なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ63

2016年07月10日 05時38分53秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。

7日、悲しいニュースが舞い込んできました。
池田弦ちゃんが亡くなったと。
フェイスブックで見かけて、何か冗談を言ってるのだろうと気にも留めていませんでした。
しかし、8日実弟の純さんから通夜と告別式の情報が流れましたので、マジか!と目を疑いながらも現実と受けとめる以外にありませんでした。

弦ちゃんは、声楽家で、日本では数少ないカウンターテノールの歌い手として知られていました。
お母さんのヴァイオリニスト敏美さんが最上町の髙嶋さんと再婚されたご縁で、最上町とのつながりができました。
町の小学校で音楽指導を行い、クラシックの音楽家としては珍しく、お母さんとともにどんな小さな場所でも気軽に演奏活動をしてくれました。
松林寺集中講座でも、河北町キャンドルナイトでも歌っていただきました。

特に弦ちゃんと親しくなったのは、震災後でした。
震災の年の6月、まけないタオルの活動が始まって、「まけないタオル」の歌もできたばかりの頃、やなせななさんと被災地にタオルを届けるツアーをしました。その日程の最後に、松林寺の大般若でも歌っていただきました。
まだ、CDもできてなく、最上町では最初のまけないタオルでした。
そのコンサートを聴いた門前の亘君が、ななさんの控え室に「是非子どもたちにこの歌を歌わせたい」と許可を求めてきました。
彼女は快く承諾してくれて、それを学校で歌うために、亘君が弦ちゃんに相談を持ちかけたのでした。
弦ちゃんは、知り合いの編曲者に依頼してまけないタオルを合唱曲に仕上げてもらい、子どもたちに指導をしてくれたのです。
すると、この歌はたちまち町の学校に広まり、全小学校で歌の指導が行われるようになりました。今月の歌のように毎日毎日学校で流れ、町の小学生でこの歌を歌えない子供はいませんでした。

さらに、子供から大人に伝わって、まけないタオルを歌う老若男女混声合唱団ができました。
8月には被災地支援コンサート「音の風」が最上町で開催され、県内外からの140名の合唱団に600名の来場者が集まりました。
そのプロデュースを任されたのが弦ちゃんでした。
見事な構成と演出でした。
会場が一体となって盛り上がり、大きな感動を呼びました。
更に風は広がり、「音の風」コンサート東京開催も行われました。
他にも、最上町での福島から子供たちを招いてのサマーキャンプ。
埼玉加須市での双葉町避難所のコンサートなど、弦ちゃんと一緒に活動した思い出が沢山です。
いろんな所で一緒に酒も呑みました。楽しかった。

最上町に歌の力を植付けてくれた功績はとても大きいです。
歌を通して明るく元気になれる、心を一つにできる、それを実践して見せてくれました。
コンサートを明るく楽しくしてくれる力は、単なる性格だけではなく、彼の勝れた能力だったでしょう。
その歌声が今でも耳にあります。
生の声がもう聴けないと思うと、無性に寂しくなります。
残念、無念!
幼くして父を事故で亡くした弦ちゃん。
48歳、彼もまた、あまりにも若すぎる別れに、戸惑うばかりです。




今週はここまで。また来週お立ち寄りください。