何か昔見た「旅情」をちょっと思い起こしたけれど、タッチが全然違うねえ。主人公のマダムが余裕あり過ぎなんだよね。C・ヘップバーンみたいに欲求不満気味じゃない。人生への哀しみもない。これ以上もう欲しいものはないぐらいの余裕さなのだ。
それなのにエトランゼは人間を襲うんだよね。暑く、カラカラの砂漠。カイロの観光名所を二人でただ歩く。口数は少ない。女は年上の実女の50がらみ。男は夫の元部下でアラブ系だけれどハンサムである。この2人、いつまで秩序は保たれるのか。
行くところまで行きそうで一二度踏みとどまるこの男と女。イライラするけれど行っちゃったらもう戻れまい怖さもあるわけで、もやもやした気持をを抱えながら踏みとどまり続けた二人に突然夫が闖入する。
現実の介入です。そしてストレスを抱えたまま観客はエンドクレジットを見る。鳴り響くピアノ曲。一瞬の恋はきらびやかだ。
サハラ砂漠、すぐそこにあるピラミッド、ピーンと張りつめた空気。そして男女の情感。それを表現したピアノの音が実に鮮明で美しい。
「旅情」では何かを得て女は本国へ帰っていくけれど、この映画の女は何かを喪失して本国へ帰るに相違ない。全く対照的な作品であるが、エトランゼとはそもそも何かを得るか喪失するかどちらかなのだろう。
僕もしばらく海外へ行っていない。どこかへ行ってエトランゼになろうという気持ちがむくむくと湧き起こってくる。もう何かを得ることも、喪失することもないような年齢になってはいるけれど、、。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます