映画って原作を読まないで見た方がいいのかなあ、どうしても頭の中では原作との比較がぐるんぐるん駆け巡っている。
まあ、3作が関連して展開しているのは感心した。そういう思い切りも映画創造では必要だと思う。
最初に見る1章の小西真奈美の印象が強いので、3章での違いっぷりに驚いてしまう。原作でもラストであっと気付く仕掛けだったと思うが、富司純子のセリフのしゃべり方が小西真奈美とかけ離れているのである。(原作でもそうだった気がするので仕方がないことなのであるが、)僕が真奈美ファンだからそう思ってしまうのかもしれません。
どうせだったら、小西真奈美を老けさせて若き時の同一人物だと観客に示した上で死神と対話させた方が面白かったかもしれない。(小西真奈美さんにはきつい演技になるだろうが、、)
ラストは一人の女性の終末の重い人生への呟きである。それがあの麗しい声の持ち主であることの驚きから観客は深い感銘を受けるのである。だからやはり小西真奈美から離れてはダメなのだ。せめて言葉遣いだけでもいつまでも美しい小西真奈美であって欲しかった。
うーん、相変わらず勝手なことばかり書いておるなあ。どうもすみません。そういう僕ももうそろそろ人生の黄昏を迎える年齢なんだけれど、、。
まあ、3作が関連して展開しているのは感心した。そういう思い切りも映画創造では必要だと思う。
最初に見る1章の小西真奈美の印象が強いので、3章での違いっぷりに驚いてしまう。原作でもラストであっと気付く仕掛けだったと思うが、富司純子のセリフのしゃべり方が小西真奈美とかけ離れているのである。(原作でもそうだった気がするので仕方がないことなのであるが、)僕が真奈美ファンだからそう思ってしまうのかもしれません。
どうせだったら、小西真奈美を老けさせて若き時の同一人物だと観客に示した上で死神と対話させた方が面白かったかもしれない。(小西真奈美さんにはきつい演技になるだろうが、、)
ラストは一人の女性の終末の重い人生への呟きである。それがあの麗しい声の持ち主であることの驚きから観客は深い感銘を受けるのである。だからやはり小西真奈美から離れてはダメなのだ。せめて言葉遣いだけでもいつまでも美しい小西真奈美であって欲しかった。
うーん、相変わらず勝手なことばかり書いておるなあ。どうもすみません。そういう僕ももうそろそろ人生の黄昏を迎える年齢なんだけれど、、。
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