イランの死刑制度、死刑囚を死刑にするにはカネが必要で、それは死刑囚の家族に送られる。つまり遺族はカネがなければ憎き死刑囚を死刑にはできないのだ。
つまり、そこにはイスラムの宗教的な深い思念が介在すると思われる。それから起因して被害者家族の病人治療費の問題とか、恋愛さえカネのために諦念しなければならないほど、主人公は苦悩を抱えることになる。
ファルハディのイヤミス系の原点がこの作品にある。次から次へと、問題が累積する。主人公は人間の本来の愛の高まりまで犠牲にできるのか?見ていて画面からそむけたくなる。
僕は被害者家族の父親の心情が気になった。本当に心中だったのかどうか?そうだとしたら、男は喜んで死刑になって女を追うのではなかろうか?そういうファルハディのよこしまな表情も垣間見えてくる。
けれど、それらを吹っ切る素晴らしいラストシーン。線路の向こう側から主人公は電車に揺れる映像を経て、女に会いに来る。美しい。美しすぎる。
秀作の薫り高いファルハディの名品である。
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