Sightsong

自縄自縛日記

『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee

2017-05-12 00:32:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

国分寺gieeにはじめて足を運び、山崎幹夫監督による浅川マキの映像上映会(2017/5/11)。池袋の文芸座ル・ピリエにおける1988年2月の1か月間連続ライヴの記録である(正確には、2/15のみ休演)。

この日の上映は、2/1(本多俊之)、2/6(日野皓正)2/7(泉谷しげる)、2/17(坂田明、渋谷毅、セシル・モンロー)。

山崎さんによれば、この時期は、マキさんが目を病んで声も出なくなっていた頃であり、よく1か月間もそんなときにやったものだ、と。山崎さんはマキさんに請われ、昼間の仕事を終えたあとにヴィデオカメラを持って、文芸座ル・ピリエに何度も通ったというのだった。当時のヴィデオカメラは20分撮りのテープであり、演奏の途中で終わってしまうことがしばしばだったという。

やはりマキさんが登場すると、存在感に息を呑む。若さに勢いをまかせたような本多俊之のアルトサックスを横目に、「あの男がピアノを弾いた」を呟くように歌う。そして「ネオン輝く日々」。6日のセッションでは、いかにものヒノテルやりたい放題をバックに、「暗い目をした女優」、「あなたに~You Don't Know What Love Is」、それから「La Valse - 女たちのボレロ」か。

ところで「暗い目をした女優」の歌詞には、ミシェール・モルガンという女優の名前が出てくる。どうやらマキさんは石川県の郷里でなんどもモルガンの出る映画を観ていたらしい。山崎さんはモルガンについて調べ、50年代の映画に出ていたのだと知った。当時の映画雑誌を持ってこられたのだが、確かに、さほど「暗い目」ではない。マキさんの記憶にはそのように刷り込まれていたのかもしれない。

2/7のセッションでは、泉谷しげるとの異色なデュオ。泉谷さんはギャラを受け取ることを断固として拒否したという。2/17の映像では、セシル・モンローとのデュオで、マキさんが「夜が明けたら」を歌う。私がマキさんのライヴを観始めた95、6年ころには、すでに、ライヴのはじまりはそのデュオであった。懐かしくて身動きが出来なくなる。そして坂田明が入り「あの男がピアノを弾いた」、「貧乏な暮らし」、さらに渋谷毅が入り「マイ・マン」。

今回もまたとない上映会だった。また、はじめての国分寺gieeで、あの人やあの人やあの人とお話ができて、とても嬉しい時間だった。

●参照
浅川マキ『Maki Asakawa』
浅川マキの新旧オフィシャル本
『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』
『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』
浅川マキが亡くなった(2010年)
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演、2002年)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』(1998年)
『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』(1987-92年)
浅川マキ『アメリカの夜』(1986年)
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年)
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
浅川マキ『スキャンダル京大西部講堂1982』(1982年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』、1980年)
浅川マキ『灯ともし頃』(1975年)
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ(1973年)
宮澤昭『野百合』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』(浅川マキのゼロアワー・シリーズ)


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