詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

結城文「都心の空」

2021-10-06 10:25:22 | 詩(雑誌・同人誌)

結城文「都心の空」(「みらいらん」8、2021年7月15日発行)

 結城文「都心の空」は2篇から構成されている。そのうちの「空を歩く人」。家の窓から見上げると「空を歩く人」が見える。

見上げる平らな屋根の屋上に大空を歩く人が現れ始めた
ヒマラヤ杉の先の尖った樹冠から現れ出て
フェンスの金網に沿って歩み近づき
アンテナの立っている角で曲がると
青空や雲の中に歩み入り
最後に頭が擁壁の彼方に消える
その間五十数秒
姿が見えなくなってからヒマラヤ杉の黒い樹冠から
再び現れ出るまで五十数秒
コロナ騒ぎになってから定期的に現れ出る空を歩く人影--
一人の時もあれば
兄弟らしく背丈の違う二人が並んで歩いている時もある
黒いシャツは長方形の屋上を八、九周、十周はするらしい

 屋上を歩いている見上げると「空を歩いている人」に見える、というのは、まあ、「ことばのあや」だね。
 私が引きつけられたのは、動きの変化が人間とは別の存在によって瞬間瞬間、くっきりと描かれているからだ。きのうの感想で「ことばの距離感」ということばをつかったが、ここではそれがていねいに再現されている。「ひと」がいるとき、そこに「もの」がある。「ひと」がだれなのかわからないが、一緒に見える「もの」は「名前」をつけることができる。「名前」はすでにある。「ヒマラヤ杉」「フェンス」「アンテナ」。でも、これだけでは、なんというか、結城の「ことばの距離感」にならない。「ヒマラヤ杉の先の尖った樹冠」「フェンスの金網」「アンテナの立っている角」。ことばがつながって、「世界」が広がる。その「広がり方」を支えているのが「距離感」であり、そこにはとても「自然」なものがある。言い換えると、そこに結城の「正直」が「自然」となってあらわれている。
 それは「ひと」に適用されると、あるときは「頭」になり、あるときは「一人」になり、さらに「兄弟」になり、「黒いシャツ」になる。「抽象」からだんだん「具体」にかわってく感じがする。あ、結城は、偶然見たひとたちを識別し始めた。つまり、「身近」に感じ始めたのだとわかる。名前はもちろん知らない。顔も知らない。けれども、なんとなく「知っている」感じ。
 「距離感」はどんなものであれ、それを結び続けると、自然に「立体的」になる。そして、そのことばが出す「立体的な場」に、書いている人が飲み込まれていく。「新しい世界」のなかで、その「世界」をみつめることになる。
 この変化がいいなあ。繰り返される「五十数秒」が実に丁寧で、それが「八、九周、十周」につながっていく。まるで、結城になって、だれだか知らない「黒いシャツ」の人が屋上を歩いているのを見ている感じになる。
 詩のなかに「再び」ということばが出てくる。この「再び」が、たぶん結城の「思想」である。人は何事かを繰り返す。「再び」同じことをする。それは「再び」を超えて「永遠」になるとき、人が完成する。「人柄」というものがあらわれてくる。それを「行動」ではなく、「ことば」で「再び」たどり直す。そのときの「再び」が、書かれていないけれど、ここにはある。「再び」を正確に繰り返すためには「ことばの距離感」が大切なのだ。「ことばの距離感」が乱れると「再び」は「再び」にならない。
 詩の途中だけしか引用しなかったから、これだけでは私の書いていることは伝わらないかもしれないが、この「再び」がことばになる前に、「再び」にはならない「不規則」のようなものが一連目、二連目に、これまた正確に書かれている。それがあるからこそ、あ、結城はことばを書く(詩を書く)ことで、ここにあらわれる「正直」をたしかなものにした、書くことで新しい人間に生まれ変わったという鮮やかな印象が生まれてくる。
 こういう作品は「散文を行分けしただけの作品」ということになるのかもしれないが、私は好きだなあ。「正直」は、なんといっても安心感を与えてくれる。

 

 

 

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