この映画を見るのにかなり逡巡したのは事実です。私の茫洋とした人生の原点はまさにこの映画の時代にあるからだ。映像を介して目の前に映る人々。50数年の時を経て魔法のように目の前に再現される。そして私は今初めて当時の彼らの思いを知ることとなったのである。
この映画の佐々木幹朗さん、岩脇正人さん、三田誠広さん、岡龍二さんそして黒瀬準さんたちは当時のこの高校の2年先輩にあたる人たちである。私は文芸部というサークルに所属し、彼らはたまに部室にいた。
この映画で分かるように彼らは当時かなり超インテリであり、通常の人間存在論、革命論、そして政治論を私たちに話すこともあった。文学書以外の書物をあまり読むことのなかった私はまるで異次元の世界を垣間見た思いであった。
彼らの3年生の時の6月の自治会祭(私は1年生)をよく覚えている。確かクラスごとに発表をするのだが、谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」が合唱され、とてもいい歌で印象に残った。その余韻もさることながら、その後、だれかが鳩の模造物に火をつけた。火が強く燃える。煙が出る。女子は叫ぶ。
映画で説明があったように、平和の鳩に火を放つことに意味があるらしいのだが、先生たちが一斉に駆けつけるは、会場はとてつもなく異様な雰囲気に包まれた。これが私の初めての自治会祭であった。
と、映画の話と自分の経験とが即リンクしてしまう。
山崎氏が羽田で死亡したとき、その様子を聞いたのも文芸部室であった。機動隊は実は夜間大学生たちなのだと言われる。そうすると実は革命を目指す彼らと闘っていたのは本来権力側の人ではなく、まさに敵ではなく味方なのではと当時私は思ったものである。
私も映像で三田誠広さんが仰っていたように、500人いる内の一部のドロップアウト組になってしまったが、受験勉強より重要な大切なものをその時、感得したような気がする。
17歳。私にとって17歳は、歳月を経てこの年になっても彼らと同じく原点の年齢でもあるのだ。むしろ時は止まっているかのようでもある。以降全く成長していない。
そして彼らの転向の意味を50数年経って初めて映画を通して知る。これもすごい経験だが、私もそろそろ終活の年齢に入っており、わが17歳の意味を知るのは人生的にも有益なことだと思う。むしろそれを危惧し、この映画を見るにあたり、逡巡していたのかもしれない。
今は、何か胸がスーッとしています。稀有な映画鑑賞でした。
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