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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

笛吹 浅間神社

2014年06月28日 | 文化/歴史/技術
甲斐の国一宮は、山梨県の笛吹市にあります。一宮を参拝する気がなければ来ないところでしょう。笛吹市の周辺は桃畑が随所に見られ、今は青々とした葉が生い茂っていますが、花が咲く頃は一面にピンク色に染まる景観も見たくなりました。周辺都市には、甲斐市、甲府市、山梨市、甲州市が隣接しています。これじゃ地元の人はともかく、外来者は戸惑うのではないでしょうか。すべてこの当りを差す地名じゃないですか。クイズじゃないんだから。浅間神社は、人気がない場所にありました。人が密集する都市にありがちなコンパクトな敷地です。しかし、中身は詰まっていると思いました。まず、目を引くのは随神門です。ちょうど夏越し大祓え(なごしおおはらえ)の「茅の輪くぐり」の用意がありました。ここを三回くぐるとお祓いができるというものですが、参拝作法があって、一拝後に神歌(和歌)を読み上げ、茅の輪をくぐり左に回って元に戻り、もう一度一拝して二つ目の神歌を読み上げ、茅の輪をくぐって今度は右に回って元に戻り、もう一度一拝し三つ目の神歌を読み上げ、茅の輪をくぐって左周りで戻るのです。手順通りきちんと神事を行いました。茅の輪って勧請縄を連想しますね。それに茅野という地名も山梨にはあります。関係あるのでしょうか。境内の中に入ると巫女さんもいましたので、宮司も居るのでしょう。手水舎で清め、拝殿に向かって参拝します。狭いながら本殿、神楽殿、社務所などがしっかり揃っていました。ユニークなのは奥に十二支石造が並んで置いてあり、祓門(はらいもん)をくぐって自分の干支にお参りできます。だけど石造があまりにも可愛いのでポケットモンスターみたいでした。くぐらせることでお祓いをするのは、神道共通の行事のような気がしますね。勧請縄だってトリクグラズ(鳥潜らず)と言って災いをシャットアウトする意味がありますもんね。石も多いです。子持ち石は誰がどう見たっておちんちんでしょう。男根崇拝ここにありです。縄文の精神文化を色濃く残す神道には、このような生殖繁栄を崇める風習があります。これだって立派な遺跡です。生命の尊さを非常に重要視していた古代の人達の願いが感じられました。それと奉納されたお酒が並べれていましたが、良く見ると全部ワインでした!日本酒の瓶の形をしていますが、銘柄は甲州ワインなんです。地酒ですからね。これはこれでいいのかも知れません。神様に感謝するなら乾杯で。

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日野町 熊野神社の勧請縄

2014年06月17日 | 文化/歴史/技術
何だか気になる勧請縄。梅雨の中休み。曇りがちの滋賀へ仕事でやって来ました。奈良から滋賀、三重の県境付近に密集する勧請縄を見たくて今日は日野町にある熊野神社へ向かいます。国道477号線を三重方面へ車を走らせ、蔵王ダムへ進路を変え、グリム冒険の森を抜けるとその先に熊野の集落はあります。日野川の上流、ダムの奥。グリム冒険の森はキャンプ場なので人里離れた場所にあることはお分かりでしょう。その先の熊野神社を中心に集落があるのは辺境ではないかと感じます。距離はそれほどでもないのですけどね。とても静かなところです。高くて太い杉の木が何本も見えたのですぐここが熊野神社だと分かりました。タコ杉と言うそうです。歴史は古いと思います。こじんまりとしてはいますが、入り口に木製の鳥居があり、その両脇に植えてある杉の木に勧請縄が張ってありました。とても清々しい神社だと一瞬で感じることができました。手水舎で手と口を漱ぎ、拝殿に回り込んで参拝を済ませました。そして勧請縄に目を向けます。大きなトリクグラズが多分12個吊るされています。正月に合わせて取り替えられるはずですから、この時期は青い葉ではなく枯れていました。立派な結界という印象です。両脇の杉の木の根元には白矢がやはり12本ずつ差してあるのも興味深いです。境内周辺をうろうろしていると面白いものがありました。石碑に「山之神」「野之神」と書いてあるのです。わざわざ書いて置くのは何の意味があるのかと疑問が湧きます。近くには「熊野の滝」もあるみたいです。格好が格好なので見学はあきらめることにしました。平安中期に山伏が修行するために使われた拠点がこの集落の始まりとされていますけど、滝は那智の滝に見立て綿向山は高野山に見立てているのでしょうか。熊野古道のミニチュアのようなサテライトのような場所がここ滋賀県の山間にひっそりとあることに改めて感動します。信仰は今も受け継がれ、弓引行事が残っています。地名が熊野なので、あの熊野を想像していましたがその通りでした。自宅に戻ってネットで検索すると更に驚くことが判明しました。この熊野集落では棚田による水耕稲作が行われていて保存会が組織されていることです!僕は見過ごしていました。日本一の棚田「丸山千枚田」は三重県熊野市にあります。それと同じ様にここにも棚田が存在するのです!ミニチュアコピーもここまで揃うと大きな意味があるのではないかと考えてしまいますね。謎です。それにしても熊野の名前を継承するのも大変なことに違いありません。

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姫路 播磨国総社 射楯兵主神社

2014年05月26日 | 文化/歴史/技術
月曜の今日は、全国的に雨模様でちょっと寒い気がしました。新幹線で姫路に来ました。姫路は今年の大河ドラマの舞台でもあるので、JR姫路駅を降り立つと経済効果を狙ったイベントに企画が目につきます。本屋は「軍師勘兵衛」のタイトルで溢れていました。戦国時代の象徴でもある姫路城は、世界遺産となってから外国人も大勢押し掛けるスポットになっています。といってもこの雨の中、姫路城へ足を踏み入れるのも億劫ですし、ゆっくり散策する時間もありません。そうなると戦国ではなく古代に目を向けることにしました。検索すると播磨国総社という神社を見つけました。姫路城の堀のすぐ近くです。どんなところか分からないままに傘を差しながら参拝してきました。市街地にある神社ではありがちな境内が狭いコンパクトな神社です。神門をくぐると拝殿と本殿が目に飛び込んできます。テニスコートくらいの広さの境内です。早速、手と口を清めて二礼二拍手一礼をしました。正式な名称は射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)と呼ぶそうです。通称は総社さん。住所は総社本町と言います。射楯の大神と兵主の大神を祀ることから勇ましい印象を受けます。この場所に鎮座することになったのは秀吉が姫路城を改築した時からなので天正年号の時代です。創設は多分平安時代。モノトーンな幟旗は黒田家の中白の旗幟(きし)でこれも秀吉が「黒だけの旗を立てよ」の命で、この神社で一週間祈祷をして入魂したと伝えられています。やっぱり大河ドラマ喚起がありました。狭いながらも、うろうろしてみると摂社や末社が多い多い。稲荷、八幡宮に鹿島、厳島。十二舎合殿なる扉だけのアパートのような施設には一宮、二宮、東照宮なるものまであります。何じゃこりゃ?これが播磨の国の総社という意味だったのだ!「撫でみみずく」「鬼石」なるご利益や厄払いも充実しています。なるほどねえ。神社は多様化していると思っていましたが、ここは非常に合理的な神社だと思いました。総合デパートというより、楽天市場ですね。ここへ来れば大抵のものが勧請されているので何でも受け付けてくれるのです。それもお城のすぐそばで。昔から城下町で賑わうところにこんな便利な神社があれば、他へ参る必要がありません。播磨の国の人は一カ所で済ませることが好きだったのかな。

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東近江 高木神社の勧請縄

2014年03月06日 | 文化/歴史/技術
旭野神社のすぐ近く、歩けるほどのところに高木神社はあります。ここにも勧請縄があります!旭野神社の通り道だったためにこちらも立ち寄りました。何とこちらのシンボルマークは五芒星です。すぐ隣の旭野神社では六芒星でした。しかも、こちらの六芒星はパイプが細くスマートです。勧請縄の大きさもこちらの方が立派です。鳥居の近くにある両脇の木にくくり付けられているので神秘さは上ですね。高木神社のことは知りませんでした。何何?日吉神社と類似する・・・。境内にある日吉神社本殿は重要文化財で・・・。確かに境内は広々していますし、堂々とした神社でした。しかし、今日は平日の午後です。辺りはしんとして静かです。人家は近くにあるんですが寂しい神社でした。さて、勧請縄についてです。まず、中央の五芒星。いわゆるスター型ですね。☆マークは相当西洋的は印象を持ちます。和風では陰陽師の安倍晴明が使用していました。ここまでくると採用理由を知りたくなります。偶然なのでしょうか。そんなはずないよねえ。このデザインは、黄金比率まで隠されているんだから、図形としても完成度が高い五芒星が何故ここに?と疑問を持つのは当然ではないですか。仮にこの勧請縄で結界を作り、内部(この村のことか)に天災や疫病と思われる厄を追っ払うために、この五芒星が必要だった・・・。んー。違うな。何でしょうねえ。日本にはまだまだよく分からないことがいっぱいあります。トリクグラズという表現もネットで見つけました。鳥潜らず。と文字で書いたと思われますが、鳥が潜ることができない?だから何が起きるの?鳥が災いの根源なの?鳥インフルエンザは関係ないの?不思議ですねえ。ところで旭野神社と高木神社の他にもう一つ山部神社がすぐ近くにあり、そこにも勧請縄があることを後から知りました。しまった!そちらは見学していません。この三社合同のケンケト祭りというのがあるそうですが、どうやら旭野神社と高木神社と山部神社は深い関係があるようです。勧請縄のスタイルも全部違うことも興味津々です。まるでハリー・ポッターのグリフィンドールとスリザリンとハッフルパフのようなもんでしょうか。(レイブンクローはどこなんだ?)今まで、滋賀の道路を無尽に走り回ったはずですが、勧請縄のことなんて気にしていませんでした。面白いマークを見つけていろいろと見て回るのも楽しそうです。

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東近江 旭野神社の勧請縄

2014年03月06日 | 文化/歴史/技術
なんじゃこりゃ?と驚くものが滋賀湖南地区にはあります。皆さんは勧請縄をご存知ですか?主に神社などで注連縄のように水平に縄を張り、そこへ何がしろのマークを縄か材木でかたどり、ぶら下げているものです。勧請吊りと呼ばれることもあります。僕は、数年前にその存在を知り、是非この目で見たいと思っていました。正月に飾るという触れ込みから、普段は目にすることはできないと勘違いしていて、今まで積極的に探していませんでした。奈良から滋賀にかけてのベルト地帯に集中してあるようなので、僕の行動範囲と重なることから、今後見学を続けてみようかと画策しているところです。まず、最初に目をつけたのは旭野神社です。滋賀の山間部は低い山が多いのですが、その中の集落部にひっそりとある目立たない神社でした。見たところ普通の田舎の小さな神社です。創建年代は不詳なんだそうです。いきなり勧請縄を見つけました。やっと出会えたので感動的でした。中央には小枝を結んで六芒星のマークがはっきりとわかります。本来、シンボルマークはサークルとクロスを組み合わせることが基本です。おそらくサークルが省略されています。サークルの接点である結び目を三カ所にした正三角形を二つ用意して、その一つは逆さまにしたデザインと思われます。つまり応用型だと思われます。注連縄には上部に白羽の矢のようなものが等間隔で突き刺さり、下部には、長い注連縄を垂らし白紙が施してありました。毒々しい。しかるべき機関がそうであると保証したわけではありませんが勧請縄は魔除けとされています。六芒星は籠目という言い方もありますが、イスラエルのダビデの星でもあり、厄除けとは、呪術でもあり、魔法でもあり、奇跡でもあります。魔除け用ならば、この注連縄は結界を作り災いをブロックするということなんでしょうか。面白いですねえ。いつからか分かりませんが、氏子によって代々受け継がれていることに歴史の深みを感じます。拝殿にて参拝をしたものの、この勧請縄から離れることができませんでした。どうしてこのような習慣が始まったのでしょう。どうして残ったものと残らなかったものがあるのでしょう。そして、何故スタイル(デザイン)が各々違うのでしょう。どうして旭野神社では、六芒星のデザインを採用したのでしょう。謎が尽きません。僕は、何となく神道とは違う気がしています。滋賀県だけでも160カ所以上ありますからね。楽しみです。

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神川町 金鑽神社

2014年02月05日 | 文化/歴史/技術
埼玉県は海がない県です。秩父の山々は雪が積もって冬景色でした。そう、昨晩の寒気でこの辺りも雪が降りました。朝は雪化粧でした。初詣の時期は過ぎましたが、参拝好きの僕としてはまだお参りしていない神社があれば、足を伸ばすことはやぶさかではありません。いつものように下調べなどほとんどせず、「金鑽神社」へ出かけました。御嶽山(みたけさん)の麓にある古い神社です。初めて訪れて、まずその佇まいに驚きました。実に神秘的です。昨晩の雪が残り、腫れた空と切り詰めたような冷たい空気にその神聖さは輝くようでした。入れ違うように参拝者が帰ってしまったので、僕は一人で境内に入りました。素晴らしい神社でした。武蔵国二宮とあります。こんなところに。重要文化財の多宝塔が手前にあり、境内の中にある鳥居に注連縄が張ってありましたが、勧請縄のように何かぶら下げています。拝殿はありますが本殿がない造りになっていて、御嶽山自体が御神体となります。山が御神体なのは全国で奈良の大神神社と長野の諏訪大社しかありません。これだけでも、日本の史上に何か重要な痕跡を残してると感じられずにいられませんでした。拝殿の前に立つと山の中にいるようで静かです。雪が木の葉から落ちる音がうるさいくらいです。特別天然記念物の「鏡岩」も見物しようと思い、境内奥のハイキングコースに進んでみました。これが運のツキ。すぐ近くだと思っていたら登山でした。比喩や喩えじゃくて。「鏡岩」は断層が作った地層が剥き出しになり赤く平らな崖を指します。御嶽山の標高は343M。その中腹にありました。山中は当然ですが雪道です。後に引き返すこともできず、結局その先の見晴らし台まで登りました。スーツとコート姿で。また、やってしまった。今回は正直言って恐かったです。運があったのは、靴はビジネス用ですが、こんなことも想定してか完全防水対応で底はウォーキングが可能なタイプだったことです。コートもアンゴラ入りのロングだったので防寒もしっかりしていたので助かりました。斜面で滑らないように慎重に足場確認しながら昇り降りするのは緊張の連続です。見晴し台には動物の足跡もありました!あと200Mで山頂でしたが、無理せず下山することにしました。やれやれ。自宅に戻ってから調べたら、金鑽神社(かなさなじんじゃ)の語源は金砂(かなすな)からきている説があるそうで、近くを流れる神流川から砂鉄を採集し製鉄していたらしいことが分かりました。これには二度驚きました。だったら「たたら」があったということ?出雲と同じ?謎ですねえ。

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京都 上賀茂神社

2014年01月20日 | 文化/歴史/技術
今年の干支は午(うま)ですよね。今年もウマくいくようにしたいものです。ウマい話にはどんどん乗っていかなきゃね。大寒の日の京都は寒い寒い。空模様も怪しく、曇り空でした。京都に来たのだから、午(うま)に関係する神社にお参りしてみるのもいいと考え上賀茂神社へやって来ました。上賀茂神社の正式な名称は、賀茂分雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言います。でも普段は上賀茂神社です。下鴨神社と対になっているのかな?と思い付いてしまいます。どうなのか分かりませんが、遷都され平安京になる前から歴史があり、賀茂氏と関係が深く、山城の国の一宮であり、世界遺産であります。実を言うと、初めて来ました。ずっと行きたいと思っていたんですけどね。いい機会でした。上賀茂神社っていろんなものが詰まっていますね。平安時代の面影が色濃く残っているそうで世界遺産として認められたポイントがそこにあります。重要文化財がいっぱいでした。境内にあるものは標準的な建造物ではありますが、どれも気配を漂よわせるので目を奪われます。赤い鳥居の前には式年遷宮の文字が大きく出してありました。出雲、伊勢と続きこの上賀茂でも行われるようです。神馬舎に馬はいませんでした。ちょっと寂しいですね。細殿の前にはこの神社のシンボルのような立砂がありました。御神体の山を表すとか、清めの砂とか諸説あるそうです。でもここにしかない習わしなんでしょうね。謎です。楼門の前にチェーンソーで削った馬の彫刻が置いてありました。特別展示でしょう。楼門をくぐると本殿の前に出ますが、中はよく見えません。特別参拝で別料金で中に入ることができましたが、ゆっくりできないので外から参拝を済ませました。正月と言えどさすがにこの日でしたから、参拝客は少なく空いていました。清楚な境内は落ち着きがあって素敵な場所だなあと感じます。どっちを向いても気分がいいです。境内は思ったほど広くありませんが、末社や摂社が多くあり、コンパクトな神宮みたいです。橋がかけてあるのは、小川が流れているからですが、御祓をするためのものなのか伊勢神宮の五十鈴川のような石段があったりするし、よくよく眺めるとまるで奥入瀬帰依流のような景観もあるので驚きでした。真冬の今日は、桜の枝しか見ることはできませんでしたが、春になると立派な桜の花が楽しめるでしょう。それに葵祭はこの目で一度は拝見してみたいと思っています。最後に午の話を。春の行事、賀茂競馬(かもくらべうま)は日本最古のダービー(競馬)だそうです。

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東近江 太郎坊宮

2014年01月14日 | 文化/歴史/技術
寒気が日本を覆い朝は氷点下になるほどです。今年は年末年始の休日が長くまとまっていたので、世間では休み明け早々正月気分が吹っ飛んでしまっているようですが、初詣が物足らずお参り不足じゃないかと思うのが僕です。仕事で滋賀県まで来ました。帰りにちょっと寄ってみたくなったのが太郎坊宮です。タロウボウグウ。何じゃその名前?興味津々で駆けつけたはいいけれど、どんな様子なのか何も知らずに来たものだから少々迷いました。位置は名神高速道路の八日市I.C.から近く、普段よく走っている場所からほんの少しだけ離れたところだったので意外な感じもしました。正式には阿賀神社と呼ぶそうです。御神体は赤神山で、その赤神山の狭い道を車で登り、境内に入ることができます。・・・できました。多分、元旦は人が多くてとても車で近づけないでしょうね。日暮れ前に到着しましたが、参拝者は下山する直前に見た二人だけでした。しかし、スタッフは多いので人影を見失うような心配はありません。要約すると、聖徳太子がこの山に霊感を持ち、最澄が社殿、社坊を献じたことから山岳信仰が始まり、霊地として天狗を守護神としたとあります。天狗のことを太郎坊と言うので通称太郎坊宮となったとされています。現在は必勝祈願でご利益がある神社として人気があるそうです。階段回廊のようになっていて水舎、拝殿、本殿などが階層ごとに散らばって建立され、神道だけでなく七福神や不動明王など混在し、歴史の紆余曲折が具現化されているようでした。日没が気になって足早に階段を上がりました。しんどいです。ブルース・リーの死亡遊戯じゃないけど次から次へとお参りするものが待ち構えているみたいで面白かったです。かなり古い神社であることは確かです。本来は赤神山の山頂に登頂することで霊山を拝むことになるのでしょうが、ハイキングになってしまうので時間がありません。(て、いうかスーツじゃ無理。)標高は350Mですから、お弁当持参で登るのも楽しいかもです。苦労して本殿に辿り着きましたが、夫婦岩と呼ばれる岩の隙間をくぐり抜ける必要があります。ここは沖縄の斎場御嶽を連想しました。原始の民族宗教。縄文霊魂信仰。自然崇拝。本殿前は見晴らしの良い展望台がありました。滋賀の雄大な景色が眺められます。遠くに見える山々は鈴鹿山麓でしょうか。雪山は御在所かな。この景色を見るだけでも価値がありました。美しい。

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名古屋 熱田神宮

2014年01月06日 | 文化/歴史/技術
今年もやって来ました熱田神宮。2014年の三箇日は天候に恵まれ例年のことを思うと暖かい日が続きました。参拝客はいつになく多かったと思われます。さすがにこの日になると初詣客の数は落ち着いていて、参拝はスムースに進むことができました。昨年、出雲大社と伊勢神宮に参拝できたことは幸運でした。それに加えて出雲と伊勢の謎に少しは迫ることができたことも大きな収穫でした。(収穫という表現すら神道的と言うか日本人的だと感じる能力が備わった?)もちろんこの熱田も謎多き神宮であります。何故如何にして三種の神器である草薙の剣が納められたのか。その一点だけでも大きな謎です。剣はどう考えても出雲で作られる鉄を連想させます。越の八岐大蛇(コシのヤマタノオロチ)とは北陸の越という国の何か(蛇)のことだと考えられるし、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征と尾張の国の関係も興味深いです。神話の中に事実が秘められていることは「とっくにお見通しだ!」って心の中で叫んでいるこの頃です。さて、毎年の恒例行事はおみくじです。僕は熱田でおみくじを引くと高い確率で大吉が出ます。そしてまたしても大吉を引きました。四年連続です。我ながら恐くなってきました。正月だから大吉がいっぱい入っているんだと思っておきたいですね。千年以上もこうやって大勢のお客(参拝者)を集めることができるのだから、第一級の商売上手なのは間違いありませんからね。僕の住む一宮にはその名の真清田神社がありますが、この熱田神宮は尾張の国の三宮。でもこちらの方が参拝者は多いです。そもそも昔は熱田が一宮で真澄田(字が違う)が三宮だったのが入れ替わったことも分かってますが。三宮に下がってもちゃんと仕事は緩めない。さすがです。枯れかかった田の苗に夕立が降り注ぐ様に恵まれた運気。正直な心を持ち励めば、さらに幸運多し。徳を積むべし。と書かれています。今年も調子は良いそうです。願望ー期待してよし。旅行ー行くがよし。商売ー売るによし。開運色ー藍色などなど。申し分無し。振り返ると何かあっても何とかうまい具合に転んでくれたくれたことが多かった気がします。運はありました。そう言えば昨日の大河ドラマでは、信長が桶狭間の合戦の前にここで戦勝祈願をしていたシーンを放送していました。祈願もご利益有り。
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一宮 大神神社

2014年01月01日 | 文化/歴史/技術
ついに2014年が明けました。あっ知ってました?それはどうも。年末年始は、いつものように実家に戻り紅白を観て、年越しの沖縄そばを食べてから、除夜の鐘を聞きつつすぐ近所の神社に初詣に出かけ、お神酒を飲みました。実家に泊まって、朝は母親が作る雑煮を食べてから自宅に戻り、毎年恒例の犬の初散歩がてらまた初詣に行くことにしました。昨年は、出雲と伊勢の式年遷宮があったのでいつになく神社巡りをしたけれど、今年も精力的に参拝を続けることになりそうです。元旦は凍てつく寒さに震えながら歩く覚悟が必要なのですけど今年は暖かいので楽でしたね。天気も良いし。真清田神社は混んでいるだろうな。今年は、尾張国のもう一つの一宮である大神神社(おおみわじんじゃ)へ行きました。ちょっと珍しいことですが、同じ国に一宮が二つあることがあります。長い歴史の中で何があったのか興味が尽きません。大神神社はあの最古の神社と言われる奈良にある大神神社と同じ名称です。何故なんでしょうねえ。普段は無人の神社なんですが、大晦日と元旦だけお世話役の方々が集まり、かがり火を焚いて甘酒を振る舞ってくれます。その辺りも何やら訳がありそうです。自宅からは真清田神社も大神神社も歩いて行けるわけですが何か縁を感じています。二つの一宮に歩いて行ける人もそう多くはないでしょうから。ところでうちのワンコは妻が散歩に連れた後だったためか、外に出されて少々迷惑気味みたいでした。尾張国の大神神社への参拝は初めてではありません。そう。もう何度も来ています。静かな住宅街の中にあって、有名でもないことから参拝者はほとんど近所の人だけでしょう。境内はそれほど広くありません。少年野球なら試合ができるかできないかくらい。建物も比較的新しいので重い歴史があるとは想像し難いです。熱田神宮と関係があるとか、大和国の人がやって来て創建したとか伝説はあるんですけどね。特に行事はないようです。参道が無いので入り口には幟(のぼり)が出ていました。スピーカーから神楽も流れていました。元旦らしく賑やかな雰囲気があるけれど、特に出店があるわけでもないので厳かな感じがして僕はいい神社だと思っています。日本のお正月ってこんなふうだったのではないかな。市の指定文化財は江戸時代に作られた木製の狛犬だそうですが、拝むことはできませんでした。そうそう甘酒はいただきました。美味しい。ミカンは一つお土産に持ち帰りました。



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