なあむ

やどかり和尚の考えたこと

コロナを越えて 当に願わくは衆生と共に

2020年12月30日 05時26分25秒 | 布教活動
北海道えりも町の佐野俊也師からの呼びかけで7名の布教師が寄稿した『コロナを越えて 慈しみの中に光を』が刊行されました。
私も一文寄せましたのでここに転載いたします。

慈悲の社会化
 公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)は、1980年のカンボジア難民キャンプの支援活動に端を発し、以来四十年、慈悲の社会化を目指し、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー難民キャンプ、アフガニスタン、ミャンマー国内、ネパールへと活動地を広げてまいりました。また国内では、阪神淡路大震災をはじめとして各地の自然災害において緊急救援活動を行ってきました。
 今般、新型コロナの世界的な感染拡大に伴い、支援国の現場から緊急支援の要請を受け、ネパール、アフガニスタン、ミャンマー難民キャンプで支援を行いました。これらの地域には、手を洗うきれいな水もなく、石鹸の存在も知らない人々がいます。さらには文字を読めない大人たちも大勢います。医療体制が脆弱なネパールでは、病院や保健所に消毒液や防護服、石鹸やマスクなどの衛生用品を支援しました。アフガニスタンでは文字が読めない人々のために、感染予防の対策をイラストの看板にしたり、パンフレットにして配布しました。また、オンラインやビデオでの絵本の読み聞かせの形を試行しています。また、日本国内で十分な教育が受けられない外国人由来の子どもたちに絵本と文具の支援を行いました。
 自然災害にしろ、戦争や内紛、そして感染症においても、真っ先に深刻な被害を受けるのはほとんどの場合社会的弱者です。難民、外国人、障害者、貧困層、老人、子供、女性、非正規雇用者、一人親世帯などなど。平生の暮らしでも厳しい状況にある人々が、いざという時にさらに厳しい状況に追い込まれるというのが常です。健常で強い者が優先され、弱者が後回しにされる、あるいは置き去りにされる社会は、健全で成熟した社会とは言えません。
また、今回問題となった「自粛警察」という一般市民による監視と攻撃のように、非常事態時には誰かを踏みにじっても自らを守ろうとする利己的な行動が起こりやすいものです。
いざという時に本性が現れるという光景は、これまでの被災現場で何度も目にしてきました。僧侶も、いざという時の行動に本性が明らかになると言えるでしょう。
東日本大震災の津波で家を失った人々が高台に避難してそのまま避難所になったお寺と、避難先とならなかったお寺があります。立地条件にもよるでしょうが、そればかりでなく、常平生から行きやすいお寺とそうでないお寺、もっと言えば、信頼度と親和性があるかないかがいざという時に現れたのではないかと思いました。
被災地ではそのほかに、遺骨の安置、支援物資の集積、ボランティアの宿泊所として開放されたお寺もありました。また、読経による慰霊や傾聴活動など、行動による支援を行った僧侶もたくさんいました。
 一方、行持綿密の中で被災者に心を寄せられた僧侶もいらっしゃったでしょう。
 「守るとも思わずながら小山田のいたずらならぬかかしなりけり」と高祖様(道元禅師)が詠まれているように、只管打坐こそが人々の救いになるという姿勢も当然否定しません。被災地に思いを寄せ、歯を食いしばりながら坐禅を行じられた方、祈りを込めて朝課を勤められた方もいらっしゃったに違いありません。そういう僧侶の言葉や態度にはきっと周囲の人々を安心させる力と、生き方の示唆があっただろうと思います。
 ボランティア活動などの社会活動を、行持を綿密に行じない言い訳にしたり、自分が目立つためのパフォーマンスにしたりすることは厳に慎むべきです。
 「他を利すること多かるとも、このことのゆえに己のつとめに怠るなかれ。己の本分を覚り、そのつとめにこそ専心なれ」。(法句経166)
 私がボランティア活動にかかわっていることを知る方から尋ねられたことがあります。「三部さん、高祖様の教えとボランティア活動に矛盾を感じないのですか」。つまり、只管打坐の高祖道とボランティア活動は相容れないものではないのか、という問いだったでしょう。私も同じ思いを感じなかった訳ではありませんでした。しかし、果たしてそうなのか、高祖道というのは、深山幽谷に住して紅塵に交わらないこと、社会の苦悩から超越した世界にのみベクトルが向けられているのでしょうか。私はそうは思いません。
 ボランティアと菩薩行についてはこう思います。「ボランティア」の語源は「自発性」を意味し、徴兵(ドラフト)に対して志願兵をそう呼びました。現在では民間が共助の形で奉仕活動を行う災害などの非日常の活動をボランティアと呼ぶことが多いと思います。
 SVAの初代会長松永然道師(1935~2017)は「我々の活動は、我々のような団体がなくなるためにやっているんだ」と、よく語っておられました。つまりそれは、どんな非常事態にでもお互いが助け合い、支え合って生きていくことが当たり前の社会、ボランティアなどという特別な存在が必要のない社会になることを目指すという意味でした。
 一方菩薩行は、仏教徒としての日常の生き方で、場所や時期が限定される「特別な」行為ではありません。大乗において戒律を「菩薩戒」と呼ぶ所以です。
 しかし、人の苦しむ姿に苦悶し痛みに共感する慈悲心の発露、止むに止まれぬ思いを行動の原点とするという意味では、菩薩行もボランティア活動も同じだと言えます。

二人の先達
衆生の苦悩と共に生きた二方の先達の話をさせていただきます。
 その一人は、1979~80年を中心に、カンボジア難民キャンプで救援活動を行ったカンボジア僧侶マハ・ゴサナンダ師(1929~2007)です。
師は、カンボジア側からタイ側に逃れようとジャングルをさまよい飢えや病で倒れた人々を、トラックに乗せ難民キャンプまで運ぶという活動を行っていました。それを遠巻きに見ていた上座部の僧侶たちから「難民には男性もいるが女性もいるだろう。あなたはトラックに乗せる時女性に触れたのか。それは破戒ではないのか」と問われました。
ゴサナンダ師は微笑みをもってこう答えます「確かに女性にも触れました。それは破戒に違いありません。しかし、ここに釈尊がいらっしゃったらきっと同じことをされたのではないでしょうか。少なくとも目をつぶってくれたに違いないと思います」と。
師は、カンボジアの平和と復興のために「ダンマヤトラ(法の行進)」などの活動を続け、開発僧のリーダーとして後進を育て、ノーベル平和賞の候補ともなりました。
師は語っています「多くのカンボジア人が、僧侶は寺に属するものだというのです。しかし私たちは、自分たちの寺を出て、苦しみに満ちた現実という寺の中に入ってゆく勇気を持たなければなりません。自らが寺となるのです」と。(マハ・ゴサナンダ著『微笑みの祈り』)
 もう一人、道元禅師と同じ時代に生きた真言律宗の僧侶に叡尊上人(1201~1290)がいます。叡尊上人はその弟子忍性(1217~1303)などと共に、ハンセン病の患者を救済する「北山十八軒戸」という療養施設を建て、風呂に入れ、施食を行うなど様々な社会救済活動を行ってきました。
 その行動の原点となったのは『文殊経』で、その中にあるのは「生きた文殊菩薩に会おうとするならば慈悲心を起こせ、何故なら文殊菩薩がこの世に現れる時は貧窮孤独の身となって現れるからだ」という教えです。そこで、弟子たちに「さあ、文殊菩薩の背中を流してさしあげよう」と呼びかけ、ハンセン病患者を入浴させたといわれています。それが叡尊であり忍性の活動でした。それは釈尊に帰れという運動でもありました。
 叡尊のスローガンは「興法利生」で、すなわち、当時遵守されなくなっていた戒律を重視し釈尊本来の仏教に立ち戻ろうとした戒律復興の活動であり、そして、当時と呼ばれ社会的に疎外された階層の人々を中心に救済の手を差しのべてゆく救貧施療の活動でした。叡尊にとって「興法」と「利生」は別ものではなく「戒律を復興し本来の仏教を追求することは民衆救済に直結する課題」だというのが叡尊の主張でした。(西大寺HP)
 SVAの活動をスタートから導いてきた先達、有馬実成師(1936~2000)は、その行動の拠り所を叡尊に見出していました。

 マハ・ゴサナンダ師や叡尊上人の心は道元禅師にも通底していると私は受け止めています。『随聞記』に、「故僧正建仁寺に御せし時」として次のような逸話があります。
 栄西禅師が建仁寺に居た時、一人の貧窮の人がやってきて「家が貧しくここ数日ご飯を食べていません。家族が飢え死にしそうになっています。お慈悲をもってお救いください」と頼みました。その時寺には与えるべき食料も衣類も財物もありませんでしたが、ちょうど薬師如来像の光背を造るための打ちのべた銅が少しありました。栄西禅師はそれを自ら打ち折り、束ねまるめて貧者に与えました「これで食料と交換して飢えをしのぎなさい」と。
それを見ていた弟子たちは「仏様の光背を俗人に与えるのは仏物己用の罪ではないですか」と非難します。それに対して栄西禅師は「その通りである。しかし、目の前に飢え死にしそうな人があれば自分の肉や手足を割いても与えるのが仏の心であろう。たとえ私がその罪で地獄に堕ちようとも生あるものの飢えを救うべきである」と答えました。
 この故事を紹介して道元禅師は、「先達の心中のたけ、今の学人も思うべし、忘るる事なかれ」と述べておられます。(随聞記3―2)
 また別のところでは、人が来て一通の書状を頼まれたとき「私は俗世を捨てた人間であるから」と断るのは世間の評判を気にしているのである。仏菩薩は人が来て頼むときは自分の身の肉でも手足でも切って与えるのである。わずかな世間の評判を気にしてその頼みを聞かないのは、自分のことばかり考えている間違いである、と示しています。(同2―16)
高祖様は、深山幽谷に坐して自己究明の上求菩提のみを目指していたわけではない、釈尊を慕う他の祖師方と同じく、釈尊の心を我が心として、衆生の苦悩に向き合い、救いの道を歩まれたのだと私は信じます。「愚なる我は佛にならすとも衆生を渡す僧の身ならん」の御歌にその御心を受け止めます。

自らが寺となる
 さて、コロナ後の社会ですが、これを契機に生活様式や価値観はどのように変わるでしょうか。
 パソコンのオンライン、リモートを利用した働き方が定着すればいろんなことが変革していくと思われます。
 ある大学の先生がこう言いました「コロナ以前からテレビ電話いわゆるリモートを活用しようという提案はあったが、あまり普及しなかった。それが、そうせざるを得なくなって利用してみると意外に活用できることに気づいた。そればかりか、これまで積極的な学生と消極的な学生に対応するのに差を感じていたが、リモートだとそれが平等にできることも分かった。リモートの授業はなんと出席率が100%だ。大学は校舎や場所を指すのではなく学びの提供だから、今後キャンパスの存在意義が問われることにもなるだろう」と。
 その気づきはコロナ過の状況の中、多方面にわたる業種で起こっていると思われます。そしてそれは、場所の意味の問い直しと必要なものの優先順位をつけることを迫られているのだと思います。なぜそこでなければならないのか、なぜそれが必要なのか、の問いです。
 職場を都会に求める意味が問われるでしょうし、職業の淘汰も起こるように思います。
 お寺であれば、なぜお寺に行かなければならないのか、その意味は何かがこれまで以上に厳しく問われるように思います。その疑問に答えていかないとお寺の未来はないのではないでしょうか。大学がキャンパスの存在意義を問われるだろうというのと同じく、仏教は必要であってもお寺の必要性はあるのかと問われるのではないかと思うところです。
 そこで心に迫ってくるのはゴサナンダ師の「私たちは、自分たちの寺を出て、苦しみに満ちた現実という寺の中に入ってゆく勇気を持たなければなりません。自らが寺となるのです。」という言葉です。
 「自らが寺となる」とはどういうことか。
 「大学は場所ではなく学びの提供だ」という言葉を借りれば、「お寺は場所ではなく救いの提供だ」ということになるでしょう。さらには、お寺に居てお袈裟をかけた人を僧侶と呼ぶのではなく、人々の救いになる人を僧侶と呼ぶのだ、ということになるでしょうか。
 瑩山禅師初開の道場、阿波の城満寺四世大槻哲哉老師が城満寺復興の勧募で全国を行脚されていた折り小寺にも訪ねてこられ、お願いして寺に泊まっていただいたことがありました。そのお話その姿勢から示される教えはたくさんありました。その時私は、「城満寺はすでに歩いている」と感じたものでした。僧侶のはたらきにより、寺は動きもし歩きもするものだと思います。
 寺の存在には何の意味があるのか、それは僧侶がどう生きるのかが問われることであり、その問いは今後さらに厳しく突き付けられてくると思われるのです。
 仏の教えにより目の前の苦悩を救おうとするのが僧侶であるならば、自らが苦しみの中に入っていかなければなりません。自分は安全な場所に身を置いてこちらに来たら助けるというような傍観者であってはならないでしょう。自らがお寺となって苦しみの世界に身を投じなければ、お寺そのものが救いから遠い存在になってしまいます。

利行は一法なり
 ボランティア活動にかかわって学んだことはたくさんあります。その一つは、慈悲心があるからボランティア活動をするのではないということです。ボランティア活動を通して自らの慈悲心に気づき、開発し養っていくのです。仏の行為をもって仏となり、菩薩の行いによって菩薩が出現します。
 次に「利行は一法なり、普く自他を利するなり」の教えが腹落ちしました。三輪空寂の利他行はそのまま自利となり、三輪空寂の自利行はそのまま利他となります。利行に自他の区別はありません。「自らが所作なりというともしずかに随喜すべきなり」です。ボランティア活動で救われるのは自他共です。
 そして「衆生を利益すというは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり」の教えも目の当たりにしました。阪神淡路大震災の現場で、被災者が積極的にボランティア活動にかかわっている姿を目にしました。心のケアの専門家から「自分を救う最も早い方法は他人を救うことである」ということを学びました。苦しい状況にある時にこそ、人の幸せを願い行動を起こすことを勧めたいと思います。逆に言うと、常に人の幸せを願える人はどんな状況においても救われているのだと思います。
 「当に願わくは衆生と共に」。僧侶は衆生の苦しみと共に歩むことを願わなければなりません。衆生の苦しみの中にこそ僧侶の存在意義は見出されるのですから。

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