goo blog サービス終了のお知らせ 

スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

川崎 川崎大師

2015年01月16日 | 文化/歴史/技術
横浜に泊まりました。昨日は、強い雨が降っていました。冬の雨は、重く冷たいものです。雪にならなかったことを考えるといくらか温かいはずなのに、冬の雨はなぜか重苦しく寒々とした印象を持ちます。うってかわって本日は、天晴れと言いたくなるなる空模様になってくれました。お正月気分もすっかり抜けてしまったのですが、少し時間があったので川崎大師へ初詣に行くことにしました。日本でも有数の参拝客が多い初詣の整地です。今までに行こうと思えばいくらでもチャンスがあったはずなのに、初めて訪れることになりました。電車で行くなら、京急が便利です。京急川崎駅から小島新田行きに乗って川崎大師駅で下車すれば徒歩で行けます。もちろん参拝客は大勢来ていましたが、人混みで歩けないほどではありませんでした。仲見世通りは狭い道なので賑やかでしたね。とんとこ飴を売る店が目立ちます。とんとこと包丁を叩く音が響いていました。川崎大師ってお寺ですね。どれどれ調べてみましょう。開創は1128年、開基は尊賢上人、創建功徳主は平間兼乗氏。総本山は京都東山七条にある智積院です。御本尊 が厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)。宗派が真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)。名称が金剛山金乗院平間寺(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)通称が「厄除弘法大師」または「川崎大師」。となります。とても憶え切れません。弘法大使空海の創建ではないのが驚きです。神仏習合の影響も多少感じますが、浅草の浅草寺、豊川の豊川稲荷、名古屋大須の大須観音のような趣を感じました。屋台が境内に所狭しと並んでいたので散策するにも屋台の隙間を縫うように歩くしかありませんでした。八角五重塔はその中でも目立ちます。これは比較的新しい建造物のようです。川崎大師に訪れる多くの人は、「お護摩」を授かりに来るようです。厄除けのために寺社では、様々なオリジナルアイテムを用意しているものですが、ここの「お護摩」はご利益があるように経を唱えてから渡すようで、窓口には駅の時刻表示器のようなディスプレイを使って、次回の「お護摩」の経を唱える時間が表示されているのにも驚きました。こうした景色を眺めていると古来、日本では「厄」や「疫」といった災いは祓って捨て去るものだと信じられていたことを思い出します。ハレ(晴)とキ(忌)の心もそうですが、独特の文化というかメンタリティを持つ民族なんですねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桑名 多度大社に初詣

2015年01月03日 | 文化/歴史/技術
多度大社にはいつか初詣に行きたいと思っていました。でも真っすぐ向かったわけではありません。では、始めから話をします。三日の日、二人の娘は、正月から用事があって一緒に出かけることもないので妻と温泉にでも行こうかかと予定していました。しかし、今年は帰省で高速道路は混んでいそうだし、雪であちこち通行止めもあるとニュースで聞いたので近場で済まそうと考えました。適当に思い付いたのは養老にある「養老温泉ゆせんの里」。湯浴みをした後、お千代保稲荷神社でお参りする行程にしました。お昼前には到着し、鉱物臭が強い温めの源泉かけ流しに浸かり、食事をするまではよかったのですが、着替えとタオルを入れたバッグがないことに気付き、いろいろ探したけど見つからず、届けもないようなので受付で連絡先を告げてお千代保稲荷へ向かいました。正月の賑わいでごった返しだったため、荷物の紛失どころではなかったようです。中年男の下着に興味がある人がいるとは思えず、金目狙いか間違いだろうと思いました。とりかく荷物のことは忘れるしかありません。お千代保稲荷は想像通り大渋滞と大行列。何とか辿り着き、参拝列の最後尾を見届けたところで、あまりの人出にこれはいつになるのか分からないと判断し初詣はあきらめました。それで多度大社に行き先を変更したのです。お千代保稲荷からはそれほど遠くありません。もちろん、多度大社も渋滞と行列はありました。でも運良くスムースに入れました。すぐ近くには何度も通り過ぎているにもかかわらず、境内に中に入るのは初めてでした。「お伊勢参らばお多度もかけよ。お多度かけねば片参り。」多度大社と伊勢神宮は少し距離がありますが、東海道の宿場である桑名からは近く、江戸方面から伊勢参りに来る参拝者に立ち寄って欲しいツアー用のキャッチコピーが有名です。そして流鏑馬(やぶさめ)も有名です。これも一度は観たいと思っています。由緒は古く、いつからあるのかわからないほど。日本の神社は創建が不明なくらいが由緒に重みが出ます。そして多度山の麓に鎮座するところからもアニミズムを感じずにはいられませんね。石段を昇りながら、於葺門(おぶきもん)をくぐると苔にまみれた樹木に囲まれ、小さな本宮と別宮に続きます。この空間が正に厳かでとても神聖な気分にしてくれるのです。素晴らしい神社でした。初詣に相応しい場所に訪れることができてラッキーでした。帰り道、「養老温泉ゆせんの里」から電話があり、紛失したバッグが見つかったと連絡があったので引き取りに再度ハンドルを切りました。運勢は良いかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年元旦のかがり火

2015年01月01日 | 文化/歴史/技術
年が明けて2015年が始まりました。昨年は、公私共に忙しい一年でした。なんでこうなっちゃうんだろう。と、戸惑うことも多く、いい歳をしてあれこれ悩むこともありました。もちろん、今年もそうならないわけではないけれど。とにかくやることがいっぱいあったことは、それだけ新しいチャレンジができたこともあるし、ある意味人から期待されていたわけでもあると考えています。毎年、実家に帰ってそこで新年を迎えるのが慣例になっています。兄弟の家族も集まるので賑やかに過ごします。実家は同じ市内なので帰省のラッシュなどで苦労することはありません。カウントダウンで日付が変わって年越しの沖縄そばをいただいた後に、歩いて行ける神社に初詣に出かけました。雪が降るかもしれないと心配したけど天気は大丈夫でした。除夜の鐘が鳴る頃は冷たい風が吹いてはいたけれど星が見える夜空です。普段は無人の寂しい神社だけど一年に一度、火を焚いてお神酒を出してくれます。詳しくはわかりませんが、自治会の方々がスタッフとして支えているのだと思います。代々受け継がれながら毎年かがり火は焚かれ自然に人が集まってきます。寒空の中、近所の人が集まっていました。子供の頃、僕もよく通った神社にこうして訪れるのも不思議と言えば不思議な気がします。さて、このかがり火。熱と光りを放ち、人を引き寄せる力を持っています。パチパチと閉じ込められた空気が弾ける音が暗闇に響くの耳で感じ、火の粉が上昇気流に煽られて舞い上がり、冷たい西風になびいて流され消えていくのを目で追いかけました。神々しい炎の温もりが心を落ち着かせてくれます。今年はどんな年になるんでしょうね。また海で泳ぎたいと思うし、依頼が増えた写真撮影も一つ上のランクを目指したいと思っています。時間の余裕があれば行ってみたことがない場所にも行きたいと思います。それには何はともかく健康でなくてはね。同級生が亡くなった話もちらほら聞こえてきました。命あるうちに、足が動くうちに、頭がボケる前にやりたいことや行きたいところへ行かなければ、やり残してしまうんだろうなあ。でも何を先にやらなければならないのか。ゆっくり考える余裕も必要だとも思います。この辺のバランス感覚に気を留めて今年は過ごしてゆくのかな。先の心配をするよりも、先のことを気にしないで生きられるノウハウが欲しいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大谷祖廟に納骨する

2014年12月14日 | 文化/歴史/技術
妻の実家は浄土真宗大谷派です。俗にお東さんと呼んでいますよね。義理の父、義理の母、義理の父の妹さんはこの十年で他界し、葬儀と法要をきちんとお務めしています。仏教のことに疎い僕は、宗派の違いや習慣などよく分かりません。妻の実家は古い家で大きな仏壇がありますが、何でも地蔵仏のために墓を建てられないのだとか。それで遺骨を納める場所がなく、京都の東本願寺に直接納骨する必要があると聞いていました。最近、義理の父の三回忌を済ませた時、まとめて納骨したいと義理のお兄さんが言うので、本日親戚一同京都観光を兼ねて東本願寺へ車で行くことになりました。雪の心配がありましたが、関ヶ原の雪を除けばさほど影響はありませんでした。円山公園の駐車場に車を停めて歩いて大谷祖廟へ移動します。京都は若い頃から仕事で滞在することが多く慣れたものですが、大谷祖廟に入るのは初めてでした。道路から見える墓石の群しかイメージがありませんから気分も少し高揚します。円山公園から移動すると北門から入ることができます。待合室と受け付けが一つになった建物には大勢の納骨希望者が来ていました。永代経というのも意味をよく理解できませんがお経をあげてもらうことになるそうです。そりゃそうでしょうね。御影堂でお経をあげ、その後親鸞上人の御廟の前でもお経をあげてもらい無事に納骨を終了しました。義理の親戚になる僕にとっては少し複雑な気持ちですが、身内の本音はこれで楽になったということのようです。成仏せずにまだ近所をうろついているような気がしていたらしいのです。なるほど。そもそも身内の不幸である感情をいったいどこに持ち運び、どう胸に納めるのかという問題こそ供養の本義があるような気がします。自分が死んだら戒名も葬式も必要ないと思ってしまう質なので法事には一歩引いてしまいがちですが、体験する度に日本人の心について考えさせられます。午前中に終わったので、ねねの道をつたって家族と親戚で高台寺の見物をしてきました。紅葉はピークを過ぎてしまいましたが、ほんの少し残っていました。寒気のせいで底冷えのするほど寒かったので震えながら歩きます。ここも人気のスポットで外国人が喜びそうなものを展示してあったりして観光地化が進んでしました。お昼は円山公園に戻り、湯豆腐をいただきました。最近、食べていなかったので改めて京都の湯豆腐の美味しさを思い出しました。二人の娘達は初めてだったので感動してたみたいです。ご飯のお供に出た柚子大根が気に入って、帰り道に買い込んでいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橿原 耳成山

2014年10月15日 | 文化/歴史/技術
近鉄大和八木駅は、近鉄大阪線と橿原線を乗り換えることができる連絡駅です。名古屋、大阪、京都、伊勢の交点になっています。仕事でもよく利用する駅でもあります。ここからは飛鳥地方の遺跡がごろごろしていて、立ち寄ることも楽しみの一つです。和歌にも出てくる大和三山の一つ耳成山(みみなしやま)には大和八木駅から歩いて行けると分かると行ってみたくてしょうがなくなりました。暑くもなく寒くもなくちょうど良い気候です。大和三山とは香具山と畝傍山とこの耳成山を差します。地元の人に言わせると一番綺麗な形をした山だそうです。麓の公園にある池から眺めると水面に姿が映り逆さ耳成を見ることができました。富士山のような円錐形です。それもそのはず実は火山なんです。奈良盆地に火山!もちろん活動はしていませんが。先日の御嶽山の噴火は衝撃とともに被害に遭われた方々には気の毒としか言えないほど胸が痛い気持ちです。自然は統御できないものだと痛感するし、僕達は何も分かっていないんだと思い知らされました。耳成山が噴火しないと言い切れる人はいないでしょうが、山の周囲に文明を築いてしまった以上、万が一の対策がいるのではないかと思ったりします。日本の歴史は2000年とみても地球の地殻変動は数万年から数百万年単位ですから計算に入らないくらいなんですね。来てみないと気付かないことはいっぱいあります。この山は標高130M以上ありますが、麓の標高が60Mもあるので登山としては80Mくらいです。本来はもっと高い山だったそうですが、地盤が下がってこの高さになったみたいです。八合目に耳成山口神社があるというので登ってみました。(畝傍山には、畝火山口神社もあるけど漢字が「火」になっている!果たして火山との関係はあるのか?)大した距離ではありませんが、山道には違いありません。少々運動になります。テニスコートくらいの小さな境内に出ると石階段の上に拝殿がありました。手水舎には水がありませんでした。そして黒い猫が待ち構えていました。さっき池の近くでも黒猫を見かけましたが、まさか追いかけて来たのか?と一瞬疑いました。違う猫でした。その証拠に片目に怪我がありました。場所が場所だけにゾッとする猫です。逃げようとしないので肝も座っているのでしょうか。一応声をかけて挨拶をし、参拝を済ませたらさっさと下山しました。山頂付近は、近寄らない方がいいと思って。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運動会の万国旗

2014年09月28日 | 文化/歴史/技術
昨日の、御嶽山の噴火には驚きました。山頂へ登山したことはありませんが、車で行ける範囲で岐阜県側にも長野県側にもこの数年の間に訪れているし、天気の良い日には自宅からも眺めることができる愛着のある山です。被害に遭われた方々の無事を祈ります。さて、久しぶりに晴天の週末となりました。絵に描いたような秋晴れです。そして運動会です。実は、小学校の運動会に呼ばれていました。もう、二人の娘は大きくなっているので自分の子供の運動会ではありません。今年は、自治会の町内会長を務めているので来賓として朝礼台のすぐ横のテントの下で椅子に座って観戦できるのです。やれやれ。敬老会のご老人達と市議会議員等にも囲まれ居心地が良いとは言えませんでした。お茶と栗きんとんがいただけるのは嬉しいけれど、身内が誰も出場しない運動会をどうやって応援したらよいのやら。僕が、子供の頃は運動会は10月でした。最近は9月の末か5月に開催する学校が多いようです。なぜ10月だったのか。それは東京オリンピックの開催日が10月10日だったからと習った気がします。そして、どこの運動会も今も万国旗を掲げるのです。雲のない深くて高い青空に万国旗とピストルの音が運動会のイメージと重なっています。オリンピックはこうしてリフレインされているのだ。定番のクラシック音楽、カバレフスキーの「ギャロップ」も健在でした。徒競走には欠かせません。これを聴くと運動会の雰囲気が盛り上がります。ヘルマンネッケの「クラシコポスト」もいいですね。好きです。ルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの休日」もよく憶えています。他人の子供達の走る姿が美しいと思えてきました。器械体操にいたっては何をするのか分かっているはずなのに感動したりします。時代は移り変わりますした。僕の子供頃は、クラシックしか流さなかったのに、今の先生は、子供受けするものや自分達の好きなものもかけています。低学年の表現では、流行の「妖怪ウォッチ」ですからね。徒競走に福山雅治の「ガリレオのテーマ」を使うまではセンスを感じるけど、ゴールデン・ボンバーの「女々しくて」のインストはいかがなものか?と思ってしまいました。ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」は個人的に大歓迎でした。サザンやB'zも流れていましたが、同世代の選街がいるに違いないと踏みます。昼食時間になったので退席しましたが、天気が良い日の運動会で良かったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分でやれば

2014年09月20日 | 文化/歴史/技術
DIYなんて僕には似つかわしいと思っているけど「ドゥ・イット・ユアセルフ」と言われて「自分でやってみよう」と翻訳するのは推進派でしょう。それはさておき、車のヘッドライトのカバーが黄ばんで汚れていることが気になっていました。この汚れは簡単に取れるもんじゃないと思い込んでいたので放置。更にディーラーのダイレクトメールで、ヘッドライトカバーの内側のクリーニングの案内の料金を見てびっくりしたものだから、気にしなければ良いと自分に言い聞かせていました。でもあんまり汚いのでマジックリンで掃除してみたら、ほんのちょっと黄ばみが落ちました。これは何か方法があるのではないかとネットで検索してみたら、業者やクリーニングキットの広告もあれば、自分で何とかした人達の悪戦苦闘を動画で紹介するものまでありました。ホームセンターやカー用品ショップで手に入る道具と根気があれば、黄ばみが取れると確信しました。お金のある人は、ヘッドライトユニットそのものを交換すれば良い。その次にお金に余裕があるなら業者に頼んで磨いてもらう。そしてもっとも安上がりなのは自分でやることです。そもそもヘッドライトはガラスから樹脂に素材が変更されています。時間の経過とともに黄ばみが出るのは避けられないようです。つまり、汚れが付いているのではなく、部品そのものが劣化していく現象なので、磨いて削るしか解決できないものなんです。そこで僕が選んだやり方は、紙ヤスリと市販のクリーナーを併用することです。まず、マスキングテープをヘッドライト周辺に貼ってボディに傷がつかないようにします。水洗いをした後、耐水性の紙ヤスリ1000番、1500番、2000番を順番に使用して表面を磨きます。さっと水洗いすると黄ばみが取れたような気がしました。ここまでは順調です。なんだ簡単だと思っていたら、水気が引くと磨き痕が残り白く濁ってしまうのでそれを消すのに苦労しました。そこで活躍したのは市販のクリーナーです。こちらも液状のコンパウドで磨いて専用の仕上げクロスで拭き取る方法なのですが、最初は時間を置いて拭き取り作業をしたために効果がありませんでした。カー用品の店員に対応策を尋ねて、コンパウドで磨いた直後にクロスで拭き取るやり方に変更することにして、それこそ根気よく作業を続けてたら何とかクリアになってきました。新品同様にはなりませんが、やらないよりやる方が断然綺麗です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪 坐摩神社

2014年09月03日 | 文化/歴史/技術
「ざまじんじゃ」と読んでしまったのですが正確には「いかすりじんじゃ」と言うそうです。摂津の国の一宮は住吉神社ではなかったのか?実はもう一つ、一宮がありました。一国に一宮が一つではないことはよくあります。山城もそうですし尾張も二つあります。越中にいたっては六ヵ所あるのですから神話というのはややこしいものです。坐摩神社は通称「ざまじんじゃ」と呼ばれ、(大阪らしいなあ。)地下鉄御堂筋線本町駅から歩いてすぐ。伊藤忠ビルの裏と言ったほうがわかりやすいでしょう。大阪のオフィス街のど真ん中に鎮座する一宮です。僕はこの界隈をよく歩いていましたが気付きませんでした。日本一利便性の良い一宮ではないでしょうか。着いてみると人影も少なく、知る人ぞ知る神社の気配です。都会の神社にありがちなコンパクトな境内と正方形に近い敷地には拝殿と本殿の他に末社や摂社が綺麗に配置されています。入り口の鳥居が一つ。参道らしきものはありません。創建は古く、平安時代の書物に記され、秀吉の大阪城築城に伴い現在の地に遷座。渡辺という地名は苗字の渡辺の発祥となっているとか。社務所は複合ビルの一階にテナントとして入居しているし、手水舎はセンサーによる自動給水で経済面も大阪流です。神紋の鷺丸は、由緒によれば新功皇后が摂津国の鷺の群れが集まった場所に坐摩神を奉斎なされたことによるもので鷺にちなんでラン科の「さぎ草」を境内で栽培しています。ちょうど身頃でした。花の形状がまるで白鷺が飛んでいるかのようです。珍しい植物に出会いました。美しい。二礼二拍手一礼し、参拝を済ませて境内をうろうろしていると、石碑がありました。なんでも上方落語の発祥地なんだとか。初代桂文治がここで高座を開き、落語を屋外の大道芸から屋内芸能にした画期的な聖地なんだそううです。桂三枝(現文枝)氏の名義でコメントまで彫られています。更に驚くのは奥の末社か摂社で、陶磁器の灯篭がありました!鎮守の森はなく、日本庭園のような手入れされたガーデンの中では異国情緒さえ感じます。大阪府陶磁器商業協同組合の奉納だとか。更に更にその横の稲荷神社の配色は東南アジアの遺跡のようです。なんじゃこりゃ!いろんな神社を見て回りましたが個性的な神社と言えるでしょう。期待していなかった分だけ驚きが大きかったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーリズを探せ! ~麻布南部坂教会

2014年08月19日 | 文化/歴史/技術
久しぶりのヴォーリズ建築の見学です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズはそもそもキリスト教の布教活動のために日本にやって来ました。数々の建築物を残してくれましたが、教会と学校は群を抜いて建造されました。滋賀県近江八幡市に拠点を構えたこともあるのか、西日本それも神戸市から近江八幡市の間に多いことも彼の特徴じゃないでしょうか。東京に存在するヴォーリズ建築は、割合からすると少ないと思います。学校は、ふらりと立ち寄るには近づき難く、教会なら写真を撮っても迷惑でないだろうと思い麻布にある麻布南部坂教会へ行ってきました。残暑が厳しく暑い太陽の日差しが身体を差してきます。最寄りの駅は地下鉄広尾駅。六本木や麻布は何度も来たことあるけど広尾駅に降りるのは初めてでした。外苑西通りはカフェ、スイーツ屋、ブティックなどが並び、都内屈指の洒落た街並と呼ばれるあか抜けた景色が目に飛び込みます。そしてそこら中に大使館がひしめき合う土地柄で外国人の多いこと。オープンカフェの客は大半が外国人です。麻布南部坂教会は、その名も南部坂の途中に建ち、有栖川宮記念公園の向かい、ドイツ連邦共和国の大使館の隣にありました。僕は、もっと大きな建物だと思っていたので目にした時は想像より小さかったので意外でした。ふー。とにかく暑い。夏空の下、汗を拭きながらカメラを構えました。ここは現在も使われている教会であるし、南部坂幼稚園でもあるようです。僕が訪れた時間は誰もいないようで中にも入れない様子でした。坂の下から見上げると飾り気は少ないけれど大きなガラス窓が印象的です。今日は晴れていたので青い空と雲がガラスに映り綺麗でした。古臭さが感じられないので最近になって改修されたはずです。鉄筋コンクリートは丈夫なんでしょう。実用に耐えうるヴォーリズ建築の一つです。坂に直接面した階段からも入れる構造で扉の色もレトロ感出ています。錆納戸色と言うのでしょうか。(調べてみました。)砂色の塗装に、煉瓦色の赤い屋根の組み合わせはシンプルではありますが、ちょっとスペイン風にも見えますね。ところで写真を撮る時にドイツの大使館の入り口に足を踏み入れてしまいましたが、監視カメラが作動していたので怪しい人物だと思われないか心配でした。広尾という場所にはハマり過ぎのヴォーリズでございました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

濃尾大花火 2014

2014年08月14日 | 文化/歴史/技術
今年の花火は雨で延期になるのかならないのか。ぐずついてはっきりしない天気にやきもきする人も多かったみたいです。小雨決行という方針は理解できるのですが、お昼にはしっかり降っていましたからどっちなの?と言いたくなりました。ネットの情報は雨雲レーダーが一番判断し易いと評判のようでそれを見る限りは開催されるようでした。今年は、親兄弟の集まりもそれほど大人数でないため、少し早く出かけていくくらいで場所は確保できるだろうと思い早朝に場所取りをすることはしませんでした。堤防内の河川敷は予想通りぬかるんでいました。そして待つ間、雨もぱらつき、慌てて傘を差すこともありました。しかし、花火大会は予定通り無事に執り行われました。花火っていいですね。特に間近で見る花火が好きです。花火はもちろん夜空に咲く花のようなので花火なんでしょうが、聞くのも花火です。雷のたとえで言えばあの轟く音をなくしては雷の恐怖がないように花火の音をなくしてはその醍醐味は味わえないのです。濃尾大花火の一番の売りは20号が六発打ち上がることでしょう。いつもこいつが打ち上げられると観客から歓喜の声が上がります。時間もプログラムが発表されているので、打つ前から分かっているのですけど、筒から玉が抜ける音から始まり、打ち上がるまでの軌跡の火柱と飛翔音まではっきりと聞こえるので誰でも爆発前の心の準備ができます。たまりませんねえ。しかけ花火も毎年お馴染みのナイアガラの滝がありますが、もう一つ「尾西信用金庫」と花火文字が浮かび上がるのも恒例行事。また今年もか!と口に出すのも惜しいので皆で苦笑してあげるのも風物詩となっています。大袈裟に一眼レフカメラを持ち込むのも何だから、今年はコンパクトデジタルカメラで花火を撮ることにしました。持ち運びに良い一番軽い三脚を用意したのですがこれがよくありませんでした。ぬかるんだ芝生の上ではぐらつくみたいで、撮影した写真は拡大するとブレでいるものが数多くありました。やれやれ。20号花火も良かったけど、今年のスターマインも良かったです。今までにない演出だったのではないでしょうか。何花火というのか分かりませんが、新しい技が使われている気がしました。進化していますね。帰りは、帰宅ラッシュに巻き込まれないように最後の20号を二発打つ前に撤収をして引き揚げることにしました。終わり。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする