なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ346 共喜のさた

2022年01月02日 04時23分40秒 | サンサンラジオ

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第346回。1月2日、日曜日。

新年あけましておめでとうございます。
2022年、令和4年が、皆様にとりまして充実した一年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
年末から大雪となりまして、除夜の鐘、元朝祈祷と除雪の繰り返しで年が明けました。
コロナ過も丸2年が経ち、新しい日常に慣れつつあり、新しい発見もないわけではありませんが、仕事を失い貧困生活に苦しむ人々にとっては、やはり早く収まって、仕事の見つかる日常が一日も早く戻ることを切に願っているに違いありません。
ただこれが、長引くというよりは、これが日常として今後も続くということであるのならば、戻ること以外の選択肢を考えていかなければならないかもしれません。
自然災害の多発が地球温暖化の影響によるものであり、人間の生活そのものを見直す必要があるという事実を突き付けられたように、世界的な感染症が現代の人間に対する何らかの警鐘であるのならば、謙虚に我が身に引き当てて足元を見つめ直すきっかけにしなければならないと思います。
そうでなければ、この感染症により命を落とした方々、その家族、そして、日夜格闘し続ける医療従事者の方々に対して真に申し訳けないと思うところです。

「成長と分配の好循環」というのが現政権の看板のようですが、果たして今後、経済の「成長」など見込めるものでしょうか。
人口が減少し続けていく状況、しかも高齢化によってその割合として働き手が減少していくという現状では、この国全体の収入が減っていくことは当然のことであり、それは当然税収が減るということでもあり、それが分かり切っている未来に成長などあり得ないと思うのですが。
更にコロナ過が長引いて、支援策がかさんでくれば、それは未来に借金を増やしていくばかりで、借金を抱えたまま成長しろというのは未来を担う子どもたちに酷というものでしょう。
やはりここはもう、成長ではない生き方、成長しなくても幸せに生きる「生き方の改革」を目指していくのがいいように思います。
最上町などは、自然に恵まれているというか、自然しかない町ですが、その自然を最大限活かし、自然の中から必要なものを生み出す生き方、明治時代頃までは実際にそのように生きてきたわけで、まさに資源の地産地消を目指すべきだと思います。
たとえば電気、町の公共施設だけで年間2億円ほどの電気を買っています。それなのに、町でできた太陽光などの電気は企業の利益として町外に持ち出されています。
電気を造る能力があるのに町外の企業に持って行かれ、そして町外から買っているのです。実にもったいないと思います。
電気を造る能力は、森林や水資源もあります。家畜の堆肥、温泉熱、風もあります。
それらが電気となります。明治時代とは違います。明治に帰れと言っているのでもありません。
地産地消は、「ここに生きる」ことを喜ぶということです。生きる喜びを自分で作り出すということです。
生きる喜びを作り出すのに特に成長は必要ありません。お金より必要なのは「生きる喜び」です。
経済の「分配」よりも喜びの「共有」です。
限られた分母を分け合う、奪い合うのではなく、限りあるものを喜びとして共有していくのです。共有することが喜びでもあります。
それが「生き方改革」だろうと思います。

コロナ過の2年の間に、もがみ地域新電力立ち上げを一歩前に進めてきました。
地産の喜びを共有する地酒の製造を始めました。
地域の宝を再発見する花の鶴楯を創るプロジェクトをスタートしました。
それらはみな、ここに生きる「喜びの創造」です。
成長というならば「共感、共喜」の成長です。
やるならば「共喜のさたでないと」いけません。古いな。

今年も、楽しくなければ生きてる甲斐がない、という生き方を目指します。
「共喜」してくれる方を求めて生きていきます。
求めていないと出会えません。
求めていないと出会っても気づきません。
求めていないと発見がありません。
求めていないと発見の喜びを感じることができません。
自らの生き方を求めていきましょう。
自らの喜びを自ら作っていきましょう。
コロナ過を楽しく生きてやれ。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。