Sightsong

自縄自縛日記

ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』

2010-06-21 22:26:20 | ヨーロッパ

ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫、原著1991/92年)を読む。松岡正剛をして、日本に比肩するような知的エリートはひとりとしていないと言わせた人物である。

1492年。言うまでもない。イタリア・ジェノヴァ出身の山師、クリストファー・コロンブスが西へ向かい、アメリカ海域に到達した年である。それは、大虐殺や暴力的支配や市場経済の膨張をすべて孕むグローバリゼーションを大きく駆動させた時点でもあった。もちろんこれは歴史上の「後付け」であり、時間の流れも同時代人の動きも、1491年も1493年も変わりはない。アタリはこのことを、「捏造」という言葉で表現してみせる。しかし、歴史の捏造だけでなく、1492年という結節点を中心として、ヨーロッパなるものも捏造されたのだと説く。非常にユニークな展開である。

「ヨーロッパ」の捏造。スペインからのイスラームの追い出し(レコンキスタ)、ユダヤ人の追い出しは、仮想の「ヨーロッパ」の暴力的な実現の過程であった。その結節点に向けて、印刷技術の普及というメディアの変貌、情報・意識の共有化があった。それは理性や力や恐怖をも変貌させた。アタリに言わせれば、「思想が経済の急成長に役立つための準備はすべて整う」ことになった。「ヨーロッパ」のみが人間なのであり、それ以外は怪物と見なされた。

そして結節点。アタリはこの1年間を1月から12月まで時系列で追ってみせる。それは、コロンブスの航海のみが特別な事件なのではなく、もはや滝に向かって突き進むしかなかったことを示す。無数のコロンブスがいたこと、コロンブス後の活動が冗談のように急速であったことも。

結節点の後。命名と言語と宗教の押し付けの時代がはじまる。「歴史」の捏造である。土地も先住民も、新しい「ヨーロッパ」のためのフィールドであった。それが結節点の前に膨張した「純化」の強迫観念と裏腹の関係であったことを、アタリは仔細に検証している。この病理の爆発的な拡大が、「どっちつかずの、曖昧で裏表のある、冷やかで仮面をつけた、不純で拒否的」な「近代知識人」を生んだのだとする考察は非常に面白い。

本書は1492年前後の歴史のダイナミクスのみを分析したものではない。「純化」、「排斥」、「国家」という悪い夢は、かつてのドイツにも、ボスニアにも、そしていまの日本にも現れ続けている。

「1492年は、人々が過去を葬り去れないことを教えている。過去がいつもあなた方の顔に現れるのだ。そして未来に影響を及ぼす。白紙のページはない。」

●参照
マノエル・ド・オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』
ジョン・ヒューストン『王になろうとした男』