Sightsong

自縄自縛日記

G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』

2008-11-16 23:25:51 | 中南米

NHK「BS世界のドキュメンタリー」枠で、チリ・ピノチェト政権の大量虐殺を追ったドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事~チリ軍事政権の闇~』(米West Wind Production、2007年)が放送された。それを観がてら、G・ガルシア・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書、1986年)を再読した。

本書は、ピノチェト独裁が続く80年代に、チリのドキュメンタリー映画を撮ろうとチリに帰国するミゲル・リティン監督の語りの形を取っている。リティンは反体制側であったから、当時のチリ政府のブラックリストに載せられており、故郷とはいえ入国が発覚すると逮捕されることは確実だった。そのあたりの不安な心情を、マルケスは軽妙とも言える筆致で描いている。(マルケスはかつてジャーナリストでもあったのだが、それにしても、あの『族長の秋』や『百年の孤独』を書いた人物と同一とは驚くべきことだ。)

半ば冒険小説のような出来であるからすいすい読めるものだが、しかし、監視されて下手なことを言うことができない社会の様子が感じられる。そして、中南米の他の国と同様に、米国寄りの政権がIMFからの融資を受け、見返りの新自由主義化と一部の肥え太りがなされたことの指摘もなされている。

「輸入はわずか五年間のうちに過去二〇〇年間の総額を上回ったが、それが出来たのは国立銀行の国営企業売却金で保証されたドル建ての信用のためであった。残りはアメリカ合衆国と国際信用機関の共犯によるものであった。だが、いざ代金を支払う段になると、その牙があらわれた。六―七年の幻想が一気に崩壊したのである。チリの対外債務はアジェンデの最後の年には四〇億ドルであったものが、今日ではほぼ二三〇億ドルにも達している。この一九〇億ドルの浪費の社会的犠牲がいかなるものであったかを知るには、マポーチョ川の大衆市場を少し歩いてみるだけでよい。つまるところ、軍事政権の奇跡はほんの一握りの金持ちをますます肥やし、その他のチリの国民をますます貧困の奈落に陥れたのであった。」

これが遠い国の昔の出来事であったと考えるひとは、今後も日本社会の崩壊に向けて、間接的に手を貸し続ける可能性があるだろう。「9.11」は、ピノチェトがアジェンデを葬った1973年9月11日のことでもあり、ニューヨークのそれとセットで視なければなるまい。マルケスは、第二の「9.11」を目にして何を考えただろう。

ところで面白くおもったのは、リティンが入国に際して不安を抑えるために読んでいたのが、アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(1953年)だということだった。キューバの作家、密林の遡上という点から、単純にゲバラやカストロのことを想起してしまうが、リディンが愛読した理由はいかに。本書の解説によると、マルケス自身は、ピノチェトに対する曖昧な態度ゆえマリオ・バルガス・リョサを、社会主義に対する防波堤として軍事政権を評価したとしてホルヘ・ルイス・ボルヘスを批判していたようだが、カルペンティエルとの接点はどうだったのだろうか。

『将軍を追いつめた判事~チリ軍事政権の闇~』(>> 前編後編)は、ピノチェトによる犠牲者からの告訴を受け、ピノチェト政権による犯罪の証拠を集めていくグスマン判事を追っている。拷問、暗殺などいかなる残虐な犯罪が軍ぐるみでなされていたか、その様子がドキュメンタリーの中心だった。判決が下される前にピノチェトは死に、その直前にピノチェトに殺された父を持つバチェレ大統領が就任するところで締めくくられる。

ピノチェトが死んだ際、支持者たちが集まり、「ざまあみろ、お前達は彼に判決を下せなかったんだ」と叫ぶ様子がある。グスマン判事はそれに対し、「彼らはピノチェトがしてきたことなどどうでもよかったのです」、とショックを隠せない。内奥を見ようとしないナショナリストたち、と言ってしまえばそれだけの話なのだろうが・・・。

このドキュを含め、ブラジル・ルーラ政権、ベネズエラ・チャベス政権、ボリビア・モラレス政権のドキュが同じ枠で放送された。再放送は17日からの午前中にもあるようだ(私もルーラを撮りそこねたので助かる。モラレスのドキュだけは、去年放送された「NHK33ヵ国共同制作 民主主義」のひとつである。)(>> リンク

●参考
中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』
太田昌国『暴力批判論』を読む
モラレスによる『先住民たちの革命』


沖縄・プリズム1872-2008

2008-11-16 00:04:25 | 沖縄

金曜日、ビッグサイトで話をしてテンションが妙に上がっていたので、疲れているにも関わらず、国立近代美術館『沖縄・プリズム1872-2008』を観て帰った。金曜の夜だけは20時まで開いているのだ。実際のところ、2時間ではじっくり観るのに足りなかった。

まず嬉しいことは、オリジナルプリントを観たかった写真家の作品が多く展示されていたことだ。

比嘉豊光『光るナナムイの神々』は、御嶽に射し込む光のハレーションの美しさに息を飲んでしまう。久高島コミュニティセンターで観たことがある比嘉康雄の久高島の写真群も、イザイホーという唯一無二の祭祀に居合わせた迫力とあいまって凄い。東松照明『太陽の鉛筆』は、アウトサイダーでありながら内部との関係性を見つめ続けたという点で、何かマージナルな瞬間が見え隠れする。伊志嶺隆『光と陰の島』は、6×6で撮られたであろうフィルムのハイコントラストさが被写体の存在を際立たせる。木村伊兵衛の那覇のスナップは相変わらず絶妙。技術的にどうこうではないが、岡本太郎の訪沖の記録も嬉しい。オリジナルプリントはなかったが、引きと間合いがあまりにも個性的な北井一夫『沖縄放浪』の『アサヒグラフ』での連載も展示されていた。これは、もうすぐ冬青社から発行される『ライカで散歩』に収録されるかもしれない。

時間が足りないというのは、映像をいくつも上映していたからだ。波多野哲朗『サルサとチャンプルー』(2008年)は、沖縄と移民先のキューバを重ね合わせて撮られており、とても興味深い。高嶺剛『オキナワン・ドリーム・ショー』(1974年)は、8ミリで絵にならないところをスローモーに見つめており、眩暈がした(ただ、音楽を最近の大城美佐子の歌声にしたのはミスマッチ)。森口豁『沖縄の十八歳』『一幕一場・沖縄人類館』は、以前「森口カフェ」で観たので覗かなかったが、時間があれば再見したい。

最後の照屋勇賢などのインスタレーションは、どうしても絡め取られてしまうオリエンタリズム的なスタンスの足をすくってくれるもののように感じた。

充実している。展示が終わるまでにもういちど足を運びたい。

●参考
森口カフェ 沖縄の十八歳
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘(照屋さん)
東松照明の「南島ハテルマ」