詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

和辻哲郎の「正直」

2023-12-08 22:59:26 | 考える日記

 私は和辻哲郎の文章が好きだ。なぜ、好きか。『桂離宮』のなかで、和辻はこう釈明している。さまざまなことを和辻は書いているが、

専門家の所説に基づいたところもあるが、主としてわたくしの現状から受けた印象によったのであって、歴史的に確証があったわけではない。

 林達夫なら絶対に書かないことを和辻は書いていることになる。
 「確証がない」ことを書く、というのは、著述家にとっては間違ったことかもしれない。しかし、「印象」には、「歴史的事実」とは別の真実があるだろう。生きている人間の真実、そのひとが生きてきた仮定で身につけてきた、そのひとの真実(事実)である。和辻は、客観的な歴史よりも、彼自身の歴史(個人の歴史)を優先する。そこから「歴史」へ近づいていく。和辻自身の「いのち」をひきずって、「歴史」へ近づいていく。
 「印象」は「推測(憶測)」に、つまり、思考へと変化する。その変化は「自ずから」起きるのである。そして、和辻は、この「自ずから」に対して正直である。
 そこに和辻の「自然」が滲んでいる。
 この「自然」を「道」と言い換えていいかどうかわからないが、私は言い換えたいと思っている。
 和辻のことばが「自ずからの力」で動いた瞬間、ことばが輝きだす。「ここが好き」というときの「好き」の感情に、嘘というものがいっさいまじっていない。だから「道」と言い換えたくもなるのである。

 『桂離宮』で和辻が書いていることは、「歴史(建築の過程)」的視点から見ると間違っているのかもしれない。しかし、そこに書かれている「印象」はとても鮮やかで説得力がある。「歴史的視点」からもおなじような「美の定義」に到達できるかもしれないが、それは無意識に動いてしまう「印象」の強さを持ちうるかどうかわからない。
 「間違い」があっても、私はかまわないと思う。私は「歴史家」ではないから、そういうことは気にしない。「間違う」ことでしかたどりつけない「真実」というものがあっても、私はかまわないと思っている。「正直」なら、それでいいと思っている。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇413)Obra, Alfredo Bikondoa

2023-12-08 21:59:21 | estoy loco por espana

Obra, Alfredo Bikondoa
Arquitectura y poética de la desaparición. (2023)

 De repente pensé en un edificio en Gaza que había sido bombardeado. Luego traté de ponerlo en palabras. 
  ふと、爆撃されたガザのビルを連想した。そして、それをことばにしてみた。


  

(Para la pareja de Gaza/ガザの恋人たちのために)

 ¿Cuál fue la música que escuché contigo? No recuerdo el nombre de la sinfonía que me dijiste que querías escuchar antes de morir. Esa sinfonía donde al final se eleva el sonido de muchas trompetas. Un sonido más fuerte que el címbalo amortiguó todos los sonidos. El silencio resuena en mis oídos. No puedo escuchar ningún otro sonido. Ni siquiera puedo escuchar mi voz llamando tu nombre. ¿O ya perdí la voz? Mi corazón grita, pero no puedo oír mi voz.
 La ventana está suspendida muy alta. No sé dónde se escondía, pero la oscuridad profundizó las grietas del edificio como el cielo. Ah, una luz tan transparente cae donde el polvo volador no puede llegar. Incluso en momentos como este, el sol llueve pura luz. El viento sopla. Recto sin doblarse.
 Si puedes escuchar mi voz, intenta decir mi nombre. Lo último que quiero recordar es mi nombre.
 
 君と聴いた曲は何だったか。君が死ぬ前に聞きたいと言っていた、その曲が思い出せない。最後にトランペットの音が立ち上っていくあの曲。その音を消すシンバルよりも強い音がすべての音を消した。耳のなかに、沈黙が耳鳴りになって響いている。他の音が聞こえない。君の名前を呼ぶ、私の声さえも聞こえない。それとも、私はもう声を失ったのか。こころは叫んでいるが、声にならないのか。
 窓が、あんな高いところにぶら下がっている。どこに隠れていたのか、闇が、空のようにビルの裂け目を深くしている。舞い上がる埃が届かないところに、ああ、あんなに透明な光が降ってきている。こんなときにも太陽は無垢の光を降らせている。風が吹いている。曲がらずに、まっすぐに。
 私の声が聞こえたら、ねえ、君、私の名前を呼んでみてくれ。私は最後に私の名前くらい思い出したいのだ。

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Estoy Loco por España(番外篇413)Obra, Joaquín Llorens

2023-12-07 21:13:35 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens  

 Dos niños están mirando el trabajo. Con la misma ropa. Tal vez sean hermanos. El hermano menor colgó las manos y no se mueve.. Ni siquiera puedo preguntar: "¿Qué es esto?" El hermano mayor (o, sus manos) busca en su bolsillo las palabras que decirle a su hermano menor. La escultura mira fijamente a los dos. Como diciendo: "¿Sabeis lo que soy?"
 Un silencio misterioso, pero muy íntimo, conecta la obra y los niños.

 Las pinturas y esculturas tienen diferentes impresiones según dónde las miro y con quién las miro. Me gusta mucho ver ese cambio. Este trabajo es el abuelo de los niños. Los hermanos son los nietos del autor Joaquin. Se ve diferente de lo habitual, pero sigue siendo su abuelo. ¿Pero puedo llamarle abuelo? Quizás eso es lo que quiere decir  el hermano menor. Para este trabajo o para su hermano.

 二人の子どもが作品を見ている。同じ服を着ている。兄弟なのだろう。弟は手を垂らして呆然としている。「これ何?」と問いかけることさえもできない。兄はポケットに突っ込んで、弟に何と言うべきか、ことばを探している。彫刻は、その兄弟をじっと見つめている。「私が何かわかるかな」と言いたげに。
 不思議な沈黙、親密な沈黙が作品と子どもたちを結びつけている。

 絵や彫刻は、どこで見るか。誰と見るかによって印象が違ってくる。私は、その変化を見るのがとても好きだ。この作品は、子どもたちのおじいちゃんだ。この子どもたちは、作者の孫だ。いつもと違う顔をしているけれど、おじいちゃんだ。でも、おじいちゃんと呼んでいいのかな? 弟は、そう言いたいのかもしれない。作品に、あるいはお兄ちゃんに。
 

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「教養」とは何か(和辻哲郎と向田邦子)

2023-12-07 13:13:00 | 考える日記

 

 

 和辻哲郎『桂離宮』を読んでいると、八条宮という人物が出てくる。「教養」のある人間だ。その「定義」のようなものとして「源氏物語」「古今集」などの「古典」精通というようなことが書いてある。このときの精通とは単に熟読している、知識を持っているということではないだろう。「味わうことができる」ということだろうと思う。
 「味わう」ということは、どういうことか。その「ことば」の世界を、生きて動いていくことだろう。それは、「ことば」の動きのなかにある「自然に動き出してくる力」にあわせて、自分を動かすということだろう。世界は「ことば」に満ちている。世界に満ちている「ことば」のなかにはむだなもの、余分なものもある。それを適切に切り捨てれば、「ことば」は自然に美しく輝き出す。この「切り捨て」のことを和辻は「精神の否定的な働き」と呼んでいる。
 この「精神の否定的な働き」という文章に出合った瞬間、私は、ふと向田邦子の『父の詫び状』を思い出した。そのエッセイは、向田邦子が体験した昭和の家庭のことが詳しく書かれている。人は何を大事にし、何を整理し(切り捨て)、生活を整えたか。その「整え方」も「教養」である。それを昔は「しつけ」と言ったのだが。
 本のタイトルにもなった「父の詫び状」には、父の客が家のなかで酔っぱらって嘔吐した。それが障子だったか襖だったか何か忘れたが、敷居の溝にはさまっている。それを楊枝(だったかな?)をつかって掘り出すようにして掃除する。それを読みながら、なんというのだろう。読んでいて美しいシーンが思い浮かぶのではないのだが、なんともいえず「美しい」と感じてしまった。この「美しさ」に対して、父がぎごちない「詫び状」を書くのだが、その「ぎごちなさ」がおかしくて、うつくしい。この「おかしい」は清少納言の書いている「をかし」かなあ……。
 脱線したが。
 生活のなかで鍛えられる「教養」がある。それは「生活の味わい方」なのだ。吐瀉物の掃除は、それ自体は「味わいたくないもの」かもしれない。しかし、そのあとに生活が整えられ、「美しさ」が味わえる。それは、たんに家が美しく掃除されていてきもちがいいという味わいではない。父が侘びたように、思わず侘びたくなるような何かである。そういう「味わい」を向田邦子のエッセイは、とても自然に輝き出す形で表現している。
 和辻のことばをつかって強引に言い直せば、向田は肉体をつかって吐瀉物を生活から「切り捨てた」。そのとき、そこにはやはり「否定する精神」が強く働いている。汚れを否定する精神。そして、それが日常を輝かせている。向田自身を輝かせている。そのまぶしさに、父は思わず「詫び状」を書かずにはいられなかった。
 その「詫び状」はぎごちないが、そこにも父の「教養」が滲んでいて、私は読みながら思わず泣いてしまった。「教養」とは人間を「嬉し泣き」させるものかもしれない。「自然に動き出すいのち」が輝く瞬間、そこには「教養」が動いている。

 『父の詫び状』は、これから日本語を学んでいるイタリアの青年と一緒に読み進めるのだが、日本語の知識だけではなく、そこに書かれている「日本の生活の教養」のようなものにも触れてほしいと思っている。

 

 

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青柳俊哉「ハキリアリ」ほか

2023-12-03 21:13:25 | 現代詩講座

青柳俊哉「ハキリアリ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年11月20日)

  受講生の作品。

ハキリアリ  青柳俊哉

海馬の中へ
太陽を無数に通過させる
酵母の床に葉を散らしつづけて

キノコの列柱の先
日蝕のかげのような傘から
脂粉の霧が黒い胸郭にふりかかる

この広大な洞でわたしは暮らしてきた

湖の鯨が月の光にうねっている
原野を永遠に氷狼が横切っていく

わたしは星の眼でみる
女王からうまれつづけるわたしの
視床の中の霧と葉の深さを

 いつもは作者に質問せず(作者の意図を無視して?)、どう読んだか、を中心に感想を語り合うのだが、今回は、詩のなかでわからない部分について質問し、そのあとで感想を語るという形で詩を読み進めた。
 「ハキリアリとは?」「海馬とは?」「わたしは星の眼でみる、とは?」
 ハキリアリは、蟻の種類。葉を切り刻み、酵母菌をまき、キノコを栽培している。一億年前から(人間が農耕する前から)、キノコ栽培をして生きている。海馬は記憶を司る大脳の部分。星の目で見るは、蟻の巨大な時間を象徴している。個々の蟻は、同じ生活をすることで、宇宙(星の世界)に通じる大きな時間の中に埋没している。
 巨大な時間(一億年)を詩の中に閉じ込めることへの感嘆の声が漏れた。
 鯨や氷狼もまた巨大な時間を象徴していることになる。それが、宇宙の現象(日蝕ということばも出てくる)だけではなく、海馬、視床という肉体器官と結びつけられ、さらにハキリアリの生き方とも対比される。霧、葉が呼応するように繰り返され、イメージが重なり、イメージが深くなっていく作品。

ペーター・カーメンチント  池田清子

--高い空に浮かぶ、
白い雲のように、
あなたは、白く、美しく、遥かです、
エリザベートよ!

ああ、わたしの郷愁

青い空と
白い雲と
風頭山

諏訪神社のおくんち、半どん
玄関に日の丸、おめかし
毎年かさ鉾の絵を描いた

一段目から飛び、二段目、三段目、四段目から飛び降り
五段目まで大丈夫

修学旅行で、小遣いをすっかり使い果たし
親はあきれていた
行った先々で、妹にお土産を買ったのだ

ふるさとは遠くにありて思ふもの
そして悲しくうたうもの

歩回り、猪鹿蝶

ああ 歌おう!

 「ペーター・カーメンチントとは?」「風頭山は、どこにある山?」
 ペーター・カーメンチントはヘルマン・ヘッセ「郷愁」の原題。風頭山は、長崎にある山。「ふるさとは……」は室生犀星の詩。
 池田自身の「郷愁」が、ヘッセと犀星のことばの力を借りて動き出しているのだが、「諏訪神社のおくんち」からはじまる作者のことばのリズムが、ヘッセのことば(だれかの日本語訳)、犀星のことばのリズムとあわない。
 三連目の「青い空と」からの三行は「風頭山」も抽象的で(受講生から、どこの山?という質問が出たのが象徴的。おくんちから長崎を連想しても、その山を具体的に思い浮かべることができる読者は少ないはずだ)、抽象的なヘッセのことばと響きあうが、後半は「具体的」すぎる。具体的なことばが悪いというのではないが、引用されている詩の世界が抽象的なので、しっくりこない。
 犀星のことばも、具体的な「土地」のにおいに欠け、抽象的。
 引用した詩と、自分のことばをどう対話させるかというのは、とてもむずかしい問題。合わせすぎてもいけないし、違いすぎても違和感が残る。
 

ふゆじたく  ポインセチア

きせつがふゆにむかうときは
ぬくもりをいっぱいひろいあつめ
いろんなぬくもりをかんじる

りんごをひとつ
まんなかにおいて
そのぬくもりを
にがさぬように
わたしのこどくで
しっかりとくるむ

それらは
ゆたかなかおりをはこび
はるがくるまで
いっしょにいてくれる

 「いろんなぬくもり、とはどんなぬくもり?」「ぬくもりを孤独でくるむはなじまない、矛盾しているのでは?」「でも、反対だから、くるむことができるのでは」という意見がすぐに飛び出した。
 「いろんなぬくもり」については、作者から「人から受けた温かさ,思い出の温かさ」という説明があった。
 温もりに対して孤独は冷たい。その対比とつつむという動詞の動きがおもしろいが、温もり/冷たさという「触覚」の世界が、最終連で「かおり」という嗅覚にかわるところに不思議な飛躍、世界の拡大があり、それも楽しい。「りんご」を「ひとつ」と限定するとき、そこには視覚も動いているかもしれない。(受講生から絵を描きたくなる、という感想が漏れた。)
 くるむ/くるまれたものが「いっしょ」ということばに変わる最終行がとてもいいという声も、受講生の中から自然に漏れてきた。

硝子  緒加たよこ

夜明け前の廊下は真っ暗で、勘でトイレまで歩く。数年前にマンションの玄関ドアが一斉に取り換えられてこうなった。ぼくは理事会のメンバーだったけど、ドアの仕様を決める日は休んでいたんだ。以前のドアは、中心に細く一直線の明りとりの硝子が埋まってて夕方なんかはそこから廊下に光が差し込んで十字架のようだったな。ちょうどポストが真ん中にあってね。新しいドアは分厚い鋼鉄の一枚板だった。住人は取り換えの時に初めて知ったよ、もう光は入らないって。僕も。誰もそんなこと、その後の理事会でも話題にしてなかったし、こんなに真っ暗になるってイメージしなかったのかな。管理会社お薦め防犯ドア。あきらめたけど。数日うちのある日、妻が買い物から帰って来て、佐里さんに会ってね、佐里さんが嘆くのよ、怖いって、真っ暗で、子供さんがお目が弱いらしくって本当に涙を流されるの、なにか灯りになるものを置くしかないわねぇ、うちもそうするわ。とりあえずアリスの発光シールを壁に貼ったりするうちに、全戸に人感センサーライトが導入された。お年寄りから苦情があまた届いたらしい。然しながらこれが感度がいまひとつ、夜中トイレに立つときは勘に頼っている。妻はもう死んだ。あの頃の夕焼けが懐かしいな。佐里さんという人はどうしているのだろう。ぼくは彼女の顔も部屋も知らないままだ。

 「舞台のマンションは、作者の生活とどういう関係があるのか」「アリスの発光シールと?」「妻はもう死んだ、ということばを書いた目的は?」七・三の割合で、現実を書いている。アリスは不思議の国のアリス。ぼくを主語にして書いたので、自然に妻になった、と作者。
 途中で、エッセイと詩の区別がわからないという声が出た。
 私は、エッセイも詩も、他の文章も特に区別して読むことはないが、ひとりの受講生が「現実を散文の形で書くのがエッセイ、センテンスの区切り方、文体に飛躍があり、イメージを喚起することばがあるのが詩」と「定義」した。たぶん、そう考える人が多いと思う。だからこそ、この散文形式的で書かれた作品に対して、詩と散文の区別は?という質問が出たのだと思う。
 私は「妻はもう死んだ」以降の部分がとても「詩的」だと思う。「夕焼け」(夕方の十字架)がふいによみがえり、その一方で佐里さんについては、妻が語ったこと以外は何も知らない、というのがいい。もしかすると佐里さんの話は、妻がぼくと対話をするために思いついた架空の物語かもしれない。……と考えるのは、まあ、考えすぎなのだろうけれど、そういうことも考えてみたい気がする。

 


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Estoy Loco por España(番外篇412)Obra, Sergio Estevez

2023-12-02 22:34:01 | estoy loco por espana

Obra, Sergio Estevez  
Cruce de caminos

 No sé los materiales exactos utilizados en esta obra. Pero recuerdo haber visto todas las cosas cuando era niño. Habían sido abandonados en un rincón de la casa del campo. Pensé que ya no era relevante. Sin embargo, cuando miro esas cosas, me doy cuenta de que hay algo dentro de mí que resuena con los deseos de las personas que las crearon. También recuerdo haber jugado a hacer cosas usando estas cosas. Creí algo más usando lo que ya estaban ahí. La alegría de crear cosas que no están aquí con cosas que están aquí.
 Esto es lo que estoy pensando ahora. La originalidad no surge de algo completamente nuevo ni del conflicto con algo que ya existe. Nace por necesidad de lo que ya existe.
 Esta es la obra que me hace sentir así.

 この作品につかわれている素材が何か、正確なことを私は知らない。しかしどれも子どものときに見た記憶がある。農家の片隅に捨てられていたものだ。私には関係がなくなったものだと思っていた。しかし、そうしたものを見ると、それを作った人の願いに共鳴するものが、私のなかにあることに気がつく。そして、こうしたものをつかって何かを作って遊んだ記憶がある。そこにあるものをつかって何か別のものを作る。ここにないものを、ここにあるもので作る、その喜び。
 私はいま、こう考えている。独創とは、まったく新しい何か、あるいはすでに存在するのものとの対立によって生まれるのではない。すでにあるもののなかから必然をもって生まれてくるものだ。
 これは、そんなことを感じさせる作品である。

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和辻哲郎と林達夫

2023-12-02 21:51:57 | 考える日記


 人はどんなふうにしてあることばと出会い、それを好きになり、その「好き」が広がっていくのか。自分のことであっても、よくわからない。私は、いろんな著述家のいろんな文体が好きだが、和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んでいて、ふと林達夫を思い出した。
 薬師寺の薬師如来の作者が誰なのかわからないが、そのことについて、和辻は、あれこれ想像している。(岩波版、全集、123ページ)

 当時の文化はむしろ書紀に名を録せられない中流の知識階級によって担われていたと見られるべきである。たとえばわれわれはあらゆる民家に仏壇を造るべき命令が下ったことを知っている。この命令はある程度まで遵奉せられたであろう。そこには盛んな需要がある。供給者もまたなくてはならぬ。もしこの仏壇の最も優秀な例を玉虫の厨子や橘夫人の厨子に認め得るとすれば、仏壇の標準がすでに徳川時代のごとき低劣なものではない。そこで一般の需要に応ずる仏壇製作家もまた相当に有為な芸術家でなくてはならぬ。そしてその数も、少なくてすむまい。そうなるとそこに芸術家の社会が成立してくるであろう。その社会においては大寺の本尊を刻むことは非常な名誉であるに相違ない。そういう社会の雰囲気のなかでは、薬師寺金堂の本尊を造った様なすぐれた作家は天才として通用するのである。この種のことは建築家についても、僧侶についても、あるいはまた学者についても、存在したであろう。そうしてそれらはみな書紀と関わるところがない。

 林達夫は、こうした文章、文献的裏付けのない「想像力」だけがことばを動かしていくような文章は絶対に書かないだろう。そういう意味では、これは林達夫とは無縁の文章なのだが、私は、あ、林達夫はここから学んだに違いない、と私は思うのだ。
 ある「事実(現象)」がある。そのとき、そこには「社会」がある。「社会」の動きが、その社会で起きた「事実」と関係がある。
 和辻は「想像力」で、それを考える。林達夫は、「文献」を探し出して社会を浮かび上がらせる。どちらも「社会」を必要としている。「背景」を必要としている。「背景」(社会)があって、はじめて「事件」が起きる。

 私は学校で習う「歴史」が大嫌いだった。年号だとか、人の名前だとか、事件とか、やたらは記憶しないといけない。そんなものは必要なときに本で見ればいいのであって、覚える必要はない、と考えていたからだ。
 だから和辻の『鎖国』を読んだときは、非常に驚いた。「事件」ではなく、「社会」が描写されていたからだ。そこにはたとえば、世界一周をしたスペインの船が、大西洋にふたたび帰って来て、スペイン(だったと思う)の船と出合う。そのとき「航海日誌」の日付が違っていることに気がつく。日付変更線がまだ「存在」していなかった時代にも、時間はある。そして正確に「航海日誌」をつけていれば、必然的に日付が違ってしまう。つまり、世界一周した船の「航海日誌」をつけていた人は、無意識のうちに「日付変更線」を発見してしまったのだ。……これは「社会」というよりも、物理(あるいは数学科何か)の問題かもしれないが、「事件」の背後には、誰も意識していなかったような不思議な広がりがあり、それは「絶対的」なものなのだ。
 年号や人名、その他の「固有名詞」は、偶然のものにすぎない。必然的なものは、なかなてか記録されない。その記録されない必然こそが大事なのだ。

 私が林達夫、和辻哲郎の文章(ことば)に惹かれるのは、ふたりのことばの奥に、「学校教育」では無視される必然に気づかされてくれるからかもしれない。そうした必然は、なかなかことばにされない。しかし、そうした必然こそが、人間を「正しく」している。「日付変更線」に戻って言えば、間違いなく毎日「航海日誌」を書き続けるというような、地道な行為、そこに「正しさ」があるのだ。それは「人間の正しさ」につながる何かだと思う。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(58)

2023-11-30 19:38:18 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「夏」。

ヒナゲシは夏の手首にはまった腕時計。

 この「はまった」は原語では何と書いてあるのだろうか。
 ふつうは、手首に「はめた」かもしれない。ボタンをはめる、は、ボタンをとめる。ある決まった位置に「はめる」。その位置でなければならない。
 真夏の強い光のなかで、すべてが「定位置」に存在する。
 この強烈な感じが、他の行に登場する「吊るされている」「宙吊りにする」という不思議なことばをいっそう印象づける。「吊るされている」「宙吊りにする」をゆるぎないものにするためには、「はまった」の一言が絶対に必要なのだ。他動詞「はめる」ではなく、自動詞「はまる」が。「びったり、はまる」。
 書かれていないが、「ぴったり」が、「吊るされている」「宙吊りにする」を「ぴったり」に変える。それでしかあり得ないものに変える。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(57)

2023-11-29 21:09:17 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「顔」。たとえば鏡を見ていると仮定する。鏡のなかで「きみ」が涙を流す。きみは、それを見ているのか。それとも鏡のなかの「きみ」から見られているのか。涙は、二筋ほほを伝う。

そして、きみは知らない。どちらの水がきみの心をいちばん動かそうとしているのかを。

 「答え」を探し始めるとき、「いちばん」ということばが気にかかる。選択肢はいくつあるのか。「いちばん」ということばがなければ、たぶん、悩まない。「いちばん」ということばがなければ、たとえば私は、その「顔」が鏡のなかにあるとも思わなかったかもしれない。
 「いちばん」ということばのなかにあるのは「ひとつ」。しかし、その「ひとつ」ということばが、「複数」の選択肢を生み出してしまう。
 カヴァフィスのことば、世界には選択肢はひとつしかない。しかし、リッツォスの世界には、いつも選択肢が複数ある。世界はしずかに分裂していく。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(56)

2023-11-28 22:40:53 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 ここからはヤニス・リッツォスの詩。カヴァフィスとは、声(音)の響きが違う。カヴァフィスの詩のように一行だけ抜き出して、そこからリッツォスの魅力を語るのは難しいかもしれない。しかし、一行だけ、をつづけてみる。
 最初の詩は「単純性の意味」。

(きみに語るためにこういう言い方になるのです)

 「文体」がストレートではない。カヴァフィスのことばはまっすぐだけで構成される。そして、そのスピードは、とても速い。リッツォスはスピードに抑制がある。そして、その抑制がストレートさえも微妙に揺らいでいるように見せかける。
 「きみに語るためにこういう言い方になる」でも「きみに語るためにこういう言い方になります」でもない。「なるのです」。追加された「のです」が、この詩の独特のスピードである。

 

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田原『犬とわたし』

2023-11-28 16:15:07 | 詩集

 

田原『犬とわたし』(絵・いがらしみきお)(澪標、2023年11月20日発行)

 田原『犬とわたし』は絵本。
 犬と出会い、犬と別れる。思い出が残る。思い出は死なない。死なないというよりも、何度でも生き返ってくる。思い出が生き返るとき、また、犬も生き返る。
 しかし、このとき、そこには「哲学」がない。「思想」がない。そして、その「哲学がない、思想がない」ということこそ、「絶対的な哲学」なのだ。世界で存在しうる(存在に耐えられる)たったひとつの「事実」だ。
 こう言い直そう。
 哲学なしに、思想なしに、どんないのちも生きてはいけない。生きているいのちは、みんな哲学、思想をもっている。それをことばにするか、ことばにしないか、だけである。ことばにしなかったからといって、そこに思想がないとは言えない。ことばをもたないいのちに対して思想がないと考えるのは、ことばもたないいのちと向き合っているその本人に思想がないからだとも言える。
 ことばを発しないいのちから何を聞きとるか。
 安易にことばを与えれば、それは嘘になる。
 田原のことばは、嘘になる前で踏みとどまっている。だから、何も語らない犬からのことばが自然に聞こえてくる。
 絵本の主人公の少年が犬のことを忘れないように、犬もまた少年を忘れることはない。

いつも一緒、
いつも一緒に走っていた。

 前半に出てくるなんでもないようなことばだが、繰り返されている「いつも一緒、」が、この絵本を貫く思想である。哲学である。世界に存在しうるに値するたった一つの事実である。
 人間が語る哲学(思想)で、私は「みんなが幸せになれるように」ということば以上のものを聞いたことがないし、読んだこともないが、「みんなが幸せになれるように」のなかにも、実は「いつも一緒」がある。「いつも一緒」以上の哲学、思想は、この世には存在しない。

お正月に、
肉のついている骨をかじるわたしを
じっと見つめて
よだれを垂らす犬はとてもかわいかった。

 ああ、このとき、犬はただよだれを垂らしているのではない。一緒に骨つきの肉にかぶりついているし、骨つきの肉にかぶりつく少年を「とてもかわいい」と思って見ているのである。まるで母親が骨つきの肉にかぶりつく子どもを「とてもかわいい」と思って見ているように。そして、同時に、母親は、子どもになって骨つきの肉にかぶりついている。この「いつも一緒」を「一体になる」という。
 おかしいのは(楽しいのは)、絵である。
 この絵本の犬は、田原そっくりの目をしている。田原に出会っていなかったら、いがらしみきおは、こんな顔の(こんな目の)犬を描かなかっただろう。いがらしの描く犬は、その絵は、犬と田原が「いつも一緒」にいること、「一体」であることを証明している。それがとても愉快だ。

 

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粕谷栄市『楽園』

2023-11-28 00:28:33 | 詩集

 

粕谷栄市『楽園』(思潮社、2023年10月25日発行)

 粕谷栄市『楽園』の、一連の詩を「森羅」で読み始めたとき、「困ったなあ」と思った。感想はあるのだが(そして何回か書いたことがあると思うのだが)、ほんとうの感想はないのだ。「あ、これは、おわらないなあ」と思う。簡単に言えば「夢をみた」、その夢を書いているのだが、「夢をみた」ということを繰り返し読んでも、それから先に進まない。「ああ、そういう夢をみたんですね」と言えば、それでお終い。
 いや、そうじゃないんだなあ。
 「要約」してしまえば、そうなってしまうが、その「要約」を拒んで、ただ、そこにことばがある。「要約」を粕谷はすでに知っていて、それでもことばを書いている。「要約」したとき、そこからこぼれおちるもの(?)こそが詩だからである。こぼれおちるではなく「要約」のシステムでは掬い取れないものが詩だからである。
 それは、なにか。
 「小さな花」は、こうはじまっている。

 この世の日々をよく生きるためには、どんなささやか
なものでもいい、何かしら楽しみを持つことだ。
 誰もが、そう思うだろう。特に、心に悩みがあって、
苦しい暮らしを過ごしている者には、一層、それが、必
要だと言える。

 一段落と二段落のあいだには「飛躍」がない。ずるずる、っとつづいている。粕谷は読点を多用する。読点は、一種の「区切り」だが、そこにあるのは「見せかけ」の区切りであって、それは「区切る」というよりは、むしろ「接続」を促している。ずるずる、っとつながっていく。
 一連目の「楽しみ」と二連目の「こころに悩みがあって」の関係など、反対のことば(概念)が、ずるずるつながっているのだが、それが、わかるように、わからないように、なっている。

 だが、そのような人々に限って、そのための自由な時
間がない。それでも、何とか、努力して、それを見つけ
て、悦びを得ている男を、私は知っている。もちろん、
誰も気づかないような、ささやかな楽しみだ。

 ここまで進んで、何か変わったのかなあ。「男」が出てきて、「私」も出てきたのだが、「ささやかな楽しみ」というくらいだから、びっくりするようなことは起きない。言い換えれば、特に書かなければならないようなことは起きない。
 でもね。
 「ささやか」。そう、それは「ささやか」と書くことができる。大したことではない。書くようなことではない。でも「ささやか」と書くことができる。この「ささやか」は、ほら、一行目にもあった。循環する。つまり、終わらない。
 これだね、問題は。
 書くことはない。しかし、書くことはできる、と書くことができるだろうと書いたのはベケットの小説のなかのだれかだったか、戯曲のなかのだれかだったか、私はもう忘れてしまったが、粕谷が書いているのはそういうことだ。ことばを書くということは、終わらないことだ。終わらなくても、かまわない。結論がなくてもかまわない。「要約」なんか、意味がない。どんなときにも、どんなことでも、大事ではないこと、いらないこと(不要なこと)でも、書くことができる。
 つまり。
 ことばは、なんにでも「かかわる」ことができる。「ささやか」なもの。書かなくてもいいようなこと、終わらないようなことも書くことができる。変化があればあったと書くし、変化がなければなかったと書くことができる。そうやって、ことばで「時間」を埋めていくことができる。
 そして、これがいちばんの問題なのだが。
 そのことばで時間を埋めていくときの「リズム」、これが、粕谷の場合、変わらないのだ。粕谷は「関わり方」を変えずに、生きているのだ。よくもまあ、こんなに変わらないリズムのまま、「夢をみた」の「夢の対象」だけを入れ替えたような詩を延々と(ずるずると)書けるもんだなあ。
 書けるもんだなあというのは、私のいい加減な感想なのだが、粕谷は「いい加減」なことはせず、実にていねいにていねいに「ずるずる」と書く。繰り返しになるが「関わり方」を変えない。「生きるとは関わることだ、関わり方を変えると死んでしまう」と言っているようにも感じられる。
 だから。
 わああ、すごいなあ。よく飽きないなあ。よく、終わらないことをつづけられるなあ。この変わることのない「文体」というのは、やっぱり、すごいものだ、と私は思わず書かずにはいられない。

 一度だけ、短い夢のなかで、私は、菫の花の鉢を抱え
て、笑っている彼のすがたを見た。
 おそらく、死ぬまで、私が、それを忘れないだろう。
彼は、本当に、楽しそうだった。深く、心に残ることは、
夢のなかにあるということだろうか。

 ここに書かれていることばをまねして言えば、私は、粕谷がことばがつまった鉢を抱え、彼が知っているたったひとつのリズムにのせて、その鉢のなかのことばを全部つかってしまおうと遊んでいる姿をみた。ほんとうに楽しそうだ。私のこころに残るのは、そのとぎれることのない「ずるずる」のリズム、読点を多用して「ずるずる」ではなく「ぶつぶつ」を装った果てしなさを愛している粕谷の姿である。

 

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電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

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2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(55)

2023-11-27 22:11:53 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「半時間」。詩人は、バーでミューズに会う。半時間を過ごす。そして、それを詩に書いた。

分かってらしたのだと思います。

 分かっていることが、分かっている。そのことを念押しをするようにして書いているのだが、「分かっていたんだと思う(思います)」とは印象が違う。「事実関係」はかわりないのだが、その「事実」に対する「関わり方」が違う。
 この「……てらした」という言い回しは、女性的で、その情勢的な部分を「控え目」と言い直すと、「女性=控え目」という定義を押しつけることになり、いまの時代にはそぐわないかもしれないが、この「控え目」な関わり方に、何か絶対的な真実がある。絶対的な「生き方」、行動の仕方がある。そこには、カヴァフィスの絶望と、あきらめもある。そして、その絶望、あきらめが、カヴァフィスのことばを絶対的なものにしている。
 中井の訳は、その絶対的なものを、非常に的確につかみ取り、生々しく日本語にしている。

 

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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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Estoy Loco por España(番外篇411)Obra, Xose Gomez Rivada

2023-11-25 18:12:23 | estoy loco por espana

Obra, Xose Gomez Rivada  

 "No importa lo que represente. Lo que importa es cómo interactúa con lo que hay allí", respondió el hombre. ¿Se trata del objeto o del material? "Las cosas creadas o pintadas no son objetos ni materiales. Existen separadamente de los objetos y materiales. Mirando las cosas creadas o pintadas, e imaginando su existencia (modelos) ya es una falta de imaginación", añadió el hombre.

 "El arte o el artista se acerca a la forma de existencia de la existencia. Y la forma de existencia sólo se puede encontrar en el movimiento. Las obras son el resultado de una implicación continua con algo, y cuando una obra existe, la existencia que existía hasta entonces, ya sea era un modelo o un material, ha desaparecido. Además, el movimiento que implicaba también ha desaparecido, y si alguna vez vuelve a existir, será porque el espectador está involucrado en la obra". 

 「それが何をあらわしているかは問題ではない。そこにあるものに対して、どう関わったかが問題なのだ」と男は答えた。それは対象のことか、素材のことか。「つくられたもの、描かれたものは、すでに対象でも素材でもない。対象きも素材とも別の存在である。つくられたもの、描かれたものを見て、存在(モデル)を想像することは、すでに想像力の敗北である」と男は付け加えた。

 「そこにある存在の、存在のあり方に迫るのが芸術だ。そして存在のあり方というのは、運動のなかにしかない。何かに関わりつづけた結果生まれたのが作品であり、作品が存在するとき、それまでの存在はモデルであれ、素材であり、消滅している。そして、関わり続けたという運動も、消滅しており、それがふたたび存在するとしたら、それはその作品に対して鑑賞者が関わっていくときだけである」

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Estoy Loco por España(番外篇410)Obra, Joaquín Llorens

2023-11-24 22:34:10 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens 
Técnica ,hierro a,d. 55x27x10 A,S,Y.

 Este trabajo parece haber surgido de forma natural en lugar de haber sido creado. No hay ningún artificiosa.
 Hay "MUSIN (o sin-corazón)".
 Preguntó Joaquín mientras tocaba las chatarras cercanas. "¿Qué forma quieres tener?" La chatarra no responde, pero sus manos que tocaa el hierro sienten la respuesta. Sus manos se mueven mientras  oyendo las voces de los hierros. Muy silenciosamente.
 Esta obra transmite la quietud de esos movimientos de sus manos.

 De repente recordé la palabra "wabi-sabi". Algo que me haga sentir "wabi-sabi". Ni siquiera hay en ello "MUSIN". Sin embargo, el hecho de que ni siquiera exista este "MUSIN" es un "MUSIN absoluto". La “MUSIN  absoluto” está aquí.

 Mis palabras son contradictorias, pero hay cosas que sólo se pueden decir de manera contradictoria.

 作ったというよりも、自然に生まれてきたという感じのする作品。作為がない。
 「無心」がある。
 そばにあった鉄屑に触れながら、ホアキンは尋ねる。「きみは、どんな形になりたいのか」。鉄屑は答えないが、鉄に触れた手は、その答えを感じてしまう。その感じたままに、手が動く。とても静かに。
 その手の動きの静けさを、この作品はそのまま伝えている。

 私は、ふと「わび・さび」ということばを思い出した。私が「わび・さび」を感じる何か。そこには「無心」さえもない。しかし、この「無心」さえもないということが、絶対の「無心」なのだ。「絶対的無心」が、ここにある。

 私のことばは矛盾しているが、矛盾した形でしか言えないことがある。

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