住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

今週のローラ

2009年10月15日 | 日記

  写真は中国語講座・ローラオフィシャルサイトより


今週は、 「ご家族は何人ですか?」 でした。

      您家有几口人? (ニンジャーヨウ ジーコーレン )
             
          人→レンと言います、日本人→リーペンレン     


英語では、いろいろありますが中国語と対比した表現では
      Your family do you have ?
                  とでもなるのでしょうか?

      新型インフルエンザのタミフルを作っている会社の大株主は
      某有名人、らむずふぇるど度とどこかで読んだ記憶があります。
      お世話になりませんよう、お気を付けください。  
      



在日・外国人参政権付与

2009年10月15日 | 日記
 外国人参政権問題を、民団の問題と捉えれば分かりやすいので、其処に焦点を当てて、検索を掛けてみました。 まずその大元の「戦前、強制連行、徴用された」ということは、どうなのでしょうか。 こまごまとした数値の、正誤が目的ではありませんが・・・。
  

   **** 昭和34年7月13日付 朝日新聞 ****

「昭和34年7月13日 朝日新聞 大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人
 在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
 
 これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。 主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。  増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。 また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
 
 現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。」

   **** 以上 下記より転載 **** 
  http://www.geocities.jp/pojinihon/sanseiken.html



青山繁晴氏の、ユーチューブ画像いっぱい有りました。外国人参政権について
騙されたと思って、見て貰えば危険性の理解を深められるのかな・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=9FFdbMZBWSI
http://www.youtube.com/watch?v=mPgLbLwz1Bg&feature=related