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自縄自縛日記

李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』

2009-04-26 09:29:01 | 韓国・朝鮮

今回、中国には、李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』(角川文庫、1973年)を鞄に入れていった。かつて「朝鮮籍」を保有し続けた在日朝鮮人二世の作家が、批判のあるなか、1972年に韓国を訪れた後にまとめられたものだ。現在70代だが、当時はまだ30代後半だった。

ここで示されるのは、韓国での強烈な「アカ」アレルギーだ。もちろんそれは北の共和国に向けられている。そのため、李には監視が付きまとい、インタビューの記録や寄稿文は変更されてしまう。たとえば、「たとえ日本語で小説を書いても私は同じ民族の一人として祖国の心をあらわしたい」と喋ったところ、「―韓国民族の一員として韓国の心をあらわしたい」とされる、といった具合だ。もちろん、李は、祖国の統一を熱望してことばを発している。

「・・・私は双方の体制を地域的制限をもつ相対的な国家として眺め、南北いずれの体制もいわば統一国家以前の過渡的な性格をもっているとも考えているのだ。このような考え方に立とうとしている私は、「韓国民族」という相対的な民族言語よりも、「祖国」「わが民族」という絶対的言語を志向せざるを得ない。」

こういった言動、それから「朝鮮籍」を使い続けることは、現在からは考えにくいほどの韓国政府からの反応を呼び起こしてしまい、その後、1995年まで韓国から入国を拒否されることになる。本書には1973年の東京での金大中事件についても言及されているが、その金大中が大統領に就任したことを機に、李は韓国籍を取得している。

いま、金大中の太陽政策、日朝間について言えば国交正常化の努力とは正反対の、開戦さえ辞さないような異常な状況にあることを考えれば、李の思考と行動をあらためて追ってみることの意義があるのではないか。

周りの日本人よりもはるかに軍国少年であった李が、日本と朝鮮との間の距離感について発することばを、いまどのように受け止めるか。

「戦争による被害者であるかぎり、誰が誰よりも被害が大きかった、というようなことは究極においてはいえないものかもしれない。
 しかし、その戦争がきたない侵略戦争である場合、被害者であるその国民は他民族にたいしてまた加害者という名誉でない位置におかれてしまう。そして被支配者のうけた被害は支配国の側にいた国民の認識よりはるかに深いのは事実なのである。日本人の多くは「侵略」という言葉に慣れていないようだが、アジアの人々は自分の国を日本に「侵略」されたと思っている人が多い。言葉ひとつにも、事態の受け止め方は、被支配者の方が切実である。」

「ですから僕がたえずなにごとによらず思っているのは、抑圧するものが機構としてある場合には、抑圧される者の側に立って論理を追っていかなければ、本当の心理だとか判断、結論は本質的につかみ出せないんだというふうに考えているわけです。」


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