以前に中国のどこかで買ったDVD、謝晋『高山下的花環』(1984年)を観る。日本では『戦場に捧げる花』というタイトルで公開されたようだ。
映画は中越戦争(1979年)を舞台にしている。中国がベトナムに侵攻したのは広西省・雲南省の国境であり、タイトルロールには、人民解放軍の成都部隊(四川省)と昆明部隊(雲南省)が協力したと書いてある。ロケがどこで行われたのかはわからないが、劇中で兵士が地図を指し示す様子からみて、雲南省が想定されていると見てよさそうである。
権力者の母は、息子を栄転させる目的で、人民解放軍の教官として入れてもらう。3ヶ月程度何もせず在籍して辞めるつもりである。兵士の間に高まる反感。そしてベトナム国境への派兵命令が出て、ひ弱な男も勇気を出して最前線に赴く。次々と死んでいく仲間たち。戦争が終わり、遺族が集まってくる。それぞれ死を悲しみ、同時に、国家に尽くした名誉を授けられる。そんな物語である。
戦争直前、中国はベトナムのカンボジア侵攻(ポル・ポト政権打倒)とソ連との接近に警戒していた。1979年に米カーター大統領と会った鄧小平は、秘かに、中越戦争を起こすつもりであることを打ち明けたという。中国側はこの戦争を「自衛反撃戦」と称し、ベトナム側はもちろん「侵略戦争」とみなしている。(『中国20世紀史』東京大学出版会)
しかし、この映画では、ベトナム軍が先制攻撃を行い、中国側の小学校をも破壊したのだとアピールしてみせる。そして戦後、死を悼むものの、靖国の論理と同様に、戦争そのものとその背景となったパワー・ポリティックスに批判の目が向けられることはない。従って、この映画はプロパガンダ映画である。
文化大革命の罪を描いたすぐれた映画『芙蓉鎮』(1987年)を撮った謝晋(シェ・チン)であるから、ドラマは非常によくできている。登場人物のキャラクターも典型的な鋳型によって作られたものではない。何も考えなければ、好戦的な映画として捉えられることはないかもしれない。しかし、だからこそのプロパガンダ映画なのである。これが謝晋の意図したものであったかどうか知りたいところだ。
ところで、主役のひ弱な男がカメラを使っている。なかなか解像度の関係ではっきりしないのだが、おそらくは、アサヒペンタックスES(ブラックペイント)であり、1971年の発売であるから時代考証上おかしいことはない(昔はカメラは長く使うものだったから)。しかし、ひとつ不可解な点がある。ESはセルフタイマーがあるべきところに丸い電池ボックスを置いているのだが、それにも関らず、自分の姿を撮るときに、まるでセルフタイマーを操作するような仕草をするのである。