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エンター・ザ・ボイド(2009/仏=独=伊)(ギャスパー・ノエ) 80点

2011-01-13 14:27:41 | 映画遍歴
冒頭のクレジットが秀逸。こんなに何国語も重層的に、しかもサイケに映画の扉を開けてくれる【ノエ】はひょっとしたら心優しい人なのではあるまいか、と誤解させてくれるほど見ていてワクワクする導入部だ。

でも結構、今回の【ノエ】は説明調だったりする。最初の方の輪廻の書はこの映画の物語を説明してしまっている。欧米にとっては現代でも輪廻の話は知られていないのかもしれないが、、。丁寧だ。観客に迎合する感も無きにしも非ず。

そして書物の通りオスカーは死にゆき、映像は、魂が高く浮遊し、建物を、宙を飛び交い、果ては宙を登りつめたと思うと飛行機にまで侵入する。この辺りは完全に西洋的である。

冒頭のクレジット部分からオスカーが殺されるまでが本当に秀逸で圧巻であった。あっという間にボイド(死=無)に突入してしまうあっけない暗黒が描かれる。実際、僕たちの日常の死もこんなものなのだろう。新宿のバーで、今やこんな汚辱にまみれた便器もないだろうと思われるほどの汚さに埋もれたのがオスカーの死に場所だ。このトイレのこびり付いた汚さはノエらしく、ある意味すこぶる心地よい。

しかし、それから彷徨う魂となり果てたオスカーは声を失い、人々の中に侵入したり、飛び出てうーんと高みから覗いている映像が延々と続く。

両親を幼い時に交通事故で亡くしたオスカーには妹のみが唯一の肉親であり、愛する人である。と、映像を見ている観客はそう思わせられている。しかし、妹は母親になり、そのうち妹を見つめているオスカーは妹を通して母親を強烈に思慕していることが分かってくる。

二人で同棲しているのだから、近親相姦めいたことぐらいあるのかなと思っていたが、映像からは窺えない。何のことはない、オスカーは母親を思慕しているからこそ、妹に付きまとっていたのである。そして、輪廻の最後の方では母親の子宮に入り、母親の卵に侵入しようとする一匹の精子を見据えて、この映画はボイド(無)になり突然終わる。オスカーの死である。

そう、この映画はある人間の死から誕生以前の受精までを通常とは逆に描き切ったドラマである。そういう意味では、この映画は立派なホームドラマとも言えるだろう。

でも、僕はこの映画に少々の失望を覚える。映画というより、【ノエ】にだ。【ノエ】らしきいつものおぞましいほどの悪意がすとーんと抜け落ちている。冒頭で感じたように【ノエ】は優しい人になり果てたのではないだろうか、という恐れも出現する。やはり輪廻の世界は【ノエ】にしても罵倒出来る代物ではなかったということか、、。この世界を受容している【ノエ】を感じるのである。

次作はまた元の【ノエ】に戻ってほしい。そう、彼には世界を凌辱できるほど、エネルギッシュで、悪意いっぱいの素敵な映像を心待ちしています。

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