三ちゃんのサンデーサンライズ。第481回。令和6年8月25日、日曜日。
23日金曜日は前住職地である宿用院の施食会でした。
私が住職の時から昼の暑さを避け夜の法要としました。
そのための仏具や環境も整えてきました。
それでもこの夏一番のとても暑い夜でした。
和尚さんたちはお袈裟までびっしり汗をかいてお勤めされました。
総代から「今年は700回大遠忌の年だから瑩山禅師の話をしてくれ」という要望で法要終わって少しお話をしました。
檀家からそのような要望が出るというところがありがたい寺だと思います。
瑩山禅師は「師檀和合して、親しく水魚の昵(ちか)きを作し、来際一如にして、骨肉の思いを致すべし」との言葉を遺しています。
住職と檀家は水と魚の如く親しく、血を分けた親族のように一つになって事にあたりなさい、という教えです。
宿用院の住職になってから、そのような寺を目指してきました。
檀家数が少ないだけに「我が寺」という思いは檀家に強いと思います。
宿用院は開創から今年で630年。
今は愚息が40世住職ですが、これからも師檀仲良く、末永くこの寺を護っていって欲しいと願います。
昨日土曜日は白鷹町常安寺様の萬燈供養での法話を務めました。
萬燈供養だけに、こちらも夜の法要です。
この法要は、ほとんど山形にのみ伝わる珍しい法要で、萬燈の名の如く、電気を消した本堂の大間にたくさんのローソクを立てその中で行われる法要です。
大がかりな舞台装置も必要であり、夜でないとできないことから、普通は晋山式などの大きな法要に合わせて行われるのですが、常安寺様では毎年お盆の先祖供養として修行されています。
萬燈供養の起源として以下のような物語が伝えられています。
お釈迦様が祇園精舎におられた時のこと、ナンダという一人の貧しい女性がおりました。
諸国の王をはじめ多くの人々が、仏様をはじめ多くの僧に供養するのを見て、自分もわずかでも供養したいと願いました。
その当時、夜になると、お釈迦様のまわりには多くの人が集まって、灯火を供養して説法を聞いていたのです。
ある日決心したナンダは、一日中街を回り、物乞いをして、やっとのこと、わずかのお金を得ました。
そこで油屋に行って、そのお金で油を求めたのですが、油屋の主人は、こんなわずかの油で何をしようとするのかと問うたので、ナンダは自分の思いを語りました。
これを聞いた油屋の主人はあわれんで、お金の何倍もの油をわけてくれたのです。そこでやっと小さな灯火を灯して供養することができたナンダは、次のように誓いました。
「我、今、貧窮なり、是の小灯をもって供養す。この功徳をもって来世智恵の照らしを得て、一切衆生の垢闇を消除せしむ。」(私は貧しいものですから、こんなささやかな灯火しか供養できません。でも、この功徳で来世には智恵の灯火を得て、世の人々の迷いの闇を除かせてください)と。
その夜、ほかの全ての灯火は消えてしまったというのに、ナンダの供えた灯火だけは明々と輝き続けました。
明くる朝のこと、お釈迦様のお弟子の目連尊者が、なおも燃え続けるこの灯火を見て「夜が明けたのに灯火が燃え続けるのはもったいない」と消そうとしましたが消えません。手で扇いでも消えないので衣で扇ぎましたが、それでも消えません。
それを見ておられたお釈迦様は「この灯火はあなた達の手では消えないよ。たとえ大海の水を注いでも消えないよ。そのわけは、この灯火は、多くの人々を救おうする仏心をもった人の施しだからだよ」と、教えられました。その後ナンダは出家を許され、お釈迦様のお弟子となったのです。
貧者の一灯。
命をかけて人々を救おうとする心の灯火こそ、何物にもまして光り輝く供養であるという、ナンダの物語に起源があるとされる、萬燈供養です。
これは、萬燈供養の法要解説用に『賢愚経』を元に私が作った文章です。
一本のローソクに込めた先祖を敬う心がその人の進むべき道を照らすことを祈ります。
今週の一言
「檀那を敬うこと、仏の如くすべし」瑩山禅師
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
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