Sightsong

自縄自縛日記

海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』

2011-06-12 21:41:08 | 写真

先週末、写真家の海原修平さんと神保町の「さぼうる」で呑んだ。何しろ、写真集『消逝的老街』をいただいたお礼にビール6杯(中国価格)をご馳走しなければならない。折角の機会であるから、1997年にオリンパスギャラリーで海原さんの個展を観て以来のファンだという、研究者のTさんも誘った。

当然ながら、ほとんど写真の話と中国の話ばかり。曰く、写真集を日本で2000部さばくのも大変。昔のペンタックスのタクマーやトプコール58mmなどが個性的で描写が良い。コダクロームは工場や出荷単位でまったく質が異なっていて、テスト後に同じものを大量に確保しなければならなかった。そんな前提でこそレンズの色などを語ることができる。フジTXのレンズを使える中判ボディを作る話があって実現しなかったのは、イメージサークルではなくフランジバックの問題だろう。プロで生き残っている写真家は、結果的に、これと決めたことを続けてきた人たちであり(森山大道など)、アマチュアもそうすべきだ。そんなもろもろの話である。


『季刊クラシックカメラ No.11 メータード・ライカ』に収録された、フジTX-1による上海の写真

前からの疑問について訊ねた。『消逝的老街』では暗い路地もよく再現されていて、覆い焼きはどのようにしたのでしょうか、と。意外なことに、覆い焼きは基本的にしていないという。主に使ったフィルムが、T400CNなどカラーネガと同じ方式で処理されるものであり、これを感度100で使うと、ハイライトが飛ばないのだとのことだ。

確かに、話のネタに持参した『季刊クラシックカメラ No.18 ローライ』でも、ローライフレックス3.5Fによる氏の作品が掲載されており、そのようなことが書かれていた。但し、ここでの作品「上海光景・大世界」はデジタルスキャン後にデジタル処理での覆い焼きをして芸人を浮き出させている。自分の印象はそれに引きずられていた。なお、もうデジタルに移行した氏は、このローライも売ってしまったそうだ。欲しかったな。


『季刊クラシックカメラ No.18 ローライ』に収録された、ローライフレックス3.5Fによる上海の写真

話の中で、日本の写真家はやはりヨーロッパを範としている側面がある、しかし宗教というバックボーンの違いが無視できないはずだとの指摘があった。セバスチャン・サルガドだって作品は好きではないが尊敬する、との言。それならばヨゼフ・スデクも宗教ではないか、と口走ってしまった。後で思いだしてみるとそこまでの話ではなかったかもしれない。しかし、やはりチェコの文化社会の中で、大判カメラを三脚に立てて奇妙な風景やオブジェを撮り続けたスデクを、簡単にこちらの感性で捉えることはできないと思うのだ。

手持ちの『Prazsky Chodec』は1981年にプラハで発行された本で、チェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルのテキストの間に4分の1くらいの頁ほど、スデクの写真が収録されている。ネズヴァルの詩をまったく解することができないのは悔しいところだが、それでも、スデクが撮ったチェコの光と影の写真だけでも価値がある。ルーマニア出身の作家・宗教学者ミルチャ・エリアーデの小説を思い出させるような雰囲気で・・・と、やはり背負っているものが違う自分にはその程度の感想しか出すことができないのだった。

●参照
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。