なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ190 前後裁断

2018年12月23日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第190回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月23日、日曜日。

昨日は冬至でした。小豆かぼちゃを食べてゆず湯に入りました。
太陽の寿命が極まる日「一陽来復」。
今日からどんどん日が長くなると考えると希望を感じます。

今年1年間色々なところへ出かけました。
タイには結局3回行きました。国境を越えてカンボジアへ、ミャンマー難民キャンプにも行きました。
国内では、広島、栃木、新潟、岡山、長崎、京都、永平寺、總持寺などなど。
あちこち行ったから何だということではありません。
「お忙しいですね」などと言われることはありますが、誰にとっても一日は24時間であり、一年は365日と決まっています。
「忙しい」というのは、次々に用事があるということですが、どれほど用事が続いても、24時間365日が短くなったり長くなったり、減ったり増えたりするわけではありません。
決められた時間をどう過ごすのかだけの問題です。
ただ、今という時間を精いっぱい過ごすためには、過去を引きずらないということは大事かと思います。
昨日の残像が残っていると、今日という日に重なってハッキリと見えなくなるかもしれません。
昨日は昨日で裁断して、今日に向かう。今日が終われば今日で裁断する。
それを「前後裁断」と言います。
「前後」ですから、未来、明日のことも裁断するのですが、それはそれほど問題ないかもしれません。
やはり、過去にとらわれる方が影響が大きいように思います。
前後裁断といっても、今日がよければそれでいいというような、刹那的な過ごし方を勧めているわけではありません。
昨日の反省から今日を修正するということは必要ですし、明日に向かって今日準備しておくということももちろん必要です。「修正」と「準備」は今日の用事です。
「反省」だけにとどまって「修正」することを怠ることや、「準備」と言いながら考えてばかりいることを、今を生きていないというのでしょう。
過去から未来につながる「今」を怠らず、為すべきことをなす、ということでしょうね。
だとすれば、どんなに用事が連続している人も、何も用事がない人も、今日をどう過ごすのかということでは何ら変わらないということです。
何か、バタバタ動いていると仕事をしているような、何かの役に立っているような気になりますが、そんなことで左右されてはなりません。
同じことの繰り返しの毎日であっても、今日を充実して過ごせればいいことであって、それが劣っていることでもつまらないことでもないでしょう。比べるものではないのですから。
ベッドの上で寝たきりになることが人生の最後の過ごし方であるならば、それすらも「こんなものか」と受け止めてみたらいかがかと思います。
もちろん、今そんな状態にないのだから勝手なことを言うなと叱られるかもしれませんが、だけど、これまで生きて寝たきりの生活をされたたくさんの方々はみんな同じような思いでいたわけで、自分もそうなったなら、先人たちと同じ思いを味わいながら生きてみたいと思うのです。
その時にならなければ分からない思い、その時でなければ語れないこともあるでしょう。いや、たとえ語れなくても、その姿をさらすことによって、体で何かを伝えられるはず。
見ようと思わなければ見えません。聞こうと思わなければ聞こえてきません。
今日何を見ることができるのか。何を聞くことができるのか。
まずは今日。まずは今。
日めくりの残りはあと9枚です。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。