詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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自民党憲法改正草案再読(29)

2021-10-25 10:08:19 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(29)

(現行憲法)
第67条
1 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
(改正草案)
第67条(内閣総理大臣の指名及び衆議院の優越)
1 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会が指名する。
2 国会は、他の全ての案件に先立って、内閣総理大臣の指名を行わなければならない。
3 衆議院と参議院とが異なった指名をした場合において、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が指名をしないときは、衆議院の指名を国会の指名とする。

 改正草案のポイントは条文から「議決」ということばを削除したところにある。国会が指名する、衆議院の指名が優先するという部分は同じだが「議決」が完全に削除されている。「議決」を経ない「指名」があり得ることになる。
 現行憲法でも、一か所「議決」ということばがない。第1項の後段。「この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ」。しかし、同一項目のなかに書かれているので、これはことばの経済学にしたがった「省略」であり、言いなおせば「この指名『議決』は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ」ということになる。現行憲法のこの後段には「議決」が省略されているという意識があるからこそ、その省略されている「議決」を削除するために、改憲草案は、第2項として別仕立てにし「議決」を削除している。
 第66条の改正処理はずさんだったが、第67条は非常に丁寧に気を配っている。
 ということは。
 つまり、これだけ丁寧に「気配り」をして条文を改正しようとしているということは、この条文を根拠に「議決せずに内閣総理大臣を指名する」を強行しようとしているということになるだろう。
 国会は、いつで「議決」するところである。「議決」の前には審議をするところである。いまも審議ない→議決ということが頻繁に先取り実施されているが、これは改憲草案の「先取り」でもある。最初に「議決」しなければならない内閣総理大臣指名さえ「議決なし」で行なわれるのなら、他の法案はもちろん「議決なし」になるのである。

(現行憲法)
第68条
1 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
(改正草案)
第68条(国務大臣の任免)
1 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。この場合においては、その過半数は、国会議員の中から任命しなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

 改憲草案では「但し、」が削除され、「この場合においては、」に書き換えられている。「但し、」は「条件付き」であることを明確にするためだろう。「条件付き」の印象を薄めるために「この場合においては、」にしたのだろう。「ただし」ということばは、改憲草案にないかといえばそうではなく、先日読んだ第63条第2項では「内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない」という具合つかわれていた。この「ただし、」は現行憲法の「又、」を言いなおしたものである。現行憲法の「又、」は逆の立場からの補足であり、拘束力を強める効果を持っている。しかし改憲草案の「ただし」は「この限りでない」ということばが象徴的だが、意味を「弱める」ためにつかわれる。
 「又、」と「ただし、」を比べると、拘束力が違うのだ。
 その「拘束力」が弱い条件であるにもかかわらず、それをさらに弱めようとしているのが改憲草案なのだといえる。「その場合においては、」の「おいて」の追加は改憲草案では先にも出てきたが、さらに「拘束力」を弱めるための表現なのだろう。
 憲法に規定してある。しかし、その規定にはなるべく拘束されないようにする。憲法は国家権力を拘束するためのものだが、その拘束力を弱める、国家権力が「独裁」を進めることができるようにする、という目的で改正案がつくられているという「証拠」だろう。 「選ぶ」と「任命する」は、どう違うか。これはむずかしいが、現行憲法が「任命する」のあとに、「但し、」という条件をつけるときにことばの重複を避けたのだろう。そして、ここから逆に見ていけば、現行憲法の「但し、」は「又、」とは違った条件付与であることがわかる。「又、」は反対の側面から拘束力を強めるための条件、「但し、」には反対側から拘束力を強化するのではなく、同じ側から「漏れ」を防ぐという形の条件であることがわかる。
 この「漏れ防止」の条件づけを、改憲草案は「場合においては、」とさらに間延びした形で展開する。「おいて」というのは意識を散漫にさせる「間延び」の効果を高めるためのものである、といえるだろう。注意力を散漫にさせる(漠然と読ませる)というのは、何度も指摘している「これは」の省略に通じる。テーマを意識させない。憲法を意識させない、という工夫に満ちた改正なのだ。憲法は、国家権力が国民を拘束をするためのもの、異議を唱えられては困る、読まれては困る、思いのままに国民から自由を奪うためには「あいまい」であることを優先し、国家権力が「解釈」で運用できるようにする、という狙いが込められている。

 

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