評判作という触れ込みで映画館に行く。なるほど、表現は普遍的そして誰にでもわかりやすい手法を採っている。5人ほどの群像劇をラストで一気に収束させている。好感が持てます。
主題はマイノリティーの存在そのものである。
大部分の生きている人は明日には自分が消えたいなどいうことは決して思わないだろう。でも、マイノリティとしてそういう人間は確かにいる。存在的に虚無だから、自死もできない。本当につらい毎日を生きているんだろうなあと思う。
大部分の観客は彼らを理解するのにやはり映画時間の半分近くは要するだろう。館内から席を立とうと思った人も何人かいるだろう。それは本人がマジョリティだと認識しているからなのかどうかわからないが、とにかく楽しい映画ではない。館内では躊躇する自分もいる。
けれど、新垣と磯村が同居しだしてから、この映画のカラーは一変する。なんと、そこにあるのは、新しい人生スケッチなのだ。そこには真に解放された人間だけが存在する場所がある。
マジョリティの感覚を代表する観客の視点は、最初、稲垣の普通過ぎる大人に向かっていたが、なんとラストに至るや、新垣への視点に変質していることに気づかされるはずだ。その時点で、この作品は成功していると言える。
秀作である。
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