詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

添田馨『クリティカル=ライン』

2019-01-31 11:32:00 | 詩集
添田馨『クリティカル=ライン』(思潮社、2018年12月25日発行)

 添田馨『クリティカル=ライン』の「帯」に「詩の批評を〈批評〉する」と書いてある。そうすると、私が書くのは、詩の批評の批評への感想ということになるのか。詩がとても遠くになるなあ。
 66ページにこんなことばがある。

私たちの戦後思想を輪郭づけてきた言説の定型、つまり「告発の文体」では、もはや震災後の世界を語るのは困難なのだと瀬尾は言うのである。

 「瀬尾」は瀬尾育生のことである。「告発の文体」というのは、鮎川信夫、吉本隆明が用いた文体。「戦争」が人為的行為だったので、戦争責任を問うという思想的スタンスが成立した。しかし「震災」は人為的行為ではないから「告発の文体」では対処できない、ということらしい。
 私にはよくわからない。
 確かに震災の起点は「人為的行為」ではない。プレートの移動だ。しかし、大地震、津波とどう向き合うか。予測をどうするか。防災をどうするか。これは「人為」の問題だ。原発事故も同じ。巨大津波にどこまでそなえるか。予備電源をどう確保するか。事故が起きたとき、どう対処するか。これは「人為」の問題だ。
 「人為」の有無が「告発の文体」が有効か、無効かの「基準」だとすると、まだまだ「告発の文体」が活躍しないといけない。

 ここから、大きく飛躍するのだが。

 「告発の文体」は震災以後は有効性を持たないと、簡単に(?)言ってしまっていいのかどうか。(正確には、瀬尾はそうは言っていないが、私にはそう「聞こえる」)
 こういう、いかにも学者らしい完結した思想が、いま、逆手にとられていないだろうか。
 どういうことかというと。
 安倍政権下で起きつづけているさまざまな大事件。資料の改竄、隠蔽、破棄。それにかかわった人間の責任問題。その「告発」がさまざまに行われているが、「告発の文体」なので、有効性がない、と簡単に退けられるという風潮が起きていないか。
 菅はいつも「問題ありません」と言う。「人為」があっても、「人為」を告発することは無意味である。いま問題なのは、「人為」を超えることがらである。そのことを問題にしなければならない、という「言質」を菅に与えることにならないか。つまり、悪用されないか。
 別な例で言おう。
 安倍は憲法改正をもくろんでいる。その主眼は「自衛隊の明記」だ。なぜ自衛隊を憲法に明記するか。「震災復興に自衛隊ががんばっているのに、自衛隊は憲法違反だと友達から言われたら、自衛隊員の子供たちがかわいそうだ」。石破が安倍との討論で主張したように、そんな主張で友達をいじめる子供はいない。でも、安倍は、そういう形で、大災害は「人為」とは無関係だ、という論を利用している。そして大災害後の「人為」に焦点を当て、それを評価する。批判する人を許さない、という論理を展開している。(繰り返すが、誰も災害救助に出動している自衛隊を憲法違反とは主張していない。)

 こういう「批判」に対して、瀬尾(あるいは添田)は、きちんと反論できるだろう。そしてその反論は、私の感想を簡単に打ち破るだろう。(でも菅も安倍も同じことを繰り返す。)
 瀬尾、添田の論理は「完結」している。矛盾がない。だから、「正しい」と主張できる。
 私は、ここにいちばんの問題がある、と考えている。
 論理的に正しく完結していれば、それでいいのか。
 憲法問題で言えば、たとえば井上達夫が主張していることは、論理的には完結していて、矛盾を指摘し、矛盾があるから間違っている、と反論することは私にはできない。(ほかの人なら、できるかもしれない。)論駁はできないが、私は井上の主張が「納得できない」。

 添田は藤井貞和の「人類の詩、前書」に触れて、藤井の書いているものを読んで、「誰もがとっさに受ける印象は、おそらく戸惑いと疑問のない混じったものに違いない」と書いている。「疑問のない混じった」は「疑問のいりまじった」か「疑問のないまざった」か。ちょっとわからない部分があるのだが。私の感想を言えば、藤井の文章を読むと、あれれれっと思う。そのまま藤井の論理にしたがって自分のことばを動かしていけるかというと、うまく動かない。でも、そこには何か、まだ書き切れていないものがある。ことばを探している、と感じる。つまり「完結」しているというよりも、まだまだ「開かれている」という感じがして、興味深い。藤井のことばを自分なりに言い直し、動かしてみたいという感じになる。ことばを誘われるものがある。
 私は、これは大切なことではないかと思う。
 もし「告発の文体」が通用しないというのが現在の状況なら、「告発を無視する文体(菅の文体)」が通用しない「文体」こそ、私たちに必要なのではないか。
 もし藤井が菅に向かって「大震災は憲法違反だ」と主張したら、菅は「問題ない」と答えることができるか。「問題ない」とは答えられない。違う答え方をしないといけない。そういうものをひきだす「知恵」のようなものが、藤井のことばのなかには動いている。
 わけがわからないものに出会ったとき、わけがわからないのに、「おもしろい。がんばれ」といいたくなるのに似ているなあ。サザン・オール・スターズやピンクレディをはじめてみたとき、「わからないけどおもしろいから好き」と感じた。それに似ている。私は、こういう「興奮」を信じている。それは役に立たないかもしれない(?)けれど、自分を傷つけることはない、という感じ。
 井上達夫の論は、(瀬尾育生の論も?)、正しさで完結しているという意味では、きっと「役に立つ」ものなのだと思うが、私はそういう「役に立つ」ものには加わりたくない。自分の好き勝手ができなくなるなあ、という危険を感じてしまう。







*

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池澤夏樹のカヴァフィス(43)

2019-01-31 08:27:13 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
43 エウリオスの墓

美しいエウオノス。
彼はアレクサンドリアの人、二十五歳。
父からはマケドニアの旧家の血を引き
母方は歴代の行政長官を出した家柄。
アリストクレイトスについて哲学をおさめ、
パロスからは修辞学を学んだ。
テーバイでは聖書を研究し、アルシノイトス地方の
歴史一巻を書いて、少なくともこれは後に残る。

 池澤は「登場する人名はすべて架空」と書いている。
 名前が架空なら、そこに書かれている他のことがらも架空になる--と考えるのが普通かもしれないが、逆かもしれない。名前は架空だが、彼が行ったことがら、「哲学をおさめ」「修辞学を学び」「聖書を研究し」「歴史書を書いた」はほんとうということかもしれない。そういう人は実際にいただろう。
 カヴァフィスはどうだったのか。私はカヴァフィスの人となりというか、来歴を知らないが、そういうことをするのが夢だったのだろうと思う。
 ことばは「事実」を書くと同時に、まだ実現していないものをも書くことができる。そして、人間というのは不思議なもので、まだ実現していないものの方をほんとうの自分の姿だと考える。つまり、それへむけて動く。
 「42 文法学者リシアスの墓」の感想で「シェークスピアが英語の慣用句を多用したのにならってカヴァフィスもギリシャ語の慣用句を多用したのだろう」と書いたが、正確には、シェークスピアが英語の慣用句を多用したのにならってカヴァフィスもギリシャ語の慣用句を多用した「かった」のだろう、と書くべきだったかもしれない。

より貴重なものは失われた--彼の姿、
アポローンの幻かと思われたその美しさは。

 しかし、これは「理想の自画像」というよりは、「現実の恋人」の姿と読みたい。恋人に、「哲学をおさめ」「修辞学を学び」「聖書を研究し」「歴史書を書い」てほしかったのだ。自分の「鏡」になってほしかったのだ。
 そういう「欲望」が隠された詩。






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池澤夏樹のカヴァフィス(42)

2019-01-30 08:56:18 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
42 文法学者リシアスの墓

ペリトゥスの図書館を入ってすぐのところ、
右手の方に文法学者リシアスは埋葬されている。
これは彼にとって最もふさわしい場所。
彼が思い出すであろうもののすぐ近くに
我々は彼を埋めた--註釈、本文、文法解析、
研究、ギリシャ語の慣用語法に関する大著。

 池澤は書いている。

リシアスは架空の人物。

 これはとても興味深い。
 なぜ墓を書くのに、架空の人物を「文法学者」に仕立てたのか。池澤は何も書いていないが、私は、こんなことを感じた。
 カヴァフィスは詩人である。詩人のことばというのは、ときには文法を逸脱することがある。日本の現代詩を読んでいるからそう感じるのかもしれないが。
 たぶん、カヴァフィスには、自分は文法を逸脱していない、文法を正確に守っているという自負があったのだろう。文法を守ったまま、文学を書く。詩を書く。
 さらに、

ギリシャ語の慣用語法

 ということばが出てくるが、シェークスピアが英語の慣用句を多用したのにならってカヴァフィスもギリシャ語の慣用句を多用したのだろう。普通の人が話している普通のことば。それを組み合わせて、誰も書かなかったことを書く。そういう自負が感じられる。
 「40 非売品」の

それらを彼はきちんと丁寧に
高価な緑色の絹に包んだ。

 この「きちんと」「ていねいに」「高価な」もので「包む」という一連のことばのつながり。それは一種の「慣用句」であり、そういう慣用句が使われるときの、ひとのこころというものが、そこにある。カヴァフィスは、誰もが「秘密」を大切にするときのこころと肉体の動きを「慣用句」を使うことで浮き彫りにしたのだ、と改めと思う。


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北畑光男『合歓の花』

2019-01-29 10:11:51 | 詩集
北畑光男『合歓の花』(思潮社、2018年11月20日発行)

 北畑光男『合歓の花』の「岩魚」が印象に残った。

俺は死んでいきます
食べなければならなかった
カゲロウの幼虫
川面を飛ぶ蝶

もう俺の食べる分だけは
死ななくていいから
五月になっても雪のある
山奥の渓流では

釣針にひっかかったもう一匹の岩魚が
尾で夕陽をはじき
仲間に知らせています
あっちにいけ
あっちにいけ

 読みながら、この岩魚は北畑だろうか、と思ったのだ。岩魚を釣りにいって、岩魚がかかった瞬間、釣り人は釣り人ではなく、岩魚になる。

あっちにいけ
あっちにいけ

 一回だけではなく、繰り返す。そこに、どうしても伝えたいという必死さがある。
 そして、この「あっちにいけ」は、きちんと説明できるわけではないのだが、なんとなく北畑が、詩を読んでいる人に向かって言っているような感じがしたのだ。
 「すずむし」にも同じようなことばがある。

ねえさん
おともなくきえていったあの
しろいほうしゃじょうのてんはなに

おまえはくるな
くさつゆのなかでいきるおまえはくるな
なげられたひかるこえ
りつりつ

 「あっちにいけ」と「くるな」は同じことを言っていると思う。
 こんなふうに死ぬな、といっている。
 こんなふう、とは、どんなふう?
 「いとざくら」が教えてくれるかもしれない。

幼くして故郷を離れたおれの
初めて聞いた花の名前
いとざくら
方言で辛夷のこと

 この方言は一揆を起こした人のあいだで語り継がれてきた、と読むことができる。最終連にこうある。

「困る」の字の代りに
小さい丸を筵旗に掲げる
山瀬の吹きおろす北上山地である
凍てついた狭い道の雪も消えた
傾斜地に残った
一本のいとざくらが咲いて

 一揆を起こした人(首謀者)は、そのためにたいへんな目にあっただろう。でも、そうするしかなかった。そうするしかなかったが、人にはそうしろとはいわなかっただろう。「あっちへいけ」「こっちへくるな」と、一人で苦しみを背負っただろう。
 そういうことを感じさせる。

 いま、天皇が強制退位させられ、戦争へまっしぐらに体制をととのえる憲法の改正がもくろまれている。北畑は戦争を実際に体験した人ではないようだが、体験を直接聞いた世代かもしれない。その語り聞いた「あっちへいけ、こっちへくるな」(逃げろ)という「声」を私はなんとなく感じる。
 「いとざくら」は「いちばんはやいさくら」という意味だろうか。いちばん敏感なものの「悲鳴」と読んでしまう。









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北の蜻蛉―詩集
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花神社
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池澤夏樹のカヴァフィス(41)

2019-01-29 09:58:36 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
41 わたしは行った

自分を縛りはしなかった。のぞむままにわたしは行った。
なかばは現実であり、なかばはわたしの
欲望の中に渦巻くものである喜びを求めて、
明るい夜、わたしはでかけて行った。

 「なかばは現実であり」「なかばはわたしの/欲望の中に渦巻くもの」という対比がおもしろい。「欲望の中にうずまくもの」はまだ「現実」になっていないということか。しかし、「欲望」は現実そのものだろう。あるいは、まだ現実になっていない「喜び」の方が、より現実的というべきか。カヴァフィスは、そのまだ現実にはなっていないものに従っているのだから。
 ただ、この

欲望の中に渦巻くものである喜びを求めて、

 という一行は、とても硬い。「ものである」というのは、昔の「学校翻訳」、あるいは大江健三郎の長い長い文体に出てくることばのようで、私はいやだなあと感じる。「関係代名詞」を、いまは、もうこんなふうに訳さないのではないかと思うのだが。
 池澤の几帳面な部分があらわれている、と見るべきなのかもしれないけれど。

用心ぶかい一面をもっていた詩人がなぜこの種の作を公表することにしたのか、興味を惹くところである。

 この池澤の註釈も、几帳面ということに尽きると思う。「40 非売品」もまた同じように同性愛を描いている。「欲望の中に渦巻くものである喜び」と書けば「夜の生活」(池澤の注にあることば)になるのではないだろう。「比喩」の方が、もっとあからさまであると感じるのは私だけだろうか。 



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ビョルン・ルンゲ監督「天才作家の妻 40 年目の真実」(★★)

2019-01-28 19:42:04 | 映画
ビョルン・ルンゲ監督「天才作家の妻 40 年目の真実」(★★)

監督 ビョルン・ルンゲ 出演 グレン・クローズ、ジョナサン・プライス、クリスチャン・スレイター

 グレン・クローズが好演しているという評判なので見に行ったのだが。
 確かに一生懸命演じてはいるのだが、映画の細部が甘すぎる。いちばんの欠点は、ノーベル賞を受賞した作家の作品がどんなものかぜんぜんわからないことだ。引用されるのはジョイスのことば。おいおい。そりゃあ、ないだろう。かわりに「批評」が語られる。しかし、その批評というのは、もうすっかり忘れてしまったが「新しい文体」とか「文学に革命をもたらした」とか、まあ、読まなくても言えるもの。具体的に、どの作品のどの部分が、ということが語られないと批評とは言えない。感想ですらない。
 つぎに問題なのが、天才作家の人間性の描き方があまりにもずさん。少なくとも大学教授をやっていて、自分で作品を書いたこともある人間が、妻の書いたものを自分の名前で発表して、それが評価されてうれしいということなんてあるのだろうか。後ろめたさを感じずに、受賞を喜べるものなのか。
 と書いたあとで、こういうことを書くのは変なのだけれど。
 これを「天才作家のノーベル賞受賞」と引き離して、夫婦の「日常」と思ってみると、このだめさ加減がたっぷりの夫というのは、なかなかうまく演じられている。夜中にベッドでチョコレートを食べ、「糖分をとると眠れなくなる」と注意されるシーンなんか、うまいなあ。こいつ、いつも家でそうしてるんじゃないのか、と思わせる。とても損な役どころで、こんな役をよく引き受けたなあと思ってしまうのだが、ほんとうにいいだらしがない。グレン・クローズがいなければ、ジョナサン・プライスは何もできない。髭についた食べ物のカスさえぬぐい取れない。グレン・クローズが、「ついている」とジェスチャーでしめさないといけない。この、間抜けぶりを、とても自然にやっている。とても天才作家には見えない、という感じをそのまま出している。
 グレン・クローズの演技は、ある意味ではジョナサン・プライスの演技があったから、際立って見える。上っ面でしかない男、それと対照的な女の内面の葛藤。グレン・クローズはジョナサン・プライスにかわってことばを書いたのではなく、精神というものを演じたのだ。
 でもねえ。
 その精神が、やっぱり「小説のことば」として再現されないと(引用されないと)、映画としては弱いなあ。だれそれとの浮気のことを書いたとかなんとかとか、それはストーリーであって「文体」ではないからね。
 この映画は、そいう意味では、「幻の小説」同様ストーリーを描いているだけで、人間を描いていない。描いているふりをしているだけ。
 唯一、これはいいシーンだなあ思ったのが。
 若いときのグレン・クローズが、女性作家の講演を聴く。その作家が若いグレン・クローズに向かって、大学の図書館の本を手渡す。大学出身の作家の本だ。本を開くと、パリッと音がする。誰も開いたことがない。ただ陳列されているだけだ。女流作家の本は、そういう運命にある、と語るシーン。本がきちんと演技している。そして、それがそのままストーリーを支えている。
 この本のような演技を役者はしないといけない。はじめて発する悲鳴が、聴く人の胸に響くような、一瞬なのに、決して忘れることができない「事実」を噴出させるような演技を。
 (2019年01月27日、T-JOY博多スクリーン11)
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池澤夏樹のカヴァフィス(40)

2019-01-28 09:49:37 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
40 非売品

それらを彼はきちんと丁寧に
最高の緑色の絹に包んだ。

紅玉で作った薔薇、真珠の百合、
紫水晶の菫。すべて自分の判断と、

嗜好と美の感覚によって--自然のままにおくでも、
研究の対象にするでもなく。そして金庫にしまっておく、

 これも恋の詩だろうなあ。
 「すべて自分の判断と、//嗜好と美の感覚によって」が、恋なのだ。誰を好きになるか、どこが好きなのか。それは自分にしかわからない。
 「自然のままにおくでも、/研究の対象にするでもなく。」は不思議な秘密の匂いがする。どうしていいか、わからないのだ。
 できることは、「きちんと丁寧に/最高の緑色の絹に包んだ。」
 この「包む」に恋のすべてがある。「包んで」「しまっておく」。
 「きちんと」「丁寧に」「最高の」と、ことばを重ねずにはいられない。

 池澤は、こう書いている。

 原題は「店に所属する品」の意。主人公は腕の良い宝石職人で、一級の装身具を作って売る一方、自分の喜びのために宝石を花で作って秘蔵している。

 まあ、そうなんだろうけれどね。
 私は、ここに書かれている「宝石」を「自分好みの恋人」と読む。「宝石」は比喩である。

誰か顧客が店に入ってくれば

彼は別の品を出して見せるだろう--一級の装身具--
首飾りや腕輪、そしてまた指環や鎖を。

 最後の装身具には具体的な説明がない。そっけない。それは「恋人」ではないからだ。そして、「指環」「鎖」は、何というか、人間を「拘束する」イメージがある。
 カヴァフィスは、逸脱していく恋を、ことばのなかに隠している。




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池澤夏樹のカヴァフィス(39)

2019-01-27 10:32:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
39 できるかぎり

のぞむことのすべてをなすのが不可能だとすれば、
少なくともできるかぎりを求めて、
力を尽くすべきだ。世間との
つきあいに淫したり、動いたり喋ったりで
人生をおとしめてはいけない。

 池澤は、

カヴァフィスには珍しく道徳的な作品。

 と書いている。
 そうなのかなあ。道徳の定義がむずかしいが、「道徳的」というとき、誰にむけての道徳なのか。他人に対して忠告しているのか。私には、そうは思えない。カヴァフィス自身に向けて語っている。世間など気にせず、もっと自分の欲望に忠実になるよう力を尽くすべきだと言っているように思える。自分の「恋」に忠実になれ、と。

ぐずぐずと人生を引きまわして、
日々の愚行や
人々との社交の場などに
さらしていれば、
人生はただしつこくつきまとう他者と化してしまう。

 池澤は、こう書く。

 最終行は見事な表現。「他者」と訳した語はクセノス、客人であり、外国人であり、他者である。

 「他者」の定義がまたまたむずかしいが、私にはこの「訳語」がどうもわからない。
 自分の欲望に忠実に生きるよう力を尽くさないかぎり、その人生はただの「客人」のようになってしまう、という感じではないのだろうか。池澤が「客人」という訳語もあると書いているが、そのことばの方に「実際」を感じる。
 「客人」の反対のことばは、「主人」だ。自分の人生の「主人」になるためには、世間や社交なんか気にするな。でも、それは言うのは簡単だが、実行はむずかしい。だからこそ、ことばのなかで夢見る。これも、ことばによる「先取り」の一種だろうなあ。
 「他者」だと、内面的な自他の対話、哲学的になる。私はやはり恋の詩と読みたい。





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池澤夏樹のカヴァフィス(38)

2019-01-26 09:54:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
38 稀有のこと

 二連から構成され、前半は「老詩人」の姿が描かれる。老いて醜くなった体。でも、家に帰り、

ぶざまな老躯を隠すやいなや、彼はまだ
おのれのものである若さに心をむける。

 池澤はここに注目し、こう書いている。

詩人であることによって若さを内部に維持し、外部の老醜をいわば中和しうる幸運が扱われる。しかしそれが「稀有なこと」に属するのを詩人が知らないわけではない。

 そうなんだろうか。「おのれのものである若さ」とは何だろうか。
 二連目。

若い人々は彼の詩を朗唱する。
彼らの明るい眼に老人の見るものが映る。
彼らの健康で官能的な精神と、
ひきしまった形のよい肉体は、
彼の美を感じとっておののく。

 池澤の訳を、私は思いっきり「誤読」する。
 「老人の見るもの」と訳されているが、これは「老詩人が若いときに書いた詩」ではないだろうか。いま老詩人が書いている詩ではないだろう。
 かつて老詩人が書いた詩を若者が読むと、若者の肉体は、そこに書かれているとおりのものになる。「老詩人が見たもの」が若者には見える、その「美しさ」に若者の肉体はおののき、それに近づく。
 これは言い換えると、老詩人が書いたことばが今も若者の美の基準となっている、若者は老詩人が書いた若者の美しさを目指している、ということ。
 そんなふうに、過去の人間のことばが、いまも若者の理想として生きているということ。それが「稀有のこと」というのではないだろうか。
 老詩人は、それが自慢なのだ。どんな若者も、彼のことばがつかみとった美しさを超えられない、ということが。その美しさは詩人のもの(おのれのもの)なのだ。
 私は、そう読みたい。
 「若い人々は彼の詩を朗唱する。」という一行は、誇りだ。でも、それは「老い(醜さ)」を中和するというよりも、さらに老人の肉体に醜さを刻印するように思える。













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池澤夏樹のカヴァフィス(37)

2019-01-25 10:03:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
37 教会にて

ギリシャ人の教会に入る時、
わたしを包む香の煙の匂い、
典礼をつかさどる声と交響曲、

 私は、二連目のこの部分が好きだ。教会のなかは薄暗い。明るい日中に思い扉を押して入ると、特に薄暗い。目がものをつかみ取る前に、鼻が全体の匂いをつかみ取る。それから耳が静けさを聞き取る。ここに、どんな音が響いていたのだろうか。どんなふうに響きあっていたのだろうか。
 書き出しは、

わたしは教会を愛する--六翼の天使を、
銀の祭具を、燭台を、その光を、
聖像を、また説教壇を。

 と視覚から始まっているのだが、ぐいとこころをつかまれることがない。
 たぶん二連目の「入る時」ということば、「入る」という動詞が「愛する」に比べて「肉体」を直接刺戟してくるからだと思う。「愛する」だと、離れている感じがする。想像でも書ける。「入る」によって教会と一体になる。そのとき「肉体」を刺戟するのは、視覚ではなく、野蛮な嗅覚なのだろう。
 目はたくさんの情報を処理するが、欠点は、目の前のものしか見えないということだ。嗅覚や聴覚は、肉体の周り、全方向に開いている。そこに「強み」をもっている。そういうことも思い出させてくれる。

 池澤の註釈。

 カヴァフィスは「教会」を、五感に訴えるその具体的な姿において愛するのであって、それは信仰とは別のものである。













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池澤夏樹のカヴァフィス(36) 

2019-01-24 10:03:53 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
36 戻っておくれ

時おりは戻ってきてわたしに憑いておくれ
愛しい感覚よ、時おりは戻ってわたしに憑いておくれ--
肉体の記憶が目覚める時に、
昔の欲望が血の中をめぐる時、
唇と肌が思い出す時に。

 池澤は、こう書いている。

 老人と官能という、それぞれにカヴァフィスがよく扱った主題がここで結び合わされる。

 問題は、なぜ、カヴァフィスが「老人」を描いたか。
 ことばは、いつでも「先取り」をする。体験を書くというよりも、ことばで先に体験してしまう。そして、そういうときの体験というのは、多くの場合、敗北や失敗である。成功を先取りしてことばにすることは少ない。
 なぜだろう。
 成功や栄誉を先取りして書けば「うぬぼれ」になるからだろうか。自信過剰を嫌われ、叩かれるからだろうか。

 しかし、こういうことを書くとき、詩人はたいていは「失意」のなかにはいないだろう。むしろ悦びの中にいる。官能の中にいる。ただし、そこには幾分、下降期の倦怠があるかもしれない。
 失意を先取り体験することで、ほんとうの体験にそなえているのかもしれない。





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絹川早苗『ボタニカルな日々』

2019-01-23 15:13:14 | 詩集
絹川早苗『ボタニカルな日々』(A Factory 、2019年03月06日発行)

 絹川早苗『ボタニカルな日々』は立ち止まって読む詩集だ。「木とともに」が印象に残る。

木は 人と同じように群れをつくる
仲間どうし 助けあって育ち
林や森になっていく
それが幸せな生き方のようだ

 いきなり「人生訓」のように始まるので、ちょっと読むのがつらい気持ちにもなるのだが、私は木が好きなのでつづきを読む。
 こう展開する。

大津波で奇跡的に残った
岩手の 一本松は
どんなに寂しかったことだろう

 「寂しさ」を思い、そこに共鳴している。ジャーナリズムに登場してくる「一本松」とは少し違う。そこが、なんとなく、いい感じだ。「人生訓」から少し引いている。押しつけがましさがない。
 ここに絹川の人柄が出ているのかもしれない。人柄というのは、私の考えでは「思想」のことである。そして、「思想」というのはあくまでその人の「肉体」とともにある。言い換えると身近なものと一緒になって動くことばだ。それを証明するように、絹川のことばは「一本松」から離れ、「寂しさ」を身近なものを通して語り始める。本当に知っていることを語り始める。

人の手で植えられた庭木たちは
それほど幸せではないのかもしれない

木にはそれぞれ理想とする姿があり
広葉樹は 幹を空に向かって真っすぐのばし
枝を斜めに 突き出す腕のように力強く広げること

この庭のシンボルツリーのカエデは
太陽に向かって真っすぐに立つことができない
幹は少し腰を曲げ 枝も 歩くときの傘のように
かしげた形に広げている

それは 北斜面で
入り口近くの地面も少し傾いているので
根を均等に広げることができず
片方を太くして踏ん張るしかなかったからだ

 「根を均等に広げることができず」は実際に肉眼で確かめたことではなく、想像力を働かせてつかんだ「推定」なのだが、その前の「太陽に向かって真っすぐに立つことができない/幹は少し腰を曲げ 枝も 歩くときの傘のように/かしげた形に広げている」が肉眼でつかみとっていることなので、まるで肉眼で確かめたかのような強さで迫ってくる。「肉体」に支えられた正直な想像力だ。想像力とは事実をゆがめてとらえる力だと言ったのはバシュラールだったと思うが、こんなふうに正直な印象の想像力もある。これもまた人柄というものだろう。
 「片方を太くして踏ん張るしかなかったからだ」には、きっと絹川の、自分の肉体をゆがめながら踏ん張った体験が隠れている。肉体をゆがめるのではなく、精神をゆがめてかもしれないが、精神などという目に見えないものではなく、やはり肉体そのものだと私は感じる。
 こういうことばの動きが、私は好きだ。

 木に思いを寄せ、木のことを書いているのだが、それがおのずと書いている詩人の肉体、生き方となって整ってくる。
 ここには絹川自身がみつけだした「思想」がある。
 それは流行の海外の哲学者の「思想」のように、華々しい印象を与えないかもしれないが、確実な「思想」である。





*

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紙の上の放浪者(ヴァガボンド) (21世紀詩人叢書 (6))
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池澤夏樹のカヴァフィス(35)

2019-01-23 10:03:19 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
35 アレクサンドリアの王たち

クレオパトラの子供らを見せるために
アレクサンドリアの民が集められた。

 彼らは、それぞれどこそこの王と宣言される。それが三連目で転調する。

アレクサンドリアの民は無論知っている、
そんな宣言がただの言葉、三文芝居に過ぎぬことを。
しかしそれは暖かい詩的な日のことで、
空の色も淡い青だった。

 しかもこの転調は、二回ある。
 華やかな宣言が「ただの言葉、三文芝居」と否定され、そのあと人事とは無関係の天候、空の青が描かれる。
 ここがとても美しい。
 「ただの言葉、三文芝居」は「意味」だが、「暖かい日」「空の青」には意味がない。自然(天候)は人事とは無関係に、絶対的に、そこに存在している。
 漢詩のなかに出てくる自然のようだ。

 最後の四行は、クレオパトラの子供ではなく、アレクサンドリアの市民の様子を描いている。この四行は、先に引用した四行があるからこそ、「人事」のむなしさのようなものを浮かび上がらせる。市民は、都市にとっての「自然」になるのかもしれない。

口々に、夢中になって、歓呼の声をあげ
見事な見世物に陶酔しきった--
内心ではこれらすべての無意味を知りぬき、
王位がからっぽの言葉にほかならぬことを承知しながら。

 池澤は、

カヴァフィスは歴史の皮肉を民衆の心の二重性の中に見ている。

 と書いている。





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北川透「なんとかと」ほか

2019-01-22 08:21:22 | 詩(雑誌・同人誌)
北川透「なんとかと」ほか (「KYO峡」最終号、2018年12月31日発行)

 北川透「なんとかと」は「ひらがな」だけで書かれている。一行が「五七五」になっている。もちろん俳句ではないが。

なんぱせん ふるびたひゆに あきれはて
なんかんに やぶれたわれの しずむふね
なんきつに しにものぐるい こえもでず
なんぱせず ゆっくりねむり ふはいする
なんぎする なにほどのこと なんななん

 五行目まで引用してみた。何が書いてあるか。何も書いていない。書き出しを「なん」という音でそろえ、そのあと「五七五」のリズムでことばを動かしていく。
 しかし。

なんとかと かんとかとかが かんかかん
なんとなく このままいきが たえるはず

 「かんかかん」は単なる音か。それとも「意味」をもっているか。漢字まじりでどう書き直すことができる。「斯く書かん」(こう書くとしよう)と読むこともできる。「斯く書かん」の「く」は、私の発音では「無声音」になる。だから、どこかで「っ」とか「ん」とかの不完全な音とつながる。そういうこともあって「斯く書かん」という文字が思い浮かぶのだが、これは「音(発音)」が先か「表記(漢字まじりのことば)」が先か、よくわからない。どこかで交錯し、一緒になって立ち現われてくる。「肉体」がことばを勝手につかみとり、あとからこじつけしているとも言える。
 こんなことは、もちろん北川の意図したことではないだろう。北川が書いているとき、想像したことでもないだろう。私が勝手にそう読むだけなのである。
 ことばというのは、実際、困ったものだと思う。読むと、どうしても「意味」をでっちあげてしまうものだ。このことばのあり方を「パロール」というのか「ラング」というのか知らないが、私は、そこから逃れることができない。書いている北川はどうか。そういうものを突き破りたいのだろうと思う。いや、私は、北川のことばの運動に、そういう暴力を期待したいのだが、これはなかなかむずかしい。「現代詩」は、どこまでことばの拘束力を解体できるか。

 というような、ちょっと面倒くさいことを書いてしまうのは。「脱走四六韻プラス一」という詩がある。

あさぎりに 行く手阻まれ 敗けいくさ いずくへか われのゆく
道 われ知らず うしろには ピンク・フロイド アニマルズ 遠
近法 通るべからず この道は 尾をたれて へつらっている ひ
とやいぬ

 と始まる。「五七五」が繰り返され、その最初の「五」のあたまを拾っていくと「あいうえお」と五十音図になる。それがわかるように、最初の「五」のはじまりの部分だけをゴシック文字にしている。
 ところが。
 「な行」がおかしい。

                              な
なかまど 色づくおまえに 犯される ニヒリズム 鉤十字の旗 う
ち振られ ぬばたまの 夜神楽に酔い けつまずく ねんねこや ね
ずみ落としに ねこいらず 野山超え 国境超える テロリズム

 どこがおかしいかというと、「な」なかまど、「ニ」ヒリズム、「ぬ」ばたまの、「ね」んねこや、「野」山超えとゴシックにならないといけないのに「色」づくおまえの「色」がゴシックになっている。
 これは誤植? それとも、わざと? わざとだとしたら、どうして?
 読者がほんとうに読んでいるかどうかを確かめるための罠?
 この詩の最後「わ行」からあとは、こうである。

     われに似て ごつごつしている 鰐よりも 疑問符の と
どかぬ空を 脱走する

 「ん」のかわりに「疑問符」の「疑」がゴシックになっている。これは、軽い疑問をもったとき「ん(?)」と首を傾げるところを利用したのだろう。「肉体」の反応を「音」として借りてきているのだろう。
 こういう凝ったことをやっているのに、なぜ「色」がゴシックなのか。

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北川透現代詩論集成3 六〇年代詩論 危機と転生
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池澤夏樹のカヴァフィス(34)

2019-01-22 08:14:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
34 ヘロデス・アッティクス

 ソフィストのアレクサンドロスがアテネに着いてみると、誰もいない。みんなヘロデスについて田舎へ行ったという。

そこでソフィストたるアレクサンドロスは
ヘロデスに一通の手紙を認めて、どうか、
ギリシャ人を送り返していただきたいと頼んだ。
分別に富むヘロデスはこう返書したものだ、
「ギリシャ人と共にわたしも戻りましょう。」--

 笑い話みたいだなあ。
 で、こういうとき「分別」というのかな? 私はなんとなく「一休さん」の「とんち」を思った。
 池澤は、ソフィストについて、こう書いている。

教授する内容は道徳から記憶術に至るまでさまざまあったが、すべて一種の哲学に違いない。と言うよりは、当時哲学は何等かの形で実生活において機能するものであった。あるいは、知を愛する精神的姿勢が人間の生活を律する、と言おうか。

 そうなんだろうけれど、大げさな感じがするなあ。
 カヴァフィスは、もう少し、突き放してみてはいないか。
 根拠があって書いているわけではないが。




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