なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ189 愛おしいもの

2018年12月16日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第189回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

12月16日、日曜日。

雪は積もりましたがまだまださほどのことはありません。
除雪が楽な程度に降ってくれればと望んでしまいますが、天には届かない願いでしょう。

コーサラ国のパッセナーディ王がマッリカー夫人に聞きました
「そなたにとって最も愛おしいものは何か」。
夫人はしばらく考えてから答えました
「王様、それは私自身です」と。
夫人は王様に尋ねました
「王様にとっては何ですか」。
王様は考えてから答えました
「それは私も私自身だ」と。
高楼から国の人々を眺めながら、「自分は王として万民を第一に愛おしむべきではないのか」と思い、夫人は「私は、妃として最も王様を愛おしむべきではないか」と考えました。
そしてその疑問を、心から帰依するお釈迦様に尋ねることにしました。
するとお釈迦様はこう言いました
「その思いは正しい。人は自分より愛おしいものを見つけることはない」と。
そしてこう付け加えました
「だから、自分の愛おしさを知る者は、他を害してはならない」と。

誰にとっても、最も愛おしいのは自分自身です。
でもそれは人間ばかりではなく動物にとっても同じなのではないか。
人間が動物と違うのは、自分にとって自分自身が最も愛おしいと「知り」、だからこそ、同じように他の命も傷つけてはならないと「分かる」ことなのでしょう。
自分がかわいいだけで止まってしまえば動物と変わらないことです。
近年の日本人の動向をみていると、「自分かわいさだけ」ではないのかと思われてなりません。
社会で生きていくためには、時には、自分かわいさをを抑えて我慢しなければならないことも起こってきます。
自分の思いと相手を慮る気持ちで揺れて、悩んで、苦しんでしまうのも人間故であり、それでこそ人間というものなのだと思うところです。
動物と違って、人間として「知り」「分かる」ことによって、自分が嫌なことは相手も嫌なはずだと感じ、人の痛みを「痛いだろう」と想像することもできるはず。
なのに、赤の他人ではなく自分の親や我が子の痛みすらも感じることができないのではないかと思われる事例があまりにも多いと思いませんか?
また、批判を恐れずに言えば、独りの方が楽だという理由で結婚しない人が増えてきているように思いますが、命の継続のためには個人的な要望や煩わしさよりも優先すべきことがあるのではないかと思ってしまいます。
親子の関係は社会の基本ですから、そこが崩れれば社会全体が崩れることになるでしょう。

人間性が弱くなってきているのですか。
「人間は他の動物とは違う」と自覚しながら生きなければ人間らしく生きられないということでしょうか。
自国ファーストという方向性は自分ファーストに向かうかもしれません。経済第一という流れが自分第一に向かうようにも思います。
いずれにせよ、その方向が人間から離れて動物に近くなっていくことを誘発するのだとすれば恐ろしいことです。国の施策が人間らしさを奪うことになるかもしれないからです。

お釈迦様がおっしゃった「己の愛しさを知る者は、他を害するなかれ」という教えは、人間が人間として存在する証明のような教えだったのかもしれません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。