なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ288 未来に悪寒

2020年11月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第288回。11月15日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
10日火曜日、地元同級生そばがきを作って飲む会
12日木曜日、シャンティリモート面談
14日土曜日、高校同級生飲み会
その他法事が3件。
というような1週間でした。

12日朝強い霜が降って、イチョウの葉が色づく前に一気に落ちてしまいました。
地元では昔から「お寺のイチョウが散ると雪が降る」と言われてきたので、もしかしたら今年は間もなく本格的に降るのかもしれません。
昨季は雪のない冬を過ごしたので今季は覚悟していなければなりませんね。

11日、宮城県が女川原発の再稼働を容認するという発表を行いました。
福島原発から何かを学んだのでしょうか。何も学んでいないのでしょうか。
家を追われた人々の苦しみと怒りをどう思っているのでしょうか。
村井知事は「苦渋の選択だった」と述べました。ということは学んで感じてはいたのだと思います。
それでもそれ以上の、苦しみや怒りよりも強く経済が優先されると決断したということなのでしょう。
それは、未来を生きるの子どもたちへ不安や負担を残すことよりも今生きている大人たちを優先したということです。
女川町長も石巻市長も、避難経路の道路整備を要望したとあります。
事故後に避難はできたとして、一旦汚染された故郷を取り戻すことは容易ではありません、そうでしょう。バラバラになった地元のつながりを再構築するのは不可能です。農地は荒れ漁場は汚染され農水産物は何年も売れなくなります。交通事故と比べられるようなものではありません。
いくら経済が疲弊しているからといって、今日のために明日を売るようなことは政治家の役割として間違っています。
万全な安全対策を講じて、そんなのは当たり前です。福島の原発だってそうしていたはずです。それでも事故は起こったのです。絶対安全と言っていたのに。絶対安全はあり得ないということを証明したのです。
非常に残念です。同じ東北で、隣の県で、福島県民の苦しみを無視するような決定は、冒涜と言っても過言ではないでしょう。
ゼロカーボンのベースロード電源という言い方をしますが、今現在稼働している原発は九州の一基だけでもどこも節電を呼び掛けていません。
後は火力発電を再生可能エネルギーにシフトする決断をすればいいだけのことです。それが世界の趨勢でもあります。
原発事故を起こした東北でそれでも原発を再稼働させるという行為は、原爆を落とされた唯一の被爆国が原爆を作るようなものです。オレオレ詐欺にあった被害者が預金通帳に暗証番号を書いておくようなものです。
過ちを繰り返すのはバカです。
過ちから学ばなければ、過ちの経験を無駄にすることです。人の過ちを自分のことだと学ばないから繰り返すのです。人の痛みを痛みとして感じないから同じ目に遭うのです。
あんな大きな苦しみから10年も経たないうちに、痛みを忘れ元の木阿弥に帰してしまう。悲しいことです。

再生可能エネルギーはいろんな分野があります。
太陽光発電は田んぼの上でもできます。洋上の風力発電も進んでいます。森林資源は石炭と同じ原料です。山と水の国日本は小水力発電の可能性にあふれています。火山国ということは地熱の国でもあるということで地熱発電が可能です。総合的に日本は再生可能エネルギーの宝庫と言えます。
しかも、電気の供給を大きな会社に依存するのではなく、地元にある小さな電源資源をまとめて地元に供給すれば送電のロスもなく地元の財源をよそに吸い上げられることもありません。
大会社の経営を支えるために原発を動かすような愚かな選択はすべきではありませんでした。

グレタさんがトランプをたしなめたように、大人は子どもたちの未来のための選択と決断をしなければなりません。
子どもたちの未来を奪うような行為には子どもたちがNOを突き付けるべきです。
なのに、この国の10代20代の若者は、政治に口を出すこと意見を言うことを否定しているようです。体制を批判することはバカげているとでもいうように、政府を肯定しています。
そのこと自体を怖ろしいと思います。
この国は、現状を批判しないような子どもを育てる教育してきたということでしょうか。長年かけて。
上を見て顔色をうかがうことを学び、忖度できる人が出世する社会が定着し、それができない人は落ちこぼれ負け犬となり、一部の人だけがいい思いをする世の中に、批判をすること自体がバカげている、お上の決めたことには黙って従う、生活がよくないのは自助努力が足りないのだ、能力のない人間は生きている価値がないから早く消えた方がいい、と思うような若者の国に明るい未来はないと思ってしまうのは私だけでしょうか。
とても強い危機感を感じています。

何を忘れても夕方に酒のコップを持つことだけは忘れない田舎の農家の親父たちと、ほろ酔い泥酔いのつき合いをするのは楽で楽しいことではあるけれど、時折現状に酔いが醒めてしまうような悪寒を感じます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。