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スケッチブック 〜写真で綴るスローライフな日々2

写真を撮りながら、日々の暮らしや旅先で感じたことを書いています。
2016年からは撮った写真をイラスト化しています。

諏訪 諏訪大社 上社本宮

2011年07月08日 | 文化/歴史/技術
「すわたいしゃかみしゃほんみや」と読むのが正式な信濃国の一宮です。全国諸国を行脚して一宮参拝めぐりをコンプリートした友人がいて、さすがに真似ができないなあと思ってはみたけれど、僕も嫌いではないのでこれから神社へお参りするなら一宮をなるべく行ってみようと思うようになりました。諏訪大社は行きたいと思っていた神社の一つでしたので、仕事で茅野へ来たついでに足を運びました。諏訪大社が四つに分かれているので最初は本宮と呼ばれる「諏訪大社上社本宮」を選んでみました。諏訪湖から遠くない場所にありますが、車で移動した方が便利です。歴史は古く、いつからこうして祀られているのかはっきりしないそうです。諏訪湖を挟んで四つからなる神社も珍しいですが、この本宮も構成が普通じゃありません。まず本殿がないことが他の神社とまったく違います。ご神体が守屋山という山で、奈良の「大神神社」と似ている所があります。自然崇拝の流れですね。ところが拝殿(弊拝殿)はその山に向いていなくて、方向が違っているところがミステリーです。参拝する所も「拝所」といって弊拝殿の手前にある施設で、弊拝殿には近づけません。神様は更にその奥いることになっているのでガードが堅い神様です。また、参道は折り返し通路になっていて「布橋」と呼ばれる木造の廊下を歩かなくてはならず、独特の儀礼を要求してくる感じを受けました。諏訪大社といえば「御柱祭り」を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。その「御柱」は境内の四隅に地面に突き刺すように立っていて、まるで魔法の結界か風水の囲みのような機能を暗示していました。んー。この神社ただものではないなと思わざるを得ません。参道に沿って見物と参拝をしてきました。その中で興味を惹いたのが「勅願殿」でした。ちょくがんでん?これは天皇の祈祷を意味するらしく、弊拝殿では国家安泰並公事をするところに対して個人私事の祈祷は別にしているのだそうです。そして現在、「震災復興」の文字が掲げられていました。こんな神社他にないです。そしてその「勅願殿」の裏側が落葉樹からなる自然林になっていて守屋山へ続きます。立ち入ることができませんが、覗いてみると神秘的な雑木林なんです。クリ、カエデ、フジキなど大切に保護されています。鎮守の杜も諏訪大社になると天然記念物に指定され、昔のままの姿が今も残されているのです。見ていると木霊がいそうな気がしました。白神山地に行った時も感じましたが、原生林は何かわからないけどたしかに「もののけ」がいます。そして「もののけ」は身体に中に入ってきます。それにしても謎が多い「諏訪大社 上社本宮」でした。

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ヴォーリズを探せ! ~旧滋賀銀行甲南支店

2011年07月07日 | 文化/歴史/技術
新シリーズを立ち上げました~!(パチパチパチパチ)題して「ヴォーリズを探せ!」でーす。何かと似てますね。なんて言われたって変更しません。これでいく予定です。建築家として数々の建物を残し、今なお愛され続けるヴォーリズの作品を見学する企画です。はい。ただ見るだけです。それだけです。あの何か・・・・?では始めたいと思います。第一弾は「旧滋賀銀行甲南支店」(寺庄銀行)へ行って参りました。滋賀県甲賀市にある古い銀行ですね。里山の中にある居住区にひっそりと建っていました。大正14年(1925年)に建造され銀行としてつい最近まで実際に使われていました。へー。今日はしとしとと雨が振る日没前に訪問しましたので、なおいっそう寂しさが溢れていました。鉄筋コンクリート二階建て。ステンドグラスとギリシア風の柱と洋風の門構えが特徴的ですがその他はごく普通の四角い建物です。銀行ですから奇抜なものは避けて威厳を醸し出す工夫がこのバランスを生み出したと思われます。当時からなのは定かではありませんが、青い門が印象的です。銀行としては小さい気がするのですけど、ATMもオンラインも必要なかった時の設計ですからそこは差し引いておくべきでしょう。驚くのは80年以上も前の建造物なのにとても綺麗なことです。大きなヒビがありません。銀行ですから頑丈に造ったのでしょうか。(金庫荒らしあったらいけないもんね。)それともこの一帯は地震がなかったのか。使われ続けたことが良かったのか保存状態はかなり良い方でした。大正時代のこの辺りの風景を想像できませんが、現在以上に殺風景で他に大きな建物がなかったはずなので、おおいに目立ったと思われます。行ったことない人は分かりにくいかも知れませんが、横浜や神戸じゃないんですよ。銀座や函館でもないんです。人は住んでいますが山の中です。(あまり強調すると地元の人には失礼かも。)今でも十分浮いた存在だと思います。ヴォーリズの建造物は惜しまれつつも取り壊されるものが出てきました。仕方が無い事情もあると思われます。今のうちに良く見ておきましょう。

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橿原 橿原神宮

2011年03月29日 | 文化/歴史/技術
東北関東大震災のことで心が奪われてしまって、このところいろんな人に会っては地震のことばかり聞いたり話したりしています。被災地は復旧が思うように進まず支援が不足しているし、福島第一原発は油断を許さない状況です。東電の計画停電は生活と産業に大ダメージを与えています。そして被災地周辺、いいえ日本全体が自粛ムードになってしまって「今回は止めておこう。」とイベント、会合、式典、旅行、宴会などあらゆるものが中止されてしまってサービス業の二次災害が発生しています。大勢の方の命が亡くなったことや被災地で頑張っている人達のことを考えると自粛もやむを得ませんが、被災者の立場になってみれば、関係ない人達にまで迷惑をかけたくないと考えるに違いないと思います。一刻も早い復興を願う気持ちが日に日に強くなっています。今日は橿原市へ仕事でやって来たので前から行きたいと思っていた「橿原神宮」へお参りしてきました。近鉄橿原神宮前駅を降りて歩いて行けます。この「橿原神宮」はとても広くて立派な神社なので歴史は古いと思われがちですが、創建されたのは明治時代に入ってからで、天王陛下の求心力を高めるために時の明治政府がいろいろなことをやったその一つです。(きっとね。)大和朝廷の発祥とされる(即位したとされる)畝傍山の麓に「神武天皇陵」と「橿原神宮」を造ったそうです。大和朝廷は謎が多く僕の好奇心をくすぐり続けているからこそこうして足を運んでいます。建国の始祖である神武天皇とヒメタタライスズヒメ皇后が祀られていることは言うまでもありません。実在が疑わしい初代天皇ですが、それもこれもひっくるめて謎なのですから古代史は面白いのです。参道を歩き南神門をくぐり、外拝殿から参拝しました。かなり大きな拝殿です。回廊があり壮大な造りでした。一般に入れるのはここまでで、本殿、幣殿、内拝殿には近付くことができません。もちろん震災の復興をお祈りしました。来てみると立派な神社だとは思いますが、外からやって来る人が「橿原神宮」にお参りしようというのは少ないのかも知れません。地元の人には愛着のある神社になるのでしょう。すぐ隣には「深田池」と呼ぶ池があり市民の憩いの場となっていました。鴨や鳩がいるからでしょうか子供連れの親子が多かったです。それと黒い鳥がコロニーを作って群生していたので持っていたスコープで覗いたらウでした。カワウなのかウミウなのか判断しかねますがこれはウです。しかし今年の桜は咲くのが遅いですね。ここもまだ芽吹いているだけでした。


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甲賀 田村神社

2011年03月18日 | 文化/歴史/技術
想像を絶する事態が続く東北関東大震災の被害。津波に押し流されたのは街そのもので、多くの人達が命を失い、そこで暮らす人々の生活を根こそぎ奪ってしまう。そして原子力発電所の度重なる事故と放射線の被ばくの恐れ。それは世界中を震撼させ、今なお余談を許さない危機的な状況が続いている。急がなければ再び大惨事を起こしかねない緊張。被災地では寒さと飢えが迫り、一度は去ったデッドラインが再度近付いて来る恐怖に怯えて避難民が救援を待っている。時間が経つに従い情報が増え、知れば知るほど大変な状況が伝わってきます。幸いにしてこの地震の被害を受けなかった僕ですが、早くこの状況を何とかして欲しいと願うばかりです。原子力で電気を生み出し利用することを否定するのは難しいことくらい理解してる僕でも、原子力発電はこれほど危険なものだったのかと改めて痛感しています。原子炉を預かる者は大勢の国民の命も同時に預かっているということを分かっているのかと疑いたくなりました。今日は仕事で滋賀県まで来ました。西へ移動すると地震の影響が薄くなるような気がします。東海地区でも非常用の備品や食料は売り切れが目立ちますが、その程度も違うようです。雪が降ったばかりで甲賀市の周辺は残雪の景色が美しく思えます。土山には「田村神社」という古い神社があるのでとにかく被災地に祈ることだけでもしておきたいと思い参拝しました。鳥居をくぐり参道を歩くと高い木々に導かれるように荘厳な風景が目に入ります。降り積もった雪がまるで降雪が続くようにはらはらと舞い降りてきたり、時折音を立てながら塊となって落ちてきます。参拝者は誰もいません。僕は一度ここには参拝に訪れたことはあります。とても良い神社だと記憶していました。御鎮座1200年の行事のために本殿は改修工事が始まっていて、本殿には近づけません。拝殿で参拝しました。「田村神社」は征夷大将軍に任命されたあの坂上田村麻呂公を祀っているので「田村神社」と言います。その昔、農作物の不作や疾病の流行など災いが起きた時に、坂上田村麻呂公にあやかり、厄払いをしたそうです。僕も震災で被災した人達の救援と一日も早い復興をお祈りしました。

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横浜 伊勢山皇大神宮

2011年03月17日 | 文化/歴史/技術
連日、東北関東大震災の報道を見ていて、最初これは本当にあったことなのか?と信じられない気持ちでしたが、段々と現実的に思えるようになってきました。その惨状を理解できるようになると、もし自分だったらとても受け止められないくらい哀しい出来事に胸を締め付けられる思いになります。こんなにも大勢の人達に降り掛かっているのか。津波の破壊力はこんなにも凄いのか。まさに衝撃的でした。今日は八王子へ仕事でやってきました。到着してまず驚いたのは停電です。計画停電はまだのはずでは。と思ったものの、厳密には変電所単位でスイッチを切るわけで停電のエリアは行ってみないとわからないものです。まして飲食店などのサービス業は停電を見据えてそれぞれの事情で営業時間を設定しているので、予定の停電以上に休業することになります。交通機関も変更が多く、これが従業員の出勤に響き、その理由で企業が休日にしたり早退させたりして街は混乱しています。ガソリンも一回20リットルに制限されています。信号機さえ消えてしまうのでバスの運転も変わるし、歩行者として道路を横断するにも危険が伴います。もはや東京電力の送電エリアは被災地になっています。そこで、僕は一体何をすればいいのだろうと考え込んでしまいました。ガソリンも電気も水も食料も不足している被災地へ行ける術がないのですから。ならば祈ることしか今はできないのではないか。と考えて横浜に移動するついでにお参りに行くことにしました。「伊勢山皇大神宮」は桜木町にある神社です。野毛山の近くです。野毛山にこんな場所があるなんて調べてびっくりしました。この界隈はとても気に入っていてよく練り歩くのですけど、神社があるなんて知りませんでした。「関東のお伊勢さん」の異名をとる知る人ぞ知る神社なのです。JR桜木町駅から歩いて行くことができます。明治時代に創建された比較的新しい神社ですけど、社殿は神明檜造りで千木と鰹木が使われていてとても厳かに感じます。境内の中には小さいけどされた大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら)も鎮座していました。横浜にあったんですね。今日は人気も少なく静かで肌寒い日でした。梅の花が咲いていて春の訪れを暗示していました。二礼二拍手一礼し、震災からの復興をお祈りしました。一日も早い復旧を切に願います。

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東京 浅草 浅草寺に再訪する

2011年03月05日 | 文化/歴史/技術
浅草にはライブハウスかジャズ喫茶でジャズを聴きに行ったり、演芸場にも行ったりして何度か訪れているところですが、久しぶりに「浅草寺」へ参拝してみました。天気のよい小春日和のいい日です。雲がなく青い空でした。修学旅行以来です。地下鉄で銀座から乗り換え無しで行くことができます。今日は休日なので人が多い、観光客が多い、外国人が多い。午前中から大変賑わっていました、雷門、仲見世通り、五重塔・・・それにあのお香から出る煙を浴びる人達。浅草寺はお寺ですけど、手水舎とか賽銭箱とかおみくじがあるので神社のスタイルも取り入れていて、神仏習合を形にしているかと思われます。懐かしいなあ。なんて思いながら浅草界隈を散策しました。今では近くの東京スカイツリーが建物の隙間からよく見えて、無視できない存在にもなりました。下町を練り歩くのは大好きなので、ここ浅草なら一日中ぶらついても飽きることがないくらいです。それにしても観光客が多い。行列のできる飲食店もあちらこちらにできて、観光業は大成功じゃないでしょうか。日本人の僕達でも日本らしさを感じるスポットなのですから、外国人に日本を紹介するなら必ず連れて行きたくなるに違いありません。僕は部分部分の浅草に触れただけなので、ぐるっと廻ってみて、やっぱり好きになりました。人情と風情があるからなんて単純なことじゃなく、ごちゃ混ぜで猥雑でなんでもあり的なところが気に入りました。フットサルコートまでできています。煙草を吸いながら歩く人が多いなと感じて、通行人をよく観察すると場外馬場に出入りする人達のようでした。人を見た目で判断しちゃいけないことはわかっているけど、どう考えたってまともじゃない人達ばかり。演芸ホールのすぐ横にはロック座(ストリップ小屋)はあるわポルノ映画館もあるわで、一杯呑みの店はどこも朝から営業中です。こんなに近くにあるのに、どうして修学旅行で案内してくれなかったのか。「花やしき」にいたっては遊園地ですからね。家族連れが来る所ですよ!下町の庶民と外国人観光客と田舎の修学旅行団体と家族連れとフットサルの対抗試合選手と芸人とストリッパーと飲んだくれのスットコドッコイが一カ所にいるなんて他にありません。大阪の新世界も名古屋の大須も浅草によく似たところがあるけれど、猥雑さのパワーが違います。浅草はこんな街だったんだ!大人になってみると分かることってあるんですよねえ。B級グルメの宝庫でもあるし、これからもっと来てみようかな。


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祖母の告別式

2011年01月31日 | 文化/歴史/技術
祖母が逝きました。享年百三歳。老衰でした。長生きしたと思います。もう随分昔から、親戚中から長生きしていると言われ続けていました。僕は祖母とは暮らしたことはありません。亡くなった父が家を出てから僕が生まれたからです。父の実家は兄弟が多く、8人の子供が生まれてしばらくして祖父が亡くなったので祖母はほとんど一人で8人の子供を育てたことになります。明治生まれの女の強さというか、戦争と戦後をくぐり抜けただけあって、それはそれは数多くのエピソードを聞いてきました。その祖母がとうとうこの世を去りました。孫は僕を含めて24人生まれ、ひ孫にいたっては何人いるんだろう?とよく分かりません。身内で済ませる葬儀にしたようですが、集まる人の数が多くて、他人が見たらごく普通の葬儀と間違えるでしょう。以前、祖母のことを尋ねた時に親戚から聞いた話で驚いたのは、元々庄屋だった祖父の隣に住んでいて、祖父がもらった花嫁がいいところのお嬢さんで家事があまりできず、隣の祖母が食事の世話をしたりしているうちにその花嫁を追い出し、居座ってしまったというエピソードです。今で言う略奪婚!これがなかったら僕はこの世に命を授からなかったことになります。式場では祖母の三姉妹も参列して、皆九十代ですが自分の足で歩いてきたのにも驚きました。4人姉妹の長女が祖母で百を越え、その妹等も百を越えそうです。長寿の家系だなあと感じます。(僕にもその血筋はあるのかも知れません。)一番下の妹さんは口も達者で、「ワタシ、キュージューナノ!キュージュー!」と僕にはっきりした口調でアピールしてたけど、本当は九十二歳で二つ年齢をサバ読んでいました。女は灰になるまで女だと誰かが言ってたっけ?でも僕のルーツである祖母が亡くなったのは、少し寂しい気がします。結婚式にも出てもらったし、その後も何度か元気な姿を見てきました。祖母が生まれた1908年はどんな世界だったのだろうと思いがよぎります。やがて大正が始まり、第一次世界大戦が起こり、関東大震災、昭和へ移り世界恐慌、満州事変、第二次世界大戦、終戦、高度経済成長、東京オリンピック、アメリカ同時多発テロ・・・。人の一生とは長いようで短い気もします。祖母は一体何を思い生きてきたのか、何も知らないことにふと気付きました。命のつながりで今の自分があるんだと思い直す別れになりました。
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広島 原爆ドームを訪れる

2011年01月18日 | 文化/歴史/技術
1945年8月6日午前8時15分。B29爆撃機エノラ・ゲイは、広島市内の川に架かるT字型の相生橋を目標にリトル・ボーイ(原子爆弾)を投下し、今ではアトミック・ボム・ドーム(原爆ドーム)と呼ばれることになった広島市産業推奨館から東に150M、上空580M付近で炸裂、今まで誰も見たことがない激しい閃光と風速440M以上の衝撃波と3000度C以上の灼熱と何十年も人体を蝕む大量の放射能を一瞬に浴びせ、その後黒い雨まで降らして、14万人以上の一般市民の命を奪い去ることになりました。僕は太平洋戦争を実体験で知らない世代です。戦争の名残のようなものを身近に感じてこなかった環境のせいか、あまりよく分かっていません。ですが、戦争の話はたくさん見聞きしています。しかしそれは、知識だけを持っていただけなのだと知ることになりました。僕は、生まれて初めてアトミック・ボム・ドームを体験しました。平和記念公園に入り、まず「広島平和記念資料館」を参観しました。原爆投下で破壊された街の写真、焼け焦がれた遺留品の数々、戦禍に巻き込まれ命を絶たれた人の手記などを見ているうちに言葉を失いました。これは本当に起こった出来事なのか?今僕が立っているこの場所が、かつてそうだったのか?どうして原爆でなければならなかったのか?どうして広島でなければならなかったのか?などなど胸を締め付けられるような疑問が湧いてきました。8時15分で止まったまま壊れて動かない小さな腕時計は、無言ではあるけれど深い悲しみを背負ったまま、後世の人々に重く暗い事実の証人として展示されています。衝撃的でした。館内では参観する人のすすり泣く声を何度も聞きました。うつむきながら資料館を出て公園内を真っすぐ歩き、奇跡的に残骸として残ったアトミック・ボム・ドームの所へ行きました。この建物だけが当時のままです。歩いて周囲から眺めてみました。寒空ですが青く澄んでいます。8月6日は暑かったでしょう。(この空の上でピカドンは起きたのだ。)ハイポセンター(爆心地)にも行きました。今は病院が建っています。この真上なのかと思うと、また悲惨な状況が甦ってきます。核保有国の国家元首は全員、一度はここに立ってもらいたいですね。核兵器がいかなるものか体感して欲しいです。僕は戦争が大嫌いなので絶対反対です。


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京都 八坂神社

2011年01月06日 | 文化/歴史/技術
えー。しつこいようですが初詣なんです。(初詣はその年初めて行く詣のことだからもはや何とよ呼んだらいいのか。)今日は仕事で京都にやって来て、間の時間ができたのでどこかお参りにでも行こうと思い、「八坂神社」にしました。祇園の前、清水寺の入り口にあるのでよく目立つ神社です。春は円山公園の桜でも賑わいます。何度か訪れたことがあるのですっかりお馴染みの神社です。明治の前は「祇園社」とも呼ばれていたり、何度も改築されてはいますけど、本殿は祇園造りと言われる様式で建てられています。祇園と関係が深い神社です。祇園祭りも関係があります。朱に染まった門や本殿はそれは鮮やかで訪れる人の目を奪います。春日大社や住吉大社もそうですが本殿、拝殿、鳥居、門などを朱で塗り、別世界を創り出している神社は数が多いです。ここ「八坂神社」は、また違う趣や佇まいを感じます。広くはないですし、巨木や橋もないので木霊や霊気に覆われる神妙な気分にはなりませんが、平安遷都以前からここに信仰があったらしく、古い歴史を感じることができる神社だと思います。屋台もいっぱい並んで正月らしい雰囲気でした。能楽の舞台に上には大きな花が飾ってありました。奉納献花と書いてあります。何流?なんでしょう。よく分かりませんがこんなところに置けるくらいだから、余程確かな人が生けたんでしょう。とってもモダンな花です。ダイナミックで生命感溢れ時間を止めたような美しさです。あまり人が立ち止まって見ていないようで残念です。見事なのに。おみくじに買い食いに夢中なのかな?


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名古屋 熱田神宮で大吉

2011年01月05日 | 文化/歴史/技術
今年も熱田神宮へお参りしてきました。名古屋では一番人気の神社ですから正月5日目でも人は大勢やって来ます。想像していたより人が多かったです。名古屋市内に森のように広い敷地を持つ神社で参道を歩くのも時間がかかります。参道や参道に続く道には縁日屋台がずらりと並び賑やかでした。しかし、この縁日の屋台は毎年進化しています。屋台が進化するって変な表現ですけど、毎年来ると変化に気付くものです。何と言っても今年は「B1グランプリ」と書いてある幕が目立ちました。「甲府とりもつ煮」「富士宮焼そば」「横手焼きそば」「津山ホルモンうどん」などです。お好み焼きも「広島焼き」しかありませんし、たこ焼きは大阪名物の大タコが基本です。ここは一体どこなんだ?と言いたくなるくらいです。「ぶどう飴」なる串刺し葡萄のスイートまで登場しました。差別化と付加価値を追求した結果のビジネススタイルなんでしょうが、ごく普通のお好み焼きと焼そばは、ここでは食べられないと思うと寂しい気がします。熱田神宮は創祀千九百年の改築が進んでいて、昨年は工事中だった本宮が完成していました。僕は今日、真新しい本宮を初めて見ました。伊勢神宮と同じ神明造りの社は神々しく見えます。二礼二拍手一礼。それでは今年の運勢を占ってみましょうか。ガラガラガラ。どれどれ。大吉!出ました。大吉です。久しぶりだなあ。大吉なんて。なになに・・・願望ー他人の助けありて叶う。方角ー東と南よし。待ち人ー来る便りあり。失物ー手近より出る。商売ー利あり。争事ーたやすく勝つ。病気ー治る。こりゃあ正月から縁起がいいというか嬉しいです。景気が良くない日本も今年は良くなる気がしますよ。
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