goo blog サービス終了のお知らせ 

スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

伊勢 月読宮

2010年08月30日 | 文化/歴史/技術
伊勢神宮には謎がいっぱいあって興味が尽きない場所です。日本に生まれながらも日本のことをよく知らないことに気付いたのは随分前です。ではそのミステリーに直接触れて感じることはどうかというと、それがほとんどできていないことに気付くにはそれから少し時間がかかりました。伊勢には仕事でよく来る場所なので、時間を見つけては自分の気持ちに従って歴史の片鱗に接触するのが楽しみになりました。「月読宮」(つきよみのみや)は内宮(皇大神宮)の別宮でスケールこそ大きくありませんが、別宮としては第一の別宮である荒祭宮に次ぐ高位な神宮です。月読尊(ツキヨミノミコト)は神話で言う創造主イザナギとイザナミと関係が深く、イザナギが阿波木原の河原で禊を行ったときに左目を洗って天照大神(アマテラスオオミカミ)が生まれ、右目を洗ったときに生まれたのが月読尊とさています。(鼻はスサノオ)参拝する社殿はすべて神明造りで並列に右から「月讀荒御魂宮」(つきよみのみとのあらみたま)「月読宮」「伊佐奈岐宮」(いざなぎのみや)「伊佐奈弥宮」(いざなみのみや)と並んでいます。これだけでもなんだか普通と違うなんて僕なんかは畏れ多い気がします。鳥居をくぐり、手水で身体を清めて、ミンミンゼミの鳴き声を全身に浴びながら参道を歩くと、神妙な気分が高まってきます。最近、このような寺社仏閣には若い女性がよく見かけます。ここもそうでした。男性である僕が一人でやってくることはあまりありません。そんな中、何やら風貌が変なスーツ姿の痩せた男がいるなと思ったら、一つ一つ丁寧に参拝をしながら、長々と祝詞を読み上げていました。その筋の人だとは思うのですが、雰囲気が怪しい怪しい。この手のディープな人もこれまたよく見かけます。ミステリーの一つです。月読尊は当然天空の月を表しているはずですが、それが一体どんな意味が込められてるのかはっきりしません。桓武天皇の時代には、すでに書物に載っているそうですから古いことは古いはずです。古代日本の歴史建造物には、ここに存在することははっきりしていても何のためにあるのか分からないものが多くて難解極まります。「月讀荒御魂宮」の「あらみたま」とは正常な心ではないことを意味しています。(穏やかな心を指す言葉は「和魂」にぎみたま)それがどうして横に並んでいるのか不思議です。とりあえず自分の足で確かめて何かを感じて帰るこしかできませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

濃尾大花火 2010

2010年08月14日 | 文化/歴史/技術
毎年、実家の親兄弟と共に地元の花火大会へ出かけるのが恒例になっています。朝から場所を確保しておかないと座る所さえないような混雑ぶりで、毎年準備が大変です。今年の濃尾大花火は雨の心配がありました。雲行きを案じながら、河川敷の特等席を確保しました。午後になり激しい雷雨に見舞われたので、今日は無理だろうとあきらめていました。15時の予告花火が打ち上げられたと聞いて、やっぱりやるんだと不安を抱えて現地に赴きました。今年は雨の心配でやや人出が少ない感じです。夕焼けを見ることなく始まる花火大会は、空の雲と川面に広がる霧のために、ガスが邪魔をする残念な場面が目立つことになりました。それに加えて風が吹かなかったので、爆発した花火の煙がその場で充満して次の花火を隠してしまうことも度々で、見物客にとっては不満を持つような天候でした。しかし、延期して気分が削がれるよりはずっと良く、決行した主催者側の英断には敬意を払うべきでしょう。また、悪条件の中で打ち上げなくてはならない花火職人の苦労を労う必要がある花火大会だったと思います。僕は今年で花火を被写体にしてカメラのファインダーを追うことが3年目になりました。そろそろ綺麗に撮らなくっちゃ。と意気込みを持って会場に三脚を立てました。先日購入したばかりのレンズ、ニコン24mmf2.8Dを使用する機会です。単焦点派の僕としては今年こそきちんと撮るぞと意志を固めて来ているのです。最初の年、コンパクトを手持ちで撮影して大失敗(当たり前か)し、昨年、一眼レフと三脚は用意したもののレンズは安物のズームだったので、言い訳はいっぱいできました。今年は道具を揃えて挑んだのだから言い訳無しでいきたいと思います。シャッターチャンスは煙のせいで少なかったのですが、何とか絵になる写真が数枚撮れました。どれにしようか迷いましたが、その中でも気に入ったものを掲載しています。初心者にしては、まあまあじゃないかと思ってるんですけど。でもプログラムをちゃんと見ながら写せばもっと計画的に撮れたと反省しています。今年は人気の二尺玉が6発も打ち上げられるなど、年々ヒートアップする花火大会になっています。地響きとともに炸裂する二尺玉はできるだけ近くで見ましょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国選抜長良川中日花火大会 2010

2010年07月31日 | 文化/歴史/技術
思い付きで花火を見に出かけようと妻が言い出して、慌てて支度をして家を出ました。長良川の花火は人気があって人出が多いという印象が強くて、ここ長い間足が遠のいていました。どうして急に行きたくなったのかは分かりませんが、とにかく行ってみようということになり、下の娘も連れて電車に乗りました。車は渋滞があるので断念した次第です。JR岐阜駅は花火客でごった返し状態でシャトルバスの行列がすごかったです。後から考えるとタクシーの方が早かったかも知れません。それでも開始前には現地に到着して長良川の河川敷に陣取ることができました。この花火大会は長良川の長良橋と金華橋の間で打ち上げられるために橋の間の河川敷は朝から場所を押さえておく人が多いです。にわかに駆けつけても絶対に無理とあきらめて、金華橋の外側にしました。ここなら夕暮れ前に到着しても大丈夫です。芝生の上ですから寝っころがって花火が見られます。これはイイ。ちょっと距離があるけれど楽しめる位置でした。写真は撮りましたが携帯電話ですからね。夜は駄目です。固定するものが自分の膝ですからブレるブレる。でも適当に場所を見つけた割にはいい所でした。この長良川の花火は大玉は用意されていません。最大で4号玉です。ですが、打ち上げる花火の数は多く3万発です。スターマインの迫力は一度見て欲しいと思います。間近で見るともっと迫力あったでしょうね。創作花火も面白い物があります。豚の顔が幾つも出ましたが、一体どうやっているんでしょうね?色も黄色や黄緑など微妙な色彩が現われたりして、職人の技を楽しんできました。帰りの混雑を避けるために早めに帰ることにしました。僕はタクシーに乗ろうとしたのに、「歩いて駅まで行こう。」と妻と娘に意見をねじ伏せられて暑い中歩きました。本当に暑い。でも意外と歩けるもんですね。ちょっとビールを一杯。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧島 霧島神宮

2010年06月16日 | 文化/歴史/技術
天孫降臨に大和朝廷、もしくは日本建国の大きな秘密があるはずだと最近考えるようになりました。天孫降臨の現場は高千穂の山頂で天逆鉾が突き刺さったように立っています。天上の神「アマテラスノオオミカミ」の孫「ニニギノミコト」が降り立った場所の近くには「高千穂神社」があり天孫降臨関係の最古の神社だそうです。「霧島神宮」は少し後に創建され、場所を山から移して現在の場所に落ち着いたようです。神宮と呼ばれる神社は数が少なく、由緒も重いような気がします。「霧島神宮」は「ニニギノミコト」祀る神宮で場所が場所だけに参拝する僕も緊張しました。またしても龍馬とおりょうが絡んできて、記録では天逆鉾を見た二人はここ「霧島神宮」に立ち寄り宿泊したとされています。ですからここでもカップルのデートコースであり、団体のバスツアーだって無視はできない観光スポットになっています。平日の夕方ですから比較的空いてはいましたが、同じタイミングで団体客と一緒でした。おかげでガイドの話を小耳にはさむことができて得しましたけど。入り口には「さざれ石」の現物がありました。国家「君が代」の歌の歌詞に出てくるあれです。この目で初めて見ました「さざれ石」。岐阜の揖斐川産です。石が岩になるわけないだろう。と笑っていましたが、石が雨水と石灰で固まったものだそうです。苔が生えるまでには長い年月がかかり・・・国がいつまでも栄えると願ったことが分かってきました。さて、境内はすっきりしています。本殿、拝殿、勅使殿が整然と重なるように並び、大杉の御神木、手水舎など間を置いて配置され隣に神楽殿がひっそりとしかも堂々と建っています。朱塗りの社殿は鎮守の杜に映えるように美しく、よく見ると日光東照宮のように動物の彫り物も施してありました。二拝二拍手一拝。ここは余計なものが何も無くて気持ちがとても良くなりました。清々しい。やかましく賑やかな神宮、神社とは何かが違う神秘に満ちた神宮でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧い駅舎 嘉例川駅と大隅横川駅

2010年06月16日 | 文化/歴史/技術
前から気になっていた駅舎がありまして、今回久しぶりに鹿児島へ来たついでに足を運んでみました。今では立派な観光地になってしまった旧い駅舎です。JR肥薩線は鉄道ファンが憧れるローカル線の一つで100年以上の歴史を持つ路線です。僕が鉄道ファンではないと声を大にして言い張りますが、一眼レフを持ち込んで写真を撮ってたらそうは思わないでしょうね。掲載した写真はいつもの携帯電話のカメラで撮影したものです。嘉例川駅と大隅横川駅は同い年の駅舎で場所も割と近い所にあります。車で移動ししながら続けて見学してきました。最初に訪れたのは嘉例川駅でした。静かで長閑な田舎の旧い駅に触れたいと思ってやって来たのですが、僕が到着した途端にマイクロバスで大勢の観光客がどやどやと降りて来て、観光列車「はやとの風」に乗り込む前の説明が拡声器を通して始まりました。話が終わると大急ぎで弁当を配り始めたのです。えらい時に鉢合わせちゃったなあ。とぼやきながらもホームに上がり、しっかり写真は撮らせていただきました。待ち合い用のベンチ、切符売り場の窓口、改札口・・・。明治36年に建造された当時のまま残されています。駅って心の故郷になり得る何かがあるんですね。今度は大隅横川駅に行きました。嘉例川駅より大きくて明るいイメージです。僕の好みとしては嘉例川駅かな。ここにはグラマン戦闘機の機銃弾の跡が残っていて戦争の歴史にも出会えることができます。面白かったのは老夫婦がスバル360で乗り付けて(しかも駐車場を無視して真ん前に駐車して)観光に来ていたことです。熊本ナンバーだから旅行でしょう。足の悪い奥さん(多分、愛人かも?)と一緒でした。僕がカメラを向けていたことを見ていたらしく、もの凄い熊本弁訛りで、声をかけてきました。「今、撮ったでしょ。どこが懐かしい場所なの?」聞き取りにくかったけどおそらくそんな意味だったはずです。親切に教えてあげたんだけど、聞き終えるとすぐに無視してフィルムカメラで撮り始めました。ありゃ。しっかり夫婦で見学したら、まだ現役のスバル360に乗り込み、ぶぼぼぼぼぼぼぉと白煙をまき散らしながら去って行きました。その合間に駅舎と一緒に撮らせてもらって、僕としてはラッキーでしたけど。ナビもなければハイブリッドでもない車で旅をするなんてあの老夫婦は粋でした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩 松下村塾

2010年05月30日 | 文化/歴史/技術
萩に寝床を決めた理由は、一度「松下村塾」へ行って見たかったからです。幕末維新の歴史に興味を示さない日本人は余程のひねくれ者か超がつく現実主義者ぐらいで、大抵は近代日本の礎を築いてきた人物たちの偉業に敬意を払い、自分達が暮らす現代があることを知るはずです。しかしながら、この僕も特にこの時代に心酔して崇めるほどの歴史人を持つわけではなく、あくまでも歴史の再認識をしておきたいと考えた旅でした。歴史は書物から学べば済むと思うことは間違いだと悟るようになり、こうして現場に降り立ち、見て触りそこで暮らす人に触れたほうが遥かに身に付くと感じています。朝早く起きて、車で向かいました。今日も天気が良く素晴らしい朝でした。「松下村塾」は吉田松陰を祀る「松陰神社」の境内の中に保存され、入り口には「吉田松陰歴史館」があります。まずはその歴史館で吉田松陰の生涯を振り返ってみました。中は蝋人形で制作された実物大のジオラマがあり、松陰の人生が場面ごとに表現されています。その蝋人形があまりにも良くできていて、生々しさがひしひしと伝わってきました。投獄され囚人となった松陰の蝋人形は本物みたいで見ているこちらが幕府の役人になってしまう感じがしてちょっと恐いくらい。こうして全体をみると松陰の人生は波乱万丈そのものです。それと安政の大獄で斬首され没したのはわずか30歳だったとは大きな衝撃でした。本で読めばわかることながら、こうして実際に見た小さな「松下村塾」に門下生が集まり、身分の差なく平等に教えを広め、その門下生に慕われながらも、こんな片田舎の果てに住む30歳の男が若くして国家に命を奪われるなんて当時の世の中が荒れていたに違いないと思わざるを得ません。たとえ国家反逆罪だとしても「松下村塾」がそれほど脅威だったのかと疑問さえ持ちます。その後に門下生から高杉晋作、伊藤博文、山県有朋といった英傑が輩出されるわけですが、松陰の死が無駄にならなかったことが日本の歴史の誇りかも知れませんね。実際に現場に行ってみなければ分からないことがあるものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白洲次郎と正子の世界展 ~風の男と韋駄天夫人の物語

2010年05月27日 | 文化/歴史/技術
名古屋駅前のJR高島屋百貨店の特別催場で「白洲次郎と正子の世界展」が開催されています。知人から招待券をいただいたので一人でひょいと覗いてきました。僕は白洲次郎という人物に惚れ込んだと他人に言いふらすほど好きですし、正子夫人にも興味があります。この展示会で一部を再現した「武相荘」(ぶあいそう)にも訪問していますし、メールマガジン「武相荘だより」も愛読しています。次郎が提唱した軽井沢ゴルフ倶楽部で着用できた「PLAY FAST」のレプリカTシャツだって持っています。昨年、NHKで放映されたドラマスペシャル「白洲次郎」も喜び勇んで観てました。百貨店の中の仮設スペースですから、パネルに飾れる写真やら、遺品等が中心になってしまいます。一通りのプロファイルやエピソードを脳裏に焼き付けているので、再確認するものが多かったとは言え、僕にとっては新しいものにも触れることができたので、それだけでも満足のいくイベントでした。その一つがトヨタ自動車の二代目ソアラの開発秘話です。白洲次郎が助言をしたソアラの開発話そのものは良く知っていましたが、当時の社長、豊田章一郎氏に送った直筆の手紙を読むことができて嬉しかったです。文面に次郎の人柄が出ていて面白いと思いました。「この車の後部座席はサギです。」はあまりにも有名ですが、ちゃんと「とんだ人間をMonitorにしたものですね!!」と添えてあるのを発見しました。また、仲が悪いとされたマッカーサー元帥に自作の椅子をプレゼントしていたなんて知りませんでした。この度、マッカーサー記念館で保存されていたことが判明し、お披露目となりました。背もたれに星形にくり抜いた穴が5つあるユニークなデザインで次郎の大工の腕が垣間見ることができました。白洲次郎を思う時、彼と比べたら足下にも及ばないと感じながらも、少しでも近付きたいと思える不思議な気持ちになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎 亀山社中に行くぜよ

2010年05月18日 | 文化/歴史/技術
あ・あ・あ・あ~長崎ぃ~わあ~~今日も~あ・めーだぁたア~。こんな歌歌ったら年がバレるかも知れませんが、そんな歌も思い起こさせてくれるような雨が長崎には降っていました。仕事が長引いてホテルに戻り、日没までにはまだ少し時間があるとふんで坂本龍馬が始めたとされる日本で最初の会社「亀山社中」を一目見てやろうと出発しました。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にあやかって長崎市内は龍馬、龍馬、龍馬でした。主役が長崎出身ということもあるのでしょうが、やり過ぎではないかと思うほどです。商店街の靴屋には龍馬が履いたブーツのレプリカまで売っていました。市電の思案橋駅から傘を差しながら歩いて、まずは「風頭公園」へ向かいます。長崎は坂が多いと知っていながら、こともあろうに僕は「ヘイフリ坂」を選んでしまったのです。時間がないと思って一番近いルートを地図からプロットしたつもりが、これがとてもキツい坂で登りきったら疲れてへとへとになってしまいました。おりからの雨でびしょ濡れにもなるし、もう大変でした。何とか龍馬像に辿り着きましたけど、がらんとして寂しい限りです。腕組みした龍馬は長崎港を眺めていますが、辺りは薄暗く日本の夜明けのイメージではありません。判断力を無くした僕は道に迷いながら「亀山社中」へ行きましたが、時間切れで施設には入れず、資料館もシャットアウト。門だけ見学させていただきました。会社勤めをする人として一度くらいはこの日本最古の会社を拝んでおきたいと思っていました。しかし、残念。「龍馬通り」なんて名前が付いて観光名所を案内していますが、住民の生活道路でもあるので、ここに住む人はこんな狭くて急な坂道を毎日歩いているんだと思うと僕には住めそうにないですね。地元の人から長崎には自転車屋がないと聞きました。自転車に乗れない人も多いとか。歩いてみればわかりますが、自転車は無理です。近くの「龍馬ぶーつ像」にも寄ってみました。実際、靴を履いたまま履けるみたいですが、雨で濡れていましたから止めました。舵を握れば龍馬のように海軍に入隊した気分が味わえるはずです。雨じゃなかったら良かったのに。と、ちょっと恨めしい天気の長崎でした。でもこんなで弱気になっちゃらいかんぜよ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菖蒲湯

2010年05月05日 | 文化/歴史/技術
「しょうぶゆ」と聞いて今の小学生くらいの子供達は何も思い浮かべるのでしょう。「勝負油?」きょとんとした眼の子供の顔が浮かびそうです。今日はこどもの日でした。端午の節句です。端午の節句と言えば、ちまきや柏餅を食べて、鯉のぼりを立てて鎧兜を飾り、柱に傷をつけて背くらべをして、最後に菖蒲湯に浸かる。と全国行事として決まっていたはずなんです。・・・よね。僕の子供の頃は、広い庭が無かったのかお金が無かったのか鯉のぼりは立ちませんでしたが、ちまきや柏餅を食べた記憶はあります。鎧兜は小さいけど、母方のお爺ちゃんに買っていただいたものがあり毎年飾られました。ミニチュアの侍刀と、同じくミニチュアですが鯉のぼりのようなものもセットであったはずです。母は成長したこの僕に「小さい頃はあんたこれを見て鯛のぼりって呼んでたのよ。」と面白がって教えてくれたものです。背くらべは確か油性のマジックだったような・・・。そして菖蒲湯はよく浸かりました。それはごく当たり前の行事でした。夜、お風呂に入ろうとしたら今年は菖蒲が入れてあったので、思わず懐かしいことを思い出してしまいました。我が家は初めてではないけど、久しぶりのような気がします。おかげさまで、口を開けば父親に向かって高飛車な態度をとるほどすくすく育った娘二人に恵まれて、こどもの日にその成長を祝い、病気や怪我をしないようにと願う親の気持ちがわかるようになりました。普段は神社でお参りする時くらいしか願をかけませんが、端午の節句にこそ子供の健康を考えるいい機会でした。実は、上の娘が先日学校で体育の授業中に指を骨折して、手術をするのか固定したままで治療するのか。明日は、医師の判断を頂戴する日でした。菖蒲湯に浸かったからといって、たちまちどこか身体に影響が出て治癒に向かうなんて思ってないけど、こうして湯船に菖蒲を束ねて浮かべ、菖蒲湯に入れてあげることで健康になって欲しいという願いは伝わっていくものだし、たとえ気が付かなくとも将来親になる身になれば、やがてその意志を受け継ぐこともあるだろうと思いました。菖蒲湯の効果なんて知らなくても良いし、どうでも良いことです。理解をしなくても納得できることが世の中にはあるんです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪 通天閣

2010年03月26日 | 文化/歴史/技術
まいどっ!おおきに!よおーこそ大阪名物、通天閣へ。大阪ゆーたら、通天閣。通天閣ゆーたら大阪。大阪に通天閣があるっちゅーのはどなたでも知ってます。近所の子供もオジさんもオバさんもジイちゃんもバアちゃんもみーんな知っています。それくらい有名やさかい見たことくらいあるやろうと思います。展望台まで昇ったことないちゅー人がおるやさかい、一度昇ってみんしゃい。地下鉄堺筋の恵美須町駅の出口三番の階段を上りきると、バアーンといきなり見えますやろ。ものすっごいええ建物でっしゃろ。のすたるじっくっちゅーか、異様ちゅーか、なんかこうカッコええでしょ。正に新世界でしょ。もともとは大正時代に上はエッフェル塔、下は凱旋門なるけったいな建造物が初代で、戦争で焼けたために今のは昭和31年に造り直した二代目なんです。設計した人がおんなじ、ゆーことで、アニキが名古屋テレビ塔、弟が東京タワーちゅーことになります。高さが103.3メートルでアニキよりも弟よりも一番小さい塔になります。ゆっくり上がるエレベータで展望台までどーぞ。記念に通天閣のペーパークラフトがお土産に付いてきます。気前ええでしょ。あ、エレベーターガールにイタズラせんといてや。さて、360度どこを見渡しても景色は大阪の街やで。ほんま。ほんまの大阪の街が見渡せるえー景色でっしゃろ。昔とちごーて、この通天閣より高い建物はゴロゴロありますけど、展望台から見る大阪の景色はまた格別やと思います。天王寺動物園のシマウマもキリンもよー見えますやろ。それから忘れたらアカンのはビリケンさんや。ビリケンさんは通天閣の守り神や。ビリケンさんにお参りして幸運もらって帰ってください。それからもう一つ、通天閣に昇って大阪の景色楽しんでもらいましたら、是非、新世界の商店街で大阪名物食べていただいて、後は気ぃ付けてお帰りなってください。新世界界隈から見上げる通天閣も風情があってよろしいでぇ。ほんま大阪のシンボルですな。えっ?通天閣は何する建物ですかって?そんなもん知りまへんがな。・・・こんなガイドさんがいたら面白いと思うんですけど。



通天閣 公式サイト
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする