ジブリ映画「風立ちぬ」が封切られたのですぐに映画館で観てきました。それで堀越二郎のことが知りたくなるし、零戦ってどうだっけ?と気になってきたら、とうとう本物を見たくなって所沢までやってきました。所沢航空発祥記念館では期間限定でアメリカから五十二型の零戦が展示されています。この零戦は世界で唯一実際に空を飛ぶことができます。映画は堀越二郎と堀辰雄という人物へのオマージュで構成されているため決して零戦をクローズアップしているわけではありませんが、堀越二郎が零戦を設計したことにちなみ、ここ所沢航空発祥記念館では堀越二郎展も開催していました。戦争体験者と思われる方々が大勢来場しているようで、立ち話で経験談が止まらない人や熱心にカメラのシャッターを切っている人がいました。僕はここへ来る前に文春ジブリ文庫から刊行されたばかりの「腰抜け愛国論議」を読み終えたばかりで映画のイメージががらりと変わっていました。宮崎駿監督は所沢の零戦見学を断ったそうですが、それは本を読むと理解できます。宮崎監督のお父さんは零戦の下請け工場を兄弟で経営しておられ工場長でした。終戦まで製造していたそうですから、息子が戦闘機に特別な思いを持つことは自然なことでしょう。さらにお母さんはカリエスで長らく闘病生活が続きストレプトマイシンで完治したとはいえ、宮崎監督は歩くこともできなかった姿を見て育っています。その上にお父さんは前の奥さんと結婚して一年で結核によって死に別れているのです。堀越二郎と堀辰雄の組み合わせは、宮崎監督の父と母の思い出と重なり合っています。堀越二郎の傑作は九十六式艦上戦闘機ですが、その試作機である九試単座戦闘機を映画のポスターに採用しているところに零戦賛美の映画ではないことが読み取れると思います。僕の父は、零戦の誕生と同じ皇紀2600年の昭和十五年生まれでもう亡くなりましたが、生前に空襲のことをよく話してくれました。我が街は戦争中アメリカの爆撃機に焼夷弾を落とされました。その理由は、名古屋で零戦を作る工場(三菱重工業)があるから攻撃目標にされ、フライトコースだったために落としていったというものでした。零戦とBー29のことは戦争の話にはよく出てきました。でも僕にとって零戦は遠い存在です。そして戦争も。見学した五十二型は完成度が高い戦闘機でした。近くで見ると放物線だけでデザインされ肉体のような滑らかさを感じるし、遠くから眺めると紙飛行機のようなシンプルさ感じました。美しいものは美しい。






