川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』(情況新書、2010)を読む。
宮古島出身、詩人・思想家。沖縄の施政権返還時には反復帰論を展開し、また、沖縄独立を想い独自の憲法案「琉球共和社会憲法C私(試)案」を発表している(1981年)。しかし、それはキーワードにすぎない。本書には、復帰前の声も、現在の発言も収められている。時にとっちらかるようなこれらの声を聴かなければ、キーワード論は意味を持たない。
なぜ復帰に異を唱えたのか。前提とされる「同一民族」も、漠然と遠くに視た近代国家も、反米も、新鮮な憲法も幻想であり(憲法9条のとらえなおしには異論もあろうが)、それらを旗印にして「祖国に帰る」のもまた幻想であると批判したからである。逆に体制の強化拡大に収斂するに過ぎないとの批判でもあった。
「”復帰、返還、奪還、沖縄解放”いずれも典型的な擬制のことばであって、そのなかでは底辺から発しられる民衆の思想が死滅に瀕していることは疑い得ない。」(1969年)
それに対して、川満は政治的に独立を考えているわけではなかった。今なお続く国家権力の暴力に対し、あたう限りひとりひとりが想像力を働かせるための楔なのだ。従って、「琉球共和社会憲法C私(試)案」も、私たちの想像力を試すものになっている。
川満の立脚点は、<ネイション>や<国体>(!)に背を向け、<個>という装置の強さに期待を寄せているところにもありそうだ。不戦、差別の撤廃、直接民主主義、納税義務の廃止などに加え、司法機関の廃止さえも謳われているのである。常に<個>の中に裁判所を持って自分を裁け、そうでなければ<個>の立ち位置はゆらぐというわけだ。単なるコミュニティ妄想ではない。やはり時間を超えてこちらを試す、過激さである。越境はその次に当然のようにやってくる。
●参照
○仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
○『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集(川満信一による朝鮮と沖縄への視線)