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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

京都 岡崎神社

2011年01月04日 | 文化/歴史/技術
2011年が明けました。そして今年は卯年です。あの可愛らしい耳の大きな小動物の年になりました。兎にちなんで今年は跳ねるとか、聞く耳を持ちましょうとか、目が赤くなるまで酒を飲みましょうとか(そんなこと言わないか。)まあ今年の運勢を占ってみるのも面白いかもしれません。京都に兎にちなんだ神社があると聞きつけ、卯年の正月に参拝するのも良かろうと思って出向いてみました。場所は岡崎にある「岡崎神社」です。かの有名な平安神宮のすぐ近くです。明けて4日目ですからね。人の出は減っているようで京都市内も静けさを感じるくらいでした。それでもここ「岡崎神社」は今年は注目されているみたいなので参拝客は詰めかけていました。僕はこの神社のことをほとんど知らなかったので、現地へ行ってからその由来を知ることになりました。桓武天皇が794年に平安京に遷都した際、王城の守護のために建立された社が始まりで、厄除けが本来の目的だったようです。この辺りは兎が多く住んでいたところから兎が祀られるようになり、兎のレリーフが狛犬の台座にあったりして古くから兎信仰はあったのです。兎は多産なので「岡崎神社」のご利益は安産となっています。というわけで境内の中は兎のキャラクターが満載です。手水では真っ黒な兎が鎮座して、それに水をかけると子に恵まれるとされています。参拝者はしきりにカメラで写真を撮っていました。(僕もその一人です。)親に言い掛かりのような文句を言ったり、どう考えても無駄だと思う洋服を買って金をふんだくる娘が二人もいるのに、これ以上の子供は必要もなく充分だと考えている僕には、黒兎に水をかける用事はありませんでした。それにしても拝殿に行列ができるほど人がやってきていますが、安産祈願の人ばかりではないようです。なにせカメラを持った人が多過ぎて所々に兎キャラクターがあるものだから、そこら中でそのキャラクターと記念撮影していました。パワースポットが流行っているので神社に人が集まっているとは聞いていますが、こんな小さな神社でも兎がらみだけで賑わうところをみると、お安くレジャーを楽しみたい人が増えたんだと思います。だって入場料は要らないしお賽銭は自分で値段を決めるんですもの。

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名古屋 山田天満宮

2011年01月01日 | 文化/歴史/技術
元旦早々、家族で神社へお参りに行きました。今年は娘が二人とも受験なので神頼みをするためです。神頼みをしなくてはならないのは、本人の頭の出来が悪いからで、もっと付け足すと、その分努力して勉強していないからです。だから神様にお願いしておかなくては受かりっこないんじゃないかと思うのは親心。神様から見ていたら、出来が悪いのは親に原因があるだろう。お前の子供なんだから、しかたがないだろう。と、ありがたいお言葉が聞こえてきそうです。両親揃って神頼みで、ご本人達もそれにあやかろうとしている不届き一家です。近場でいいんじゃない?と軽い気持ちで選んだのは名古屋にある「山田天満宮」です。実はもうすでに一回ご利益に授かっています。効き目があるに違いないと確信している気持ちもあれば、前回のお礼もするべきだろうという気持ちもあってここにしました。(願いが叶ったらすぐに報告するべきだったかな。神様怒ってないよね。)僕の住んでいる地方では学業の神様はあまりいなくて、「山田天満宮」は小さいながらも藤原道真公を奉る北野天満宮から勧請されているそうで人気があります。絵馬に具体的に志望校を書いて合格祈願をする参拝者が後を断ちません。我が家はお賽銭は出しましたが、御守もおみくじも絵馬も書かず出てきました。でも牛にはしっかり触れてきました。牛を撫でることは一番重要ですからね。僕も撫でちゃいました。牛を撫でると合格できると謂(いわ)れがあるからです。こうしてお参りをすると心構えができ上がっていくんだろうなあ。と思いたいけど、娘達の様子を見ているとそうでもないんだよなあ。帰り道のショッピングでどの服を買おうかそのことだけが頭の中をぐるぐる巡っているとしか思えません。邪念ばかりで大丈夫なんだろうか心配になってきます。でもなるようにしかならないか。蛙の子は蛙だもんね。
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年明けのかがり火とソーキそば

2011年01月01日 | 文化/歴史/技術
今年は昨年と同じような雪が降る寒さでした。僕は、年末年始は実家に帰って過ごすことにしています。その時の楽しみの一つが年越し蕎麦ですが、日本蕎麦じゃくて弟の奥さんが作る沖縄そばです。沖縄出身の人なので味付けは間違いがありません。食材の中で唯一、手に入り辛いのが麺ですけど、住んでいる近所で偶然手に入るみたいで難なく用意ができるみたいです。(僕の住んでいる近所のスーパーには売ってませんが。)今年は「ソーキそば」を作ってくれました。ソーキとは骨付きの豚肉を煮込んだ物で角煮のような味付けのものです。沖縄そばにソーキを載せると「ソーキそば」になります。うん。やっぱり美味しいですねえ。これを食べないと年を越せなくなってきました。除夜の鐘が鳴る頃に食べ始め、カウントダウンをして、子供達にお年玉をあげたら、初詣です。僕の実家は隣が神社なので、娘達を連れて寒さ堪えながら出かけました。普段は人気の無い寂しい神社で、誰もいません。それに有名ではありません。子供の頃はよく境内で遊んでいた懐かしい場所です。毎年、年越しにかがり火を焚くのでその時だけ人が集まってきます。僕が子供の頃もかがり火はいつも焚いていたので、古い習慣があるのかも知れませんが、よく分かりません。(それにしても太い丸木がごろごろしてるけど、どこで見つけたんだろう?いつもは廃材を利用していたはずですが・・・。)火は不思議な力があって人を惹き付ける魔力があります。今年は何故か係の人が幾人かいて、お神酒を振る舞っていました。参拝を済ませ、せっかくなので一口いただきました。僕はこのところ知れ渡る神社へ行って参拝をするのが好きになりましたけど、地元の名も無い神社で正月を迎えるのも悪くないなと思いました。かがり火は燃えたぎり、時折ばきばきと小枝が折れる音が聞こえます。顔が熱くなるほど近付くと、激しく舞い上がる火の粉が危ないくらいなのに離れられません。夜空に舞う火の粉はとても神秘的でした。近所の人が集まるだけの静かな初詣でしたが、何だか嬉しく感じました。

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奈良 春日大社と鹿

2010年12月28日 | 文化/歴史/技術
今年も残りあとわずかとなってまいりました。皆さん忙しくされていることでしょう。僕は何故か奈良に来ています。(何故ってこともないけど。)もちろん仕事です。すっかり寒くなってきて、ここ奈良盆地は内陸性の冷え込みなのか寒かったです。朝は少し温かくなってきて、朝日も穏やかな輝きを放っていました。少しだけ時間があったので奈良公園を散策しながら春日大社へ行ってみました。春日大社は縁結びで有名なので結活でもしているのかと誤解されそうですけど、特に大きな意味はありません。行ったことないからです。東大寺も正倉院も興福寺も唐招提寺もあるんですけどね。若草山は修学旅行でしたっけ。一の鳥居を抜けると右手に飛火野が見えてきます。鹿の群れは朝ご飯なのか、しきりに地面に落ちている何かをむさぼっていました。奈良の中心地は観光客で賑わうはずですが、この日は人の出は少ないようです。それもそっか。朝ですし。何とも言えない気怠さのある一時です。鹿はいたるところにいて、人慣れしているせいか、初対面の鹿は大抵目を合わせて少し近寄ってきます。ですが、鹿せんべいを持っていないことを悟るとすぐに興味を失うみたいで離れていきます。こいつに付き合ってもシカたがないとでも考えているんだろうと思います。その見極めは早く、餌をくれないと判断した途端にシカトします。愛嬌もありますが、過剰なサービスはしてこない動物です。シカったりしてはいけません。でも開店前の鹿せんべいの売り場でたむろしている鹿達はちょっとがめつい魂胆が透けています。そうだそうだ。春日大社にお参りするんだった。鹿を尻目にして、なだらかな坂を登りながら参道を進むと朱色に染められた南門に辿り着きます。春日大社と言えば回廊ですね。本殿もそうですが朱に染まった建物は神々しい限りです。今は修繕工事の最中で本殿には近付くことができませんでした。残念。仮の拝殿として賽銭箱が用意されています。ちゃっかりしていますね。(当然か。)世界遺産の一つに触れられた喜びはありますけど、ここで縁結びの祈願もないのですから、ただただ無心になって拝んできました。今年も無事に過ごせるように。


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橿原 神武天皇陵

2010年12月27日 | 文化/歴史/技術
遷都1300年の奈良に今年は何度やって来たことか。年末も差し迫った今日、仕事で奈良へやって来ました。時間に余裕があるわけではありませんが、畝傍山にある「神武天皇陵」へ足を向けてみました。近鉄畝傍御陵前駅から歩いてすぐです。ここは畝傍山という低い山の麓に「橿原神宮」と「神武天皇陵」があるのですが、時間がないために「橿原神宮」は参拝せずに直接「神武天皇陵」だけ参拝しました。参拝?鳥居があったので参拝してしまったけど、御陵は墓ですからね。これでよかったのかな。雪が降り出しそうな寒さの中、誰もいない境内に入ってみました。入り口には宮内庁からの触書があって、一、みだらに境内に立ち入らぬこと。一、魚鳥等を取らぬこと。一、竹木等を切らぬこと。と書いてあります。中に入って良いものかたじろぎそうです。参道のような広い砂利道を歩くとしばらくして鳥居が見えます。ここが陵入り口のようです。正確には「畝傍山東北陵」(うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ)と読む難しい聖地なんです。僕は、最近になって日本とか国とかに興味が出てきた遅れた歴史好きなので、天皇陛下が神に祈ることを行事として古来から受け継いでいるなんて知りませんでした。だから、架空と言われている初代天皇である神武天皇の陵が存在し、管理されていることに何かこの国の秘密が隠されている気がしてなりません。「橿原神宮」が明治になって建立されたとか、古墳はあるけど神武天皇のものではないとか、そんなことより神武天皇が即位した「橿原宮」がこの辺りにあったであろうというだけでも面白く感じます。畝傍山には何かあるんでしょうね。手水があるので手を清め、(野ざらしで雨水が入るので口には無理。)鳥居の前でお参りをしましたが、神妙な気分になりました。静かです。薄気味悪いくらい。一人で佇んでいると、スーツを着た年配の方が現れ、手水で手を清め、鳥居のまで参拝しまた去っていきました。動きが美しいのできっと宮内庁の方でしょう。何も語らず居なくなりました。記紀の記述は信用できないと思われる人も多いでしょうが、僕にはこのところ自分が何者なのか知りたくて、こんな古代の話まで引っ張り出して自分を結び付けようと努力しています。たとえば何かの折、僕が和(なご)みを求めたとします。和(なご)みとは何か?大きな和と書いて「ヤマト」と読ませて建国した国に生まれたことに何か遺伝子的な運命を感じるんだけど、気のせいかなあ。

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横須賀 記念館「三笠」

2010年10月13日 | 文化/歴史/技術
NHKドラマ「坂の上の雲」第二部が12月に再開します。第一部を熱心に妻が観ていたので、僕も一緒になって観ていました。司馬遼太郎の原作を読んでいないために映像により頭に入ってくることになりましたが、その前に「司馬遼太郎の考えたこと」の中にこの作品の背景などを綴った随筆を読んでいたので思い出しながら楽しんでいました。明治時代の近代化する日本の歴史を扱う長編小説で、司馬遼太郎の史観などが織り込まれた影響力の大きいドラマだと思います。生前、司馬氏が映画や演劇にすることを拒んだというくらいですから、今でも戦後の問題を含めて観賞せざる得ない作品でしょう。この話の重要な出来事に日本海戦があります。実際に日露戦争でバルチック艦隊を打ち破った「三笠」の現物をここ横須賀に保存してありますが、ドラマの中では別の船として秋山真之が乗り込んだ時のロケ地としても使われたようです。そんな生々しい遺跡があると前から知っていたので、この目で見てみたいと思っていました。今日じは仕事の合間をぬって、のこのこと京急電車に乗ってやってきました。平日ということもあり、それほど混んでいませんでした。三笠公園では東郷平八郎司令長官の銅像が観光客を出迎えてくれます。全長122M、排水量15140トンという大型の船で明治時代に活躍した旧タイプではありますが、威厳を放ち停泊するように保存されています。入場料500円を払って中を見学してきました。いいえ、乗船して参りました。石炭でボイラーを焚き、蒸気でレシプロエンジンを回してスクリューで航行するしくみで甲板から突き出す二本の図太い煙突が印象的です。それと数々の砲台。実際に甲板を歩いて廻ると船に乗り込んだよう気になります。ちょうど戦争体験があるに違いない年配の団体と鉢合わせになり、彼等の多くは、はしゃぐように船内のいたるところを手で触り、仲間達に何かを教えるように大声を出して笑っていました。僕は戦争をよく知らない世代ですが、その名残のようなものを感じることはできる感じがしました。そして彼等には彼等なりの言い分があるような話も耳に届いてきました。船内はとても広くて、船の中なのかと疑うほどでした。海軍はイギリスから学んだためにルールも風習もインテリアも食事も貴族的だと聞いたことがありますが、バス・トイレ、調理場、食堂、館長室など見渡すと、まるでホテルのようでした。決して戦争を正当化することはしない僕ですが、歴史は現代とつながっていることは忘れてならないと思うので、このような遺跡を残す努力には敬服しています。



記念館「三笠」 公式サイト
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名古屋開府400年記念 名古屋大茶会

2010年10月10日 | 文化/歴史/技術
昨日まで雨足が悪く、今日も雨模様と思っていたけど、朝から晴れ間が広がり秋晴れの良い天気なりました。今年は名古屋開府400年を記念して名古屋市内ではいろいろなイベントが行われています。この連休は名古屋城にて野点のお茶会が開かれることになり、一服いただきに来た次第です。僕がお茶を嗜む?まさか。それほどお茶には精通していません。この茶会、最近の歴史ブームや戦国武将人気にあやかって戦国三英傑を町起こしに使っているあたりだと思われますが、秀吉がその昔に京都の北野天満宮で開催した大茶会を真似てみたものです。堅苦しくなく、野点で家元や流派を問わず、客人も身分の分け隔てなくお茶を楽しむという趣旨です。そこへ何故僕が出かけることにしたかというと、このイベントでお茶を点てることになったと友人の細見純子さんからお誘いがあったからです。彼女は裏千家インターナショナルの幹事で海外に出かけてはお茶を点てている人物です。裏千家インターナショナルの茶席は、数ある茶席の中でも異色のセットでした。普通は畳に赤い傘を思い浮かべますけど、そうじゃないんです。海外に日本のお茶文化を広める活動をしているため、その茶道具は海外のものを使っています。大体、黄色い傘も異様でしょ?これはプヨンと呼ばれるバリ島のものです。花は秀吉にならい、ひょうたんに生けてありました。当の細見さんもベトナムの民族衣裳を着てるものだから手相占いでもするのかと思ったくらいです。では僕もお茶の心を意識してちゃんと正座をしてお茶をいただきました。お茶を点ててくれた人はサリーを着ていました。ここだけリトルワールドになっています。僕は丹波の黒茶碗でしたが、一緒にお茶をいただいた方々へは多国籍な茶碗でお茶が出ました。イタリア製の抹茶茶碗なんて初めて見ましたよ。お茶菓子に使う器もどこだっけ?ベトナム?ウズベキスタン?茶杓はスイス人が製作したもの。振出はエジプト製・・・・。外国人観光客には受けるのかなあ。お茶は妙香園の「葵の白」でお菓子は両口屋だから口に入るのは和製だからいいのか。それにしても晴れて良かった。秋晴れの空の下で野点ですからね。気分はいいです。でも有名女子大や高校の茶道部の茶席もたくさんあったので、ちょっと心残りだったかな。どうせなら女子大生や女子高校生のお点前の方が美味しそうな気がするけどね。あっ。これじゃ茶の心がわかってないと怒られそう。


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大阪 四天王寺

2010年10月06日 | 文化/歴史/技術
大阪の天王寺という地名は知っているし、そこに「四天王寺」があることもぼんやりですが頭に浮かびます。今日は近くに泊りの用事があったので一目見るだけでもいいかと上本町から歩いて出かけてることにしました。市街地の中に埋もれるように残されたお寺ですが、五重塔が見えると古の風景が蘇るような気がします。「四天王寺」について詳しくは知らないことばかりでしたが、勉強するいい機会になりました。説によると「四天王寺」は聖徳太子が建立した日本最古の官寺だそうです。古代の話です。崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争い、蘇我氏側に付いた聖徳太子が勝利祈願した四天王を安置するために創建したそうです。このあたり僕としては興味深い時代なので、その歴史の片鱗を目の当たりにできて満足しています。また、公共事業として無用の長物にしないためにもここには「敬田」(教育施設)「悲田」(孤児院・養老施設)「施薬」(薬草園・・製薬工場?)「療病」(病院)といった四箇院が設置されていて国家事業としての社会教育、福利厚生を担っていたのだそうですから驚きました。でもそうやって国民を納得させて国を治めたんだと思うと現代人の僕でも理解できます。そうそう、敷地内には天王寺学園がありますね。「敬田」は残っているんです。もう一つ心惹かれることはこの「四天王寺」も建立を手がけた「金剛組」の存在です。百済から渡来して聖徳太子の命で技術者として創建に携わった初代金剛重光は、その後も日本に定住し、その子孫が今も宮大工として受け継がれていることです。これは凄い。「金剛組」は現在39代目。1400年以上も続く日本最古の請け負い会社でもあります。びっくり。数年前に建設会社のグループ傘下に入ったとは言え、これだけ続けられてきたことは奇跡に近いです。「四天王寺」も全体が完成するまでに100年以上かかっていて、初代の子供や孫が受け継ぎながら建設したそうです。まるでアントニオ・ガウディのサクラダ・ファミリアのような話じゃないですか。百済や新羅から渡った技術や文化が日本建国に大きな影響を与えたと僕は考えているので、歴史的にも興味深い遺産です。

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奈良 平城宮跡 復元された大極殿

2010年09月21日 | 文化/歴史/技術
平城遷都1300年祭ですからねえ。奈良に来るとちょっぴり気持ちが高まるんです。今年は何度か奈良に来ていますけど、平城京跡に復元された大極殿を見たくて再訪してきました。前回はまだ、工事中で見学できなかったし、周囲も何も開発されていなくて車で平城宮跡を縦断することができました。今日は観光シーズンを迎えて、平城宮跡会場は大型の駐車場を完備し、トイレ、休憩所、案内所、土産屋、歴史館、広場などメイン会場として充実した施設とスタッフが待っています。何もなかった原っぱのままの平城宮跡もそれはそれで良かったけど、こうして朱雀門と大極殿を復元して盛り上げているのも中々眺めが良いです。駐車場に車を停めて、まず朱雀門へ向かい門をくぐってみます。太古の空間を感じながら・・・と目の前に現われたのは電車?ありゃりゃ。近鉄奈良線です。営業中の近鉄車両が横切って行きます。現役の私鉄路線がここ平城宮跡を突っ切っているのはいささか不似合いですが、電車好きにはたまらない光景でもあります。考古学ファンだったら、どうにかできなかったのか。と、疑問を持つような気もしますが・・・。線路を引き込むときの史跡の価値って今とは違っていたんでしょうね。気を取り直して宮内の近鉄の踏切を渡り、大極殿に向かいます。この時代の史跡はどれも大きいので、てくてくと歩くことになります。それにしてもこの広いスペースを歩くのは楽しいことです。ぽつんと建っている大極殿も空に映えるようで立派でした。でかいなあ。と当時の人も思ったでしょう。天皇の力を示すために建造されたのですから当然です。この感覚を味わうだけでも来てみる価値があります。中に入ると高御座も復元されていました。天皇が豪族や家来を見下ろした玉座が置いてあります。僕も家来か何かになったつもりで見上げてみました。異国の使節の謁見や儀式に使ったそうです。これは凄い。屋根の両端に取り付けてたあったであろう鴟尾(しび)のレプリカも置いてありました。奈良っぽいですね。時間がなかったのでゆっくり見学できませんでしたが、気分はたっぷり味わうことができました。興味をひいたサービスとして天平衣装の貸し出し(300円)がありました。観光客が奈良時代の貴族の格好をして闊歩できるのです。若い女性の二人組を見かけ、いいアイデアだなと思いました。雰囲気が出るし、何より本人達も嬉しそうです。一部のスタッフも着ていましたが、大勢いたら面白そうです。奈良で歴史に浸るなら今年です。

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東京 押上 東京スカイツリー工事現場

2010年09月17日 | 文化/歴史/技術
日本で一番高い建物は何ですか?と聞かれたら、つい最近までは「東京タワー」と答えていたはずです。しかし、今は「東京スカイツリー」と答えるのが正しいのです。竣工は2012年、まだ工事中ですがすでに「東京タワー」を追い抜く高さまでできています。完成後の高さは634M。武蔵の国に建つので634にしたそうです。洒落でした。デジタルテレビの電波塔として利用されますが、未完成なのに観光地になっています。そりゃ日本で一番高い建物になったんですから。僕が見学した日は461Mと看板に書いてありました。「ゆりかもめ」の車窓からは、東京湾を挟んで「東京タワー」と「東京スカイツリー」が見え隠れします。高層ビルに囲まれた「東京タワー」は確かに埋もれつつあります。空が広い少し郊外へ新しい塔が必要なんでしょうね。地下鉄浅草線に乗り継ぎ押上駅を下車すると、目の前に現われる「東京スカイツリー」は巨大過ぎて思わず声が出ました。何しろこんな大きなものが見上げると天空を支配しているのですから、違和感があります。慣れないというか何と言うか。押上や業平周辺は浅草から墨田川を越えてすぐの下町です。何でもないというと怒られるかもしれませんが、喧騒など隅田川の花火か祭りくらいで普段は静かなところに不似合いな建造物です。地面の土台は三角柱で上部は円柱という画期的なデザインは見る角度を変えると、曲がっていたり、真っすぐになったりとお化けな塔なんです。しかし、コミック「こちら亀有公演前派出所」のエピソードで4本のお化け煙突(現在はない。)の思い出が描かれているように、設計者がその煙突をモチーフにしたことも有名な話で「東京スカイツリー」が下町との相性をうかがわせていて、斬新な中にもオマージュが存在するところが見る者の胸を熱くするのです。東武橋から見る工事現場とクレーンを重ねて見るアングル、十間橋から見る逆さ東京スカイツリー、真正面から真上に見上げるアングル、路地の隙間から見えるアングル。どれも味わい深いものがあって素晴らしい景観です。十間橋から見る逆さ東京スカイツリーはもうギリギリです。あと少し高くなったら全体像は映りきらないでしょう。携帯電話のカメラは29mmのレンズが付いていますが、フレームに収まってくれませんでした。今日は天気が良くてスッコンと空が抜けて高さが強調されていたような気がしました。

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