詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北川透『現代詩論集成1』(16)

2015-04-14 10:28:13 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(16)(思潮社、2014年09月05日発行)

詩の破壊力について 田村隆一論

 私の書いている「感想」は、北川の書いていることを正確に紹介するためのものではないし、また北川の書いていることを批判するためのものではない。北川が書いたことばを手がかりに、私は私の考えたことを書いている。一種の「ことばの暴走」である。北川の文章を読んでいると、さまざまなことを考えてしまう。それは北川の考えを踏まえているわけではない。私は、ただ「考えたい」のであって、「結論」を求めていないから、そういう書き方をするのである。
 きょう読む「詩の破壊力について 田村隆一論」の冒頭は刺戟的である。『四千の日と夜』について書かれたものである。

ぼくは詩の観念の広さよりも深さについて、圧倒的な感動におそわれたのである。詩の観念の深さとは何だろう。それは、ぼくの存在の基底を絶えず揺るがすことによって、僕らの生が視えるものよりも、はるかに深いものであるということを開示してみせることに他ならない。( 345ページ)

 「詩の観念」とは詩にあらわれる(詩から読み取ることのできる)観念のことだろう。その観念には「広さ」と「深さ」がある。そして北川は「広さ」ではなく「深さ」に感動している。なぜ「深さ」に感動するかといえば、それは「存在の基底を揺るがし」、「基底」だと思っているもの(こと/「視える」基底」)をおし開き(開示し)、それよりも「深い」と教えてくれる(開示してくれる)からである。
 「視えなかった」基底が見えてくる、見せてくれる--そういう力に北川は感動している。
 これは説得力のある表現だ。見えなかったものが見えるようになると感動する。
 そう理解した上で、私は、ここに書かれている北川のことばを自分なりに点検し、自分なりに考えてみたい。
 まず「観念」とは何だろう。「視える」ということばを手がかりにすると、「見える(と、私は言い換えてみる)」ものが「現実/日常」、「見えない」ものが「観念」かもしれない。「観念」は具体的には視力に働きかけてこない。ことばの運動によって、その「動き」が「頭」につたわってくるもののことである。そのひとの「ことば」を動かしている何か基本的な「あり方」のようなものかもしれない。その「観念」が「深い」と、自分の「基底」の「浅さ」が見えるようになる(感じられるようになる)。そして、もっと「深い」ことばの動かし方があるとわかり、それに感動するということなのだろう。
 これはこれで「わかる」のだが(「わかる」と私は勘違いするのだが)、でも、それは「広い」観念に出会ったときもそうなのではないだろうか。自分が見渡せない遠くまで見渡せる「広い」観念に出会ったときは、「存在の境界線(国境のようなもの/枠/領域の限界)」を揺るがされ、その「領域」がはるかに広いものであることを開示され、やはり感動するのではないだろうか。
 なぜ、簡単に「深さ」の方に北川は感動したのかな? 北村太郎が「深さ」を書いていたからと言えばそれまでなのだが、私は、ここでちょっと疑問をもつのである。というか、あ、そうか北川は「広さ」よりも「深さ」の方に感動する思考の持ち主なのだな、と感じるのである。
 この「深さ」のこと、開示された「深い世界」を、先の引用につづく文章のなかで、北川は「異教の世界」と呼んでいる。(「異数の世界」となっているが、たぶん、誤植だろう)。さらに、「想像力」によって、「ぼくらの安定した存在感を破壊」し、「非在のなかへ、不可視の世界へ飛び立つ」と言っている。「安定した存在感を破壊し」とは「存在の基底を揺るがす」を言いなおしたものだろう。
 おもしろいのは、そうやって広がる世界を、北川が「異教の世界」ととらえていること。(私は信じているといえの宗教をもたないので、「異教」については深入りしないことにする。私にとって何が「異教」であるか、それが言えないから。)さらに、先には「基底/深さ」と呼ばれていたのに、ここでは「飛び立つ」という動詞がつかわれていることである。「基底/深さ」なら「潜る」という「動詞」で動いていくと思うのだが、北川は「飛び立つ」と書いている。
 「深さ」とは北川にとって、単に「現実」の「基底」の方向(地下の方向)を指すだけではなく、同時に「空」の方向も指していることがわかる。「垂直方向」が無意識に指向されている。「広さ」が「水平」なのに対し、「垂直方向」へ世界を開いていく「観念」というものが思い描かれ、その「垂直方向」の開示のあり方に感動しているということがわかる。(そして、この「深さ(下)」に対して「飛び立つ(上)」という意識に、北川の指向している「思想」あるいは「メタフィジカル(形而上学)」の「上」が重なってくると私は感じている。--これについては、あとで触れるかもしれない。)
 なぜ、北川がこうした運動に感動するかというと、

ぼくらの主体が詩的表現を通じて、より広い、より深い世界のなかへ向かって確かな存在を主張しはじめるということは、たえず、ぼくらが生きている状況に拘束されながら、その状況の制約そのものから自由となっていくということなのだ。

 と「自由」と結びつけて語られている。自分の監視手いる限界(枠/拘束された状況)を超えて動いていくのが「自由」。「自由」を感じるから、北川は感動し、その感動をことばにしている。なるほど、わかりやすい。
 この文章でおもしろいのは、ここでは先には「無視」された「広さ」が「より広い」という形で、「より深い」と並列されていることである。無意識に「広い/深い」を並列したのか、意識的に並列したのかはわからないが、並列しながらも重点は「深さ」に置かれているのかもしれない。しかし、「広さ」が並列されるにしろ、北川の指向は「深さ」を、あるいはその垂直方向の対極の「高み(高さ/飛び立っていく領域)を指している。
 天(飛び立っていく領域/空)はたいてい障害物もなく「開かれている」。だから、「開く」という運動が問題になる「垂直方向」はどうしても「底(基底)」になる。「深さ」を「大地」を掘るようにして開いていく。私たちの「現実」の「足元(土台)」を掘り返していく。
 そして、その「深さ」の「開示のあり方」にかかわってくるのが「想像力」というものである。ここまでは、なんとなく「わかる」。つまり、私は「こんなふうにして誤読することができる」と書くことができるのだが……。
 その「想像力」を定義している部分が、うーん、うならされる。うなってしまう。

想像力の働きとは、本来、喰うことの意味づけを否定する働きであり、あらゆる私有の様態を拒絶して、本質的な所有の意味へ突き抜けようとする働きである。( 346ページ)

 北川の書いている「文脈」を無視して私の感想を書けば、私にとって想像力とは「喰うこと(生きること)」と密接なものだと思う。どうしたら、あそこにあるものを「喰う(喰って生きる)」ことができるかと関係していると思う。ところが北川は「喰うことの意味づけを否定する働き」という。うーん、「観念的」だ。非現実的だ。何のことか、さっぱりわからない。
 人間の生活(状況)を「拘束する(制約する)」ものを「開示する」とき、その「現実」から「喰って生きる」ということが除外されていては、「生きていけない」。状況に拘束される(制約される)のは「喰って生きなければならない」からであり、「喰う」ことを除外しているなら「拘束(制約)」というものは起きないのではないかな?
 「形而上学」もいいけれど、「形而下学」を抜きにしては、人間の存在が成り立たないと思う。
 「私有/所有」ということばで書かれていることも、私には何のことかわからない。何かを自分のものにしたい、つまり「私有」の欲望と結びついて「想像力」というのは動くと思うが、北川はそうではない、と定義している。
 「現実(存在/実在/視えるもの)」と「観念(非在?/視えないもの)」と「想像力」ということばの「関係」が、どうも、私にはとらえにくい。わからない。だから、私は北川の「文脈」を読み、それを理解するというよりも、わかったつもりになるところで立ち止まりながら(わからないところで立ち止まりながら)、ごちゃごちゃと自分のことばを動かしてみとるのだが……。
 わからないまま、私は、北川は詩を、「現実」と「観念」と「想像力」のぶつかりあう「場」と考えているのだろうと推測する。見えてる「現実」を「想像力」で破壊し、「現実」の基底にある「観念」の変更をせまる。基底を支えている「観念」と思われているものを破壊し、新しい「観念」を提示する(開示する)のが詩であると考えているのだと想像する。このとき「新しい観念」とは「新しい思想」と呼びかえてもいいのかもしれない。

 北川は、こうした文章のあとで、北村太郎の「三つの声」をとりあげて、次のように書く。

日常的な生の拒絶において生み出した直截的な隠喩が、ぼくらを事実と事実の内側にこびりついた存在から、まったく自立したメタフィジカルな世界に誘うのである。( 350ページ)。

 「日常的な生の拒絶」とは「喰うことの意味づけを否定する」を言いなおしたものであろう。「直截的な隠喩」とは「想像力」のことだろう。「事実と事実の内側にこびりついた存在」とは「(ぼくらが無意識的に信じていた)存在の基底」のことだろう。「自立したメタフィジカルな世界」とは「観念(深い観念/形而上学/思想/哲学)」のことだろう。
 「日常(現実)」の「基底」を「想像力(隠喩)」によって破壊し、それまでは見えなかった意識下の存在の本質を描く。「深い」ところにある「存在の本質(メタフィジカル/思想/哲学)」をあきらかにするのが詩ということになるのだろう。そして、そうやって発見(開示)された「メタフィジカルな世界」を北川は「言葉の海」( 350ページ)と呼んでいるのだが……。
 わかりやすく(私の読み方が「正しい」と仮定しての「わかりやすい」なのだが……)、あ、そうなのか、と思わず引き込まれるのだが、一方で、私は「暗喩」と簡単に語られていることばにつまずく。
 「暗喩」あるいは「比喩」とは何だろうか。
 「比喩」が生まれてくるのは、どういう状況だろうか。「比喩」を生み出すとき(あるいは「比喩」に呼び出されてしまうとき)、私たちはどんなふうに動いているのか。
 たとえば「あなた」を「バラの花」という「比喩」にするとき、「あなたは美しい」と「バラの花は美しい」が「美しい」という用言といっしょに動いている。「あなた」という「人間の現実(基底)」がいったん破壊され(人間であることを無視され)、「美しい」という用言にまで掘り下げられ(深められ)、その「深み」で「バラの花」を掴み取り、ふたたび「あなたのいる現実」へとあらわれてきて、そのときに「あなたはバラの花」という比喩になる。「あなた」を「バラの花」として「生み出す」。
 こういうことはあらゆる「比喩」の基本的な運動だと思う。そのときの「用言」の働きをもっとことばにして描出しないと、「隠喩」を語ったことにならないのではないか、と疑問が残る。「現実のことばの世界」を破壊したときにあらわれる「基底」のさらに「深み」にある世界を「言葉の海」という「比喩」にしてしまっては、「現実の基底」を「破壊する」という運動の、「言葉の海」での動きがつかみとれない。そう思ってしまう。
 「言葉の海」という「比喩」と「基底」を「開示する」という運動との関係も考えてみなければならない。「言葉の海」は「基底」と結びつけて考えるなら、たぶん「言葉の海底(あるいは海中)」ということになるのだと思う。海面の下の「巨大な海の内部」のことを言っているだと思う。「言葉の空(宇宙)」といわずに「言葉の海」というとき、そこには「海に潜る(下へ行く)」という運動が無意識に重ねられていると思う。そして、「海底(海中)」から何かをつかみとって「浮上」する垂直の、上方向の運動が「飛び立つ」(自由)へと結びつくのだと思うが、途中に「喰うことの意味づけを否定する働き」という文章(ことば)があるために、私は、その運動が「肉体」から離れてしまっているように感じ、それを追うことができなくなる。
 北川が「状況」を語るとき、「肉体」はどこにあるのだろうか、それが、私にはわからなくなるときがある。
 これは「荒地」の詩人たちが第一次大戦後のヨーロッパの思想状況を引き継いだというような「評価」についても感じることである。そのとき詩人たちの「肉体」はどこにあるのだろうか。その「肉体」と第一次世界大戦後は、どこでつながるのか。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(15)

2015-04-09 11:49:00 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(15)(思潮社、2014年09月05日発行)

 12月に「14」を書いて以来なので、かなり長い中断になる。なぜ中断したかというと、私に「歴史感覚」というものがないからである。北川は「荒地」の詩人たち、そのことばを「時代」と関連させながら書いている。これはことばについて書くときの「必然的」方法なのだと思うが、私は、これが「苦手」である。
 「苦手」を「苦手」にしておいたままで感想を書くことは、北川の書いていることをねじまげることになってしまう。そう思って中断したのだが、いま再開するのは、いっそう思いっきりねじまげてしまおうと思うからである。
 思い切って「誤読」を押し進めようと思う。
 きょう読むのは、

 Ⅱ「荒地」の詩的世界 鮎川信夫とその周辺
 「荒地」の詩的世界

 そこに、こんなことばがある。

 初期「荒地」の詩人たちが、敗戦を迎えたのは二十代の半ばであったが、彼等の戦後感覚は、単に第二次大戦に根ざすものではなく、第一次大戦後のヨーロッパの現代意識にもとづくものであるといわれている。このことが彼等の詩的世界に基本的な性格を与えている。鮎川信夫も「僕たちが戦前に於いてすでに戦後的であったということは、第一次大戦後のヨーロッパ文学の影響によるものである」(「幻滅について」)と述べている。( 318ページ)

 うーん、どうして鮎川たちは第一次大戦後の「日本文学」ではなく「ヨーロッパ文学」の影響を受けたのか。第一次大戦から第二次大戦へ向かっていくときの「日本文学」に対して「批判的」だった、その動きに与したくなかった、ということなのか。その一方、その動きを批判すること(ことばにすること)は日本の状況においては「危険」だったから、それができなかったということなのか。
 そうだとしても、それではなぜ、「第二次大戦後」の動きよりも、「第一次大戦後のヨーロッパの現代意識」の方に動かされたのか。「第二次大戦後」の動きの方が新しいだろうになあ。
 これについては、

初期「荒地」の詩にとって、破滅的な感情や、死のイメージは、けっして彼等の個人的な傾向とか、プチブル的焦燥で説明されるものではない。戦前から戦後にかけての時代が厖大な死の影を宿していたがために、彼等の内面は鋭くそれを反映したのであり、(略)破滅することを主題にすること以外に、自由を内的に確保することのできなかった過酷な時代にどうしようもなく、それを内面化せざるをえなかった「荒地」の詩人たちは、そこにすぐれた想像力の方法を示しているわけである。( 351ページ)

 と、北川は「説明」してはいるのだけれど……。

 文章の随所に「思想」ということばが出てくる。この「思想」ということばとそのまわりに書かれることばの関係にも、私は少し引っ掛かってしまう。

「荒地」の詩人たちは(略)イギリス現代詩に対する深い造詣を基礎にして二つの課題をもったと思われる。その一つは、厖大な犠牲を払って手に入れた戦争体験を、一つの思想的原質にまで主体化することによって、戦後の現実状況と対応する内部の混沌とした世界に、想像力の方向と意味を与えようとすることである。     ( 321ページ)

 「思想的原質」と「内部の混沌」の関係が私にはわかりにくい。戦争体験が鮎川たちに影響した。鮎川たちの「内部(思想?)」は戦争体験によって「混沌」としている。これは、わかる気がする。だれでも異常な体験をすると「内部(思想/精神)」は混乱する。混沌としてしまう。「思想」がゆらぐ。その「混沌とした内部(思想になりきれていない思想/思想以前の思想)」を、どうやって建て直すか。
 「思想的原質」と北川は書いているが、思想に「原質」というものがあるのか。
 「戦後の現実状況」を何を手がかりに見ていくか、その見方が「意味」であり「想像力」であり、そういう「見方(見る方法)」をとおして「思想」がつくられていくのではないのだろうか。「思想」というものは、現実をどうやって「見る」か、「想像する」か、という「動詞」(生き方)のなかから少しずつ形になってくるのであって、「原質」なんて、ないのではないだろうか、と私は思ってしまう。「原質」というべきものがあるとしたら、それは「内部の混沌とした世界」そのものではないのだろうか。

 以下は、読みながら「傍線」を引いた部分と、傍線を引きながら考えたこと。ただ、並列させて書いていく。

 北村太郎の「墓地の人」について触れた部分。

「この詩人における「詩」は現実の世界で数えられるものでなくなる。「死者の棲む大いなる境」は、生が惨めさと卑小さをもった存在である時、そうした人生を超えるような永遠な、超時間的な、形而上学的な世界である。( 323ページ)

 「形而上学」と「思想」とは区別されているのだろうか。同じものだろうか。同じものだとすると、ここでは「人生」と「形而上学(思想)」を対比し、「思想」を「人生を超える」ものと定義していることになる。この「思想」優位の考え方に、私は、つまずく。「思想」って何?と思ってしまう。
 北村への評価の一方、北川は木原孝一の「詩の弱さ」を指摘して、「幻影の時代Ⅱ」を引きながら次のように書く。

木原の詩には、戦争の体験が重層化されたいメージになることによって、体験を超えた一つの思想の意味を背負うといった充実した時間が感じられないのである。( 328ページ)

 「体験を超えた思想」ということばは「思想」が「体験」より上位(?)にあるという印象を呼び起こす。そうなのだろうか。また「イメージ」という表現も、私には、不思議に聞こえる。戦争体験をイメージにするということが、よくわからない。
 木原の詩には、

硫黄島の「死」はあるけれど、この詩人の内部の「死」のイメージはないのである。( 328ページ)

 とも書かれている。
 北川は「体験」よりも、「イメージ」と「思想」を上位に置いている。「イメージ」が「思想」を明確にするということか。
 そうであるなら、(と、端折って書くと)、「ヨーロッパの文学(イメージ)」を引き継ぎながら、「荒地」の詩人たちは日本の現実と向き合うための「思想」を作り上げた、ということになるのだろうか。
 「イメージ」と「肉体」の関係がよくわからない。「戦争体験」と「肉体」の関係がよくわからない。「死」はしきりに語られるが、それは自分の肉体で体験したものではなく、他人の死であり、肉体で追認できない「イメージ」だ。それよりも「肉体」そのものがくぐりぬけ、いまもつづいている「生」そのものの「動詞」とどうなっているのか。
 「動詞」がつかみにくい。「動詞」はどこにあるのだろうか、と思ってしまう。
 
 次の文章にも「思想」と「形而上学」ということばが関連して出てくる。鮎川信夫の「詩論の基本的性格」は……、と北川は書く。

彼の詩論の基本的性格は、政治的効用生、教育的啓蒙性から「詩」を解放し、さらに、ことばの芸術性だけに価値をもとめるのでもなく、「現代に於いてもなお魂の問題の所在を明きらかにし、精神の救いにつながる形而上学的な価値の担い手としての詩を考えたいのである」(「何故詩を書くか」)ということを明確にした点にあるだろう。従って鮎川詩論における詩の思想性というのは、詩の外部から思想性を賦与するといったものではなく、徹底的に内的な自由の問題として、あるいは悩める魂の問題につながる形而上学的な価値の問題として考えられているのである。

 「内的な自由の問題」「悩める魂の問題」と「形而上学」「思想」は緊密につながっている。そして、それはまた「破滅」「敗北」という形で詩になっているのが「荒地」の詩なのだということだろう。「破滅」「敗北」「反逆」のイメージのなかに「戦争体験」(内的危機感)を共有するということなのか。「内的危機感」が「思想」なのか、「内的危機感」が掴み取るイメージが「思想」なのか。「内的危機感」と「イメージ」が交錯する「場」が「形而上学」の「場」なのか。「思想」という「できごと」なのか。
 よくわからないが、田村隆一の「四千の日と夜」に触れて、北川は、次のように書く。

この詩人が一篇の詩を生むためには、世界に対する愛着を断ち切り、既成の価値観を破壊しなければならない。そうすることで、この世界では死者となっている存在や見えない関係性を明きらかにし、現実とは別な新しい価値観や関係を甦らせようとするのである。( 337ページ)

 「新しい価値観」というのは「思想」のことだろうなあ。

 こうやって読んできて、思ったことを脈絡もなく書いてきて、気になるのは「思想/形而上学/イメージ」ということば。「破滅/敗北/反逆」ということば(名詞)。それから「第一次大戦後のヨーロッパ文学」という「存在」。それは、私には何か「肉体」とはかけ離れた(日本とヨーロッパが離れている)もの(こと)に感じられる。
 「イメージする(想像する/想像力を働かせる)」「破滅する/敗北する/反逆する」という動詞にして、読み直せば違ってくるかもしれない。「荒地」の詩のなかに出てくるさまざまな「名詞」を「動詞」に変換しながら読み直せば、「思想」が違った形でみえてくるかもしれないなあ。「荒地」が「歴史」ではなく、「いま/ここ」とつながるものになるかもしれないなあと、ぼんやり感じた。
北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(14)

2014-12-10 11:37:29 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(14)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 十三 意味の偏向 比喩論の位相

 「荒地」の総論として、この「意味の偏向」という指摘はとてもおもしろかった。「荒地」の比喩論の重視は経験を新しくする、経験をひろげるという態度から起きていると書いたあと、北川はつづける。

詩の言語に即して言えば、比喩によって、ことばの意味の転位・拡充・強調をめざすということになろうか。                      ( 294ページ)

 ここに幾つかの問題が視えてくるだろう。意味の比較の過程を、<のような>によって明らかにしている直喩の形式においても、意味論だけで考えることは不十分だということが一つである。あるいは次に検討する暗喩も、意味論で解こうとした「荒地」派の偏向は、比喩を重視しつつも、それを不自由にしたのではないか、ということが考えられる。
                                ( 296ページ)

 私が引用している部分だけでは「意味(論理)」がわかりにくいかもしれないが、私の「日記」は北川の論の紹介ではなくて、北川のことばを読んで私が何を考えたかを書いているので、わかりにくさを承知で書きつづけると……。
 私は「比喩(直喩/暗喩)」を「意味」で解くという指摘から、その逆のことを考えた。逆というのは、「読む」ではなく「書く」方から北川の書いていることを言いなおすと、「荒地」は「意味」を「比喩」で書こうとしたのではないか。(もっとも、これは私の考えというよりも、北川の視点だと思う。私の引用した部分は、たまたま詩の「比喩を読み解く」という部分のことばの運動について書いているだけで、「詩を書く」という視点から言えば、必然的に「意味を比喩で書く」になると思う。)
 「意味(論理)」というものは、ひとに共有されることで成立し、世界を支配していくものだから、無数に見えても意外と単純な何かに還元されてしまう。「戦争はいけない」とか「人を殺してはいけない」とか、「労働に支払われる対価が少ないのは許せない」とか。その「意味(論理)」はいくら「真実」であっても、なかなかひろがらない。また、逆の言い方もできる。「意味」はどうとでもこじつけることができる。「戦争はいけいないというが、誰かが侵略してきて、あなたの大切な人を殺そうとしたら、それを見ているだけでいいのか。あなたの大切なひとを守るために、侵略者と戦わないのはなぜなのか」。「意味(論理)」は「真実」ではなく、ひとを動かす(支配する)「方便」なのである。
 「ない」ものを考える。「ない」が「ある」と考えることができると、考えた古代ギリシャの時代から「論理(意味)」というのは、常に「反対の意味」をひきつれて動いている。どうとも言えるのが「意味」であり、どうとも言えるからこそ「弁論」というものも生まれたのだろう。
 で、詩は、そういう「意味」から逸脱しようとする行為のように私には思える。
 「意味」を個人的なものに染め上げてしまう。個人的な体験や、個人的な「感覚」で染め上げてしまう。「意味」と「個人的体験/感覚(非論理)」が結びついたとき、それは「思想(肉体)」になる。「荒地」の詩人たちは、私の「感覚(直観)の意見」では、「意味」を「比喩」で語ることで、その「意味」を「肉体」にかえたのだと思う。
 「肉体」を「文体」と言いかえるといいのかもしれない。「荒地」の詩人たちは、それまでの詩の「文体」とは違った、独特の「文体」をつくりあげた。「意味」を「意味」のまま語るのではなく、「比喩」として語る。「比喩」はそれまで存在しなかった「ことばの運動の形式」だ。その詩人独自の「ことばの動き」。「意味」ではなく、その「独特の動き」を見せる。「独特の動き」が「私である(私という固体、肉体は存在する)」と主張する。
 それは「永遠」のように見える。「真実」のように見える。--と、書いてしまうと、飛躍しすぎるが、私には、そう感じられる。
 言いなおすと。
 北村太郎の「管のごとき存在」という「比喩」は、その比喩によって「意味」を逸脱して、「意味」以上に意味になる。そこに北村自身がでてきて、「意味」を北村のなかに隠してしまう。そういうことが人間にはできる。そういう「運動」の仕方、ことばの動かし方の可能性が「永遠の真実」として迫ってくる。そういうことばの運動を自分でも動かしてみたい、動かせるのだということを気持ちを引き起こさせる。「意味」ではなく、「私になる(なりたい)」という「欲望」がそのとき「共有」される(伝染する)。「本能」が共有される。「本能」こそが「永遠の真実」である。「肉体の真実」である、と私は思うのだが、これも「直観の意見」。「意味」がつたわるようには、私には、まだ書くことができないことだけれど……。

 私が書いたことを、強引に、北川の書いている文章に結びつけてしまうと。
 北川は田村隆一の「繃帯をして雨は曲がつていつた」という行を取り上げて、こう書いている。

わたしには、雨が繃帯をしているイメージの直接性のうちに、田村の戦後現実があったのだと思う。                           ( 297ページ)

 この文章の「直接性」が「肉体(思想)」。それは「切り離せない」。「意味」のように簡単には他者と共有できない。愛するか、憎むか。いっしょにいるときに、どんなふうにふるまうかが問題になってくる。「意味」のように、それだけを取り出して、その「意味」のもとに団結する(支配する)という具合には動かない、一種の「うらぎり」のような、わがまま。
 人間は「意味」ではなく、自分とは切り離せない何かを生きている。「意味」を媒介にせずに、「世界」と「直接」触れている。
 その触れ方を「比喩」として表現し、「比喩」こそが「思想(肉体)」なのだと「荒地」の詩人は主張したのかもしれない。

「荒地」の意味への偏向は、ほんとうは単なる言語の指示機能としての意味ではなく、いわば存在の意味ともいうべき、より根源的な意味へ通じるものであっただろう。
                                ( 303ページ)

 北川の書いている「根源的な意味」を、私は、そんなふうに読んだ。(長い間をあけてしまったので、前に書いた感想と関連性が弱くなってしまった、かも。)

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、送料無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社

「リッツオス詩選集」も4400円(税抜、送料無料)で販売します。
2冊セットの場合は6000円(税抜、送料無料)になります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(25)

2014-12-03 11:38:21 | 北川透『現代詩論集成1』
谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(25)(ナナロク社、2014年11月01日発行)

 「失題」のあと、空を飛ぶ鳥の写真がつづいている。あるいは鳥が飛んでいる空の写真というべきなのだろうか。同じものなのだけれど、違うふうに言うことができる不思議さ。空と雲の色が、見たことがあるようで、ない色だ。でも、空だとわかる。雲だとわかる。鳥だとわかる。鳥の名前はわからないが……。
 どうして一枚ではないのだろう。何枚も同じ写真なのだろう。いや、どれも違う写真だけれど、なぜ同じ空、雲、鳥なのだろう。もしかすると、それまで見てきた様々な写真も、「同じ何か」を写したものだろうか。
 その空、雲、鳥の写真の裏に「眠気」という詩がある。裏が透けて見える紙質なのだが、空、雲が青と白と灰色の組み合わせてできているせいか、裏側から見ると「むら」は見えるけれど、色も形もよくわからない。
 「眠気」って、こういう感じ?
 いや、その隣(左ページ)の舗装された道路に広がる太陽の光、家(屋根)の影、舗装の段差の影の方が眠くなる感じかなあ。誰もいない。きっとみんな、家のなかで昼寝しているのだろう。
 私は意識を集中できない人間なのか、詩を読む前に、目に入った写真でぼんやりしてしまう。「眠気」という詩だから、こんな感じの方がいいかな?

どうしてこんなに眠いのだろう
山は寝そべっている
空も目をつぶっている
木々も立ったまま居眠りをしているようだ
人は昼間から我先に眠りこんで
大判小判の夢を見ている
私は世捨て人になりたいのだが
これも夢に過ぎないのか
眠気を抑えてひとまず
拾い集めた貝殻を捨てた
海を捨てるわけにはいかないから

 前半は、「眠気」そのもの。「山は寝そべっている」は「山眠る」ということばがあるから(意味は、違うんだけれど、冬の「季語」だけれど)、あるいは山の姿が寝そべった仏様の姿に似ているとかいう表現があるからか、すーっと山の形が見える。
 でも、「空は目をつぶっている」に驚く。えっ、空に目がある。驚きながら、その目はきっと「一つ目」だと思ってしまう。人間のように「ふたつの目」だとは思わない。「一つ目」という異常なものをすぐに思い浮かべるのは、どこかで「空の目」を見た記憶があるかならなのかなあ。
 「木々も立ったまま居眠りをしているようだ」。そうだなあ。山のように寝そべる形にはなれないなあ。
 ぼんやり、そんなことを考える。
 人が「大判小判の夢を見ている」というのは、俗っぽくて(?)、いいなあ。幸福だなあ。
 「空も目をつぶっている」というような、新鮮なことば、衝撃的なことばと、「大判小判の夢」という「常套句」のようなものが同居して動いていくところが谷川の詩のおもしろいところだと思う。
 「空も目をつぶっている」というようなかっこいい(印象的)な行を書いたあとだと、私は絶対に「大判小判の夢」なんてところへことばを動かしていかない。かっこいいものが、とたんに「凡庸」になる。「大判小判」じゃなくて、もっとかっこいいことば、独創的な夢を見ていると書きたい。
 でも、そういう「欲張り」はきっと「眠気」とは反対のものだ。「大判小判」だから、眠くなる。
 などと思いながら、うつらうつらしかける。この詩がおもしろいのか、つまらないか、感動しているか、感動とは無関係に惰性で読んでいるか(あ、谷川さん、ごめんなさい。でも、本はいつも真剣に読むとはかぎらない。惰性で読む、ということもあると思う)、わからなくなる。いいんだ、「眠気」という詩なんだから……。
 その「うつらうつら」が、最後で、目が覚める。うつらうつら、こっくりこっくりが、首が倒れすぎて衝動でぱっと体が反応して目が覚める感じ。うつらうつらの揺れが、机に頭をぶつけて、痛っ、という感じで目が覚める。

拾い集めた貝殻を捨てた
海を捨てるわけにはいかないから

 確かに貝殻を捨てることはできる。砂浜に。あるいは海のなかに。それができるのは、貝殻が私より小さいから。手で集めた貝殻は、手で放り投げて捨てることができる。でも、海は集めることができないから、捨てることもできない。
 驚く。--なぜ、驚いたのだろう。
 「論理的」なのだけれど、論理的ではない。
 いや、そんなことじゃないなあ、と思う。
 「海を捨てる」ということは最初からできない。「海を捨てる」は「論理」の外にある。論理にしてはいけない何かである。だから、ふつう、ひとはそれをことばにしない。
 よく見ると(読むと)谷川は「捨てることはできない」とは書いていな。捨てる「わけにはいかない」と書いている。
 「わけ」は「理由」かな? 「道理」かな? 「筋道」かな?
 「海を捨てることはできないから」と「できる」「できない」と書かれていたなら、それほど衝撃的ではなかったかもしれない。
 「わけ」という口語が、「わけ(理由/道理/筋道)」という「文語(ことばの意味?)をひっかきまわし、そこに「変な感じ」を呼び起こす。この「変な感じ」は、「変」ではあるけれど、納得できる「変」なのだ。
 変だね、私の書いていることは。

 ここには「わけのわからない」何かがある、と書いてしまうと「だじゃれ」になってしまうが、谷川のことばの運動には、こういう「わけのわからない」ものがある。「論理」を装いながら「論理」を超越し、「肉体」を揺さぶってくるものがある。
 「海を捨てる」という「動詞」のつかい方に気を取られてしまう。そして、そこにも谷川の「思想」があるのだろうけれど、私はその衝撃的な「意味」よりも「わけ」ということばのなかに、とても強く誘い込まれてしまう。

 谷川のことばには、何かいつも「道理」を考えているような、「ていねいさ」がある。「道理」を無視しない「肉体」がある。--突然、そんなことを思った。


おやすみ神たち
クリエーター情報なし
ナナロク社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、送料無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社

「リッツオス詩選集」も4400円(税抜、送料無料)で販売します。
2冊セットの場合は6000円(税抜、送料無料)になります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デビッド・エアー監督「フューリー」(★★★★)

2014-11-30 23:03:14 | 北川透『現代詩論集成1』
監督 デビッド・エアー 出演 ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル

 この映画はとてもシンプルな映画である。ひとつのことしか言わない。「戦争は人を殺すこと(殺さないと殺される)」。どちらが悪いとか、どちらが正義であるとか、そういうことはいっさい言わない。
 で、情報を非常に限定している。何より、色がない。金髪のブラッド・ピットの髪が金色ではない。スクリーンに出てくるのは、泥の灰色、戦車の灰色、兵士の汚れた顔の灰色。灰色の濃淡があるだけ。カラー映画なので、その灰色の濃淡はモノクロ映画のように鮮明ではない。灰色に、肌の色、軍服の色、土や油や煙の色、鉄の色がまじって、単純に分類できない。識別しようとすると、とても面倒くさくなる。これはつまり、映画は、そんなことを識別させようとはしていないのだ。
 アメリカ兵とドイツ兵が出てくるが、その外形の違いすらどうでもいい。敵味方は「外形」で決まるのではない。アメリカ兵のコートを着たドイツ兵が出てくる。「外形」で敵味方を識別できないということをの象徴である。それを新入りのアメリカ兵が殺すところが前半のハイライトだが、ドイツ兵かどうかは、観客にはわからない。ブラッド・ピットが「ドイツ兵」と言っているから、それを信じてドイツ兵だと思っているだけにすぎない。そこにいるアメリカ兵にだって、ほんとうにわかっているのかどうか、判然としない。ドイツ兵であるかどうかよりも、ブラッド・ピットにとっては、殺すか殺されるかという「識別」の方が大事である。それだけを基準に動いている。殺さなければ殺される。だから、殺す。それ以外の「行動基準」はない。
 「殺す/殺される」だけが「行動基準」であり、敵味方の「識別基準」である。「動詞」が「基準」である。自分たちを殺そうとするものが敵であり、自分たちが殺す相手が敵である。(新入り兵は、この「殺す/殺される」という「行動基準」がわからない。新入り兵は「人を殺してはいけない(殺さない)」という「日常」の基準を引きずっている。)
 戦場では、軍服だの、目でわかる識別基準など、どうでもいい。だいたい実際の戦闘では煙幕がつかわれたり、砲弾の土煙があったりで、「色」などで識別している余裕はないだろう。「殺す/殺される」の「行動基準」は、身近にいるか、いないか。自分に銃を向けるか向けないかだけである。
 最後の戦闘シーンが象徴的である。ブラッド・ピットたちは一台の戦車に閉じこもって三百人のドイツ兵と戦う。そのときブラッド・ピットたち米兵は戦車のなかで、「殺されてはいけない(死んではいけない)」と思っている。戦車の外にいるのはドイツ兵で「殺す」相手である。戦車のなかでは、ブラッド・ピットたちは「肉体」を寄せ合っている。触れ合っている。それは殺してはいけない/殺されてはいけない/死んではいけない人間であり、外にいるドイツ兵は、ブラッド・ピットたちとは「戦車」をはさんで離れている。この「距離感」を手がかりにして、観客(私)は、映画のなかの「敵味方」(アメリカ兵がドイツ兵か)を識別する。役者の顔を識別して、これはブラッド・ピット側、これはドイツ軍と識別しているわけではない。「身内」(戦車の内側)は守る、「身の外」(戦車の外側)は殺す。そこでの「識別基準」は「内と外」、「内と外」をつくる「距離」である。
 「距離」が「識別基準」であるとき、そこに「色」はいらない。そんなものは識別しなくていい。だから、この映画は最初から「色」を排除しているのだ。「色」があれば、どうしても色を見てしまい、「距離」を見逃してしまう。「距離」に焦点をあてるために、「灰色」にいろいろな色をごちゃ混ぜにして、色を分かりにくくしているのだ。ブラッド・ピットたちを常に塊として動かし、その塊から離れたところにいる人間は次々に死んでいく(殺す/殺される)という単純な運動で映画のすべてを描ききる。
 途中に、新入りの兵士とドイツの娘との一瞬の恋愛(?)も描かれるが、その恋愛にしろ、ブラッド・ピットと新入り兵が娘の家から出て、つまり娘から離れた瞬間に、爆撃にあって娘は死ぬ(殺される)という具合だ。肉体を寄せあって(肉体の距離を密着させ、団結して)行動するときだけ、「生きる」望みがある。離れてしまえば、殺される。離れてしまえば、死ぬ。
 これはブラッド・ピットたちの任務(作戦)にも言える。アメリカ軍(連合軍)とのつながりを維持するために戦う。ドイツ軍の軍の連携を分断するために戦う。分断されたら負け、つながっていれば勝つ(生きる)チャンスがある。銃弾の在庫(補給)があれば勝てる。けれど、武器の補充が寸断されれば戦う方法がない。だから、負ける。殺される。戦争は、ただ敵を殺すという以外のことはしないから、その勝敗の決め手は、味方との連絡を維持できるか(味方と、肉体が接するように、緊密な距離を維持できるか)どうかにかかっている。繰り返しになるが、こういうとき、「識別基準」は「色」なんかではない。緊密な「手触り」である。
 ブラッド・ピットたちは、それぞれに個性的だが、その個性を飲み込んでしまうくらいの密使の距離を生きている。その距離感が彼らを生かしつづける力になっている。その密着感を明確にするためにも、「色の識別」などはない方がいい。
 で、このことは副ストーリーにそって映画を見つめなおすと、さらに鮮明になる。色の識別はないと最初に書いたが、実は、ひとつだけ識別がある。新入りの兵士。彼は、土と硝煙に汚れていない。「灰色」に汚れていない。白い。顔が、白い。戦争(人を殺す)を知らない。だから、最初は浮き立っているのだが、苦悩しながらドイツ兵を殺し(むりやり処刑を押しつけられ)、アメリカ兵がドイツ兵に殺されるのを見、実際に自分でも戦場で殺す。そういうことをしているうちに、顔が変わってくる。だんだん「灰色」に汚れてくる。仲間が、他の仲間を救うために手榴弾に覆いかぶさりひとりだけ死んでいくのを見て、自分だけが生きるのではなく、他人を生かすために戦っているということも知る。そのときの彼の顔は、戦車の、あるいは銃の強靱な「灰色」である。
 ゆるぎがないのは「色彩計画」だけではないかもしれない。私は戦車や銃器には何の関心もないので、その細部には無頓着だが、見る人が見れば、その細部へのこだわりにも映画造りの「意図」が見えるかもしれない。戦争とは人を殺すこと--ただ、それだけを伝えるために、いろいろなものを排除して、その排除のなかにリアリティー(極限)を浮かび上がらせている映画である。
                        (2014年11月30日、天神東宝5)

 


「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/

S.W.A.T. [SUPERBIT(TM)] [DVD]
クリエーター情報なし
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(16)

2014-11-23 10:00:06 | 北川透『現代詩論集成1』
谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(16)(ナナロク社、2014年11月01日発行)

 「ひととき」は静かな詩である。

長い年月を経てやっと
その日のそのひとときが
いまだに終わっていないと悟るのだ

空の色も交わした言葉も
細部は何ひとつ思い出さないのに
そのひとときは実在していて
私と世界をむすんでいる

死とともにそれが終わるとも思えない
そのひとときは私だけのものだが
否応無しに世界にも属しているから

ひとときは永遠の一隅にとどまる
それがどんなに短い時間であろうとも
ひとときが失われることはない

 「意味」、あるいは「論理」の強い詩である。そして、その「意味(論理)」が、「いま/ここ」ではなく、どこか別の場所へと私を運んで行ってくれる。この詩に書かれている「ひととき」が「私」であるとするなら、それを「永遠」へと運んで行ってくれる--という感じがする。「いま/ここ」が「永遠」とつながっているから「静かな」という印象になるのだと思う。
 谷川は、その「つながり」を「私と世界をむすんでいる」「世界にも属している」という具合に、「むすぶ」「属する」ということばで言いなおしている。「むすぶ」も「属する」も「もの」がひとつではできない。「むすぶ」「属する」ということばは、「ふたつ」のものを必要とする。そして「むすぶ」とき、「属する」とき、その「ふたつ」は「ひとつ」になる。
 ことばもまた、何かを書き、その何かと「むすび」あい、何かに「属する」(あるいは、何かがことばに「属する」のかもしれない)。そうして、「ひとつ」になる。そのとき、そこに「永遠」があらわれるのかもしれない。
 「いま/ここ」が「永遠」とつながるのではなく、「いま/ここ」が永遠になるのかもしれない。

 この詩では、私は、そういう「意味」とは別に、一連目の「悟る」ということばに立ち止まった。この詩集の感想を書いている途中で、私は「わかる」と「さとる」は違う、というようなことを書いた。もう、何と書いたかはっきりとは思い出せないのだが、「わかる」と「さとる」は違うと私は思う。
 「わかる」は「分かる」と書くことがある。そのときの「分」という文字は「分ける」にもつかう。何かを「分ける」ことで、そこに「意味」を与える。未分節を分節化する。それが「わかる」ということだろう。「さとる」は「分ける」ことをせずに、全体をそのまま受け入れ、納得するようなものだと思う。未分節のまま、それでいい、と思うことが「さとる」。「未分節」のまま世界を動かすのが「さとる」だろう。
 そういう風に考えると、谷川の書いている二連目以下は、どうなるのだろう。そこでは「世界」が「分節」されている。「空の色」「交わした言葉」が「その日」から「分けて」取り出され、「何ひとつ思い出さない」と動詞に結びつけられて「意味」になっている。そして、それでも「ひととき」は「実在している」と「分かる」。「ひととき」が「私」と「世界」を「むすんでいる」と「分かる」。
 いや、それは「分かる」ではなく、「悟る」であると考えるべきなのか。谷川は「悟る」と書いているから、それは「分かった」ことではなく「悟った」ことなのか。
 たぶん、そうなのだと思う。
 そうだとしたら、その「悟る」の「証拠」はどこにあるか。なぜ、二連目以下に書かれていることが「分かる」ではなく「悟る」なのか。その「証拠」は?
 書いていることが前後してしまうが、その「証拠」は「むすぶ」にある。「むすぶ」は「分ける」とは別な動詞である。
 「ひととき」と「世界」は別なものとしていったん「分けられた」。「ひととき」が「世界」とは別のものであると「分かった」。分かった上で、それをもう一度「むすぶ」。「わける」をなくしてしまう。「分節化」されたものを「未分節」に戻してしまう。あるいは、「分節/未分節」を自在に往復する。それを「さとる」と言うのだ。

 分節/未分節を自在に往復する--という自在な運動から、私は、この本を読んだときの、最初の印象にもどる。分節/未分節を往復するというのは「ことば(論理)」では可能だが、そういう動きは実際には存在しない。精神の動きというのは「分節」化するときにのみ存在し、「未分節」に戻ってしまえば、動きがなくなる。「未分節」は「分からない(「分かる」が「無い」)」ということだから、そこでは何も動いていない。
 そこには分節化された「有」と未分節のままの「無」がある。「有」と「無」の結合がある。
 これは、矛盾。
 もし魂が存在するとしたら、この矛盾と密接な関係がある。
 それを直観することが「悟る」かな?

 こういう抽象的なことばをつなげていくことは、私は、好きではない。どうしても嘘を書いている気持ちになってしまう。「意味」をつくり出しているような気がして、そのとき、ことばに何か無理なことをさせていると感じる。知ったかぶりをしているなあ、と自分で感じてしまう。分かったようなふりをしているが、悟ってはいないと言えばいいのか……。

 で、詩にもどる。
 この詩では、もうひとつ「否応無しに」ということばが印象に残った。読みながら思わず傍線を引いてしまった。
 「否応無し」とはどういうことだろう。「私(谷川)」が「否定」しようが「応諾」しようが関係なしにということだろう。「私」の「意図/意思」と関係なしに、ということは、そこでは「私」は無力であるということだ。
 「私」が「無」になる瞬間がある。「私」は「有」なのだが、その「有」が「無」としてあつかわれる瞬間がある。「世界」に「属し」て、「未分節」になるということかもしれないが、それは「否応なし」。それは「私」とは別の「論理」で起きることである。
 それがどんな「論理」なのか、「私の論理」では「分からない(分節できない)」。けれど、そういうことがある--それは「さとる」しかないことなのだろう。「否応無し」を受け入れることが「さとる」ことなのかもしれない。

 と、書いてくると。
 谷川は詩を「否応無し」に書かされているのかもしれない、という気持ちにもなる。書いているのではなく、何かに書かされている。何にか。「タマシヒ」に、と言ってみたくなる。魂の存在を信じていない私がこんなことを書くのは変だが……。

おやすみ神たち
クリエーター情報なし
ナナロク社
谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(13)

2014-11-20 11:06:11 | 北川透『現代詩論集成1』
谷川俊太郎(詩)川島小鳥(写真)『おやすみ神たち』(13)(ナナロク社、2014年11月01日発行)

 自転車に乗っている少年や、空中の凧(?)の写真があって、青と白の横縞のシャツを着た少年が傘の上でペットボトルの写真を回している(?)。その裏は青と白の横縞。これはシャツを写したのではなく、シャツを印刷で再現したものだろうなあ。
 その左隣のページに「ひらがな」という詩。裏が透けて見える。バケツのようなものが見える。--私はいつでもこんな風に余分なことを考えながら詩を読む。余分なものが詩のなかで洗い流されるのか、あるいは詩の感想のなかに紛れ込んでくるのかわからないが……。

いつかだれかがどこかからきて
いつかだれかがどこかへきえてゆく
いつかがいつかどこかがどこか
だれかがだれかだれにもきめられない

 同じことばが繰り返され、いつか、だれか、どこか、というぼんやりしたことばが「きて(来る)」「ゆく(行く)」という動詞のなかで「消える」。明確にではなく、ぼんやりと、しかし、はっきりと。ちょうど、その詩の裏側にあるのがバケツの写真だとはっきりとわかる感じ。不安の手応え(?)のような感じが、孤独を誘う。
 孤独というのは、何かが(いつか、だれか、どこか)が「ある」ということはわかるけれど、自分とうまくつながっていない、親密な状態にないときに感じるものだと思う。写真のバケツが裏から透けて見えるように、何か不思議な「距離感」が孤独のまわりにあるように思う。
 これは、抽象的な感覚だ。
 これを、谷川は二連目で言いかえる。(言いかえているのかな、と思う。)

とりがいちわくもりぞらをとんでゆく
とおくにやまなみがそびえているらしい
ここからはみえない
こんなふうにタマシヒはひらがなにやどっています

 孤独な人間は何か「ここ」から切り離されて、ぼんやりと「どこか」を思う。
 「くもりぞら」はぼんやりしている。青空に比べて、のことだけれど。「らしい」も、そのぼんやりと重なる。「あいまい」。断定ではないからね。そういうことばが、私には「孤独」につながるように思える。
 おもしろいのは、そのあと、「ここからはみえない」。
 見えないのに、私たちはことばを動かして、それがあると言うことができる。ほんとうは「とおくにうみがある」のかもしれない。あるいは「とおくに街がある」のかもしれない。でも、谷川は「やまなみがそびえている」らしいと書く。書いたときに、「やまなみ」が生まれてくる。
 そうであるなら。
 「とりがいちわくもりぞらをとんでゆく」もことばにすることで、そこにあらわれてきた世界かもしれない。ことばにしなかったら、それはあらわれてこない。くもりぞらも、とりも、そこには存在しない。そして、それをことばにすることで、それとつながる「孤独(な人間)」も存在しない。
 ことばが、人間を何かとつないでいく。ことばが世界をつくっていく。
 「いつか」「どこか」「だれか」もことばといっしょにあらわれて、やってきて、消えて行く。
 それも「ここからはみえない」世界。

 最終行は、どういうことだろう。タマシヒはカタカナで書かれている。タマシヒはひらがなではなく、ひらがなに宿るものだから、ひらがなにしてしまうと区別がなくなるからかな?
 でも、ひらがなと対比されているのはきっと漢字だろうなあ。
 タマシイを考えるとき漢字は似合わない。ひらがながいい。ひらがなは、音。漢字は表意文字、つまり意味。意味を厳密に考えると、タマシヒは押し出される。あるいは遠ざけられる。意味は「頭」で考えるものだからかな?
 「いつか」「どこか」「だれか」がわからないまま、ぼんやりと揺れ動く。やってきて、消えていくものと、出会い、別れる。世界が姿をあらわし、また消えていく。そのときやってきたのは「いつか」「だれか」「どこか」だろうか、それとも「タマシヒ」があらわれて、タマシヒが「いま/わたし/ここ」を世界に変えたのか。
 あ、こんなふうにして「意味」を探してはいけないのだろう。

とりがいちわくもりぞらをとんでゆく
とおくにやまなみがそびえているらしい

 これは、いつか、どこかで私が見たこと。それはまた、いつか、だれかが、どこかで見たこと。その誰かを私は知っているわけではないが、きっと誰もがいつか、どこかで見ている。思っている。
 誰かが「誰も」になる世界。
 その鳥の名前は決めない、その山並の名前は決めない。「とり」「やま」という何でもないものを通って「誰も」が「誰か」になる。

とりがいちわくもりぞらをとんでゆく
とおくにやまなみがそびえているらしい
ここからはみえない

 あ、とりも、やまなみも、「ここからはみえない」。でも、それが「ある」ことは「わかる」。そして、そう「わかる」とき、「誰も」が「誰か」ではなく「私」になる。きっと「タマシヒ」になる。


おやすみ神たち
クリエーター情報なし
ナナロク社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(13)

2014-11-13 12:26:02 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(13)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 十二 放棄の構造 鮎川信夫覚書

 北川は鮎川の詩がリアリティを失わないのは、鮎川の詩が「独特の放棄の構造」を持っているからだと言う。これを補足して、

彼の放棄は東洋的な無への方向をもたない。日本的な美意識に癒着しない。自然回帰の気配を見せない。生活的な実感主義や心情告白に行かない。      ( 261ページ)

 と書き、さらに、

「詩法」に《生活とか歌にちぢこまってしまわぬ/純粋で新鮮な嘘となれ》という詩句があるが、彼の自己放棄は、この《純粋で新鮮な嘘》に対する感性を、決して崩そうとしないのである。むろん、放棄とはそれでたい後退的な心性だが、鮎川の場合、それが同時に世界に対する悪意であり、拒否であり、そして自由でもあるような場所に成立するのは、自己放棄が自己救済でもある回路を断ち切っているからであろう。  ( 261ページ)

 と説明しなおしている。
 このとき「放棄」と「自己放棄」という二種類のことばがつかわれている。これが、私にはよくわからない。
 この「放棄(自己放棄)」を北川が分類している「三つのモティーフ」と関係づけるとさらにややこしい。北川はその三つを、以下のように分類する。
(一)文明批評と戦争体験を踏まえたもの
(二)私性の闇
(三)老年の心境
 (一)は、個人的体験を超えた体験と言えるかもしれないので「自己」中心的なことばではないかもしれない。しかし、どんな体験であっても「自己」の体験である。戦友をなくしたという体験を踏まえて鮎川はことばを動かしているように思える。そこから「自己」を抜き取ってしまうのは、あまりにも乱暴な気がする。(二)は「私」性というくらいだから「自己」が不可欠である。(三)も鮎川の心境だから「自己」が必然的に含まれる。私には、どうにもよくわからない。
 で、最初に引用した文章から推測で書くのだが、北川がここで問題にしている「放棄(自己放棄)」というのは、「表現」に限定されることがら、「修辞」の問題なのではないのか。鮎川は、日本人が知らず知らずに指向してしまう「無」への共感、日本の伝統的な美意識、自然への共感、生活の実感にたよらない表現をめざすということに限定されているのではないのか。「無意識の自己放棄(無意識的自己の放棄)」と、そこに「無意識」を補って読む必要があるのかもしれない。
 そうだとすると「修辞」は「無意識の修辞」、無意識のことばの運動ということになると思うが……。
 「死について」という作品に言及した文章。

この自己批評的な軽みこそは、わたしが先に消去法で述べた東洋やら日本やら、自然やら生活やらに固執することから、みずからを解放しているにちがいない。それがこの詩人の成熟した近代意識というものであろう。              ( 269ページ)

 そうすると「修辞」というのは、単なる表現上の問題ではなく、「修辞」こそが「意識(思想)」ということになる。
 そうであるなら、これまで北川が書いてきた「理念」というのは、どうなるのだろうか。「理念」は「意識的修辞」と同じにならないか。「意識的修辞」に「理念」がやどることにならないか。
 鮎川は、それまでの日本の詩が無意識に採用してきた「無」「日本的美意識」「自然感覚」と連動している「無意識的修辞」を拒絶し、違う方法で「意識的に修辞」する。その「修辞における意識」の確立を目指しているということにならないか。

 --これでは、私の「感覚の意見」を書いているだけであって、北川の論に対する感想にならないかもしれない。
 私の個人的な体験を書けば、「荒地」は、かっこいい「修辞」のかたまりであった。わたしにとっては詩はもともと「修辞」の形であった。そこに表現されている「理念」に共感しているのではなく、かっこいい「修辞」にひかれて読んでいるだけであった。あ、これを真似してみたい。そして、実際に何度も「コピー」というか「盗作」をしながら、「意味」を考えるのではなく「修辞」の方法を手に入れようとした。
 私が「剽窃」しつづけた修辞の中にある意識が重要であり、それが「荒地」を特徴づけていると北側は言いたいのだろうか。

 詩にとって「理念」とは何なのだろう。「修辞」とは何だろう


北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

齋藤健一「毎朝」、夏目美知子「朝のリンゴ」

2014-10-31 11:41:42 | 北川透『現代詩論集成1』
齋藤健一「毎朝」、夏目美知子「朝のリンゴ」(「乾河」71、2014年10月01日発行)

 きのう読んだ佐藤裕子「-しびとに夢を見てはならいない-」にはことばへの過剰な圧力のようなものがあった。その圧力が何であるか、どこから生まれてくるのか、私にはわからない。しかし、そこに圧力がある、圧力のかけ方に個性(肉体)があると感じた。それがおもしろい。
 齋藤健一「毎朝」は感想を書こう書こうと思いながら、そのままにしていた詩である。佐藤の詩を読んだあと、急に読み返したくなった。

囀るごとく見るのである。自分は返答をしないのだ。書
き物机と肱の関節。なれなれしい謝罪である。ぱちりと
瞬きをする。善人すぎて緊張が判るのだ。高音はいらい
らする。超えぬならば納まる。軽視の事態。感冒の初期
に似ている。

 佐藤の詩には「行間」がなかった。齋藤の詩には「行間」と呼ぶには大きすぎる「間」がある。そして、「間」があるののだけれど、その「間」が屈折している。そのために「間」がないかのようにことばが接近している。言いなおすと、齋藤の「間」はかる適当な定規がない。「屈折」を測ろうとしても「無」しかはかれない。ことばとことばの間に「無」がある。その「無」がブラックホールのようにことばを強い力で引きつけ、結晶させている。ブラックホールと書いたが、それは「黒(暗い)」ではなく、「明るい(光)」。だから、やっかいである。光が屈折し、反射し、輝いているのはわかるが、光の向うにあるというか、光源となっている「もの」「こと」がきちんとした「輪郭」でとらえきれない。そこに「こと」「もの」が一部だけ見える形で存在していることがわかるので、こまってしまう。

書き物机と肱の関節。

 知らないことばはない。そのすべてが「見える」(わかる)。けれど、それが出会わなければならない理由(存在理由)がわからない。また、単なる机ではなく「書き物机」といわれるとき、「机」が奇妙な位置にずれていく。「いま/ここ」なのかもしれないが、「かつて/あそこ」という感じがふいにあらわれる。いまは「書き物机」というような言い方をあまりきかないためである。いわば、「古い肉体」のようなものが「書き物机」には含まれている。その「古い肉体」と「肱」という「肉体」が出会う。
 そして、その「出会い(関係)」が

なれなれしい謝罪である。

 と言いなおされるとき(そういうことばで、接続されて、世界が広がるとき)、何もわからないのに、たしかに机と肱とは「なれなれしい」かもしれないと感じる。書き物机に肱をついている。そのときの机と肱の関係は「なれなれしい」ということばによく似合う。机が肱になれなれしいのか、肱がつくえになれなれしいのか、わからないが、どっちでもいいのだろう。いや、両方なのだろう。
 「謝罪」は、どんな謝罪か。これも、わからない。わからないが、私は「なれなれしい」ということそのものが、すでにある種の「罪」のような気がするので、この一文は何やらぐるぐるまわっている感じがする。「なれなれしくて、ごめん」と「なれなれしく」謝罪している。ほんとうに謝罪するならほかの方法があるのだけれど、机と肱の、なれあった関係なので謝罪もなれなれしくなるのだ。
 この詩では、その「なれなれしい」感覚が、ほかのことばで何度も言いなおされている。「毎朝」ということばの中には、朝の繰り返しが無意識の形で存在しているが、それと同じように「なれなれしい」ものが、ここでは繰り返され、屈折し、なれなれしさの「一瞬」を何度も反復しているのだ。何度も繰り返すように、齋藤が、私にはわからない「圧力」をことばにかけている。
 その「圧力をかけている」という感じが、わかる。詩の「意味」はわからないが、ここに書かれていることばが一定の圧力をかけられているということがわかる。この詩が好ましく感じられるのは、その圧力のかけ方が一定しているからである。その「一定」が、「一定であること」が伝わってくるから、私は齋藤の詩が好きだ。
 ことばと、ことばが指し示す対象との「距離」が一定しているということからもしれない。「一定の距離」が齋藤のことばを空間化する。また時間化する。空間、時間の「間」が一定している。--そして、その「間」というのは、圧力によって「無」の状態なの他けれど……。
 あ、私は、書き出しに書いたことに「戻る」ためにことばを書いてしまっているのかなあ。書き出しを突き破って、書き出し以外のところへ行ってしまいたいのだけれど。



 夏目美知子「朝のリンゴ」はリンゴのことと鳥のことが交互に書かれている。そこに「間」があるのだが……うーん、リンゴだけでよかったのではないだろうか。

卓上でリンゴを真半分に切る
ナイフが最後にたてる音が嫌で
刃をぎりぎりで止め
あとは手首を捻って
二つに割る

俯いてリンゴの皮を剥く
この姿勢に入ると
心の納まりがいい
編み物でも煮炊きものでも
読書でも
同じ姿勢の影に
考えごとが隠れている

 二連目を省略して引用しているのだが、肉体の動きを追いながら、肉体が肉体を超えて別なものになる。「思考」になる。そのときの、ことばへの「圧力」のかかり方が(かけ方)が、とても自然で引きつけられる。
 「俯く」という肉体の動き(たぶん、「作業(仕事)の内にははいらない姿勢)が「引力」となってほかのことばを呼び寄せ、そこに「世界」を作り上げる。「リンゴを剥く」「編み物を編む」「煮炊きをする」「読書をする」という「動詞」が「俯く姿勢」とおることで世界になる。世界が「俯く」という肉体の形を何度も往復して豊かになっていく。これは、とても美しい。このとき「俯く」のなかで動いているものを、夏目は「考えごと」と呼んでいるが、この呼び方も自然でとてもいい感じがする。
 夏目にとって、「間」とは「考えごと(考えごとをする)」であり、それは現われては消えていくという不思議な連続性をもっている。その連続性を、この詩では「俯く」という「姿勢」に託している。



私のオリオントラ
夏目 美知子
詩遊社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(12)

2014-10-18 09:11:23 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(12)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 十一 蒼ざめたvie と自然回帰 三好豊一郎覚書

 「希望」という作品を取り上げて、北川は「なぜ、陽の照る麦畑の農夫や、リボンの少女や、快活な若者など、いかにも新体詩的なレベルの修辞よる希望を語らなければならなかったのか」と書いている。そして、また「おそらくここにあるのは宗教的文脈である」とも書いている。ここでいう「宗教的文脈」というのは「政治的文脈」に対しての発言である。
 「荒地」の詩人は北川には「政治的文脈」のことばを語った詩人であり、そのなかにあって三好豊一郎は異質である--というのが北川の論点のポイントであると思って読んだ。そうか、宗教的か……。たしかに、

《老いたる農夫》とか《貧しい清純な少女》とか《勤勉なる若者》というような、いささか素朴すぎる修辞がでてくる理由は理解できない。《無辜の犠牲(いけにえ)》とか《地上の苦役》、《萬人の苦悩》、《悲惨と哀訴の涙》というようなことばも、キリスト教やカソリックのようなものを、背景に置いてみて、はじめて意味をもつものであろう。( 243ページ)

 そういう気はするが、肝心のキリスト教、カソリックというものについて私は考えたことがないので、ほんとうかどうかよくわからない。
 そういう「宗教的文脈」とは別に、北川はたいへん興味深い指摘をしている。一九五二年版の『荒地詩集』に掲載されている作品(「春の祭り」)について触れている部分。

ここから受ける印象は、何よりも漢字の圧倒的な洪水ということである。そして、そのようにあふれ出ててくる漢字とは、詩人の内面などをもはや通過せず、どこか別のところを出自としていることばであろう。( 247ページ)

しかし、これは漢字の洪水なのだろうか。ここで用いられている漢字が、具体的な実在物を支持することばであることが少なく、そのほとんどが観念語であることに注意すべきだであろう。漢字の洪水と見えたものは、観念語の洪水であったのである。( 248ページ)

 あ、と私は声を上げてしまう。傍線を引いて何度も読み直してしまったのだが、そうか「観念語」か。
 もし、その視点に立つのなら、先に北川のあげている「老いたる農夫」「貧しい清純な少女」「勤勉なる若者」「無辜の犠牲」「地上の苦役」「萬人の苦悩」「悲惨と哀訴の涙」は、どうだろうか。「老いたる農夫」「貧しい清純な少女」「勤勉なる若者」は「実在」するように見える。特に「老いたる農夫」はどこにでもいるように見える。しかし、そのあとの「清純な少女」「勤勉なる若者」の「清純」や「勤勉」は「実在物」というよりも「観念」の世界にいる存在のように思える。「清純」「勤勉」というのは「もの」ではなく「価値判断」だからである。「無辜の犠牲」「地上の苦役」「萬人の苦悩」「悲惨と哀訴の涙」も「観念」が浮き彫りにする「事実」であるように思える。つまり「観念語」という具合に。
 言いかえると、三好には「宗教的文脈」はなく、最初から「観念的文脈」だけがあったということにならないか。観念が「老いたる農夫」「貧しい清純な少女」「勤勉なる若者」というような「実在物」を持ち出してくるとき、その「観念」は「宗教」と似通ってくるに過ぎないのではないのか。ほんとうは「宗教的」ではなかったのではないのか。
 「詩人の内面などをもはや通過せず」というのなら、それは「宗教的」ではないだろう。内面を欠いた宗教はないと、私は思う。「出自」を「宗教」と結びつけるのは、何か、三好の「観念」を、鮎川の「理念」とは区別するための方便のようにも感じられる。
 北川はまた、こう書いている。

それにしても、これらの個別に取り出してみれば、かなり過激なことばも、どういうわけか田村隆一のような観念の屹立性を感じさせない。漢字の字面が威嚇しているだけで、衝撃力を欠いているのである。それが洪水の印象ともなっているのであるが、その理由は、ことばが作者の内面的な根底を欠いて、ただ、平面的に自己増殖していくところにあるだろう。漢字による観念語の連想で次なる観念語が生まれており、その無限のような連鎖が作品行為なのだ。( 248ページ)

 とてもおもしろいなあ。
 「ことばが作者の内面的な根底を欠いて」いると、北川は再び「内面」ということばを用い、それを「欠いて」いると繰り返している。そうであるなら、そのことばは「宗教的」ではありえない、と私も再び書いておこう。
 「宗教」には「外形」もあるだろうけれど、もっぱら「内面」の問題である。三好の詩は、彼がどんな「宗教」を信仰していようが「宗教的文脈」とは関係がないのだと思う。「観念的」ではあっても、「宗教的」とは私には思えない。
 北川の指摘したいことと、私が感じ取ったことは違うかもしれないが、北川の文章を読みながら、私はそう考えた。
 そもそも三好は「観念語」はつかっているが、「観念」というものとも無関係なのかもしれない。
 そういうことよりも、

漢字による観念語の連想で次なる観念語が生まれており、その無限のような連鎖が作品行為なのだ。

 これが、「荒地以後」のひとつの「ことばの状況」を語っているように思える。--というようなあいまいなことではなく、私自身の「体験」に即して言えば。
 私が「荒地」の詩(あるいは「現代詩」)を書きはじめ、読みはじめたたのは1970年代である。その当時の「現代詩」(あるいは、過去の「荒地」の詩)を読み、そこに出てくる「漢字熟語」の多さにびっくりした。知らないことばなのに、表意文字の力なのだろう、「漢字」の「意味」がところどころわかる。そのところどころわかるものが「連想」でかってに「意味」を捏造する。(まあ、簡単に言うと、意味を調べずに「誤読」して、勝手に、「意味」を納得する。)漢字には不思議な力があるなあ、と感じ、それをそのままつないでいって、自分でもわけのわからない詩をでっちあげる。漢字熟語がとびまわると過激な感じがして、あ、「現代詩」と思い込むことができた。
 こういうとき、その観念語の「出自」は、あちこちの哲学書(?)だったり、辞書だったり、誰かの作品だったりする。そして、それを暴走させるのは「宗教」ではなく、たとえば熟語の音のなかにあるリズム、音楽というようなものであると私は思う。なんといっても「意味」もわからずに、このことばはなんとなくかっこいい、見栄えがする、この漢字熟語とこの漢字をぶつけると、いままでとは違ったものがでてきそう。そういう「カン」(感性?)のようなものが、ことばを動かす。
 それは「観念」ですらない。
 へええ、三好もそういう具合に詩を書いていたのか。
 北川の指摘していることは私の書いていることとは違うかもしれないけれど、私はそんなふうに思ってしまった。

 で、それと関係がないような、あるような。

 詩には「実感」とは無関係に動くものがある。あることばに触れて、そこから「連想」が暴走し、次々にことばを増殖させていく。そのことばの運動、そのときのリズム、音の響き(広がり)、そういうものを頼りに詩を書くことがある。それを頼りに書かれた詩があると思うことがある。 
 音に対する直感的な好みが、ことばを動かすことがある。
 詩は、「実感」ではなく、むしろ「でたらめ」なものでもある、とも思うのだ。現実をどこかで破壊していく、不埒なことばの運動であるとも思う。「意味」なんて、最初から考えているわけではない。書いているうちに、適当に生まれてくるものだと思う。

 問題は、そういう「でたらめ」を詩であると言ってしまったとき、ひとつ困る(?)ことがある。
 詩は「真実」を語るもの、という「定義」と折り合いがつかない。
 このことを強引に「荒地」の問題と結びつけていうと、「荒地」を統一している(?)「理念」と折り合いがつかなくなる。「荒地の理念」に合致するもの、「理念」で社会の問題を切り開いていく、「理念」で人間の可能性をつかみ取るということを「詩の本質」ととらえる視点と折り合いがつきにくい。どうしても「理念」を掲げて、それにそった作品を高く評価し、「理念」を掲げない作品を傍流に位置づけるというヒエラルキーのようなものができてしまう。ヒエラルキーの導入で、「折り合い」をつけてしまうということがおきるように思う。
 これは私の印象であって、不適切な表現かもしれないが、北川は鮎川信夫を頂点として「荒地」の詩人の「分布図」を書いているように感じてしまう。私は三好の詩よりも鮎川の詩、田村の詩をおもしろいと思うけれど、その私の感じている印象が、北川の描いている(?)ヒエラルキーのなかに組み込まれることには、何か、抵抗したいなあ、という気持ちがする。
 どう説明していいのかわからないのだけれど。
 北川が三好のつかっていることばに触れながら「宗教的」と呼んだものと、鮎川のことばに触れて「理念」と呼んだものの関係について、結論を急がないで、と注文をつけたくなる。
 私が北川の文章を読みきれていないだけなのだろうけれど。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(11)

2014-10-08 11:09:47 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(11)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 十 屹立する観念の彼方 田村隆一覚書

  222ページに「成熟の不可能」ということばがでてくる。それが田村隆一の「特質(本質)」である、と北川は指摘する。かっこいいことばだ。私はこういうかっこいいことばに弱い。言いかえると、「成熟の不可能」ということばが具体的に何を指しているのか明確にはわからないのに、かっこよさにひかれて、北川の書いていることは「真実」を含んでいると思い込んでしまう。思春期の「あこがれ」のようなものだ。私はこの「癖(嗜好?)」を捨てきことができない。
 わからないまま読み進んでいくと「観念のリアリティ」( 223ページ)ということばも出てくる。これは田村について語ったことばだが、私が「成熟の不可能」ということばに感じたのも「観念のリアリティ」かもしれない。くっきりと浮き立って見えるように感じる何か。何かを見たと感じるような、不可解な刺戟。こういう感じを「観念のリアリティ」というのか……。
 そんな感じのなかで、「観念のリアリティ」ということばを媒介にして、北川と田村は「ひとり」になって見えてくる。
 このあたりから見ていけば、何かがわかるのかな?
 そのあとに、

田村の初期の詩を、現実とは別な秩序をもった、観念の屹立性とでもいうべき性格においてとらえる視点そのものを変更しようとは思わない。( 223ペー)

 と書かれている。「観念のリアリティ」と「観念の屹立性」は、同じことを指しているかもしれない。
 「現実」とは「別な秩序」で「屹立」するように存在する「観念」。そこには「現実(ものの世界/形而下の世界)」とは別の「秩序(構造?/生成する力?)」で動いている観念というものがある。それは「現実」から独立している(屹立している/孤立?している)。つまり、別個のもの。だから際立って感じるのか。「異質」な感じが「肉体」のどこかを刺戟してくるのか。
 私の補足は、まあ、いいかげんなもの。「誤読」だろうが、そのあとで、北川は「腐刻画」という作品を引用して、次のように書く。

 まず、ドイツの腐刻画がそこにあるのではなく、かつてそれで見た《或る風景》が、いま、<彼>の前にある、とされている。( 224ページ)

この作品において、詩人は、この《或る風景》を幾つもの対位する印象の組み合わせとして示すのである。( 224ページ)

 エッチングで見た風景が「観念」のようにして、いま、ある。現実の風景を見るのではなく、田村はエッチングで見た風景のなかにある観念(エッチングの風景があらわそうとしている観念的なもの)を田村は見ている。そして、絵のなかの「観念」というのはひとつではなく、いくつもの観念が向き合っていると見ている。絵のなかからいくつもの「観念」をつかみ取り、絵を、その「観念」のドラマと見ている--その見た「観念のドラマ」を田村は、現実に重ね合わせている。
 このとき田村が見ているのは「現実」か、それとも「絵のなかの観念のドラマ」か。まあ、区別はしなくていいと思う。両方なのだから。両方あることで、ことばが動いているのだから。
 このあと北川は「対位」ということばを説明するために「仮構」( 224ページ)ということばをつかっている。そして、

この「腐刻画」が、てっていした対位法うによる構築という詩法によって成立していることに、注意すべきだ。対位法--つまり、ふたつの対立するイメージ、リズム、主題、観念の組み合わせによって作品を構成する手法は、彼のおそらく資質を貫いて、彼の作品史のなかでもっとも変わらないもの    ( 224ページ)

 と書く。(「対位」を「ドラマ」ということばでも言いかえているように思う。「観念のドラマ」という表現が 225ページにある。)
 あ、かっこいい分析だなあ、と思う。
 そう思いながら、私は、ふっと疑問にもとらわれる。最初にかっこいいと思った「成熟の不可能」はどこへいった?
 よくわからない。
 よくわからないが、このあと北川の文章の中には「ヨーロッパ」がしきりに出てくる。「ヨーロッパの観念(第一次大戦後のヨーロッパの戦後意識)」( 227ページ)という具合に。あるいは「語り手が憑いている第一次大戦後のヨーロッパの文明批評の意識」( 230ページ)という具合。
 なぜ、ヨーロッパの第一次大戦後の観念(意識)なのか--と問えば、それが「荒地」の理念だからという答えが返ってくるのかもしれないが、私はどうにも落ち着かない。田村は第一次大戦後のヨーロッパで「現実」を体験しているわけではないだろう。そういう人間にとって、第一次大戦後のヨーロッパの「観念」というのは、どれだけ「切実」なのだろうか。どれだけ自分のものとして「維持」できるのだろうか。
 「成熟の不可能」なとどいわなくても、それは成熟させようがないのではないだろうか。そういう疑問がわいてきて、北川の書いていることが、どうにも「実感」に迫って来ない。「かっこいい」と思ったけれど、どこがかっこいいのか、わからなくなる。

 わからないまま、読み進み、次の部分で、また思わず傍線を引いてしまう。

 彼の詩の観念の過激化が、実際の生活感情や生活意識との関係を遮断し、真空のように密室化した観念内部の自己劇化として起こっていることに気づかねばならない。その自己劇化は、対位法を中心とする徹底したことばの構築という方法によっていたのである。そして、そこにわたしが最初に述べた、現実とは別な秩序をもった観念の屹立性とでもいうべき性格をもった詩が、わが国の詩史上はじめて出現したのである。

 そう書かれると田村の詩の特徴がわかったような感じがするのだが……。
 「実際の生活感情や生活意識との関係を遮断し、真空のように密室化した観念内部」「現実とは別な秩序をもった観念」というものがあり得るのだろうか、と私は思ってしまう。「実際の生活」(日本の、田村の生活)とは「遮断した」状態の「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」、「現実」(日本の、田村の生活)とは別の「ーロッパの第一次大戦後の観念」という具合になら考えられるけれど、それでは何か変なことになってしまうなあ。「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」がたとえどんなにすぐれたものであったしても、その「屹立性」を田村が維持しなければならない理由というものがわからない。田村の生地(故郷)への反感が理由である、と言えるのかもしれないけれど、うーん、なぜ「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」なのだろう。なぜそれを田村は(あるいは「荒地」は)自分の指針として選んだのか。そして北川はなぜそれを「正しい(?)」と思ったのか。肯定したのか。それが、わからない。

 「荒地」グループの詩人が「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」に刺戟を受けて彼らのことばを鍛えたかもしれないが、それを守り通す(?)必要などないのではないだろうか。北川は「理念」にこだわりすぎていないだろうか、と思う北川は「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」に刺戟を受けたのか。それを北川の「論理」のよりどころ(支えてくれるもの)と感じているのだろうか。別な言い方をすると「共鳴」しているのか。
 私は「荒地」の詩をかっこいいと思うけれど、そのとき「共鳴」するのは「ヨーロッパの第一次大戦後の観念」とは関係ない部分なので、北川の文章を読みながら、どうも納得できないものを感じてしまう。「論理」的には北川の指摘は「正しい」のかもしれないけれど、その「正しさ」を「頭」で理解しようとすると、「肉体」のどこか(何か)、「頭」ではない部分が、「待て」とつぶやくのである。

 「恐怖の研究」について語っている部分がある。

 私たちは、ここでまた、これまでの観念の屹立性と同じ特徴を言うことができる。微妙な変化を言えば、対位法を構成する言語意識はより研ぎすまされ、命令法と断言によるリズムはより自在な流露感を生み、語り口は奔放になる。しかし、一方では同じことの繰り返しが、停滞や自己模倣を印象させるようになってきたこともたしかだ。( 236ページ)

 田村の詩の魅力は「命令法と断言によるリズムはより自在な流露感を生み、語り口は奔放になる」という部分に要約されているように私には思える。田村の詩には「観念」もあるが、ひとは「観念」を把握する前に、ことばの響き、音の動き、滑らかさに引きつけられないだろうか。目で読んで、読んだ瞬間に何かかっこいいと思う。耳で聞いて、聞いた瞬間に、それを自分の口で言ってみたいと思う。そういう欲望をさそうリズムが田村のことばにはある。そういうリズムのまま、何やらむずかしそうなこと(理念的なこと)を田村は語る。あ、そういうややこしいことも日本語で語ることができるのだ--という驚きが読者をひっぱっていっているように私には思える。
 語感、リズムというのは、声に出したとき「肉体」が感じる反応。のどが気持ちよかったり、耳が気持ちよかったりする。音が「美しい」と感じたりすること。音楽理論をつかえば何かわかるかもしれないけれど、私は音楽の素養がないので、感じるとしか言いようがないのだけれど。美しいハーモニーを聞いたとき、その和音の構造がわからなくても美しいと感じたり、刺激的なリズムに出合ったとき、それがどういう構成なのかわからなくてもかっこいいと感じるように、あることばとことばの結びつき、そのときの「音」にびっくりする感じは、日本語を話したり聞いたりしている「肉体」には自然におきる反応だと思う。「意味(論理)」ではなく、何か、私はそういうもの「論理」になりきれないものに反応して「かっこいい」と感じてしまう。
 「語感」、ことばの調子--それが引き起こす感覚的な印象。これは「論理」のように検証するのがむずかしい。「かっこいい」という印象を引き起こすということした私には言えない。その語感のまま語りつづければ、世界はどんな姿を全体としてみせることになるか、というのはさらに検証がむずかしい。「かっこうよさ」を自分で再現して確かめようとすれば、「模倣」「盗作」ということがおきるだけである。そこにあることばの結びつきと似たものを自分でつくってみて、これでいいのかな、と試してみるしかない。ビートルズの和音がかっこいいなら、それを真似して自分で適当に音を動かして曲をつくるようなものだ。「模倣」「盗作」がいちばんの評価であるという「矛盾」のようなことが起きてしまう。
 音楽の「和音」のようなものが「ことば」のなかにもあるのだと思うけれど、それはまだ解明されていないように思う。
 「論理(理念)」ではないことばの動きをどう定義し、評価していくか。むずかしいけれど、それを抜きにしては詩はありえないしなあ……。
 そんなことを、ふと考えた。
北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
クリエーター情報なし
思潮社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(10)

2014-09-30 10:51:21 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(10)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 九 死者の棲む境からの帰還 北村太郎覚書

 「北村太郎覚書」に触れる前に「八 俗なる市民の行方 黒田三郎覚書」について書きそびれたことを少し補足。
 黒田三郎の詩について書かれていることがらで気になって仕方がないのは、黒田の「日常」を展開していったとき、それがどうして「俗」になるのか、あるいは「俗」では何が問題なのかがよくわからないということである。
 別な言い方をすると。
 北川は上手宰の論を批判するとき、上手の論そのものを展開して、上手こそが黒田を「腐肉」と読んでいると批判している。同じ方法を黒田の「日常」を描く方法でも展開できないのはなぜなのか、ということが問題として残る。
 「理念」と「日常(具体)」を比較して「日常」を「俗」と呼んでも、それが批判になるのかどうか私にはわからない。黒田の「日常」の描き方、それを積み重ねることで到達できる世界と、「理念」を踏まえた「日常」の描き方を対比し、「理念」から出発しない「日常」の描き方は「俗」になる、という形をとらないなら、それは「俗」を証明したことにはならないのではないだろうか。



 北村太郎について書かれた文章では、私は、次のところでつまずいてしまった。

《修辞の意味》が《存在》ということばであらわされること(正確には<存在>が修辞によってあらわされると言うべきだろうが)には、北村の思想が示されていると見てよいのである。( 205ページ)

 丸括弧内は北川が北村の「思想」について言いなおしている部分(補足している部分)なのだが、北村が

《修辞の意味》が《存在》ということばであらわされる

というのなら、「修辞の意味」が「存在」なのであろう。「修辞」以外に「存在」というものはない、ということにならないのか。

<存在>が修辞によってあらわされる

では、「正確」というよりは、「誤解」を招かないか。
 つまり、ある存在があり、それに対する修辞というものがある。「<存在>が修辞によってあらわされる」では、「修辞されることで、存在は、存在として浮かび上がる」ということにならないか。
 「美しい箱」ということばを仮定してみる。「箱」が「存在」であり「美しい」が「修辞」。
 北村は「修辞(美しい)」、「美しい」は修辞する行為(認識)こそが「存在している」のであって「箱」は存在しない(存在するにしろ、それは「美しい」と認識することの下位に置かれる)という「認識論」を展開していると思う。
 けれども北川の言い直しでは、「存在(箱)」が「修辞」によってあらわされると「誤解」されないだろうか。北川は「箱」を認識する「人間存在」のあり方が「美しい」という修辞行為によってあらわされると言いたいのだと思うけれど……。

 私は北村太郎をほとんど読んでいないので、よくわからないのだが、北川が引用している詩を読むと、なんだか落ちつかない。

 おおあの朝の充ちあふれた存在(あるもの)よ
 それがいまわかった
 釣りあげた魚をたたき殺して
 両手でつかんだときの
 固いあるものすべての色とない音
 思いがけない神のお許しのようなもの
 滅びることがたしかな一つのもの……             (「存在」部分)

 これは一九六四年の作品であるが、「存在」は、題名にはルビがふられていないが、作中では《あるもの》と読ませている。この《あるもの》とは、確実に手でつかむことができるような固い実在であり、しかも、神の許しのような形而上学的な影をもち、滅びることがたしかなものである。おそらく読者の誰もが、引用部分三、四行目の具体的な経験のことばから、この《存在(あるもの)》のリアリティを感じとることだろう。しかし、実は、その部分は、詩人の直接体験のことばではなく、修辞レベルの表現だったのである。そのことを北村は「ヘミングウェイの短編について」で明らかにしているわけだが、(略)  
 (205 - 206ページ、ルビを丸括弧であらわしたため原文とは表記が違っています)

 「ヘミングウェイ云々」はようするにヘミングウェイの短編を読み、そこにある表現にインスピレーションを得て書いた「修辞」であり、実体験ではないということを意味するのだが。
 その前半部分の「存在(あるもの)」についての把握が私と北川ではかみ合わない。北川は、「確実に手でつかむことができるような固い実在であり……」と抽象的なままことばを重ねているが、私は「存在(あるもの)」とは単純に「人間」のことだと思った。引用では省略したが、ヘミングウェイが小説のなかで「彼」と読んでいる男。それを北村は「存在(あるもの)」と書き直している。それだけのように思える。
 「存在」とは北村にとっては「人間存在(認識する主体)」であり、ふつう私たちが「人間」と呼んでいるもの。それを「存在」と言いかえるのは「認識する/修辞する主体」と言いたいためではないのか。「認識/認識行為(動詞)」が「存在」と言えばわかりやすいのに、北村は「認識」のかわりに「修辞」ということばをつかっているためにわかりにくくなっているような気がする。
 
 ことばの「定義」が、どうもかみ合わない。私は北川の書いていることの前でつまずいてしまう。私が北村をよく読んでいないためにおきる単なる「読解不足」なのだと思うけれど、少し気になる。
 たとえば、「荒地」との「詩的共同性」についてふれた部分。

北村太郎は、論理ではなく、イメージにおいて、あるいは修辞性において、もっとも個性的にうたうことができた詩人だからである。( 210ページ)

 この部分の「論理」と一般的にいう「論理」というよりも、「荒地の理念(鮎川信夫がリードした理念)」という感じのことを指していると思う。北村は、そういう「理念」からは離れる形で、人間をとらえなおしている。「理念」ではなく、人間が「存在(もの)」を、あるいは「世界」をどう表現できるか、その表現の仕方(修辞の仕方)に「人間存在」の全てがあらわれる。修辞の仕方を「理念」で統一することも可能かもしれないが、北村はそういう「理念の統一」を望まなかったということではないのか。

北村太郎における「荒地」以後とは、その破滅的観念を思想的に解体することではなく、あたかもそれが自然過程のよう、おのれの言語から、観念性を抜き取っていった過程と見ることができる。( 213ページ)

これらの詩句がみずみずしく張りつめているのは、観念を脱色した感覚が、いわば初めてのように、手の及ぶ範囲の世界を触覚し、観察しているからだ。( 214ページ)

 うーん、「観念性」というのものは、どんなところにもあるのではないだろうか。どこにでも「観念性」を見出すことはできるだろう。「観念性」のない表現というのはありえないだろう。
 ある表現に「観念性」がないとするなら、「観念」の定義が書いた人(北村)と読んだ人(北川)とのあいだで一致していないということだけのように私には思える。書いた人の「観念」と合致する「観念」を読んだ人がもっていないとき、そこに書かれている「観念」は見落とされる。ひとはだれでも自分の知っていること以外は知らないし、自分の見たいもの以外は見ない。
 北村が取り除いたのは、「荒地」の「理念(鮎川信夫がリードした理念)」という気がする。北村は、確立された「理念」によって世界をとらえるのではなく、自分の「感覚」で世界にふれ、そのとき動くことばの形(認識の形、その認識をあらわすための修辞)に「人間」そのものがあらわれる、「存在」があるということを実践したのではないのか。
 北川の北村論を読んでいると、そんなことを感じてしまう。北川の見ているのとは違った北村が見えてきてしようがない。



 誰の詩についても同じことがいえると思うが、その詩のなかに書かれている「感性」を動かしてみて、それがどこへゆくのかを確かめることは非常にむずかしい。そこに書かれている「感性」が自分の好みかどうかということは言えるが、その「感性」が次にどう動くかは、その「肉体」にしかわからない。「感性」は一瞬一瞬生まれるものだから、「矛盾」というものがない。
 「論理」は「感性」と違って動かしてみることができる。あるルールに従ってつくられている。出発点(土台)があって、その上にことばを積み重ねていく。「論理」は一瞬一瞬生まれ変わるものではなく、生まれ変わらないのが「論理」なのだ。「変わらない」を前提としているから、「変わる」と「矛盾」と非難されたりする。「齟齬」を来していると批判されたりする。
 「論理」は「頭」で処理することができるが、「感性」は「頭」だけでは処理しきれない。ここに詩を読むとき(批評するとき)のむずかしさがあると、私は感じている。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(9)

2014-09-20 09:12:26 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(9)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 八 俗なる市民の行方 黒田三郎覚書

 北川の黒田三郎批判はどのようなところから生じているのか。

彼は、中原中也を批判するときに、《文明批評家としての詩人》というような概念に拠っている。それはまた、ニーチェやキルケゴールなどの知の集積を背景にした《非民衆的な、反民衆的とさえみられる生き方》という論理とも重なっている。しかし、このモティーフが、エッセイにおける、ある一面での強調にもかかわらず、実際の作品ではほとんど力をもっていないのはなぜか、ということにも考えを及ばせておかねばならない。その理由をわたしは、戦後における黒田の詩の磁場が、<民衆→市民><生活><日常言語>の、あまりに揺るぎない関数として成立してしまったところに見ている。(188 - 189ページ)

 「概念」「知の集積」か。「知の集積」は「非民衆的、反民衆的」か。「概念」もきっと、そうなのだろう。そのとき「知/概念」とは何か。ニーチェやキルケゴール。ようするに西洋の哲学(あるいは哲学言語)のことだ。
 北川は『黒田三郎日記』<戦後篇>を読み、黒田がキルケゴールやニーチェ、さらにカフカ、サルトルなどを読んでいることを知った。こういう西洋の哲学のことばを「思想的な蓄積」( 182ページ)と呼んでいる。
 うーん、そうなのだろうか。
 それは、「思想的蓄積」ではなく、「知の蓄積」なのではないだろうか。黒田はそこに書いてあることを読み、知っている。けれども、それは黒田の「思想」ではなかったということなのではないのか、と私は思ってしまう。
 読んで知ってはいるけれど、黒田の「思想」にはなりえなかったのではないだろうか。(だから、詩としては書くことができなかった。詩の方が黒田のほんとうの「思想」をあらわしているのではないのか。)
 北川は、また、こう書いている。(引用は前後するが……。)

黒田の戦後とは、いわば資質としての体験的発想が、まさしく<生活><民衆>、そして<実用性>ということばで語られた<話体的言語>との関数においてこそ、出現したところに見定められねばならない。( 187ページ)

 「話体的言語」とは日常的に話されていることば、民衆の口語に近いことばということか。この対極にあるのがきっと「知の集積としての言語」(西洋の哲学書のなかにあることば)ということなるだろう。
 黒田は、批評では「知の集積」としての「西洋哲学の言語(概念)」をつかって「思想」を語っていたが、詩はそのときの「理念」ではなくて、「日常のことば(庶民的、生活的なことば)」になっている。「理念」から離れてしまっている。
 そういうことを北川は批判しているように見える。

 北川は、「荒地」に「理念」のことばの運動の可能性を見ている。
 そういう「可能性」からみると、黒田は逸脱している。「荒地」的ではない。鮎川信夫的ではない、ということになる。
 でも、これは批判されることなのだろうか。
 北川の文章を読みながら、私が感じた疑問は、そこにある。

黒田が<荒地>の共同理念に、論理として一方で加担しながら、しかし、感受性の領域で《俗なる市民》に固執したのは、もとより、そこに原型的、あるいは資質的な発想があったからである。( 191ページ)

 「感受性」「資質」と北川が呼んでいるもの--それは「知の集積」ではないように見えるが、「智恵の集積(暮らしのなかで引き継がれてきて生き方/日々のしのぎ方)」かもしれない。そして、それは「西洋哲学の概念」とは違うかもしれないが、やはり「思想(哲学)」ではないのだろうか。日本で暮らしている黒田が、その暮らしのなかで自然に身に着けた「智恵」(生き方)も、「思想」ではないのか。

 私は、たぶん読み違えているのだと思う。
 「荒地」があらわれてきたときの「戦争/戦後」の時代、彼らの肉体が潜り抜けてきた現実、そしてその現実を批判的に切り抜けていくために必要としたものを見落としているのだと思うが、それでも何か違和感が残る。
 「俗なる市民」の「俗」が気になるのかもしれない。
 この「俗なる市民」の「俗」の反対のことばは何だろうか。「知の集積」の「知」かもしれない。「概念」かもしれない。あるいは「理念」かもしれないなあ。北川はそういうものを「聖」(俗の反対)とは呼んでいないが、そう呼んでいないだけに(無意識なだけに)、それが少し怖い。
 私の考えでは「無意識」とは「肉体になじんでしまっているもの/肉体になってしまっているもの」、つまり「思想」だからだ。自分が信じる「聖」とは違うもの、「聖」の範疇に入らないものを、「俗」と呼び捨てることにならないだろうか--それが不安だ。
 北川は書いてはいないのだが(私は北川の忠実な読者ではないので、読み落としているかもしれないが)、北川は「理念/知/論理」を「聖なるもの(人間のめざすべきもの)」という視点で世界を見ていないだろうか。そして、「理念/知/論理」を指向しないものを「俗」と呼んでいないだろうか。
 私の見方は、戦争の中心を形作っている「死」を見落としている(「荒地」の詩人たちが「死」と向き合っている、「死」と向き合って、それをどう自己に引き受けるかということを問題を見落としている)のかもしれないが、とても気になる。
 「死」の前で「聖」「俗」の区別はあるか。
 たぶん、「死」を浄化するものが「聖」であり、人間の「思想」は「死」を浄化するものでなければならない--という考え方は、うーん、ことばの上では、わからないわけではないが、私は積極的に与するという気持ちになれない。


北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
クリエーター情報なし
思潮社

谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(8)

2014-09-14 12:09:37 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(8)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 七 終末観の行方 中桐雅夫覚書

 中桐雅夫の作品を引用しながら、北川は書いている。「霊の年」の場合は桜木富雄のエッセイも引用し、桜木と北川の評価の違いも書いている。桜木は、「霊の年」を「悲壮美に連関して当時は読まれもした」と書いているのを踏まえて、

わたしの現在の眼には、この作品は<悲壮美>として移らない。戦死の意味を、石に刻まれた眼に比喩する知的で硬質な表出意識は、情緒的あるいは感傷的な感情を抑制しており、その意味では、戦死者をうたうという、もっとも戦争詩・愛国詩になりやすいところで、作者はモダニズムにとどまっている。言いかえれば、戦争のイデオロギイよりも、彼自身の固有なことばの感覚を優位において書いている。( 165ページ)

 ここで私は、「あっ」と叫んで、つまずいた。「戦争のイデオロギイ」というとき、北川はきっと「社会的に制約を受けた」という意味を含めている。つまり「社会的に制約を受けた戦争に対する考え方、意識」という意味で書いているのだと気付いた。それに対応させているのが「彼自身の固有なことばな感覚」なのだから。「社会的」に対して「個人的」という意味が北川の考えていることなのだろう。
 私は「社会的に制約を受けたイデオロギイ」とは思わず、「中桐自身の戦争イデオロギイ(戦争に対する考え方)」と思って読んで、うーん、意味が通じないと悩んだのだが、そうではなく「社会的」に対して「個人的」か。「イデオロギイ」に対して「固有な感覚(知的で硬質な表出意識)」か。
 「戦争体験」というのも、北川は「社会的」体験という意味で書いていたのか。私は「個人的」体験だとばかり思っていた。(これまで書いてきたことは、だから「誤読」なのだが、書き直してもしようがないので、そのままにしておく。)
 北川のことばは「社会」と「個人」を往復しながら動いているのか。
 ぼんやりと、わかったような気持ちになったが、実は、私にはよくはわかっていないのだろう。いろいろ気になることばにぶつかりつづけるから……。

 中桐について書いたことばのなかで、気になるのが「内在化」ということばである。「個人的経験」、「経験に高める理念化」というようなことなのかな?

Mの記憶は中桐の戦後の生を不安にする、あるいは解体する戦争の傷であるけれど、M の意思は内在化されないのだ。( 165ページ)

M(戦死者)の内在化のことを、もっと一般的に戦争体験の思想化の契機と言ってもよいが、それがなぜ中桐に稀薄なのか、長い間、わたしにはよくわからなかった。( 166ページ)

 これはMの意思(意識/思想)は中桐によって引き継がれ、より明確な理念(ことば)として結晶化されていないということなのだろうか。
 だが、このとき北川は「戦争体験」をどう定義しているのか。よくわからない。やはり「社会的な体験」と考えているのだろうか。個人の戦争の体験(友人を戦争で失った)ということを、「社会的な戦争の意味」と向き合わせながら、「社会的な戦争」に対する批判(理念、主義)にまで高めていないと言っているのか。つまり、中桐の書いていることは、「戦争に対する社会的批判」「戦争を引き起こした社会に対する批判」にまでなっていない、「思想」としては不十分ということなのか。
 でも、「思想」は「社会的」でなければいけないのだろうか--たぶん、この「思想」に対する考え方の違いが、私と北川の間には「障害」のように存在していて私は北川のことばを追いきれないのかもしれない。私には北川のつかう「思想」ということばはは、「社会的」という修飾語をあまりにも必要としすぎているように感じられる。それも理想の社会、理念が到達する社会としての「社会的」。北川の想定している理念から逸脱した社会は、そこからは排除されている。
 北川は、中桐の「思想化」の不徹底を、中桐の個人的体験、『海軍の父 山本五十六元帥』という国策評伝を書いたこと、それを自己批判しなかったことに見ている。自分の過去を批判しないので「戦後そのものを思想化する契機は失われた」( 168ページ)と言っている。
 それはそうなのかもしれないけれど。
 それは北川の求めている「思想」(戦争を批判し、戦後を理念的にリードすることば)と中桐の書こうとしている「思想」が違うということではないのか、と私は思ってしまう。過去の過失は隠したままにしておきたい、というのも「思想」であると思う。北川はそういう「思想」に与したくないということかもしれないけれど、だからといってそれが「思想」ではないとは言えないし、「思想化」されたことばではないとも言えないと私は思う。
 鮎川信夫とつきあうときと、中桐とつきあうときと、同じつきあい方をする必要はないだろうとも思う。人と人との関係は「個人的」なもの。「社会的」な基準(?)で整理しなくても……と私は思ってしまう。
 あ、だんだん脱線してきたなあ。

 この詩人が生き残った戦後という現実、そこでの経験が媒介された《全的な経験》からきているのではなく、終末的な現代という知識--それも知的な経験にはちがいないが--という場からきているように思う。( 170ページ)

 この《全的な経験》の「全的」というのも「社会的」ということなのかもしれない。個人的経験に対して「社会的経験」。
 この「社会的(全的)」経験に対して、「個人的」経験(しかも「知的な経験」)は「終末的」と呼ばれているように感じる。「社会的(全的)」経験は、きっと「未来的(建設的)」ということかもしれない。
 こういう対比に、私は、どうもひるんでしまう。
 建設的、未来的でなくても「思想」はあるのじゃないかと思う。それが好きな人もいる。暗くたっていい、とも思う。
 あ、また脱線しそう。

 よくわからないまま書くのだが、北川は「中桐雅夫の沢山の詩作品のうち、わたしがいちばん好きなのは「海」である。」と書く。( 160ページ)
 そうであるなら、その「好き」にとどまって中桐の「思想」について書いてくれればいいのになあ、と思う。北川はとどまって書いているつもりかもしれないけれど、私には好きといいつづけているようには感じられない。「終末論」と結びつけて批判しようとしているように思える。

 『会社の人事』については、北川はこう書いている。

世相の移り変わり、風俗、社会的な事件、底の浅い文化……などに対する直接的な反応、時にあらわに示された怒りの相貌に読者は驚いたが、それは思想的な根底をもった批評精神に発しているというより、彼の観念性を脱色した理想主義的な気質に発している、と考えた方が自然だ。( 178ページ)

 北川にとっては「思想」と「批評精神」は通い合うもののようである。「観念性」とも通い合うかもしれない。けれど「思想」は「気質」とは相いれない。うーむ。「観念性を脱色した理想主義的な気質」と北川は書いているが、「観念性を脱色する」というよりも「観念」が生まれてきていない状態の「気質」なのかも、と私は思う。そして、そういう「観念性」にまで達していない「気質」の方が、一人の人間(個人)にとっては「思想」なのではないかな、とも思う。変更できない本能、思考の本質ではないかな、と思う。「ことば」になっていない(共通言語かされていない)けれど、「肉体」でつよく感じているもの、そうするしかないもの、という気がする。


北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
クリエーター情報なし
思潮社
谷川俊太郎の『こころ』を読む
クリエーター情報なし
思潮社

「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、郵送無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川透『現代詩論集成1』(7)

2014-09-10 10:27:41 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(7)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 六 戦争責任論の位相 吉本隆明の出現

 北川透の「荒地」への接近の仕方、「体験」と「経験」のとらえ方には、「体験」というものが置き去りにされている--と感じたのだが。
 この「戦争責任論の位相」では、ちょっとおもしろいことが起きている。
 吉本隆明の「日本の現代詩史論をどうかくか」を取り上げているのだが、

吉本は「荒地」グループの出現の意義を、《「詩と詩論」の系統の詩意識が、日本の敗戦革命の挫折と政治経済情勢の混乱や疲へいを、感受し》、日本の近代詩史上はじめて、ほんとうの意味で思想をみちびきいれたところにみている。それが古典主義的な方法、倫理的な主題という特質にあらわれているというわけである。(略)ここで吉本の考えの特徴的なところは、戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていないことである。彼は、戦争や戦場の極限情況がうたわれる時、不思議にリアリティがあるのは、《それがほんとう、敗戦革命の挫折にゆがんだ戦後インテリゲンチャの意識を象徴的につたえ、そのうしろにある混乱し疲へいした敗戦日本の秩序意識を反映しているから》だというように考える。 ( 145ページ)

 ここで、吉本のことばを借りながら「体験」ということばが復活している。
 戦争「体験」そのものに「荒地」の出現の「意味」を見ていない。「荒地」の出現の「意味」は、戦後インテレゲンチャの「意識」を象徴的につたえる、--つまり、それは混乱・疲弊した敗戦後日本の「秩序意識」を浮き彫りにするからだ、ということなのだろうか。こんなふうに要約していいのかどうかわからないが、私なりに理解すると、こうなる。そしてこれは言い換えると、「戦争体験」ではなく「戦後体験」が詩を生み出しているということになるのだが(つまり戦後の情況を体験することで、それまで動かなかったことばが動きはじめたということになるのだが)、「戦後」というのは「戦争」を体験しないことにははじまらないのだから、簡単に「戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていない」と言っていいのかどうか、私にはわからない。
 私は「脱線」しているのかもしれない。ただ、思うのは、「戦争体験」よりも、その後の「意識」を重視するという読み方は、あまりにも、北川の「経験」重視の読み方、「体験」と「経験」を比較して、「意識」の方へ傾いていく読み方に思える。
 「思想」は「倫理的主題」と言い換えられ、さらに「思想」は「意味」、「意味」は意識」とも言い換えられているように、私には感じられる。その「意味」「意識」に「個人的(個別的)」という限定をつけると北川の言う「経験」になるのかもしれない。「思想」とは「個人的(個別的)」な 「経験」をあらわす言語運動、個人的・個別的な「意味/意識」ということかな?
 「敗戦革命の挫折」というようなことばを手がかりにすれば、「理念の挫折」を経て、それでもなお「倫理的」であろうとする意識、倫理的である意味というものが「思想」と呼ばれているものかもしれなのだが、北川は「思想」というものを、倫理や意味、意義のようなもの、人間の精神を導くもの、そのことばのように限定的にとらえているように思える。そういう「思想」化の動きを「経験」と呼んでいるようにも思える。
 うーん、これは吉本の論の紹介なのかなあ。吉本もそう考えているのかなあ。吉本を引用しているけれど、北川独自の考えかもしれないなあ、とも思ってしまう。

 「戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていない」というのは北川の考え方であって、その考えを補強するために吉本を引用しているように思えてしまう。
 「思想」のとらえ方は、私の考え方とはずいぶん違う。私は「理念化」されなくても「思想」はあると思っている。「思想」をもたない人間はいないと思っている。私と北川の考えている「思想」は違ったもののように思える。だから、私は北川の書いていることを百分の一も理解していないかもしれないが、それはそれで仕方がない(?)と思っているのだが……。
 北川もまた吉本の書いていることから少し逸脱していると思う。
 と、いうのも。
 吉本の「荒地」評価を引用、定義し直した上で、北川は吉本の文章をさらにいくつか引用し(「荒地」の運動としての役割は終わったという論を引用し)、次のように書く。

吉本によって、「荒地」の転換あるいは変容の意味はとらえつくされているものの、いま、わたしが読んで不十分に感じられるところは、その転換が<体験>という側面でのみとらえられていて、<荒地>の共同理念化という側面にはほとんど注意がはらわれていないことだろう。(146 ページ)

 先の文章では「荒地」の出現を戦争「体験」そのものに見ていないと吉本を評価(?)しておいて、ここでは「荒地」の転換を「体験」という側面でのみとらえていると書いている。何か「論理の整合性」がゆらいでいる。
 北川は「戦争体験」と「戦後体験」は違うということになるのかもしれないが、どうも北川の文章からは「体験」というものがわきにおいやられてしまう気がしてしようがない。「体験」よりも「体験の理念化/経験」、そこから生まれる「思想(倫理的意味、意義)」へとことばを動かしていこうとしているように思えてしようがない。 「理念化」(言語化)がいそがれすぎているように感じられる。

 しかし、おそらく実感を失いだしたのは、戦争や戦後の極限情況の体験ばかりではない。第一次大戦後のヨーロッパの戦後意識というフィルターを通して、培養された<荒地>の理念も実感を失いだしていたはずだ。そして、この擬似的な戦後意識の実感喪失は、彼らに、まさしく敗戦革命が完敗、戦後資本制がよみがえるに至る、戦後体験や生活意識の思想化という課題をもたらしたのだ。( 146ページ)

 よくわからない。「体験」の実感が失われるというのは、単に「だんだん忘れる」ということだと思うが、「理念」が実感を失うというのは「忘れる」ということとは違うと思う。「理念」が実感を失うのは「現実」と「理念」をかみ合わせようとしてもかみあわなくなることだと思う。でも、その「理念」というものが自分の生きている現場ではなく「第一次大戦後のヨーロッパの戦後意識というフィルターを通して、培養された」ものなら、それは最初からかみあうはずがないものだったのではないだろうか。
 「戦後体験や生活意識の思想化」ということばがあるが、「体験」を踏まえない限り「思想」というものは、絵空事の「理念」になってしまうのではないだろうか。その「理念」が「絵」のように鮮やかだとしても、それは瞬間的に鮮やかに見えただけのことにすぎないように思える。

 北川がここで書いていることは「理念」を追い求める(理念の整合性追い求める)ことに忙しくて「体験」を置き去りにしているように思えてしようがない。



 こうしたことと関係があるのかないのか……。
 『死の灰詩集』に対して鮎川信夫は次のように批判している。

政治的、社会的現象を背景にして、ある思想的な指導原理に基づき、民衆の感情をひとつの方向に導くというようなものは、僕はいついかなる場所にあっても好まない。(151 ページ)

 これに対して、北川は書く。

鮎川にとって集団的な背景をもっている観念は、理屈ぬきに嫌悪の対象なのである。これをわたしは、彼の個人主義と見るよりも、そこにこそ鮎川の戦争体験の気質的な核心があったと理解している。従って、彼は国家のためであろうと、人民のためであろうと、社会福祉のためであろうと、集団的な匿名の権威によって指導されたり、画一化されたり、篩にかけられることに耐えられない。その感情には発展性がないかも知れないが、なまじっかの附け焼刃の思想よりも強力に、本来的に個人的契機の上にしか存立しえない詩の擁護として働くのである。( 152ページ)

 ここに「体験」が出てくる。「鮎川の戦争体験の気質的な核心」。私は、これこそが「思想」ではないかと思っている。「体験」そのものが「気質」とからみあって、「感情」になっているもの。けっして「理念」化できないもの。それは「理念」を生み出すけれど、「理念」にはならない。常に「理念」に意義を唱えて、個人へと引き返していく力。「体験」そのものが「思想」だと思っている。
 あ、書き急いでしまったかな……。

 北川の文章を読むと、「理論(論理)」が先に進んでいって、「体験」がどこかに置き去りにされているような気がして、それが不安になる。


北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
クリエーター情報なし
思潮社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする