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自縄自縛日記

リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』

2014-08-15 19:17:49 | 東南アジア

リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013年)を観る(ユーロスペース)。

1975年、カンボジア(民主カンプチア)の政権を、ポル・ポト率いる共産主義勢力のクメール・ルージュが掌握した。この政権は毛沢東思想をベースとしており、親中・反越であった。1979年にはベトナム軍がカンボジアを攻撃し、それがクメール・ルージュ独裁の崩壊の原因となり、また、中国による「懲罰」的な中越戦争(1979年)につながることになる。

おそらくは、実情が外部の目に晒されなかったこともあって、米国に勝利したベトナムがなぜ同じ共産主義のカンボジアを攻撃するのかといった波紋もあったはずだ。しかし、いまではよく知られているように、クメール・ルージュの独裁ぶりは酷いものであった。カンボジア住民の犠牲者は、人口700万人に対して、150万人にものぼったという。それは、中国の大躍進政策や文化大革命と同様に、実態を視ないヴィジョンの押しつけと、それを可能にする権力体系によるものだったのだろう。

この映画を撮ったリティ・パニュは、犠牲の当事者であった(1979年に脱出)。彼は、俳優による再現映画でも、残されたフィルムによるドキュメンタリーでもなく、カンボジアの土をこねて作った人形を用いた。その人形たちが、個人としてではなく「数」として扱われ、農村での苦役を強制され、農作物を自分の口に入れることなく餓死していくさまを「演じて」いる。また、9歳の子どもが、食べ物を拾ったといって自分の母親をクメール・ルージュに告げ口し、その咎で母親が処刑される様子を、「演じて」いる。

これはドキュメンタリーの力として強烈だ。これ見よがしな歴史の語りでも、「自分」ではないフィルムによる語りでもない。投影されるのは「自分」なのである。

●参照
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
2012年6月、ラオカイ(中越戦争の場)
中国プロパガンダ映画(6) 謝晋『高山下的花環』(中越戦争)


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