詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(36) 

2019-01-24 10:03:53 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
36 戻っておくれ

時おりは戻ってきてわたしに憑いておくれ
愛しい感覚よ、時おりは戻ってわたしに憑いておくれ--
肉体の記憶が目覚める時に、
昔の欲望が血の中をめぐる時、
唇と肌が思い出す時に。

 池澤は、こう書いている。

 老人と官能という、それぞれにカヴァフィスがよく扱った主題がここで結び合わされる。

 問題は、なぜ、カヴァフィスが「老人」を描いたか。
 ことばは、いつでも「先取り」をする。体験を書くというよりも、ことばで先に体験してしまう。そして、そういうときの体験というのは、多くの場合、敗北や失敗である。成功を先取りしてことばにすることは少ない。
 なぜだろう。
 成功や栄誉を先取りして書けば「うぬぼれ」になるからだろうか。自信過剰を嫌われ、叩かれるからだろうか。

 しかし、こういうことを書くとき、詩人はたいていは「失意」のなかにはいないだろう。むしろ悦びの中にいる。官能の中にいる。ただし、そこには幾分、下降期の倦怠があるかもしれない。
 失意を先取り体験することで、ほんとうの体験にそなえているのかもしれない。





カヴァフィス全詩
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絹川早苗『ボタニカルな日々』

2019-01-23 15:13:14 | 詩集
絹川早苗『ボタニカルな日々』(A Factory 、2019年03月06日発行)

 絹川早苗『ボタニカルな日々』は立ち止まって読む詩集だ。「木とともに」が印象に残る。

木は 人と同じように群れをつくる
仲間どうし 助けあって育ち
林や森になっていく
それが幸せな生き方のようだ

 いきなり「人生訓」のように始まるので、ちょっと読むのがつらい気持ちにもなるのだが、私は木が好きなのでつづきを読む。
 こう展開する。

大津波で奇跡的に残った
岩手の 一本松は
どんなに寂しかったことだろう

 「寂しさ」を思い、そこに共鳴している。ジャーナリズムに登場してくる「一本松」とは少し違う。そこが、なんとなく、いい感じだ。「人生訓」から少し引いている。押しつけがましさがない。
 ここに絹川の人柄が出ているのかもしれない。人柄というのは、私の考えでは「思想」のことである。そして、「思想」というのはあくまでその人の「肉体」とともにある。言い換えると身近なものと一緒になって動くことばだ。それを証明するように、絹川のことばは「一本松」から離れ、「寂しさ」を身近なものを通して語り始める。本当に知っていることを語り始める。

人の手で植えられた庭木たちは
それほど幸せではないのかもしれない

木にはそれぞれ理想とする姿があり
広葉樹は 幹を空に向かって真っすぐのばし
枝を斜めに 突き出す腕のように力強く広げること

この庭のシンボルツリーのカエデは
太陽に向かって真っすぐに立つことができない
幹は少し腰を曲げ 枝も 歩くときの傘のように
かしげた形に広げている

それは 北斜面で
入り口近くの地面も少し傾いているので
根を均等に広げることができず
片方を太くして踏ん張るしかなかったからだ

 「根を均等に広げることができず」は実際に肉眼で確かめたことではなく、想像力を働かせてつかんだ「推定」なのだが、その前の「太陽に向かって真っすぐに立つことができない/幹は少し腰を曲げ 枝も 歩くときの傘のように/かしげた形に広げている」が肉眼でつかみとっていることなので、まるで肉眼で確かめたかのような強さで迫ってくる。「肉体」に支えられた正直な想像力だ。想像力とは事実をゆがめてとらえる力だと言ったのはバシュラールだったと思うが、こんなふうに正直な印象の想像力もある。これもまた人柄というものだろう。
 「片方を太くして踏ん張るしかなかったからだ」には、きっと絹川の、自分の肉体をゆがめながら踏ん張った体験が隠れている。肉体をゆがめるのではなく、精神をゆがめてかもしれないが、精神などという目に見えないものではなく、やはり肉体そのものだと私は感じる。
 こういうことばの動きが、私は好きだ。

 木に思いを寄せ、木のことを書いているのだが、それがおのずと書いている詩人の肉体、生き方となって整ってくる。
 ここには絹川自身がみつけだした「思想」がある。
 それは流行の海外の哲学者の「思想」のように、華々しい印象を与えないかもしれないが、確実な「思想」である。





*

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池澤夏樹のカヴァフィス(35)

2019-01-23 10:03:19 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
35 アレクサンドリアの王たち

クレオパトラの子供らを見せるために
アレクサンドリアの民が集められた。

 彼らは、それぞれどこそこの王と宣言される。それが三連目で転調する。

アレクサンドリアの民は無論知っている、
そんな宣言がただの言葉、三文芝居に過ぎぬことを。
しかしそれは暖かい詩的な日のことで、
空の色も淡い青だった。

 しかもこの転調は、二回ある。
 華やかな宣言が「ただの言葉、三文芝居」と否定され、そのあと人事とは無関係の天候、空の青が描かれる。
 ここがとても美しい。
 「ただの言葉、三文芝居」は「意味」だが、「暖かい日」「空の青」には意味がない。自然(天候)は人事とは無関係に、絶対的に、そこに存在している。
 漢詩のなかに出てくる自然のようだ。

 最後の四行は、クレオパトラの子供ではなく、アレクサンドリアの市民の様子を描いている。この四行は、先に引用した四行があるからこそ、「人事」のむなしさのようなものを浮かび上がらせる。市民は、都市にとっての「自然」になるのかもしれない。

口々に、夢中になって、歓呼の声をあげ
見事な見世物に陶酔しきった--
内心ではこれらすべての無意味を知りぬき、
王位がからっぽの言葉にほかならぬことを承知しながら。

 池澤は、

カヴァフィスは歴史の皮肉を民衆の心の二重性の中に見ている。

 と書いている。





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北川透「なんとかと」ほか

2019-01-22 08:21:22 | 詩(雑誌・同人誌)
北川透「なんとかと」ほか (「KYO峡」最終号、2018年12月31日発行)

 北川透「なんとかと」は「ひらがな」だけで書かれている。一行が「五七五」になっている。もちろん俳句ではないが。

なんぱせん ふるびたひゆに あきれはて
なんかんに やぶれたわれの しずむふね
なんきつに しにものぐるい こえもでず
なんぱせず ゆっくりねむり ふはいする
なんぎする なにほどのこと なんななん

 五行目まで引用してみた。何が書いてあるか。何も書いていない。書き出しを「なん」という音でそろえ、そのあと「五七五」のリズムでことばを動かしていく。
 しかし。

なんとかと かんとかとかが かんかかん
なんとなく このままいきが たえるはず

 「かんかかん」は単なる音か。それとも「意味」をもっているか。漢字まじりでどう書き直すことができる。「斯く書かん」(こう書くとしよう)と読むこともできる。「斯く書かん」の「く」は、私の発音では「無声音」になる。だから、どこかで「っ」とか「ん」とかの不完全な音とつながる。そういうこともあって「斯く書かん」という文字が思い浮かぶのだが、これは「音(発音)」が先か「表記(漢字まじりのことば)」が先か、よくわからない。どこかで交錯し、一緒になって立ち現われてくる。「肉体」がことばを勝手につかみとり、あとからこじつけしているとも言える。
 こんなことは、もちろん北川の意図したことではないだろう。北川が書いているとき、想像したことでもないだろう。私が勝手にそう読むだけなのである。
 ことばというのは、実際、困ったものだと思う。読むと、どうしても「意味」をでっちあげてしまうものだ。このことばのあり方を「パロール」というのか「ラング」というのか知らないが、私は、そこから逃れることができない。書いている北川はどうか。そういうものを突き破りたいのだろうと思う。いや、私は、北川のことばの運動に、そういう暴力を期待したいのだが、これはなかなかむずかしい。「現代詩」は、どこまでことばの拘束力を解体できるか。

 というような、ちょっと面倒くさいことを書いてしまうのは。「脱走四六韻プラス一」という詩がある。

あさぎりに 行く手阻まれ 敗けいくさ いずくへか われのゆく
道 われ知らず うしろには ピンク・フロイド アニマルズ 遠
近法 通るべからず この道は 尾をたれて へつらっている ひ
とやいぬ

 と始まる。「五七五」が繰り返され、その最初の「五」のあたまを拾っていくと「あいうえお」と五十音図になる。それがわかるように、最初の「五」のはじまりの部分だけをゴシック文字にしている。
 ところが。
 「な行」がおかしい。

                              な
なかまど 色づくおまえに 犯される ニヒリズム 鉤十字の旗 う
ち振られ ぬばたまの 夜神楽に酔い けつまずく ねんねこや ね
ずみ落としに ねこいらず 野山超え 国境超える テロリズム

 どこがおかしいかというと、「な」なかまど、「ニ」ヒリズム、「ぬ」ばたまの、「ね」んねこや、「野」山超えとゴシックにならないといけないのに「色」づくおまえの「色」がゴシックになっている。
 これは誤植? それとも、わざと? わざとだとしたら、どうして?
 読者がほんとうに読んでいるかどうかを確かめるための罠?
 この詩の最後「わ行」からあとは、こうである。

     われに似て ごつごつしている 鰐よりも 疑問符の と
どかぬ空を 脱走する

 「ん」のかわりに「疑問符」の「疑」がゴシックになっている。これは、軽い疑問をもったとき「ん(?)」と首を傾げるところを利用したのだろう。「肉体」の反応を「音」として借りてきているのだろう。
 こういう凝ったことをやっているのに、なぜ「色」がゴシックなのか。

*

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北川透現代詩論集成3 六〇年代詩論 危機と転生
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池澤夏樹のカヴァフィス(34)

2019-01-22 08:14:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
34 ヘロデス・アッティクス

 ソフィストのアレクサンドロスがアテネに着いてみると、誰もいない。みんなヘロデスについて田舎へ行ったという。

そこでソフィストたるアレクサンドロスは
ヘロデスに一通の手紙を認めて、どうか、
ギリシャ人を送り返していただきたいと頼んだ。
分別に富むヘロデスはこう返書したものだ、
「ギリシャ人と共にわたしも戻りましょう。」--

 笑い話みたいだなあ。
 で、こういうとき「分別」というのかな? 私はなんとなく「一休さん」の「とんち」を思った。
 池澤は、ソフィストについて、こう書いている。

教授する内容は道徳から記憶術に至るまでさまざまあったが、すべて一種の哲学に違いない。と言うよりは、当時哲学は何等かの形で実生活において機能するものであった。あるいは、知を愛する精神的姿勢が人間の生活を律する、と言おうか。

 そうなんだろうけれど、大げさな感じがするなあ。
 カヴァフィスは、もう少し、突き放してみてはいないか。
 根拠があって書いているわけではないが。




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ピーター・バーグ監督「マイル22」(★★★)

2019-01-21 09:46:53 | 映画
ピーター・バーグ監督「マイル22」(★★★)

監督 ピーター・バーグ 出演 マーク・ウォールバーグ

 マーク・ウォールバーグはじめ、イコ・ウワイスもアクションが見物かもしれないが、うーん、カメラが演技をしすぎる。いや、こういう言い方はまちがいで、逆かもしれない。カメラが手抜きをしすぎる、という方が正しいかもしれない。
 アップが非常に多い。それも、たとえばマーク・ウォールバーグの顔を半分だけとか。ある状況のなかでカメラが移動していってアップになる、感情の高まりに合わせてカメラが顔をクローズアップする、というのではない。最初から一部しか見せない。大半はスクリーンの外側に押し出されている。
 で、このカメラワークが、そのままストーリーになる。
 登場人物(特にマーク・ウォールバーグ)が知っているのは、「事件」の全体ではない。一部だけである。しかも、その一部というのは自分で確認した一部ではない。他人が提供してくる情報の一部である。全体はマーク・ウォールバーグの知らないところにある。現場にいない人間がマーク・ウォールバーグに情報を与えて、行動をさせている。
 こういうことだけなら、「ミッション・インポッシブル」でもそうなんだろうけれどねえ。スパイものだけに限らず、いまや戦争映画も、前線にいる人間よりも司令室にいる人間の方が細部の情報を総合的に把握していて、兵士はコマンドに従ってうごくだけみたいなところもあるが。
 この映画の目新しさ(?)は、全体を把握しているのがマーク・ウォールバーグの上司(ジョン・マルコビッチ)だけではない、というところか。ジョン・マルコビッチがマーク・ウォールバーグに提供する情報自体が、別の集団によって提供された一部である。ジョン・マルコビッチらをつきとめるために仕組まれた「罠」というのが本当の「事件の構図」となっている。
 こういう面倒なことは、「巨視的」に描こうとすると、どうしても大がかりになる。映画づくりがたいへんだ。だから、「逆手」をとって最初から「細部」だけを見せる。全体は、最後の最後で「どんでん返し」で明らかにする。
 その目的に向かって、カメラはひたすら「部分」にこだわる。全体を見せるふりをしながら全体を隠す。とても「あざとい」映画である。
 マーク・ウォールバーグが手首のゴムバンドでいらいらを表し、イコ・ウワイスが指をつかって精神統一をする(メディテーションといっていたなあ)、それとおなじ方法をロシアのスパイ(?)がやっているのをちらりと見せる。このカメラの小細工に、ことば(脚本)は一役買う。ローレン・コーハンは一児の母親。「マザー」である。マーク・ウォールバーグがそのことイコ・ウワイスに告げ、ローレン・コーハンと協力する。その一方、イコ・ウワイスは「マザーによろしく」と最後の最後で「事件」の種明かしをする。これも映画としては「あざとい」としかいいようがない。
 ★2個という感じなのだが、マーク・ウォールバーグが、とっても損な役を(カメラの演技が中心の映画だからね)、「肉体」で懸命に支えているところに「ほだされて」、★1個を追加した。アクション映画なのに、マーク・ウォールバーグは顔(皺)で演技し、アクションはのっぺり顔のイコ・ウワイスに譲っている。こういうことができる役者を、ほんとうは演技派というのかもしれない。
 (2019年01月20日、T-JOY博多スクリーン5)


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池澤夏樹のカヴァフィス(33)

2019-01-21 08:14:25 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
33 ヘレネスの友

刻銘は例の如くギリシャ語で、
表現は誇張や尊大を避けるよう--
穿鑿とローマへの報告に汲々としている
地方総督に疑いを抱かせぬことが肝要--
とはいえ我が名誉は表してもらいたい。

 王冠に何を刻むか、悩む王。誇りたい、でもにらまれたくない。「とはいえ」がとても効果的だ。感情が、論理の中に凝縮している。

裏側にはなにか特別なものが欲しいところだが、
若くて綺麗な円盤投げの選手などはどうだろうか。

 ここはカヴァフィスの思いが代弁されているのだろう。「若くて綺麗な」の「綺麗な」があいまいかもしれない。「綺麗」というとき、目は何をみているのか。「円盤投げの選手」だから、しなやかな肉体の動きを指しているのだと創造するが、「綺麗」と呼ぶものかどうかわからない。王は何を欲望しているか。
 この王は王冠に「ヘレネスの友」と刻むことを欲している。その根拠として、

それにまた、我々のもとにはしばしば
シリアのソフィストたちやら詩を作る者、
その他いろいろな役立たず共がやってきおる、
すなわち、我々とてヘレネス的なものと無縁ではないのだ。

 と言う。これに対し、池澤は

その根拠は最後の四行に見るとおり相当に薄弱である。

 と書く。さて、この「根拠薄弱」をどう読むべきなのか。私は「薄弱」だからこそ、おもしろいと思う。王の欲望の強さが出ている。「すなわち」ということばは「とはいえ」と同じように、非常に速い論理だ。
 カヴァフィスは歴史を題材に詩を書くが、その登場人物は書かれた瞬間、遠い過去に存在するのではなく、私のすぐそばにやってくる。とても速いスピードで。「速い論理」がそれを可能にする。カヴァフィスの「知性」の力が、遠くのものを瞬間的にそばに引きつけるのだ。
 「根拠」に詩人を入れているのは、「ヘレネス」の人、カヴァフィスの自負だ。



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江口節『篝火の森へ』

2019-01-20 10:38:57 | 詩集
江口節『篝火の森へ』(編集工房ノア、2019年01月17日発行)

 江口節『篝火の森へ』は、手触りがとてもなめらかな本である。私は本の装丁にはまったく関心がないのだが、この本は手になめらかな感じを伝えてくる紙をつかっている。それがとても印象的だ。で、ついつい、手が滑るようにしてページをめくっていく。手が滑るように、すらすらと読んでしまう。何かだまされているような感じにもなる。(色の対比が美しい表紙も同じような感触がある。帯は異質の手触りだが。)
 引き返して、詩を読み直す。「しらじら明け山の端に」。

あの時は違った
気が付くと絵が完成していた
色と線を選んだのは 誰か
この指に添えられた手
見えない手を画家は思い出す

彫刻家もうなずく
自分が彫り出したのではない
遥かな昔より木の中に俟つ像が
おのずから現れてきたと

 この「起承」の展開は、すっと読むことができるが、読み直すと少し微妙だ。
 画家は誰かの手に導かれて絵を描いた。彫刻家は誰かの手に導かれてではなく、木の中に生きていた像に導かれた。画家に引き返すと、線と色の中に生きていたものに導かれたとならないと「対」にはならない。
 このあと、「転」というよりも、「承、その二」という感じで詩人が登場する。

詩人は知る
意を尽くしたスタンザは美しい
だが 美しいにすぎない
廻りくる「時」の針にもろもろと突き崩される
永い時を漕ぐ手が 詩を立たせるのだと

 うーん、
 最初に読んだときは、画家、彫刻家、詩人とも、自分ではない誰かに導かれて作品を完成させるという「意味」が動いていたが、いまは、とまどう。
 主人公(?)は画家、彫刻家、詩人ではなく、私は、彼らに働きかけた「誰か(何か)」を主役として読み始めている。その「主役」は画家、彫刻家、詩人のように「ひと」というくくりではとらえられない。
 「手」「木(のなかに存在していた像)」「時」。
 これをひとまとめにすることば(意味/概念)を、私は知らない。だからこそ、詩に書く必要があるのかもしれない。ここから「新しい意味/概念(哲学)」が生まれようとしているのかもしれない。
 そう思い、私は、しばらく私のことばを動かしてみる。
 主役が、比喩から抽象へと転換してゆき、「意味」そのものに純化していく。純化の到達点は「時」のなかにある。「いまという時間」と「いまではない時間」を結ぶ、「時間を超えた永遠」のなかにある。「永遠」が具体的なものになって、「いま」「ここ」に立ち現われてくる。
 この運動に、詩そのものがある、という具合に言えるかもしれない。そんなふうに「要約」すれば批評としての形をとることができるかもしれない。江口が書きたいのは、たぶん、そういうことかもしれない、とも思う。

一日 一年 もっとだろうか
ついに 大いなるものの気が満ちる時
一心不乱に制作する人間の手に
もう一つの手が重なる
絵は絵に 剣は剣に

 「永遠」を「満ちた気」と言いなおしていることになる。「気」が個人を超えて永遠と結びつく。

 さて、困ったなあ。
 こんな「結論」になってしまっていいのかなあ。何か物足りない。滑らかすぎる。本を手にとったときの感じそのままの「なめらかさ」が気になる。落ち着かない。
 どうしてなのかなあ。
 私は「あとがき」というものをめったに読まないのだが、今回、「なめらかさ」が気になり、読んでみた。
 この詩集は、神戸の生田神社で催される薪能を題材にして書かれているという。ただし、江口は薪能を見てから詩を書いたのではなく、演目を知らされて詩を書いたという。このあたりに、私が感じた「なめらかさ、すべすべ、つるつる」の原因があるかもしれない。
 私は能になじみがない。一回だけ、那珂太郎の詩を題材にした作品をみたことがある。だから、私の感想は「見当外れ」のものかもしれないが……。
 能にしろ、他の芝居にしろ、それを演じるのは「肉体」である。見ていると訳者の肉体に私の肉体が重なろうとする。ときどき、重なってしまう。あるいはこれは逆で、訳者の肉体が私の肉体に重なってくるのかもしれないが、無意識の内に、肉体が動く。
 そういう肉体を揺さぶられる感じが、江口のことばからはつたわってこない。ことばは「意味」(頭)をととのえてしまうと、ぱっと消えてしまう。
 能をみたあとでも、江口はおなじことばを動かしただろうか。
 それを聞いてみたい気がする。



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池澤夏樹のカヴァフィス(32)

2019-01-20 09:30:20 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
32 危険

《理論と研究を通じて強化された者であるわたしは
臆病者のようにおのが情熱を恐れはしない。
この肉体は快楽に手渡そう、
また夢に見た楽しみの数々に、
あるいは大胆な恋の欲望に、
そして放恣きわまる我が血の衝動に。

 意味はわかるが、こころをそそられない。「肉体は快楽に手渡そう」と書いてあるが、「快楽」が意味になってしまっている。
 池澤の訳は正しいのだろうけれど、几帳面すぎて、快楽が見えてこない。快楽というのは意味を超えてしまうものだと思う。池澤のことばを読むと、快楽は意味に支配されてしまっている。ことばの響き、リズムに「快楽」がない。
 「強化された者であるわたし」という、理屈っぽい言い回し(関係代名詞を含む文章を、後ろから訳していく受験栄枯のような表現)が全体を支配している。

恐れることは何もない、なぜならその気になれば--
(略)
禁欲的な我が魂を見いだせるだろうから。》

 「なぜなら」というのは「論理」のことばだ。ここに「理論と研究」があらわれている、といえばそれまでだが、整然としすぎている。矛盾がない。
 池澤は「なかば異教徒、なかばキリスト教徒」(引用では省略)に注目して、登場人物(詩の話者)であるミルティスとカヴァフィスを結びつけてこう書いている。

このミルティスのような狡猾な考えかたもあったろうし、カヴァフィスは必ずしもそれを退けてはいない。

 たぶん私と池澤では詩(あるいは文学)への向き合い方が違うんだろう。私は小学生の感想文の「定型」そのままに、もし私が主人公であったなら、と思って読む。
 この詩なら、そうか「理論と研究」を重ねれば、どんな快楽でも手に入るんだな。理論も研究も充分じゃないから、快楽や大胆な恋におじけづくんだな。この主人公はうらやましいなあ、と感じたい。
 「感じたい」と書いたのは、池澤の訳では、カヴァフィスの書いた「快楽」「大胆な恋」が絶対的な魅力としては迫ってこないからだ。「放恣きわまる我が血の衝動」というのは、ことばが論理的すぎて、つらい。三島由紀夫でもこう書かないかも。




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estoy loco por espana (番外32)Joaquinの作品

2019-01-19 21:58:12 | estoy loco por espana



Joaquin Llorens Santaの作品

炎のなかから
新しい炎が生まれ、
さらにまた
新しい炎を生み出す。
すべての炎は
一つの天を目指す。

それは、
祈りの木。

de una llama
nacio una nueva llama,
ademas
crea una nueva llama.
todas las llamas
apunta al cielo.
las llamas es decir
el arbol de la oracion.
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イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』

2019-01-19 10:10:30 | 詩集
イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』(論創社、2015年05月20日発行)

 イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Cordrescu's Haiga』は、加藤郁乎の俳句とイオン・コッドレスクの俳画を組み合わさせた一冊。伊藤勲が編集し、訳している。イオン・コッドレスクは俳画に自註をつけている。
 私はフェイスブックで見かけたイオン・コッドレスクの絵がおもしろくて、本を買ってみた。
 俳画は絵と俳句が組み合わされている。ただし、その俳句は英訳されていて、文字も英語である。これはなかなかむずかしい組み合わせだ。俳句は日本語で書かれている(漢字とひらがなで書かれている)ということを私は知っている。そのことが影響していると思う。横書き、アルファベットが、「視覚」になじまない。たぶん「余白」の感覚が違いすぎて、目が追いついていかないのだ。漢字のもっている「表意」の働きをアルファベットの「手書き」のなかに込めているのかもしれないが、私はアルファベットを「表意」として使ったことがないので、その部分でも何か「分断されたもの」を感じてしまう。
 で。
 イオン・コッドレスクにはたいへん申し訳ないのだが、頭の中で「文字」を消して「画」だけにしてみた。
 とても気に入ったのが4枚ある。(原文は「正字」をつかっているが、引用はふつうに使われている字体に変更した。私のワープロは「正字」をもっていない。)



(1)忍び音のいのちなりけり秋迫る
 画は抽象的である。筆が速くて、隅がかすれている。そのかすれが、余白と拮抗している。「忍び音」というよりも、精神が「声」を追い越して噴出している感じだ。これが余白の「静寂」をぐいとおさえ、「沈黙」に変える。強い緊張感がある。



(2)夜の秋いのちに聴きて鳥辺山
 画は「山」という文字に見える。一筆で書いている。私は「鳥辺山」をみた事がないのだが、山というのは富士山以外はたいてい他の山と連なっている。連なりながら独立している。二画目といっていいのかどうかわからないが、頂上から降りてきた筆がはねあがり、左の山を抱き込むようにして旋回し、右の山に連なる。このとき不思議な遠近感が出てくる。左と右の山が近景で、最初の一角が遠景の頂きになるのかもしれないし、右が近景、左が中景、中央が頂点で遠景かもしれない。しかし、これは「頭」で考え直したときの遠近感で、目の中では、それがない。「余白」が遠近感の中に割り込んできて、それが逆に距離の隔たりを消す働きをしている。
 この感覚はいったい何だろう。



(3)江戸を今に一人のうしろしぐれかな
 橋がシルエットで描かれている。丸く反った橋で、橋脚が長い。欄干の一つが突き出ている。それは欄干にも人間にも見える。この構図の、橋脚と突き出た欄干のバランスがとてもおもしろい。橋脚は左側にだけ描かれ、突き出た欄干(人?)は右側に描かれている。このままだと右に橋が傾いてしまうのだが、橋全体が反って半円を描いているため、左右対称ではないものだけがもつ動きによって、不安定さを乗り越えている。人が橋を天に向かって吊り上げているのかもしれない。人が生きている。橋が生きている。そして橋のいのちと「一人」のいのちが一つになっている。
 そう感じさせる。



(4)桐一葉久遠の君のなほ遠く
 鶴が描かれている。それもデザイン化された、とてもシンプルなものだ。余白が背中にまで侵入してきている。鶴が空にとけ込んでいるとも言える。
 俳句は「久遠」が「なほ遠く」と言っているが、その「遠い」の重なりの中に「方向」がある。見えない方向は、しかし、鶴の肉体には見える。すでに、肉体の中に、その重なりがあって、それを生きている。



*

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Ikuya’s Haiku with Codrescu’s Haiga―加藤郁乎俳句とイオン・コッドレスク俳画
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池澤夏樹のカヴァフィス(31)

2019-01-19 09:55:39 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
31 イタケー

怒れるポセイドーン、などを恐れるな。
彼らがおまえの旅路に立現れることは決してない、
選びぬかれた感情がおまえの
精神と肉体に触れているかぎり。

 これをさらにカヴァフィスは言いなおす。

荒狂うポセイドーン、などに会うことはない、
おまえが魂の中に彼らを宿していないかぎり、
おまえの魂が眼前に彼らを立たしめないかぎり。

 このことばを読むと、私は「おまえ」になった気持ちになる。「気迫」がすべての危険を遠ざける。あらゆる危険は「魂/感情/精神」が招き寄せる。ギリシャの「集中力」がこういうことばを言わせるのだろう。
 詩の最後。

彼女の貧しさにおまえは気付くかもしれないが、イタケーはおまえ
 をあざむいたのではない。
多くの経験によって賢くなったおまえは、
その時知るだろう、イタケーが何を意味するかを。

 ここがとても「弱く」感じる。この部分について、池澤はこう書く。

この「イタケー」は複数で示され、この詩の主題の一般性を示している。

 私は池澤の「一般性」に、またつまずく。何を言いたいのか、わからない。私は自分が「おまえ」になったつもりでこの詩を読んでくる。そして、そこに「複数のイタケー」があらわれるなら、それは「おまえ」が一人ではなく、複数ということではないだろうか。この詩を読んでいる私の以外の誰かも「おまえ」になっている。そのひとはそのひとの「イタケー」を知るということなのかもしれない。
 「一般化」というよりも、「個別化」されるのではないか。あらゆることを個別のこと、自分自身のことと受け止めるのが詩(あるいは文学)なのではないだろうか。あらゆることが自分の問題であるということを池澤は「一般化」と呼んでいるのかもしれないが、私はむしろ「個別化」と読みたい。








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池澤夏樹のカヴァフィス(30)

2019-01-18 10:15:36 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
30 プトレマイオス朝の栄光

わたしはラギディス、国の王、(権力と
富とによって)究極の悦楽を手に入れた者。
マケドニアに、蛮族の地に、わたしに匹敵する
者はいない。わたしに近い者さえいない。セレウコス家の
若僧の安っぽい好色こそ笑うべきしろもの。

 池澤は、

王が自慢しているのは自国の官能的な悦楽(ヘドニス)の面であり、「知識」も「技術」もその悦楽の手段である。

 と書いている。
 うーん。
 この詩でいちばん印象に残るのは、王が「究極の悦楽を手に入れた」と言っておきながら、「若僧の安っぽい好色」と比較していることだ。王が若僧を引き合いに出して、自分を自慢するというのは、それこと「安っぽい」かもしれないが、そこがいちばんおもしろい。「若僧」の前に「わたしに匹敵する/者はいない」「わたしに近い者さえいない」と繰り返して言っているのも、王自身の悦楽を自慢するためだろうなあ。
 でも、池澤の注では、その自慢が王自身のものというよりも、「町」の自慢になってしまう。

もしもおまえがそれ以上のものを望むなら、知るがいい、
我が町こそは教師、全ギリシャ圏の頂点、
すべての知識すべての技術を知る最高の賢者、と。

 この部分の「それ以上のもの」もわからないなあ。「それ」は「好色/悦楽」を指していると思うのだが、なんだか抽象的すぎる。
 原文も知らずにこういうことを書いてはいけないのかもしれないが、私はここに「悦楽(好色の)」ということばを補って、「悦楽(好色)に関するすべての知識、すべての技術」と読んでみたい気持ちになる。
 「悦楽(好色)」こそが最高の文化、その体現者が私だと誇っている王の姿を書いていると読みたい。「我が町」の自慢ではなく「我(王自身)」の自慢と読みたい。









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藤井晴美『量子車両』

2019-01-18 09:49:27 | 詩集
藤井晴美『量子車両』(七月堂、2018年12月31日発行)

 藤井晴美『量子車両』は、誰にも受け止めてもらえないことばで書かれている。どのことばにも「意味」はある(と、思う)。しかし、その「意味」を共有したいとは、私は思わない。「無意味」のまま、そこにほうりだしておきたい。「無意味」であってもことばは存在する。その「強さ」を、そうやって感じたい。
 私は何を書いているのか。
 たぶん、何も書いていない。

 「スクリュー」という詩がある。一行ずつ、ことばが動いていく。一行じゃないところもあるのだが、基本は一行一連になっている。その作品の45ページ。

性器が重たくて

 これが、私は気に入った。
 ことばでしかない。
 ことばとして、そこにあるしか、ない。
 誰かが、助けてくれるわけではない。でも、ことばは、そこにそうして、ある。そういうことばがある。
 気に入ったが、これは「共感」とは違う。

 「ポルノ」という詩も好きだ。書き出しのポルノ写真、母かもしれない、叔父かもしれないという部分もいいが、それよりも。

 小学生のぼくは時々、よその家にもらわれていきたいと思った。殊に夕方、
どこか通りを歩いていて家からオレンジ色の明かりが漏れているのを見たりす
ると。そこに本当の自分がいるような気がした。たとえばミッキーに扮した私。

 こういうことは、小学生なら誰でも一度は思うことかもしれない。そして、それは、ことばとして、ことばだけがずっと存在し続けるようなものである。「いま」とは結びつかない。大人になってからも「よその家にもらわれていきたい」と思う人はいないだろうし、それをことばにすることもない。では、なぜ、そういうことばは小学生のとき存在したのか。わからない。わからないけれど、もしそういうことばがことばとして「思い」のなかで動かなかったら、世界はまったく違ったものになるだろうなあ、と思う。これは、違った世界になってもらっては困るという意味だが、なぜ困るのか、やっぱりわからない。
 藤井のことばは、何か、そういう変な感じをえぐりだす。

 「よくアパートのドアのところにいる黒い猫の話」も好きだ。短いので、全行引用する。

「かた子ね、あれは実は私の妹なんだよ」
「まさか、じゃ、あの小説は実話だと……」

 富士額の異様な赤ら顔の男、「ぼくはサルですよ」と自嘲気味に言ってアッ
ハハハッと大声で笑う。それは自然な笑いではない。彼の詩の言葉のようにど
こかぎくしゃくして顎がズレている。

 結局そういう現場は人々を醜悪にさせる。

 「醜悪にさせる」かどうかわからないが、そこはたしかに「現場」である。
 藤井は「現場」を書いている。「現場」には「いま」につながる意味もあれば、「過去」にしかつながらない意味もある。言い換えると、「いま」につながってしまうといやだなあ(それこそ醜悪だなあ)といいたくなるような意味がある。「未来」にもつなげたくない。
 でも、人がどう思おうが。
 そのことばはことばとして、存在する。「過去」に存在したのなら、「いま」も存在するし、「未来」にも存在する。
 「時間」というものを超えてしまう。

 手がつけられない。制御できない。そういうことばである。それが詩なのだと思う。




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嶋岡晨「空きカン・ブルース」

2019-01-17 10:39:59 | 詩(雑誌・同人誌)
嶋岡晨「空きカン・ブルース」( 「みらいらん」3、2019年01月15日発行)

 嶋岡晨「空きカン・ブルース」は前半が楽しい。

かんからかーん どんな授業もずらかって
蹴っ飛ばせ カンカラカーン
人生しょせんあっけらかーん

ラベルは剥がれ
大和煮だったかパイナップルだったか
旨そうに食ったやつの顔だけが
              残って

 缶蹴りはいまでも子供の遊びだろうか。ぜんぜん見かけない。いつごろまで缶蹴り遊びはできたのだろうか。
 さて。
 そういう子供のときの「人生」ってなんだろう。
 缶詰というのは、私の子供の頃は手頃ではなかった。特に私は田舎の貧乏農家だから、めったに缶詰は買わない。だから缶詰が「大和煮」か「パイナップル」かわからなくなっても、空き缶を持ってきた友達の顔は忘れない。旨かったんだろうなあ。
 でも、こういうことも蹴飛ばして、まさにあっけらかーん。いや、あっけらかーんのなかに、それが缶詰の底にこびりついた汁のように残ってはいるのだが。
 そういうことが、「肉体」の感覚として思い出されてくる。
 でも、このあとから、少しずつ微妙に変化する。

からころ転がる存在にたまる雨水
流れる雲 流れる星がうつる
あのいらただしいカン切りの音だけ
              よみがえり

 「カン切り」か。いまは、プルアップ方式に変わってしまった。カン切りをつかって缶詰を開けたのは、いつが最後かな。思い出せない。でも、コキコキコキと動かすときのあの音、たしかに「いらただしい」ものがあるね。切り口のぎざぎざにも。
 これも、はっきり思い出すことができる。

どぶ川で泥水すすり
蹴飛ばしたやつの靴音を反芻し

おれを満たすものは何か
手術皿のなかの 鉗子のきらめき?

生まれそこねた食欲を 遠く
             遠く蹴飛ばして

カンカラカーン
       すっからかーん……。

 おもしろくなくなってくる。「意味」はわかるんだけれどね。
 「手術皿のなかの 鉗子のきらめき」が「生まれそこねた」につながるのも、ある種の「論理的」な動きとしてはわかるんだけれどね。

 嫌いなのは、でも、そういう「論理的」な動き。

 その直前の「おれを満たすものは何か」の答えが、こういう形をとることが、私の「肉体」には納得ができない。「肉体」がいやがる。
 あれ、「旨そうに食ったやつの顔」が嶋岡を満たしたのではなかったのか、という疑問が生まれてくる。大和煮もパイナップルも関係ない。もちろん食べたいが、それよりも「食ったんだぜ」とことばに出さずに自慢するやつの顔に対する嫉妬でいっぱいになる。それは恥ずかしいけれど、なつかしい思い出であり、忘れてはいけない感覚なのだ。私の「肉体」は、そう抗議している。
 忘れてはいけないけれど、こだわってもいけない。思い出すたびに、振り切って、笑い飛ばす。
 そういうことが「すっからかーん」じゃないかなあ。






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