イメージ、作風共前作の『冷たい熱帯魚』に引けは取らないが、今回のテーマは古今東西あらゆる人に探求され尽くした感のあるセックスである。如何せん、いかにどう描こうがこの普遍的なテーマでは園はまだまだ若いと訝られてもやむを得まい。
顔は地味だけれど肉体は豊満ないずみ。対して顔はまあ美人だけれどインテリ過ぎて、しかも体が貧弱な美津子。この設定だけで世の女性から顰蹙を買うのは必定。
だいたい夫を愛していると言いながら、セックスもろくにせずにそんな心情になれるはずもないことはみんなお分かりのはず。まずこの物語はそういう虚構から始まる。そして体が彼女を解放していくわけだが、もうこういう女性の成長過程は今や笑い話でしかあり得ない。(古すぎます)
対するインテリ女は夜に小金でセックスを漁るが、いずみに指南し、どんどん堕ちろという。ビジネスで(犯罪ではあるが)セックスをすることがどうして堕ちるということにつながるのか、変な倫理観を持っているように僕には思える。
そして授業で「人はそもそも言葉など覚えなければよかった・・」なんて、ある詩人の逆説をそのまま信じて「精神と肉体」について論じる。まあ、こういうところは流せばいいのだけれど、引用は慎重にしてもらいたい気もする。
猟奇的な母親の娘殺しも、憎い血を引く娘を許せないと言ったものなのだが、そんなことで我が子を殺戮できるのなら人類はもうずっと前に絶滅しているだろう。(言い過ぎか)
まあ、随喜の涙の体をお持ちの【神楽坂恵】、セックス依存症の 【富樫真】、そして神がかり的な【大方斐紗子】 の体当たり的演技は素直に認めましょう。けれど、主役であるはずの 【水野美紀】の女刑事は三人に比べて、前セックス依存症状態ぐらいにしか思えないほど深く描かれていない。
いわば、この映画のストーリーの進行役に過ぎないのではないか、と思われるほど薄っぺらいのだ。冒頭での【水野美紀】 の赤裸々な決意が見事生かされていない。むしろ気の毒でさえある。(それとも途中で厭がりシナリオが変わったのかもしれないが、、)
人形の家に囲われている夫婦がいかがわしい場所で客と売春婦となり邂逅してしまうシーンはある意味、重要なシーンであるように思えるのだが、何かマンガ状態になってしまっている気がする。
と、まあ、考えたらいろいろ突っ込みをかけている私ですが、まあそれなりに面白かったですよ。何しろ大阪のメジャー映画館、昼間から堂々と若い女性がちらほらいる映画館で、堂々とこういう映画を見ることの出来たのも時代なんでしょうか、東宝さんには感謝します。
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