重松の作品は久しぶり。この作品はずっと気になっていたけど、何故か読まないでいた。そして今年もいろいろあった暮れにじっくりこの作品を読む。短編集で、それぞれがいずれもどこかでつながっている。
底流に流れているのは人は死んでいくということだ。これは私たち人間から、いや動物、生きとし生けるものすべてから逃げることのできない設問である。
あまり本を読んで泣かない私だが、この本はじんわり泣いた。人が死んでいくこと。そのことの答えは「考えることだ」と重松は言う。考えることが、その日に死ぬことと、あと、残されたものが生きてゆくことの答えになるという。
若い時からずっと、生きることと死ぬことを考えつづけてきた私にとって、この本を読んだときに、今までの文学書だの、哲学書だの、ましてや最近読み続けている宇宙関係の物理学の本さえ、無用の長物というべきか、この本を読んでガーンとハンマーで殴られたような感じがしました。
死ぬことは突然やって来るかもしれないし、ずっと先のことなのかもしれない。でも確実なのは誰にも一度は訪れるということだ。そしてその時にすべては終わる。その日の後に、少し思う時間はあってもそのうちすべては終わる。
それだけのことなのかもしれない。考えることが、死ぬことすなわち生きることの答えなのだ。そして私はこれからも考え続けてゆく、、。
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