詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇113)Joaquín Lloréns

2021-10-26 12:57:55 | estoy loco por espana

Obra Joaquín Lloréns

Técnica. Hierro. Madera 48x29x27 S. M

¿Dónde están las tres ruedas conectadas y apoyándose entre sí?

Cada anillo crea un espacio y el espacio vacío sostiene los tres anillos en el aire.

Nace un nuevo universo en los tres círculos.

Las fuerzas atractivas y repulsivas antagonizan y dan a los tres anillos una nueva forma.

 

三つの輪はどこでつながり、支えあっているだろうか。

それぞれの輪が空間をつくり、その何もない空間が三つの輪を空中で支えている。

三つの輪のなかに、新しい宇宙が誕生する。

引き合う力、反発する力が拮抗し、三つの輪に新しい形を与える。

 

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ウィリアム・I・エリオット『谷川俊太郎の詩を味わう』

2021-10-26 12:11:08 | 詩集

 

ウィリアム・I・エリオット『谷川俊太郎の詩を味わう』(ナナロク社、2021年9月30日発行)

 谷川俊太郎の詩、英訳、ウィリアム・I・エリオットの批評(英文)を翻訳したもので構成されている。英訳には西原克政、川村和夫が参加している。
 「意味」が明快な詩は翻訳できるかもしれない。しかし、意味があいまいなものはむずかしいと思う。そのむずかしさをどう乗り越えているのか。
 「いるか」。

いるかいるか
いないかいるか
いないいないいるか
いつならいるか
よるならいるか
またきてみるか

 谷川の詩のおもしろさは「いるか」が「イルカ(動物)」と「いるか(存在するか)(動詞)」のあいだで揺れるところである。一行目は「イルカ(動物)いるか(存在するか)」と読むことができると同時に「いるか(存在するか)いるか(存在するか)」と畳みかけて問うているとも読むことができる。最終行に「いるか」が存在しない(いない)というのもおもしろく、さらに「いるか」が「みるか」に変化しているところがおもしろい。
 これを外国語にするはむずかしいだろうなあ、と思う。
 英訳は、こうである。

Are there dolphins? 
Are there no dolphins?
No, there're no dolphins. 
By when will there be dolphins? 
By night-time will there be dolphins? 
Will you come back again and look?

  英訳は、「dolphins」を多用している。三行目を疑問文ではなく肯定文にしている。最終行だけ「dolphins」をつかっていない。そして、最終行を疑問文にしている。
 とても不思議な気がした。
 「いるか」はたしかに「イルカ」を連想させるが、私は「イルカ」は「いるか」という音が呼び寄せる幻であり、谷川は「いるか(在宅するか)」という問いを「遊び」に変えていると読んでいた。
 誰かの家を訪問する。そのとき訪問者(谷川)には連れがいる。ふたりの会話。あえて、意味だけにして書いてみると。「の」を補足して読むと。

「おい、いるのか(在宅しているか)」「いるのか」
「いないのか」「いや、いるかもしれない」
「いないさ、いないのさ(るすなのさ)」「でも、もういっかいきいみよう、いるか」
「いつならいるのかなあ」
「よるならいるのなかな」
「また(よるか、別の日に)きてみるか」

 いまは携帯電話が普及しているから、こういう突然の訪問、在宅か留守かわからない、どこにいるか問い合わせようがないということはほとんどないだろうけれど、昔は、こういうことがあったのだ。
 私は学生時代、東京の池井昌樹を訪ねたことがある。手紙で事前に知らせておいたが、東京駅ではすれ違ったようで、会えなかった。仕方がないので池井の下宿先へ出向き、池井の部屋で寝ながら待っていた、ということがある。そういうことを思い出しながら、読んだ。
 最終行は、ひとりで訪問したのなら、きてみるかというのは「I」の自問、二人できているのなら「we」であり、相談(相手への提案)ということになる。英語の「you」のつかい方がよくわからないが、私の発想では「I」か「we」になるなあ。
 「dolphin 」をつかったとしても単数の方が私の感覚に近いなあ。

 こういうことは、どうでもいいことかもしれない。詩は、意味を共有するためだけのものではないからね。しかし、どうでもいいことだから、とても大事なもののようにも思える。きょう私は「いるか」を「在宅しているか」というだけの「意味」として理解したが、あしたは「イルカ」の存在を問題にするかもしれない。その日、その日の気分次第である。こういう「ゆらぎ」が、きっと詩を生き長らえさせていると思う。
 詩をあいだに挟んでの対話は、さっきこう言ったじゃないか、きのう言っていたことと違うじゃないか、と批判してもはじまらない。どこまで違った読み方をできるか、ということの方が大切。「ひとつの解釈」にしばられたくない。だいたい、詩そのものが「ひとつの解釈」(他人がおしつけてくる解釈)に対して、そういうのはいやだなあ、という気持ちから生まれてくる。私は、ちょっと違うなあ、こう思うなあ、というところから生まれてくる。
 ほら。
 「連句」って、前に提出された句を、違う意味でとらえ直していく遊びだよね。遊びながら、そこに集まったひとが「共有できる感覚/認識」を確かめあう。「共有」しながら、自分の世界を広げていく、自分が自分ではなくなる楽しみを発見することだと思う。自分だけじゃなく、他人のなかにもね。
 これから書くことは「我田引水」かもしれないが。
 ウィリアム・I・エリオットは、この詩の紹介を、こう結んでいる。この詩は、どうやって書かれたのか、思いを馳せながら。

 おそらく論理や常識の息苦しい牢獄から逃れるために、作者が途轍もない表現の極致にたどりついたことに、読者は唖然とさせられる。アルファベット表記の'iruka' (「いるか」)をアナグラム遊びで並べかえると'aruki '(「歩き」)とか 'kurai' (「暗い」)ということばが発見できるのもまた楽しい。

 英訳はしてみたけれど、その英訳に限定していない。ほかに可能性がある。それを試してみませんか、と誘いかけている。私は英語が苦手なのでその誘いに乗ることはできないが、こういう誘いそのものは大好きだ。
 詩はいつでも「誘って」いる。その声が聴こえたら、自分を捨てて、その詩のなかに飛び込んでみる。それがいいのだ、と思う。「自分を捨てる」というのは、自分の思っていることを、そのまま脱ぎ捨てるということ。脱ぎ捨てることで、新しい自分になる。「揚げ足」をとられて丸裸になったとき、自分の姿をそのまま受け入れて、笑えるようになると世界は明るくなるね。
 「おーい、遊びにきたぞ、いるか」「なんだ、おまえか、いまいないぞ」「いないってさ、本人がそう言ってるよ」「しょうがない、帰るか」「あ、君もいるか、おれはいるぞ」
 おのずと三人の関係がわかる。そういうことを明るみに出してくれるのが詩というものかなあ。
 谷川は、帯びにとても美しいことばを書いている。

 「私は一人っ子だったのに、詩の世界では最高のbrother に恵まれました」

 これはウィリアム・I・エリオットに向けたことばだが、私は、いいなあ、私も押しかけbrotherになってしまおう、なんて思うのだ。そして、「なんだ、おまえか、おれはいまいないぞ」という返事が聞けたら、それは最高だね。


 

 

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