詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

手術

2021-01-13 08:59:50 | 考える日記
昨日、手術が終わりました。
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入院しました。

2021-01-08 13:21:06 | 考える日記
入院しました。
詩の通信講座は退院まで休みます。
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田中すずよ『ほおずき』

2021-01-07 09:59:29 | 詩集
田中すずよ『ほおずき』(編集工房ノア、2020年12月01日発行)

 田中すずよ『ほおずき』からは、ときどき不思議な音が聞こえる。たとえば「月の紐」。

紐のような三日月に
そっと指をかけ
すーっと引いて
綾取りをする
川 橋 つづみ ほうき
手に手をかけて 紐をすくう
取り損ねかけて 少し笑う
うまく作れて 少し威張る
指と指 顔と顔
一心に 紐をすくう
月の紐
天から私のところまで
すーっと引いた 月の紐
ああ 楽しいねぇ
楽しいねぇ
終われば 天に 登ってゆく
するするすると 登ってゆく
あとには ただただ 細い
三日月だけが 浮かんでいる

 終わりの方に出てくる、

ああ 楽しいねぇ
楽しいねぇ

 この二行の「対話」がほんとうに楽しく聞こえるのは一瞬のことで、すぐにさみしい感じにかわる。いっしょうけんめい「楽しい」とことばにすることで「楽しさ」を引き止めている、思い出している感じがする。
 三日月を見て、紐だと思い、紐から綾取りをしたことを思い出す。だれが相手だったのか。その相手は、いまは「天」にいる。思い出すと楽しい。その人が帰ってくるから。思い出すとさみしい。いまは、ここにいない、ということがわかるから。
 「終われば 天に 登ってゆく」の「終われば」ということばが、非常に静かだ。「終われば」は単なる仮定ではない。「終わった」ことを知っている。知っていて、「終われば」と言うのである。
 そうなのだ。
 田中は、すべて「知っている」のだ。覚えているのだ。それは「覚えている」というよりも、「忘れることができない」のである。
 その「忘れることができない」というさみしさが、ことばの「繰り返し」のなかに響いている。こだましている。
 「楽しいねぇ」の繰り返しに重なるように、いくつかのことばが繰り返されている。
 「指と指 顔と顔」、「少し」笑う、「少し」威張る。「するするする」と。「ただただ」。とくに「するするする」「ただただ」は「意味」であるよりも何かの「残響」のように耳に聞こえてくる。「対話」をつづけたいのだが、つづけられない。ひとりで、ただ「音」を対話させているという不思議な響きだ。
 「居残り」の書き出しも印象に残った。

悲しみだけが いつも
ポツンと残り 僕の方を見ている
他はシンと静まり返り
もう誰も 残ってはいない

 「悲しみ」が「僕」を見ているのか、それとも「僕」が「悲しみ」を見ているのか。これは、区別できない。視線の「対話」は、互いに見つめ合うことで成立する。「もう誰も 残っていない」が象徴的だが、それはあくまでも「対話」、つまり「一対一」の関係なのである。「一対一」を自覚するのは、「私はひとりである」という意識があるからだろう。その孤独感が、ことばの調べをさみしいものにしている。






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藤田晴央『空の泉』

2021-01-06 10:27:17 | 詩集


藤田晴央『空の泉』(思潮社、2020年12月25日発行)

 藤田晴央『空の泉』は妻を亡くしたあとの日々を描いている。巻頭の詩は「三月」。

波にうばわれた死者たちの岸辺をも
病に息絶えた人の庭をも
ひとしく三月があゆんでゆく
ゆらゆらとかげろうのように

 藤田は、しかし、亡くなった妻のことだけを思っているのではなく、「亡くなった人」のすべてのことを思っている。しかし、そういう抽象的(?)なことを思うにしても、やはり、いちばん身近な妻のことへと思いが傾いていく。

足元で
水仙が
一枚の葉を持ちあげている
濡れた葉っぱは
亡き人のしたためた手紙

 「一枚」が「ひとり」を連想させる。「手紙」が身近を強く感じさせる。

雪がとけて北の野辺に
三月はたたずむ
じっと耳をすまして

かさり と
まるでその音が聞こえるように
またひとつ
朽ちた葉を持ちあげて
水仙がのびてゆく
死者のたましいと
生きている者のたましいをつなぐ
花たち

あたらしい道しるべのかたわら
三月があゆんでゆく
やわらかな風に揺れる手紙を残して

 もう一度「手紙」が出てくる。手紙はひととひととをつなぐ。その「つなぐ」ということばを藤田は「死者のたましいと/生きている者のたましいをつなぐ」と書いている。水仙の葉っぱは「手紙」であり「たましい」なのである。
 この「たましい/手紙」は「噴水」では、伐採した庭の木の切り株をとおして、こう書かれている。切り株は、切られる前と同じように土の中から水を吸い上げて、いつまでも濡れている。その、木が吸い上げる水が……。

ある日
伐り口から
さあっと
水が吹きあがった
水は垂直にのぼり
かつての木の高さまでのぼり
青空に向かって
枝のように分かれて散った

 この美しいイメージは、巻末の「空の泉」につながる。亡くなった妻は「土の下」にいるのではなく、空にいる。そして、そこから「泉」を湧きださせている。それは「雪」となって舞い降りてくる。「雪」になって、というのは妻が「秋の暮れ」に亡くなっているからだ。秋から冬へ。季節が変わって、雪になって地上へ帰ってくる。

ふりあおぐ頭上に
たましいの泉があり
私は
湧きでるものに
のどをうるおしている

 これは、藤田の見た「幻想」である。「噴水」に、もう一度戻ってみる。詩は、こう閉じられている。

そのように
人間の死後に
水がふきあがっているとしたらどうであろう

濡れた伐り口を眺めていると
あるはずのない
落ち葉が舞い落ちた

 「あるはずのない」ということばが、藤田の書いていることが「幻想」であると告げている。
 しかし、それはほんとうに「あるはずのない」ことなのか。
 「さざ波」には、それとはまったく逆のことばがでてくる。春、田んぼに水が張られる。他の一枚一枚が「水鏡」になって光る。

気がつくと水鏡に
あなたの顔が映っている
空にあなたがいるわけもなく
あなたは
自ら浮かびあがっている

待ちかねた春だから
そんなことがあってもいい
あなたは生きていたころのまま
春のおとずれをよろこんでいる

 「そんなことがあってもいい」。
 この「そんなことがあってもいい」は「そんなことがあってほしい」という強い欲望から生まれている。強い欲望なのに、それを、静かにおさえて「そんなことがあってもいい」とつつましく語っている。
 そのつつましい調べが、詩集のことばをつらぬいている。
 亡くなった妻。それは土に帰ったのではない。土に帰ったあと、水になり空へのぼっていった。そして、「空の泉」となって、水を地上へふらせてくる。冬ならば、雪。雪は妻からの手紙である。それを受け止めながら、藤田は妻と「たましいをつなぐ」。
 そんなことがあってもいい。

 この「そんなことがあってもいい」という一行は、どのあざやかなイメージよりも美しい。切実さがあふれているからだ。「正直」がそこにあるからだ。










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東海セラ『ドールハウス』

2021-01-05 09:54:51 | 詩集
東海セラ『ドールハウス』(思潮社、2020年11月30日発行)

 東海セラ『ドールハウス』は、まだ途中まで読んだだけだが、ことばは「家」の内部を動き回る。動き回りながら、家の中に「ことばの家」をつくる。とてもおもしろいと思う。ただ、私は目が悪いので、この詩集のような小さな文字を読むのは骨が折れる。何よりも、目そのものが、くじけてしまう。
 巻頭の「下廻り階段」の後半に、こういう部分がある。

            せまくて急で手摺りも滑り止め
もなく、ひとりがたまに足を滑らせて見うしない、下から
3段目の弧をえがいた段板で止まると、意識は遅れて降っ
てきます。いったいどうして? ほかに落ちるひとはいな
いのですから、もういちど巻きもどしてみなければわかり
ません。

 この部分は、ことばの運動が「おもしろい」わけではないが、東海のこの詩集を「自己解説」しているような感じがする。「もういちど巻きもどしてみなければわかりません」と東海は書くのだが、そのことばに従って、いままで読んできたことを「もういちど」巻きもどしてみる。「巻きもどす」も特徴的なことばだが、それを強調するのが「もういちど」である。
 「ことば」は一度では何が起きたのかわからない。ときに「いったいどうして」という「理由(自分が納得できる理由)」がわからない。一度読んだ部分を「もういちど」読み直す。すると、先に読んだことばが描いていた世界に重なるようにして、もうひとつの世界が見えてくる。それはより正確に見ることなのか、それとも新しい錯覚の世界へ深く入り込んでいくことなのか。
 これを東海は、読者とは違って、「書く」という行為で実行している。
 作品は、いま、ここに「一篇」の形として存在する。しかし、それは「一回」書かれたものではなく、「もういちど」書かれたものなのだ。
 言い直すと、この詩集は「家」を書いているのではなく、「家を書く」ということを書いているのである。「書く」ということはどういうことかが問われているのである。
 「ドールハウス」というのは、私はよく知らないが、私の知っている限りで言えば、小さな家のおもちゃである。その家にはたとえば食器棚があり、食器棚のなかには小さなコーヒーカップがあり、テーブルの上にはできたばかりの玉子焼きまである。ミニチュアの世界。それは「家」ではなく「家」というものがどういうものであるかを「生活」をふくめて語り直したものである。「ドールハウス」をつくった人の「見ている家」である。
 「ドールハウス」は「ことば」でできているわけではないが、東海の『ドールハウス』は「ことば」でできている。いや、「書く」という「ことばの運動」でできている。そういうことを明らかにするのが「もういちど巻きもどしてみなければわかりません」ということばなのである。これが、この詩集の「キーセンテンス」であり、そのキーセンテンスの中のさらに「キーワード」が「もういちど」なのである。「もういちど」はなくても「意味」は同じ。しかし、「もういちど」は東海にとって、どうしても書かずにはいられなかった「肉体になってしまった思想」なのである。
 「もういちど」巻きもどす、最初からみなおす、そういうとき、何が見えるか。「デッドスペース」という作品が象徴的である。「デッドスペース」が見えてくるのである。つかわれていなかったもの(見落としていたもの)がそこに存在することが見えてくる。そして、それを発見した途端に、それを使いたくなってしまう。それは、自分のなかにある「欲望」の発見かもしれない。「デッドスペース」を「デッドスペース」のままにしておけない。「もういちど」使い方を考え直してみる。
 でも、ことばにとって「デッドスペース」とは何?
 東海は、とてもおもしろい「書き方」をしている。「ことば」を選んでいる。

だんだんと上ってゆく階段の裏側が階段下の小部屋にあら
わになり、剥きだしになったその部分は、ふいに現れて消
える鳥の後ろ姿に似て、支えられてあるのか吊られてある
のか、解けない謎があるとしたら階段の自立についてです
けれど、どことなくリズムのようであり詩のようであり、
こうして2階の精神性は日ごと夜ごと漂いつつ形成される
一方で、階段下の余白はすぐ動線や陽当たりの事情をまぬ
がれ得ぬものとなり、(略)

 「デッドスペース」は「余白」であり、そこを何かが占有するとき(そこが何かにつかわれるとき)、それは「支えられてあるのか」「吊られてあるのか」どちらとも定義することができる。つまり、「ことば」が存在を決定するということが起きる。存在が「ことば」を決定するのではなく、「ことば」が存在を決定し、その瞬間に「デッドスペース」は「生きたスペース」となる。
 この「ことば」の力。これを東海は「精神(性)」と呼んでいる。「デッドスペース」は二階へつづく階段の下(一階の小部屋)にある。その「デッドスペース」を「生きた空間」にした瞬間に、二階の部屋の何が変わるか。「物理的」には何も変わらない。「デッドスペースを生かした」という「意識(精神)」の動きだけがかわる。それは何も「二階の部屋」に限定されるものではないが、どこかに限定しようとすれば二階の部屋である、というのが東海の「思想=精神」なのである。
 「精神(性)」は、およそ「ドールハウス」というおもちゃには似つかわしくないと、私は思っているが、そうではない、と東海は言うだろう。そして、その「そうではない」という主張がつぎの部分で「暴走」する。二階ではなく、「階段下の小部屋」では「精神性」と呼ばれなかったもうひとつの「精神(性)」がのたうちまわり、その空間を「もういちど」デッドスペースにしてしまう。しかもそのときのデッドスペースはつかわれない空間ではなく、もうつかえない空間という「デッドスペース」にかわっていく。
 「ことば」はいつでも「二重の意味」をもっている。「二重」を生きている。そういうことろふ踏み込んで行く。この「暴走」こそが、詩であり、「ことば」の欲望であり、また「いのち」の欲望というものだろう。

  階段のその部位に頭をぶつけてしまうとき、余剰のう
れしさより削られた空間への無念がもたげることこそが、
潜在する階段の犠牲性といえますが、気にとめられること
なく棚は吊られ、(略)

            余白だった場所が部屋のすべて
におよぶ、これら渾沌は住まうひとらの表象とおぼえるべ
きで、余剰の生かし方は殺し方であることを、埋もれても
埋もれずに中空をよぎる階段は示唆するのかもしれず、(略)

 「余剰」「潜在」「犠牲(性)」「渾沌」「表象」「示唆」。突然、増え始めた感じ熟語が、なんとも楽しい。漢字熟語が「精神(性)」であるというつもりはないが、「精神」ということばに誘い出されて、こうしたことばが動いていると私は思った。
 こういう「ことば」は、「もういちど」何かを語り直したときに、意識を整えるものとして動き始めるのだと私は感じている。そして、読み直してみれば、こういう「ことば」は、最初に引用した「下廻り階段」にも「意識」という表現であらわれている。「ドールハウス」というおもちゃを、おもちゃではない、精神なのだという思想で「もういちど」語り直したもの、「現実の素材」と「精神のことば」が拮抗しながら、「家」を「ことばの家」として建築しているのが、この詩集なのだと思った。








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2021年01月04日(月曜日)

2021-01-04 10:57:38 | 考える日記
 「試行錯誤」は、そのまま「試行錯誤」として残しておく。「誤り」を消してしまうと、論理は簡潔になるが、「完璧」をもとめて暴走してしまう。論理は完結すると美しいが、同時に排他的になる危険性がある。
 つねに矛盾を抱え込むこと。立ち止まること。
 完結してしまったら、次はそれを破ること。
 「論理」ではなく、「生きる」を重ねること。

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高橋達矢『からだを洗っていると』

2021-01-04 10:12:07 | 詩集


高橋達矢『からだを洗っていると』(思潮社、2020年09月15日発行)

 高橋達矢『からだを洗っていると』の表題作。

からだを洗っていると
父がわたしにとりついてからだを洗っている

 と始まる。
 一行目の「からだを洗っていると」は「わたしのからだを洗っていると」という意味だろう。自分で自分のからだを洗っているのだが、「父」が「わたし」のからだを洗っていると感じる。
 この錯覚のなかには、不思議な重なりがある。
 「父がわたしにとりついて」は二重の意味にとれる。父がわたしにぺったりととりつくようにして、わたしのからだを洗っている。このとき、父とわたしは別々の肉体である。でも、きっとこの意味ではない。
 もうひとつの読み方は、父がわたしにとりついて、わたしのからだが父に乗っ取られ、父のからだになっている。わたしのからだなのに、父のからだになってしまった、そのからだをわたしが洗ってる。
 これは、わたし自身の肉体の変化に昔の父の肉体を重ねるようにして思い出し、自分のからだを洗っているのに父のからだを洗っているような錯覚に襲われるということかもしれない。
 父とわたしの「肉体」の区別があいまいになる。もちろん、それが別個の存在であることは認識しているが、科学的(?)認識をうらぎって動くものがある。
 この「裏切り」のような感覚は、間違いなのか、ほんとうのことなのか。
 わたしは「ほんとう」と考える。そして、この科学的(?)には「間違い」でしかないもののなかに、科学では説明できない「ほんとう」があると思う。
 それは、存在として別個なもの(人間)であっても、人間はどこかで「重なる」ということである。そして、この「重なり」がなければ、私たちは「他人」を信じることもできないし、生きていることも納得できないだろうと思う。

くらい世で父がわたしを洗って父自身を洗っている
わたしはもう死に体となってここでからだを洗われている

 わたしのからだを洗うことが父のからだを洗うことである。これは実際に、いまのわたしの年代の父のからだを洗ったことを思い出しているのか、それとも父も昔はわたしのようなからだをひとりで洗ったのだろうかと思い出しているのかよくわからないが、それは区別しなくていいのだと思う。
 「死に体」ということばを手がかりにすれば、わたし自身が父が死んだ年齢に近づいているという意識があり、その意識が父のからだとわたしのからだを重ね合わせるのだろう。その重なりのなかで、わたし(高橋)は何を感じているのか。ことばでは簡単に説明できないこと、科学的には説明できないことを感じている。
 わたしと父との重なりは、こんなふうに展開していく。

からだを洗っていると
わたしは息子にとりついてからだを洗っている
あかるい浴室でわたしが息子を洗ってわたし自身を洗っている
二十歳のからだとなってだれのものともわからないわかい性を洗っている

 ここに書かれている「わたし」は父かもしれない。つまり、一連目が「高橋」の視点で書かれているとしたら、二連目は高橋(わたし)にとりついた父が、父自身のことばで語っていると読むこともできる。
 しかし、一連目、二連目で「主語」が交代したのではなく、二連目もそのまま高橋が「わたし」のまま、「わたし(高橋)の息子」に「とりついて」、息子のからだを洗っているのかもしれない。父がわたしにしたことを、わたしが息子にする。
 「重なり」が二重から、三重になる。そして、その「重なり」で重要なのは、それが「不透明」ではないということだ。透明に重なってしまう。「だれのものともわからない」ものになってしまう。
 で。
 「透明」というのは何かがはっきりわかることなのに、「わからない」という「不透明」を、同時に抱え込んでしまう。
 そして、不透明でわからないにもかかわらず、「わかった」気持ちになってしまう。
 私は父の体を洗ったことがない。けれど、自分の体のなかに父の肉体の動きを感じたり、あのとき父はこんなことを思っていたのだろうかと思いめぐらすときがある。それは単純に私が父を思い出しているのか、それとも父が私に「とりついて」いるのか、はっきりわからない。「とりつく」というようなことばを私は好まないけれど、好まないだけに、高橋の詩を読みながら、そういうことを思うのである。
 「重なる」感じ、「重なり」の印象。それは、生きている人間だけが感じる何かだと思う。そして、それは生きているものに対して感じることだと思う。相手が死んでいても、生きていたときのことを思い、生きているものとして重なる。別個の存在なのに、かけはなれているのに、そして一方はすでにこの世には存在しないにもかかわらず「重なり」を感じ、その感じを「生きる」。
 三連目は、こう書かれている。

老いたからだからふとい根っこが突きでたり
若いからだから貝殻のような骨がこぼれたり
白い石室でからだを洗っていると
かたちをうしなってまじわっているものがある

 私が「重なり」と読んだものを、高橋は「かたちをうしなってまじわる」と呼んでいると思う。単に重なるだけではなく、「まじわる」。そして、それは「かたちをうしなって」「まじわる」のではなく、もしかすると「まじわる」ことで「かたちをうしなう」のかもしれない。「まじわる」ことで「自我」を超える。「自我」(個別の存在)を超越するのかもしれない。
 こんなこと(「かたちをうしなう」が先か「まじわる」が先か)は、たぶん、どうでもいい。それは「後先」の問題ではない。いま、ここで「かたちをうしなってまじわっている」という状態が存在することが大事なのだ。

 世の中には、論理だけでは説明できないことがある。論理にしてしまうと、ややこしくなってしまうことがある。論理はどうしても不明なものを生み出すからである。答えはかならず次の答えを要求するものである。そう承知して、論理の透明と不透明を、別の何かで覆い、見たけれど見なかったことにする。このときの「覆う」は「重ねる」に通じる。その「重ね」の「媒体」として高橋は「からだ」をつかっている。単に「からだ」を「覆いもの」としてつかうのではなく「洗う」という「動詞」のなかでつかっている。
 「からだ」も「洗う」も、みんな、知っていることである。その知っていること、からだが覚えていることを重ねるのである。そうすると、その重なりのなかで、父も私も息子も、それが当然のようにして動く。そして、その動きは「いのち」そのものの動きのように感じられる。
 
 私がいま書いたことは、かなりめんどうくさいことで、整理しなおすには時間がかかる。ただ、こういうめんどうくさいことは、いつも深刻かというと、そうでもない。
 つぎの詩から感想を書き始めれば、私の書いてきた「重なり」の問題は、きっと楽しい笑い話になるだろう。「秋の夢」の「3」。

あたま わき へそのした
たいせつなところに毛は生えるというけれど
あたまがハゲたのは
たいせつじゃなくなったということか
つるつるのあたまをなでてみる
いつかおばあちゃんが
かしこいかしこいといいながらなでたあたま
おやじが ふといゆびでくしゃくしゃにしたあたま
きっと仰天するだろうな
あのふたりが いま なでたら

 あたまをなでる。多くの人がする行為である。あたまをなでながら、そのときあたまをなでるひとは何を感じ、何を思っているか。そういうことは、いちいちことばで説明する必要はない。ことばで説明しなくても、肉体が覚えている。私たちの「認識(ことば)」には、そういうものがある。私たちは「ことば」で考えるが(ことばがないと考えられないが)、なかには「考える」をわきにおいておいて、「肉体」そのもので納得していることがある。そのとき私たちは「自分の肉体」を「他人の肉体」と重ねあわせている。つまり、まじわっている。そこに、何か「いきる」ことの意味がある。
 高橋のことばは、そういう問題と「正直」に向き合っている。この「正直」とは「他人のことば」を借りてこずに、高橋の肉体が覚えていることばをていねいに動かして、という意味である。








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詩はどこにある2020年12月号発売中

2021-01-03 20:32:26 | その他(音楽、小説etc)
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1750円(別途消費税、配送費がかかります。)

目次
高橋睦郎『深きより』(13)2  高橋睦郎『深きより』(14)4  高橋睦郎『深きより』(15)7
高橋睦郎『深きより』(16)10  セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」12
青柳俊哉「夜明け」、徳永孝「シンクロニシティー」、池田清子「エピソード」15
高橋睦郎『深きより』(17)23  高橋睦郎『深きより』(18)26
木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』28  最果タヒ『夜景座生まれ』33
最果タヒ『夜景座生まれ』(2)40  最果タヒ『夜景座生まれ』(3)46
高橋睦郎『深きより』(19)52  黒田ナオ「島のわたし」、大井川賢治「元自衛隊」54
粕谷栄市「小さい馬」61  エフゲニー・ルーマン監督「声優夫婦の甘くない生活」67
高橋睦郎『深きより』(20)70  池田清子「そうか」、青柳俊哉「暁」72
新井啓子「蕃茄」78  高橋睦郎『深きより』(21)82  高橋睦郎『深きより』(22)84
高橋睦郎『深きより』(23)87  伊藤俊也監督「日本独立」88
石松佳『針葉樹林』92  石松佳『針葉樹林』(2)96
いのうえあき『紡錘形の虫』102  草野早苗『ぱららん』107
金田久璋『理非知ラズ』111  高橋睦郎『深きより』(24)116
セルゲイ・ロズニツァ監督「国葬」118  
徳永孝「狩る人漁る人」、青柳俊哉「三日月の形になって」、池田清子「配列」121
高橋睦郎『深きより』(25)130  石毛拓郎「獄中●●の木橋」133

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高橋睦郎『深きより』(28)

2021-01-03 10:19:05 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(28)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「対話 半世紀ののちに」

 「対話 半世紀ののちに」には「跋に代へる」書いてある。三島由紀夫と高橋の「対話」が書かれている。三島も登場するが、高橋自身が登場しているということが要点だと思う。二十七の作品で高橋はだれかに「なりすまし」てきた。しかし、ここでは高橋はだれかに「なりすまし」たりはしていない。三島は、高橋が高橋になるための「方便」である。もちろん高橋が高橋に「なりすまし」ていると読むこともできるのだが、「なりすまし」てでもあらわしたい高橋の本質が書かれているととらえれば、ここには高橋の「正直」があらわれているといえる。
 高橋は三島に向かって、こんなことを言う。

                 あなたが拘はられた男根切除願望の
もう一つの根にあるものは何か。僕の推理のつづきを言へば、女性といふ
真の虚になること、真の虚になつて真の実有の訪れを待ち受けること。そ
れこそが古へ詩人であることを女性から奪はうと企てた男性の究極の自
己実現ではないでせうか。

 なぜ「あなた/僕(三島/高橋)」の対極に「女性」を置くのか。なぜ「高橋/三島」を「男性」と規定するのか。「男根」があるから、と言えばそれまでだが、この考え方そのものが「男根主義」であり、その究極にあるのが「男根切除願望」ということになるだろう。「男根」がなければ「切除願望」も生まれない。
 なぜ、こんなことを言うかというと……。
 高橋がこの詩集で試みていることは、高橋が「女性」になることではない。たしかに「女性」が主人公の作品もあるが、登場人物が「男性」であれ、「女性」であれ、高橋が「偽装」しているのは「他人」である。
 高橋が書いている「女性」を「他人」と言い換えると、こうなる。

「他人」といふ真の虚になること、真の虚になつて真の実有の訪れを待ち受けること

 「他人」がなぜ「真の虚」か。「僕(高橋)」が「真の実」なのに、その存在を排除しているからである。女性の詩人になりかわったときは、たしかに高橋の書いていることがそのままあてはまるが、高橋がやったのは「古へ詩人」になり、「真の実有の訪れ」の現場を再現するということである。だから、高橋の書いている「女性」をそのまま「女性」と読むわけにはいかない。
 詩集の後半には「式子内親王」以外の女性は出てこない。「源実朝」以降は「男性」しか出てこない。もちろんそこに出てくる「男性」も、実は「男根切除願望」をもった「男性」であり、実は「女性」だったと読むことができないわけではないが、そういう複雑な過程を経なくても「他人」という「項目」を立てればすむ話である。
 それなのに、「他人」ではなく「女性」にこだわる。ここに、私はとても不思議なものを感じる。錯綜した意識を感じる。
 高橋の欲望の奥底には、「自分は女性である。男(性)ではなく女(性)を生きている。だから真の実有を表現できる。もし男性の(高橋以外の)男根を切除してしまえば、世界の人間は真の実有(詩)だけでつくられたユートピアになる」という考えがあるのではないか。高橋を「男」ではなく「女」にしてしまう「男」にあこがれ、同時にその「男」の「男根を切除」することで、「男」を「女(自分=高橋)」の世界に招き入れ、「真の虚」にさせ、「真の虚」になった二人で「真の実有」を共有する。詩を、あるいは言語によって構築された美を共有する。
 それはそれで「論理」としては一貫するのかもしれない。(高橋は「論理」ではなく、「推理」ということばをつかっている。)
 でも、そのとき、女の性をもって生まれてきた「他人」との世界はどうなるのか。高橋の「論理」は、男性的な、あまりにも男性的な「虚構」に見える。
 女性が「私は虚ではない」と主張したとき、高橋の「論理」はどう立ち向かうことができるのか。高橋は、それを考えたこと(推理したこと)がないかもしれない、と思った。そこに高橋の「正直」と「うさんくささ」を私は同時に感じてしまう。



 この詩集には「伝統という冥界下り」というしおりがついている。「重ねての代跋」というサブタイトルがついている。この文章は、タイトルを見てもわかる通り「旧かな」ではなく「現代かな」で書かれている。つかわれている漢字も「常用漢字体」である。
 詩集の「跋」なのだが、あきらかに詩集とは切り離されている。
 これは、私から見れば、あまりにも「うさんくさい」。だから、「うさんくさい」とだけ書いて、あとは何も言わない。






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Estoy loco por espana(番外篇96)Joaquín Llorens

2021-01-02 15:46:17 | 考える日記
Joaquín Lloréns
Técnica hierro
70x50x30
Serie. Cuatro elementos




¿Por qué es difícil apoyarse mutuamente?
Al soportar, el peso se vuelve insoportable.
Cuando pienso en por qué tengo que apoyarlo, me abrumo.
Pero, ¿y si no estoy apoyando a alguien, sino alguien esta apoyando a mi?

¿El hemisferio inferior sostiene al hemisferio superior o lo sostiene el hemisferio superior?
Cuando lo miro, lo pierdo gradualmente.

Creo que el arte es lo que nos dice que hay algo que no entendemos sobre nuestra "ansiedad".


支えあうことがむずかしいのはなぜだろう。
支えていると、重さが耐えられなくなる。
なぜ、支えなければならないのか、と考えると気も押しつぶされてしまう。
でも、支えているのではなく、支えられているのだとしたら?

下になっている半球(半円)は上の半球(半円)を支えているのか、あるいは上の半球によって支えられているのか。
見ていると、だんだんわからなくなる。

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高橋睦郎『深きより』(27)

2021-01-02 15:05:13 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(27)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「二十七 悪の華くらべ」は「河竹黙阿弥」。

 ボードレールの「悪の華」を引き合いに出し、「白波五人男」のことを書いている。その終わりの部分。

なに僕とて真面目は立前 紙の上での悪行三昧
謳う勧善懲悪とは お上を憚るうはべの口実

 とある。
 そうであるなら、この「論理」もまた、だれかを憚る上辺の口実ではないだろうか。偽装は「僕」と書いて「あたし」と読ませるところにも垣間見ることができる。
 だいたい「悪」とは何なのか。
 それは前半に書かれている。「悪」とは定義されずに狂暴に振る舞っている存在がある。

見直せば はだか身に長襦袢の前髪立ち
女と見紛ひ見取れた刹那 見返された目つきの凄さ

 「女と見紛」う美しさ、「見取れ」る美しさ。「悪」にとって重要なのは「見紛う」だろう。そして「見取れる」だろう。「間違っている」けれど、「見取れる(引きつけられ、誘い込まれる)」ものが「悪」なのだ。単純な美しさは「見紛う」ことはない。
 しかし、それよりもさらに重要なのは「見返された目つきの凄さ」の「見返す」という動きだ。「見返す」は「誘い」でもある。「ついて来られるわけがないだろう」と拒絶を投げつけることで、誘っているのである。
 ここには「矛盾」があるのだ。矛盾を生み出してしまうのが「悪」だろう。

 この詩では先に書いたように、高橋は「僕」と書いて「あたし」と読ませている。これまでの作品に出てきた「わたくし」「わたし(これは一回限り)」とは違い、一種の「間違い」を含んでいる。「嘘」を含んでいる。しかし、それは「悪」と呼ぶにはあまりにも弱い。
 なぜ、この作品だけ「わたくし」と書かずに「僕(あたし)」と書いたのか。「わたくし」と書いて、同じ嘘、同じ「悪」を書こうとしなかったのか。






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塩嵜緑『庭園考』

2021-01-02 13:47:54 | 詩集


塩嵜緑『庭園考』(書肆山田、2020年12月25日発行)

 塩嵜緑『庭園考』のなかに歴史を題材にした作品がある。「斗(ひつきぼし)」と「時守」は短篇小説のような味わいのある作品である。ことばの運動が「物語」を形成してゆき、最後に「おち」のようなものがある。「おち」は、それまでの言葉の運動(論理)を別の観点から見つめることで、「物語」を解体し、「詩」に再結晶させる働きをしている。
 「時守」。

時を知らせる
鉦を打とうとしたとき
目眩がした

と言いおくべきか

陽にあたたまった野を
低く浮遊していた蝶が
鐘楼に飛び来て
私をひと巻き ふた巻きした

気がつけば
鉦を打つ間合いを失っていた

蝶は
かすかな金属音をたて
きらびやかな黄の色を見せ
ふたたび
野に戻っていった

音のずれた私を気づかう
太鼓に頭を下げて
ふたたび鉦を打った

音をはずしたのは一度きりであったが
蝶が私のまわりを遊び飛んでいたのは
この世の時間の
数倍ながい時間であった

 「詩」はここでは、「この世の時間の/数倍ながい時間」と定義されている。完結で美しい定義だと思う。途中の「蝶は/かすかな金属音をたて」の金属音は、蝶の羽が鉦に触れる音だろう。それは時守だけが聞くことのできた「詩」の時間を告げる音である。これは塩嵜が書こうとしている「詩」を象徴している。
 塩嵜はことばを俯瞰的に眺め、それを統合する(制御する)力をもった詩人だといえる。
 この、ことばに対する制御力は「短篇小説風」ではない作品にも感じられる。
 「庭はだれのもの」の全行。

土を均し
煉瓦を並べ
花壇を拵え

実のなる木
風と話す木を植え
円卓に布をかけ
紅茶を飲み
晴天の向こうがわを眺める

柑橘を蝶は好み
トリネコを蝉は愛し
座りの良い枝ぶりに
鳥は巣をかけ

私のいない時間に
草木は伸び
花木は
老いながら蕾をふくらませ
鳥は卵をあたためる

庭はだれのもの

 「私のいない時間」という一行が完結で美しい。私がいなくても時間は存在する。それは同時に、私がいなくても世界が存在するということである。世界と時間の「非情さ(人間を気にしないありよう)」をそのままそっくり塩嵜は受け入れている。
 この瞬間。
 私は、塩嵜が「私(塩嵜自身)」超越し、たとえば、「実のなる木/風と話す木」になり、あるいは「座りの良い枝ぶりに/鳥は巣をかけ」るときの「鳥」になり、同時に「枝」にもなっていると感じる。
 「非情」を受け入れた瞬間、「自我」は解体し、「自然」と一体化する。その区別はなくなる。
 「庭は(庭にある存在は)だれのもの」と塩嵜は問いかけているが、だれのものでもない。「庭」が塩嵜でゃり、塩嵜が「庭」なのだ。
 俳句に「遠心・求心」ということばがある。塩嵜は、そういうものを詩で描いているといえる。






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高橋睦郎『深きより』(26)

2021-01-01 12:31:59 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(26)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「二十六 語らず歌へ」は「蕪村」。

思ひ出す 毛馬の堤は いつにても春の日永
その上を駈けつ転びつ 日ねもす遊ぶ幼い日日

 「思ひ出す」と「いつにても」が強く結びついている。これは、高橋が、やはりいつも故郷(生誕の地)を思い出しているからだろうか。「日永」と「日ねもす」が「一日」をを永遠に帰る。その「永遠」は一日ではなく「日日」となってつづく。

水の上には上り下りの川船 陸には行き来の客
中に藪入り里帰りの嬢あり 浪華振りの化粧衣裳
年嵩の悪太郎に唆されて囃したこと 忘れもやらぬ

 「思ひ出す」はもう一度「忘れもやらぬ」と言い直される。
 この書き出しの五行は、非常に音楽的だ。情景が見えるというよりも、幼い日々のこころの伸びやかなリズムが聴こえる。
 高橋も、やはり里帰りのだれかを囃したことがあったのか、と想像させる。同時に、年上の女性への、不思議な視線も感じられる。故郷と年上の女性とが緊密に結びついているところに、蕪村の、ではなく、高橋の人生が反映されているのだろうか。

父母は知らず まことに私を知る友垣なら はるか後世
明治の子規居士 大正の朔太郎ぬし つづく誰彼

 「つづく誰彼」に高橋が入るのだろう。もし、「蕪村」を高橋に置き換えるとき、では子規や朔太郎はだれになるだろうか。高橋は三島由紀夫を思い描いているかもしれない。



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2021年01月01日(金曜日)

2021-01-01 11:37:23 | 考える日記
 プラトンの『ソクラテスの弁明』を読む。(岩波書店、「プラトン全集1」、1986年06月09日、第三刷発行)
 私が「指針」としていることばがいくつもある。

①それはありあわせの言葉でもって、むぞうさに語られることになるでしょう。

 「借りてきたことば」(流通している「現代思想用語」)をつかわない。

②ひとつずつしらべてみることにしましょう。

 「調べる」とは「ありあわせの言葉(自分がふだんつかっていることば)」で言い直してみること。

③たましい(いのちそのもの)を、できるだけすぐれたよいものにするように、

 私は「魂」の存在を信じていない。ソクラテスは「たましい」を「いのちそのもの」と言い直している。私は、この定義ならば、なっとくできる。「いきていること」を「いきてあること」を、できるだけすぐれたよいものにしたい、と私は望んでいる。
 そのために、読む。

④一人一人に接触して、徳に留意せよと説いてきた

 「徳」については、考えない。「一人一人に接触して」は大事。
 私は詩の感想を書き綴っているが、それはそのつど「ひとり」を相手に向き合っている。ただ、そこに「ひとり」の人間がいきてあることを感じて、それについて私がどう感じたかを書く。
 「接触して」というもの大事だ。「接触」というのは、瞬間的なものである。そのときそのときによって、「接触」する部分が違う。私の状態も一定ではない。
 「ひとりひとりに、そのとき接触して」
 ソクラテスは、これを「各人に個人的につくす」、あるいは「一人一人をつかまえて」と言い直している。
 他の人といっしょにしない。

⑤私人としてあることが必要

 これは①に通じる。「私」の「ありあわせの言葉」で「むぞうさ」に、いきる。公、共通、流通の拒否。
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石毛拓郎「獄中●●の木橋」

2020-12-31 17:36:57 | 詩(雑誌・同人誌)
石毛拓郎「獄中●●の木橋」(「飛脚」26、2020年11月03日発行)

 石毛拓郎「獄中●●の木橋」は、こうはじまる。

だが 腑に落ちない●●点もある
あの時 十三歳の少年は
哀しみの荒野にいて
それも 身ひとつで
なによりも 手ぶらであった
根雪がふる ふりつもる
木橋は揺れるように そこに見えていた
かれは その橋を渡らないことには
何も始まらないことすら わからなかった

 「●●」は何か。タイトルの●●と一行目の●●は同じものか。「一行目の」と書いたのは、この詩には●●が何度も出てくるからである。

まだ 腑に落ちない●●面もある
なぜ 凶器を使ったのか
かれは 虎の影に追いかけられ
どこへ行っても 憐憫の瓦礫が目をふさぐ
塹壕のどん底から
樹木の高みへと 逃げる術など
思いもよらなかった
狂気のせつなさ 雪がしぐれてくる
手ぶらの狂暴が 熱くささやいた

 ●●を修飾することばが同じだから、そこに同じことばが入るかどうか。同じことばを入れてみたい気がする。ことばを入れて「答え」を出したい気持ちになる。
 これが問題なのだと思う。
 私はなぜ答えを求めるのか。なぜ●●をことばとは受け止めないのか。私の知らないことばがある、ということだけで私は満足できないのか。
 「腑に落ちない」と繰り返されることばは、はたして同じか。「だが」ではじまろうが、「まだ」でひっぱりだそうが、同じことばか。そもそも「だが」と「まだ」はどう違うのか。「点」と「面」はどう違うのか。
 何もわからない。
 わからないということで、すべてのことばは●●とつながっている。
 「十三歳」も「少年」も「哀しみ」も「荒野」もわかる。わかったつもりでいる。「哀しみの荒野」ということばは「身ひとつ」とか「手ぶら」ということばと向き合って一つの精神的な情景を浮かびあがらせる。精神を感じさせる。
 だが、これだって、あやしいものだ。
 だから、私は、あらゆることを保留する。「答え」を出すことを拒絶する。
 「木橋は揺れるように そこに見えていた/かれは その橋を渡らないことには/何も始まらないことすら わからなかった」という「十三歳の少年」になりかわって発せられたことばを拒絶する。「木橋」「揺れ」「渡る」「始まる」「わからない」の意味を拒絶する。
 だが、ことばのリズムは私の肉体のなかに入ってくる。ことばを統一するリズムが、石毛の「ほんとう」として聴こえてくる。「狂気のせつなさ」ということばがあるが、どのことばも「せつない」響きを持っている。「せつない」の定義はむずかしいが、それ以外に、ことばはない、という追い詰められた感じがする。追い詰められ、追い詰められ、ことばがみつからないまま●●と書くしかなくなる。あらゆることばが●●と向き合っている。
 そこには、ほんとうはことばはないのだ。
 試してみるといい。●●をなかったこととして石毛のことばを読んでも、意味は変わらない。というか、「意味」が通じるだろう。意味が通じるとは、そこにある意味がそのまま流布する(共有される)ということである。省略しても意味が意味は変わらないからこそ、それが重要なのだ。省略してはいけないのだ。
 「流通している意味ではない何か」「意味を拒んでいる何か」つまり、「解読されたくない何か」がそこにあって、石毛は、その解読できない何かを通して永山則夫と対峙しているのである。そこにもしことばがみつかり、●●を●●ではないものにした瞬間に、その永山と石毛の関係は消えてしまう。●●を省略した瞬間、世間で言われている「意味」になってしまうことからも、そのことがわかる。
 繰り返される「腑に落ちない」ということば。それが指し示すものだけが石毛をささえている。

耳にひそむ誘惑に 嵌ったのか
やむをえず かれは極刑をえらんだのか
まだ 腑に落ちない●●事がある
東京拘置所に架かった木橋は 足をかけると
あの日 あの時のように揺れた

 ●●を通して石毛は永山になるのだ。それは省略できない「腑に落ちない」という「せつない」気持ちだ。



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