる最古の神社と言われ、「ヤマノフモト」がやがて「ヤマト」と呼ばれるようになったされる大和政権の発祥地の候補です。敢国神社もその流れを感じますね。

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寒川町 寒川神社 

2013年01月17日 | 文化/歴史/技術
相模の国の一宮として地元の厚い信仰を受ける寒川神社へ参拝するのは二度目になります。暦の上ではまだ正月なので平日の昼間でも参拝客で賑わっていました。初詣は何度も行きたい質です。平塚で宿泊し午前中は時間が空いたのでJR相模線に乗って宮山駅で下車して徒歩で向かうことにしました。駅も社までの道も寂しいところですが、神社詣には厳粛な気持ちで行きたいものです。寒空でも構いません。寒川神社の造りは流造(ながれづくり)らしいのですが、拝殿が大きくてよく見えません。千木がなんとか見えました。古式ゆかしく神聖な建物です。時間がないので手早く手水舎で手と口を清め、広い境内を抜けて拝殿でお参りを済ませました。拝殿に向かうと輝かしい青い空に絵に描いたような雲が広がりとても美しい景観です。本殿、拝殿も素晴らしいのですが、神門も見栄えのある建造物です。毎年、正月には「迎春干支ねぶた」と称する飾り付けをして参拝客を楽しませてくれます。前回は寅年に来たので虎がいました。今年は巳年ですから蛇ですね。前回同様青森のねぶたをここに移植する意義はなんでしょうと考えてしまいます。ところでこの神社の注連縄は立派です。出雲大社と比べちゃいけません。注連縄は二匹の蛇が絡み合った姿の変形なのだそうです。だとしたら蛇はいつでもいたのですね。時間があれば出店などゆっくり見て歩きたいところですが見送りました。寒川神社はご利益の「八方除け」を一番の宣伝にしているようです。僕は最近、神社の大きな機能を「祭祀」「厄除け」「鎮魂」に分けて検証してみようと思っています。どの神社にもこの三つの要素は含まれると思いますが、意味合いの濃度が異なるのは必至です。寒川神社が「八方除け」と言うならば、厄除けを重視した神社だと受け止めてみます。そもそも厄除けとはお祓いのことであり、身体に付いた「厄」を水で洗浄するのか、箒ではたくのかは別にして、綺麗に取り除く作業に相違ないでしょう。古代の人も現代の人も等しく「厄」なるものを感じるからこそ日本人はクリーニングをしたくなるのです。八方とはどの方角からの厄も(たとえどのような種類の厄でも)祓いのけて差し上げましょうということのようです。大きく出ていますね。でも僕はこう思います。神頼みは最終手段としてとっておき、その前にいろいろ試してみるのが潔い日本人として好ましい気がします。

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京都 下鴨神社の糺の森

2013年01月10日 | 文化/歴史/技術
ここ数年神道のことに興味尽きません。正月に京都に来るとどこかお参りにでも行きたいと思います。一月も二週目の平日ですから、初詣客もめっきり少なくなっているはずです。仕事の帰りに下鴨神社に寄ってみました。これで二回目の参拝です。賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)って憶えていません。下鴨さんです。山城の国の一宮ということになっています。なっているという言い方は良くないかも知れません。とても古い神社ですし、他の神社とも違う気がします。今年は巳年です。中門と本殿の間に小さな社が幾つかあり、干支に分けられているため、自分の守護神に合わせて参ることになります。こんな神社はまずないでしょう。「大国魂神」(おおくにたまみのかみ)が僕の守護神です。全部で七つの神様が独立して小さな社になって設けられています。どうしてこうなったのか調べる必要がありますねえ。普通の格好の男性が一人、本殿に向かって手に印を結び、長い呪文を唸るような声で唱えていました。何者なんでしょう?祝詞ではないようです。陰陽師か?最近、神社にこのような人が増えたような気がします。楼門、舞殿、橋殿など美しく見とれてしまう建造物や君が代の歌詞に出るさざれ石など文化財に事欠かない由緒ある神社とは思いますが、僕が一番好きなのは「糺の森」(ただすのもり)です。泉川と瀬見の小川の間の長い参道を歩くと心落ち着きます。ここは原生林が残ったところです。まったくの手付かずの森というわけではありませんが、応仁の乱で大半を消失したものの現代にまで受け継がれてきた自然の森です。神社というのは司祭を行うことの他に、厄や疫を祓い落とす厄払いをするところであったり、祟りや呪いを封じ込める鎮魂を目的にした機能があったとされる(いや、現代でもなお)言わばオカルト的で呪術性の高い施設ではないかと思うのですが、鎮守の森を持つことにも大きな意味を見い出せます。環境保護とか自然崇拝を言いたい訳ではありませんが、人と神の関係にしか視点が届かなければ、何か重要なものを忘れてしまうことになると感じるのです。最近、神頼みもご利益も興味がなくなりました。頭を下げて参る時、何も考えない方がいいのではないかと思うほどです。落葉広葉樹林は真冬になると葉を落としてしまう木が多いので、見上げると空が見えます。

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名古屋 八剣宮

2013年01月07日 | 文化/歴史/技術
恒例になった熱田神宮初詣です。毎年、仕事始めに参詣しています。今年は休日の切れ目が良過ぎて九連休となりました。休みが長くてボケると心配する声を聞きますが、僕は常にボケているようなものだから、このくらいの休みでどこか変化するようなことは何もありません。自慢じゃないけど休み過ぎて不安にならないタイプです。さすがに一週間過ぎて平日になった名鉄神宮駅の改札口は落ち着きを取り戻しているようでした。いつもならごった返しで人を避けて歩くのが面倒のはずです。年末の衆議院選挙の後は株価が上がったり円安に傾いたりして、今年は景気が良くなりそうな話に花が咲きます。今日はあっという間に本宮の前まで辿り着きました。二礼二拍手一礼。おみくじも毎年引きますが、今年はここで引くために他で引くことをしてません。昨年も一昨年もここで大吉だったので今年はどうなんでしょう。と、ちょっぴり心配しながら引いてみると、なんとまた大吉!三年連続で大吉を引き当てました。こういうことぐらいはくじ運がいい僕です。今年もついているかなあ?熱田の杜はとても広く、摂社・末社が数多くあります。その中でも「上知我麻神社」はえびす様で人気の神社です。こちらも毎年お参りに来るのですが、初えびすも終わりいつもより人は少なかったです。しかし、参拝客の行列は長くてとても並ぶ気にはなれませんでした。そこで分かったことがありました。「上知我麻神社」は学業のご利益があって商売繁盛のご利益はその脇にある小さな小屋のような「事代主社」(ことしろぬししゃ)にあるそうです。知らなかった!こういうことってよくある事です。知らないからしょうがない。更に奥に何かあるぞと近寄ると「八剣宮」と立て看板のある門のようなものがありました。早速参拝してみました。成り行き上お賽銭を投げて柏手を打打って礼をしたのですが、ここは一体何だ??と疑問を持ったまま立ち去りました。それで後から調べてみたら、別宮という呼ばれる場所で本宮とほぼ同じ扱いを受ける要所だということでした。へえー。毎年来ているのにまったく気にしなかったのは恥ずかしい限りです。熱田神宮は三種の神器の一つ「草薙の剣」を奉納され保管しています。宝剣のために作られたとされるとあの「草薙の剣」ではないかと思ってしまいますが、どうやらその剣ではないようです。ややこしいなあ。
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豊川 豊川稲荷

2013年01月05日 | 文化/歴史/技術
初詣はその年初めて参拝するから初詣なのですが、正月になると神社へ何度も行きたくなりますね。家族サービスも何もないですが、たまにはどこかへ連れていかないとうるさいので豊川稲荷詣でをすることにしました。地元ではかなり有名な初詣スポットです。でも、僕は今まで一度も足を踏み入れたことはありませんでした。豊川に訪れたことは数えたらキリがないくらいありますけど。一度は行きたいと思っていたのと、名鉄が迎春1DAYフリーきっぷを販売していて安くつくのでその気になりました。参拝の前に温泉にも行きました。コミュニティバスで行ける「本宮の湯」です。バスの本数が少ないので便利とは言えませんが、午前中に湯汲みをして、お昼は「門前山彦」で稲荷寿司とセットになった門前そばを食べてからお参りしました。正月とあって人は大勢いました。飲食店はどこも待ちの人でいっぱです。名鉄のフリーきっぷは特典がいろいろあって、「門前山彦」では持ち帰りの稲荷寿司がサービスでもらえます。最近は豊川稲荷の稲荷寿司が町興しになっているので気合いが入っていますね。揚げの味が濃いです。温泉に入って名物を腹に収めたら、後は観光です。僕はここへ来るまで知りませんでしたが、豊川稲荷は神社ではなくてお寺でした。「豊川閣妙嚴寺」が正式な名称で曹洞宗の寺院なのです。境内は広く、門があり、鐘付き堂があり、庭園まであるのです!しかし、同時に鳥居と手水舎と賽銭箱とおみくじと巫女も存在しています。神仏習合を具現化して発展した形がここにあります。なんじゃこれは?と素直に疑問を持つとは思うのですが、そこは日本人。この僕も正月らしくていいやと雰囲気を楽しみました。縁日屋台の賑わいも道行く人の中の着物姿も「晴れ」です。そう、「ハレ」という日本人の精神文化は、脈々と受け継がれているのだと再認識しました。正月とは非日常であり、特別な気持ちで過ごす節目でもあるのだろうと思います。雑煮を食べる習慣も晴れ着を着る習慣も「ハレ」の精神がなくては味気ないものになります。下の娘は先日バーゲンで購入したワンピースを着てきましたが、「ハレ」だったんでしょう。妻と上の娘は買い食いで「ヤマサのちくわ」を頬張っていました。見どころは「霊狐塚」です。一番奥にある狐の像がいっぱい並んでいるところです。小さな鳥居も用意されていてお参りもできます。元々は祈願成就の記念に奉納された狐像を安置してある場所でしたが、聖地になってしまったようです。とても人気がありました。

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犬の散歩と初詣

2013年01月01日 | 文化/歴史/技術
2013年元旦の空は晴れわたり気温もいつもの年よりいくらか高いのか静かな日になりました。年越しは実家で夜中遅くまで起きていたので、朝寝坊をしてからお雑煮を食べました。初日の出は見ていません。お昼頃自宅に戻ると家で待つ我が家のわんこは嬉しそうでした。ミニチュアダックスは留守番が好きではない犬種のようで、しばらく顔を見ていないと甘え方が激しくなります。夜は僕と一緒に寝ることが多いので僕には相当甘えてきます。午後は犬の散歩のついでに妻と真清田神社へ初詣に行きました。普段の散歩道からすると長い道程になるのですが、運動させて疲れるとおとなしくなるのでこっちの世話も減らせるので楽になるだろうと思って。真清田神社へは徒歩で行けます。一宮商店街はほとんど店を開けていないので寂しい気がします。でも参拝客は大勢いました。我が家のわんこは地面の臭いを嗅ぎながらついてきます。鳥居の前にきて行列ができているのに驚きました。あれえ?これはひょっとして参拝の行列なのかあ?何か特別な札か何かを買い求める人の行列だと思ったけど、行列の先はしっかり拝殿まで続いていました。天気も良く風も強くない元旦なんてそんなにないのか、いつもの年よりも参拝客が多いと思います。境内の中は屋台もおみくじも縁起物にも人が群がっていて、とてもわんこを歩かせる状況ではなかったので抱っこして参拝してきました。人混みの中、乳飲み子をあやすように妻と交互に交代していたんですよ。あまりに行列が長いので、今日は拝殿の横から手を合わせて済ませてしまいました。ところで、飼い犬の抱っこはしつけに良くないと言われますが、ここしばらく僕が家の中で抱っこするようになって、こいつはすっかり抱っこ癖がついています。無駄吠えする時は抱っこしておとなしくさせていたことが仇になったようで・・・.もう8歳なんだから子犬じゃない。どちらかというと老犬の部類です。帰り道、商店街の中で地面に降ろすと座り込みをして動こうとしません。やれやれ。気が小さいので人混みに圧倒されたのか、それとも帰りたくてこれ以上遠くへ行きたくない態度なのかわかりませんが、道行く人の笑い者になっていました。辛抱強く自分の足で歩かせて、帰宅することがわかると今度は自ら進み前を歩くようになりました。しつけは失敗だよね。

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