詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

特別講座「谷川俊太郎の魅力」

2025-03-06 20:52:19 | 現代詩講座

3月15日、朝日カルチャーセンター福岡で、特別講座「谷川俊太郎の魅力」を開きます。
一回完結の講座です。教室参加でも、オンライン参加もできます。
ぜひ、ご参加ください。
当日申し込みも受け付けますが、料金が550円追加になります。ぜひ、事前に予約してください。
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外交とは何か(米・ウクライナ協議決裂について)

2025-03-02 22:48:14 | 考える日記

 私は、トランプとゼレンスキーの「協議」をテレビで見たわけではない。テレビで見ても、英語がわかるわけではないから、理解できなかったと思うが、読売新聞の報道(2025年03月02日朝刊、14版、西部版)で読む限り、ゼレンスキーは「外交」というものをまったく知らない。
 私は人間関係を読むのが苦手で、「外交」には向いていない人間だが、そういう私から見ても、ゼレンスキーは馬鹿だなあ、と思う。
 こんな会話がある。会話の順序として、前後するのだが、協議の途中でのやりとり。

バンス あなたは一度でも「ありがとう」と言ったか。
ゼレンスキー 何度も。
バンス 違う。この会談で言ったか。
ゼレンスキー 今日も言った。

 協議は記者団のいる前で行われている。そうした場合、ゼレンスキーが、何度「ありがとう」と伝えていたとしても、もう一度、協議の前に、記者団のいる前で「ありがとう」と言って、そのことばを「記録」させることが重要なのである。
 外交とは、まず、ことばなのだ。
 政治ではないが、簡単な例をひとつ。母の日、父の日。こどもが「おかあさん(おとうさん)ありがとう」と言う。いつも言っているかもしれないが、その日も言う。頭のいい子どもは「いつも感謝している。両親を愛している。だから言わなくてもいい」と思いがちだが、違うのだ。「ありがとう。愛している」ということが、母や父を喜ばせる。母の日、父の日に「あらためて」言うことが必要なのだ。
 外交とは、それに似ている。わかっていることを、「あらためて」ことばにする。
 ゼレンスキーが、「トランプさん、ありがとう」のような挨拶で協議をはじめれば、この協議は全然違ったものになっていただろう。そういう簡単なことが、ゼレンスキーにはできなかった。つまり、馬鹿である。
 なぜ、こんな馬鹿な失態をしたのか。たぶん、ゼレンスキーは「自分は偉大な大統領である。みんなが自分を支援して当たり前だ」と思い込んでいる。つまりバンスがもとめていることが理解できずに、「ありがとう」と言わなくてもいい人間だと思い込んでいるだ。三年間のヨーロッパや日本の支援が、そう思い込ませたのかもしれない。

トランプ あなたは今、非常に悪い状況にある。切ることのできるカード(切り札)持っていない。
ゼレンスキー 私はカードで遊んでいるわけではない。(略)私は戦時下の大統領だ。

 トランプの「カード」の比喩が、こういう場合に適切かどうか問うてもはじまらない。比喩に対して、比喩で応答しても意味はない。泥沼にはまるだけだ。さらに悪いのは、「私は戦時下の大統領だ」と見栄を張ったところだ。
 そんなことは、トランプに限らず、誰もが知っている。
 戦時下の大統領であり、ロシアに比べると、軍事力が格段に落ちることは誰もが知っている。この「事実」をどう伝えるか。「私は戦時下の大統領だ」、だから「アメリカが私を支援するのは当然のことなのだ、アメリカには支援する義務があるのだ」とアメリカに責任を押しつけるような態度をとってはいけないのだ。「どうか助けてください(支援してください)。支援を継続していただくために、私は(ウクライナは)何をすればいいのでしょうか」と、「下手」にでないとだめなのだ。
 そんな屈辱的なことはしたくない、とゼレンスキーは思っているのかもしれないが、「あがとうございます、どうぞ、よろしくお願いします」というのは「ことば」にすぎない。そう思っていなくても、そう言って「実」を引き出すのが「外交」だろう。
 世界中が見守っているなかで、ぺこぺこするのはみっともなくても、その結果として、ウクライナに「平和」が戻るなら(ウクライナの国民が死なないですむなら)、それをやってみせるのが、「外交で勝つ」ということだろう。ゼレンスキーに、その「覚悟」のようなものがなかった、ということだ。

 直前まで「合意する」ことになっていた「鉱物協定」の署名もなくなった。
 鉱物協定が結ばれれば、アメリカは、今後ウクライナに、経済面で深く関与していくことになる。ウクライナにアメリカの企業が入り込むことになる。そうすると、必然として、アメリカはウクライナを「防衛」しなければなくなる。バイデンがウクライナに肩入れしたのも、彼の息子だか、親族だか知らないが、ウクライナに関与していたからだろう。トランプは、バイデンよりももっと深くウクライナに関与しようと提案したのだ。それは、つまるところ「安全保障」である。ロシアがウクライナに、さらに侵攻することがあれば、アメリカはアメリカの企業(の利益)を守るために、さらに積極的に関与すると間接的に言っているのだ。
 こういうことは、もちろん「ことば」にしない。「外交」だから、わざわざ「ロシアが侵攻してきたらアメリカが対抗する」という「文言」を残すはずがない。それでは第三次世界大戦がはじまってしまう。
 それなのに、ゼレンスキーは

戦争を止めたい。しかし、「(安全の)保証」とともにと言っている。

 と、「安全保証」を「言語化」することを求めている。つまり、「裏交渉」だけでは不安だというのだが、これじゃあねえ、トランプは怒る。「外交」の意味がない。「外交」とは、基本的に「裏交渉」である。
 こんなことは、歴史的な交渉の「裏の資料」が、ずーっとあとになってしか公開されないことを見るだけでもわかる。「現実」を変更できないところまで作り上げてから、「秘密(裏交渉)」を明らかにするのが「外交」である。「表交渉の文言」でそれぞれの国民に向けて説明する。いろいろな「声明方法」を検討して「外交文章」の「文言」はすりあわされる。そして、その「すりあわせ」の裏側には、膨大な「裏交渉」がある。

 ウクライナで起きていることには胸が痛むし、ウクライナからロシアが撤退する以外に、ほんとうの平和はやってこないということはわかっている。トランプの「強欲主義」には絶対に与することはできない。しかし、それは私が、当事者ではないからとることができる、ちょっとずるい発言である。
 ヨーロッパのウクライナ支援は、今後、形を変えていくと思う。ウクライナを支援する、しかし、ウクライナを支援することで、戦争が自分の国にまで及んできては困る、という姿勢が少しずつ露顕してくるのではないだろうか。
 トランプに譲歩することで、「そんなにまでトランプに譲歩する必要はない。ウクライナは、ロシアだけではなくアメリカからも侵略されようとしている」という認識を引き出すような「外交手腕」を発揮しなければ、だれもゼレンスキーを支援しなくなるだろう。

 「外交」は「ほんとう」を言うところではなく、「うそ」を平気で言って「実」をとることなのだと思う。それができないゼレンスキーは、やっぱり馬鹿だと思う。


 
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すぎえみこ「かみいちまい」ほか

2025-03-01 21:51:36 | 現代詩講座

すぎえみこ「かみいちまい」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年02月17日)

 受講生の作品ほか。

かみいちまい  すぎえみこ

かくか
かかぬか

かかずにいるか
かけずにいるか

かこうとするか
かくまいとするか

かいていこうとおもうのか
かいていきたいとねがうのか

かいたらなにがよろこぶのか
かいたらわたしのこころがよろこぶ

 すぎが書を書いていることを私たちは知っている。そのためだと思うが「かく」を「書く」ととらえた上での感想がつづいた。「哲学問答、こころの対話」「かくという動詞だけでいろいろな問いをひきだすところがおもしろい」「わたしのこころへまでことばを動かしていくのがすごい」「ひらがなで書かれているのも、おもしろい。タイトルのかみは紙だろうけれど、神かもしれない」「かくのかわりに、泣く、笑うというようなほかの動詞でも詩ができるかもしれない」。
 私は、少し意地悪な質問もしてみたい。最後の「わたしのこころ」の「わたし」は誰だろうか。普通に考えれば、書を書いている作者(すぎ)なのだろうけれど、ほかに「主語」は考えられないだろうか。たとえば、「筆」あるいは「墨」、さらには「文字」そのものかもしれない。その場合、感想はどうかわってくるだろうか。
 さらに「かく」には「描く」もあれば「掻く」もある。その場合は、感想はどうかわるだろうか。
 もうひとつ。この詩は最初が短く、連がかわるごとに行が長くなっている。視覚的に三角形に見える。その形をあえて変形し、4、5連目を入れ換えるとどうなるだろうか。そのとき、4連目をことばを少し変えて「かいていこうとおもう/かいていきたいとねがう」のように「のか」を削除すると、どんな印象になるだろうか。
 いろいろ試して、感想を聞いてみたい作品だ。

白川へ  青柳俊哉
 
ヒグラシの森の声部
空へうたうひとつの羽 心理的な外部者
 
遠い柿の木の
内と外へ枝を差し交すあたり
ひとりのヒグラシが氷のような羽を擦りあわす
白川へ
色づく葉と実が森へむかって泳ぐ
 
川に鈴をかけて
いのちをあまねく受容する森の和声
 
水が川底へひらく
すすきの葉が殻を結わえて 
羽化した蜻蛉の氷のような羽を反射する

 受講生の何人かが指摘したが「心理的な外部者」ということばが非常に魅力的である。これが何を意味するのか。「内と外へ」ということばの交錯、「声部」「和声」の関係、「ひらく」「結わえる」の変化。それがもう少し緊密に書きこまれれば印象が違ってくると思う。
 「白川」が、その「白」が「心理的な外部者」とし全体を統一しているのかもしれないが、分かりにくい。分からなくてもいいのだが、「白川」へ行けば「心理的な外部者」に会える、あるいはなれる、と感じたい。
 私には、「白川」の占めている「位置」のようなものが、よくわからなかった。
 直感として言うのだが、たぶん、「繰り返し」が少ないために「外部/内部」の共通する何かが見つけにくい。繰り返しがあると、その繰り返しから逆に離反することばに気づく。そして、そこから「外部/内部」の区別も生まれ、詩の印象が変わるのではないだろうか。「ヒグラシ」「声」「羽」「川」など、単語(名詞)の繰り返しはあるのだが、乱反射が強くて、全体を攪拌している感じが、私にはする。

言葉は いつも足らない  堤隆夫

かなしい思いは せせらぎを流れる
葉っぱのうえに乗せて
流してしまおう
言葉では足らない思いは 
空を流れる雲のうえに乗せて
流してしまおう

車窓から いつまでも手を振っていた 
あなたの思いは
もう 考えないでおこう
いつまでも見送っていた 
わたしの思いなんか
もう 忘れてしまおう

言葉は いつも足らない
言葉は いつも寂しい
言葉は いつも愛しい

ああ それでも あなたもわたしも 生きている
否 
生かされている

葉っぱのうえに乗って
雲のうえに乗って

あなたもわたしも 生きている
否 
生かされている

 「いつもの作品よりも透明感がある」という感想があった。なぜ、透明感を感じるのだろう。
 一連目は、思いがあふれている。言いたいことがありすぎて、まだ、それがまとまりきれない。まとまらないけれど、言ってしまいたい。そういう「思い(強い欲望)」がことばを動かしている。「言葉ではてらない」が「言葉は いつも足らない」を経て、「言葉は」の繰り返しがあり、そのあと「ああ それでも あなたもわたしも 生きている」と言ったあと、最終連では「ああ それでも」が省略されて4連目が繰り返される。
 この「省略」が透明感を高めていると思う。「ああ それでも」が不純物であるというのではないが、何か、感情(思い)を見切って、感情(思い)をそのまま受け入れている漢字がある。4連目で「ああ それでも」ということばを書いたときは、まだ書き足りない(ほんとうに言いたいのは、もっと違うこと)という思いがあったかもしれない。けれど、それはどんなにことばを書き足しても、たぶん足りないという気持ちを引き起こすだけだと思う。だから、書かない。「足りない」をそのまま受け入れている。
 そのとり「足りない」ではなく、逆に、何か「満ちている」感じがあふれてくるから、ことばというのは不思議なものだ。「余韻」さえ生まれてくる。最終連は4連目の繰り返しなのに、「余分」という感じを与えない。「余韻」とは「余分」ではなく、何か「不足」を含んでいるのかもしれない。作者の書こうとしたことが「不足」している。そして、その「不足」を読者が埋めにゆく、というのが「余韻」が引き起こす運動なのだろう。

 

 
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Estoy Loco por España(番外篇465)Obra, Jesus Coyto Pablo

2025-02-28 23:11:01 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo


 Hay “tiempo” en la obra de Jesus. Eso es un poco diferente a decir que hay un "pasado" o “recuerdos”.
En esta obra la lluvia llama a varias esquinas de la calle y a varios hombres y a varias mujeres. Los seres representados en la obra deambulan, cada uno con sus propios “recuerdos”.
 Pero eso no es todo.
 Me siento como si los presentadores ya conocieron el “futuro”, es decir, el “presente” en el que se está pintando esta obra. Creo que ellos supieron que un día Jesus los pintaría.
 Siento que esta obra no sólo representa el “tiempo pasado” visto desde el presente, sino también el movimiento del “tiempo” mismo que conecta el “presente” y el “pasado”, e incluso el “futuro”. En otras palabras, siento que puedo ver en esta pintura la "lluvia futura" que puedo ver en el futuro. Estoy seguro de que me los encontraré si camino por las calles de España. Y siento que son personas que ya he conocido antes.

 Jesusの絵には「時間」がある。それは「過去」がある、というのとは少し違う。「記憶」がある、というのとも違う。
 この絵では、雨が、いくつもの街角を呼び寄せている。幾人もの男、幾人もの女を呼び寄せている。
 しかし、それだけではない。
 絵に描かれた存在が、それぞれに「記憶」を持ってさまよっている。
 しかし、それだけではない。
 何か、それぞれの存在が「未来」を、つまり、この絵が描かれる「現在」をすでに知っている感じがする。彼らは、いつかJesusが彼らを描くことを知っていると思う。
 いまから見た「過去という時間」だけではなく、「現在」と「過去」を、さらには「未来」を結ぶ「時間」そのものの運動が描き込まれていると感じる。つまり、私はこの絵の中に、私がこれから見るかもしれない「未来の雨」を見ているとも感じるのである。スペインの街を歩けば、私は彼らに会えるに違いないと感じる。そして、その彼らは、私があったことがある彼らだとも感じる。

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アメリカ強欲主義(ロシア・ウクライナ戦争3年に思う)

2025-02-24 21:30:31 | 考える日記

 ロシアがウクライナに侵攻してから3年になる。トランプがアメリカ大統領になってから、いろいろな動きがあるが、基本的には何も変わっていない。すべてがアメリカ強欲主義に振り回されている。アメリカの強欲主義がすべてを支配している。
 私は、貧乏な農家の生まれなので、経済のことはぜんぜんわからない。自分が生きていくための金のことしかわからないのだが、それでもこのロシア・ウクライナの戦争を支配しているのはアメリカの強欲主義ということだけは理解できる。
 ロシア・ウクライナ戦争で、いちばん利益を上げる(上げた)のはだれか。アメリカである。
 ロシア・ウクライナ戦争がはじまったことで(ロシアがウクライナに侵攻したことで)、世界のほとんどの国がロシアを批判した。そしてロシアとの経済交流をやめた。ドイツはロシアから天然ガスを購入するのをやめた。日本もやめた。ロシアは、ヨーロッパや日本から金を稼げなくなった。ドイツ、日本がロシアからの輸入をやめた分、どこから代替品を輸入したのか。私は知らないが、そこにはアメリカからのものも含まれていると思う。ヨーロッパ、日本向けの「販路」をアメリカは拡大したと思う。
 そのほかにアメリカの「武器」が大量に売れたはずである。どこの国が買ったか。ウクライナが直接買わなくても、ヨーロッパ諸国が買っただろう。戦争の危機をあおることで、日本にも大量の武器が売れたはずである。
 そういうことを見越して、ロシア・ウクライナの戦争は、アメリカが仕組んだものだと私は考えている。その「仕掛け」に乗ってしまったのが、ウクライナである。
 では、このまま戦争がつづいていけば、もっとアメリカは儲かるのではないか。
 そうではないらしい。
 トランプが、突然レアアースの話をし始めて、それがはっきりした。「武器支援」ではなく「レアアースを購入することによる支援」という奇妙な言い方が、そのことを明確に語っている。
 この戦争がつづきすぎると(?)、アメリカは損をする。ウクライナには、半導体などには欠かせないといわれる貴重なレアアースがある。戦争がつづいていれば、それを手に入れることができない。アメリカは、もともと、ウクライナにあるレアアースを「いい条件」で手に入れるために、ゼレンスキーをそそのかして、ロシアが侵攻してくるように仕向けたのだろう。はやくレアアースを確保する方法を確立しないと、どこかにそれを奪われてしまう。
 だからこそ、トランプは「終戦工作」をはじめたのである。
 「状況」を支配しているのは、アメリカの強欲主義なのである。レアアースは、「ハイテク産業」の基調素材である。トランプの周辺に、AI関係の人間が登用されているのも、そのこといくらか関係があるだろう。彼らの政治的能力「優秀」というよりも、レアアースと関係があるのだ。レアアースの重要性を知っているからだ。それはまた、トランプの新しい側近がレアアースの独占を求めているということでもある。その要望にこたえてトランプは、レアアースを手に入れようとしている。「販路」を握ろうとしている。支配しようとしている。「終戦」はトランプのアイデアというよりも、「側近」のアイデアかもしれない。
 アメリカが儲かるなら、ほかの国なんかは、どうなってもいいのである。
 それは、アメリカ(人)が、アメリカの東部海岸に上陸したあと、アメリカ大陸を横断し、太平洋も横断し、日本、韓国、フィリピンまでを支配している状況を見るだけでわかる。
 トランプが「メキシコ湾ではなく、アメリカ湾と呼ぶ」と言ったメキシコ湾について言えば、フロリダもテキサスも、以前はメキシコだった。戦争で奪い取ってアメリカにした。(メキシコの前は、先住民のものだった。)アメリカの強欲主義は、アメリカがそれらの土地を「奪った」という歴史さえないものにしてしまうのだ。地球全部をアメリカ強欲主義の支配下におさめるというのが、彼らの最終的な「夢」だ。アメリカ人以外から、すべての利益を奪い取るのが彼らの「夢」だ。
 脱線したが。
 脱線ついでに思っていることを書いておこう。
 日本、韓国、フィリピンは、中国、ソ連(当時)の共産党を拡大させないための「防衛ライン」である。マッカーサーが確立した反共ラインである。
 で、このとき、日本は、フィリピンと比べると「幸運」だった。フィリピンにはアメリカ人(ヨーロッパ人)が食べるバナナがある。だからフィリピンは「バナナ生産国」(バナナ供給国)としてアメリカに支配された。バナナをとおしてアメリカの企業は大儲けをした。(ソ連がキューバを砂糖生産国にしたのに似ている。)日本の「特産」は米だが、米はアメリカやヨーロッパではそんなに食べない。だから「米供給国」にしたくても、ちょっと無理がある。沖縄の面積がもっとひろく、あるいは日本中がサトウキビの栽培に適していたら日本は「砂糖供給国」になっていたかもしれない。そういう「押しつけ農業政策」がなかったから、日本は「工業国家」の道を歩むことができたのだと思う。いまは、自立した日本の工業をおさえつけるために、鉄鋼や車に対して、圧力をかけている。
 話を戻すと。
 なぜ、レアアースの確保(販路支配)にトランプが躍起になるかといえば、レアアースは中国にもあって、これには手が出せない。中国は自国のレアアースを利用することで、産業をより活性化できる。このままでは、アメリカは中国に追い越されてしまう。そうした状況が、トランプの行動を後押ししているのである。
 レアアースという「資源の争奪」が、アメリカ主導ではじまったのである。それはアメリカ強欲主義の、新しい「戦略」なのである。

 
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細田傳造「泣く(一)」

2025-02-22 23:03:11 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「泣く(一)」(「雨期」84、2025年02月20日発行)

 細田傳造「泣く(一)」の一行目。

この如月を泣くまご娘よきみを泣く

 助詞「を」の使い方が変である。「この如月を泣く」とはふつうは言わない。「きみを泣く」とも、もちろんふつうは言わない。私はときどき外国人に日本語を教えているので、こういう「を」の使い方をしたら、「間違っている」と指摘し、それを日本語らしく修正するように指導する。
 でも、現実には、そういう「正しい文法」だけではつたえられない何かがある。そして、それにぶつかったとき、ひとは文法を無視して、「間違える」。実感を大切にする、というよりも、実感が文法を追い越していく。
 この詩は、

ひたぶるにきみを泣く
二月のあいだずぅーときみを泣いた
ランドセルしょってぴりぴりに凍った道に出てゆく
小学二年のきみを泣いた
日が暮れて鬼子母神
石段の下で母をまつきみを泣いた

 とつづいたあとで、

夜になって五蜀の灯りも点けないで真っ暗闇を眠るきみを泣いた

 あ、これは、いまの「まご娘」ではない、と気づかされる。だって「五蜀」なんて、いまは言わない。「ワット」さえ、LEDが主流になって、もう言わないかもしれない。(私は、まだ蛍光灯をつかっているので「ワット」をつかうが。)だから「まご娘」が幼い細田に見えてくる。ふたりが重なる。
 この変化のあと、

しおかれて西の鳥居ほろほろぬけて
居酒屋みどりのカウンターにとまり
みみずくの鳥になってきみを泣いた

 ああ、こうなると、もう「まご娘」は完全に消えてしまう。
 文法的には「(私=細田は)みみずくの鳥になって(みみずくのように、夜行性の生き物になって)きみを泣いた」なのだが、まるで、「まご娘」が「みみずくの鳥になって(夜に働く女になって)泣いている」と「誤読」してしまう。
 最初の「この如月を泣くまご娘よきみを泣く」も「私はこの如月を泣くまご娘よきみそのものになって泣く」なのだろう。「きみを泣く」の「を」は、きみと私を切り離せないものとして、つまり一体となって、泣くということなのだろう。「この如月を泣く」も「如月と一体になって(如月のなかにどっぷりとつかって)泣く」と言い換えることができるだろう。
 日本語を学ぶ外国人相手なら、私は、そんなふうに「修正」するように指導するだろう。
 まあ、そんなことは、どうでもよくて。
 私が、いま、便宜上「一体になる」というようなことを書いたのだが(その前には「重なる」ということばもつかったのだが)、これを細田は、別のことばで書いている。
 その「書き換え」がすごい。

わかるなあ
つごもりの鳥目(ちょうもく)をしまいながら女将さんが言った
わかるなあ
関東煮(かんとだき)の湯気のむこうで女将さんが
もいちど言った

 「わかる」である。「一体になる」とは、「わかる」ことである。
 で「わかる」が「一体になる」ということだから、「わかる」と女将が言うとき、彼女は細田の「まご娘」であり、細田でもある。そして、この「一体になる/わかる」のなかにあるのは、「いま」だけではない。「五蜀の灯り」が暗示するように、「歴史」がある。生きてきた「時間」がある。「生きてきた時間ごと」一体になる。それは生きてきた時間が「わかる」ということだ。
 「雨期」には、もう一篇「泣く(二)」が載っている。それは「生きてきた時間」を違う角度から描いた作品である。これも傑作である。
 
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ブラディ・コーベット監督「ブルータリスト」(★★★★★)

2025-02-21 21:56:56 | 映画

ブラディ・コーベット監督「ブルータリスト」(★★★★★)(2025年02月21日、キノシネマ天神、スクリーン3)

監督 ブラディ・コーベット 出演 エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアース

 映画のポスターを見た瞬間に、「あ、見たい」と思った。こういうことは、久しぶり。ポスターのどこがよかったか。スタイリッシュ。そのひとことにつきる。
 昔、レイアウトの仕事をしていたとき、いちばん参考になったのが「建築雑誌」。なんともかっこいい。ゆらぎがない。さすがに「建築」である。強固でなければいけない。建築の「強固さ」が、そのままレイアウトの奥底に根付いている。
 で、この映画。
 最初のクレジットもかっこいいねえ。クレジットは、ふつう、縦に流れる。でも、この映画では、横によぎっていく。そうすると、なんというか「ゆらぎ」がない。目は文字を追いかけるのだけれど、ゆったりと眺めていることができる。不思議な安心感がある。足が地についている感じ。
 しかし、安定だけでは、つまらないね。だから、画面は突然「不安定」な映像も見せる。はじめてみる「自由の女神」。立っていない。空からのぞいている。斜めだ。
 これだね。
 とても安定している、絶対に揺らがないはずなのに、揺らぐ。その「揺れ」をいちばん大きく揺らして見せるのが、セックスシーン。
 妻が、骨粗鬆症の影響で、ベッドの中で突然苦しみだす。痛くてたまらない。その苦痛を救うために、エイドリアン・ブロディがドラッグを注射する。妻の痛みが消え、そこからセックスがはじまるのだが、このシーンで、私は思わず声を上げた。なんだ、このセックスシーンは。いろいろなセックスシーンを見たが、こういうのは初めてである。(この映画にはセックスシーンが、そのほかにも何回かあるが、セックスシーンの中では最後の、この妻とのシーンが、ほんとうにびっくりする。)
 えっ、なぜなんだ、どうしてなんだ。
 色がついていたかどうかわからないが、思い出せない。「絶対的なモノクロ」。光と影しか存在しない。そのどちらも透明で、複雑に交錯するのだが、複雑さを忘れる。肉体も、その光と影になってしまう。その光か影か、わからないものに「昇華」してしまう。でも、ただ美しいかというと、そうではないのである。かなしくて、そのかなしさのために、なんだか、胸がドキドキしてしまう。
 もしかしたら、と思っていたら、やっぱりそうだった。
 もう、それ以上は書かない。
 「謎解き」は、その直後にわかるのだけれど、これはほんとうに、びっくりしたなあ。

 セックスシーンのことばかり書きつづけてもしようがないので、ほかのことも書いておく。
 「建築」がらみでいえば、書斎を改装するときの、エイドリアン・ブロディが床を掃除するシーンが、とてもいい。あ、ここからはじまるのか、と目を見開かされた。そのあとの、書棚の扉を一斉に開いて見せるシーンも、とても美しい。光と影が、ほんとうに鮮やかに動く。
 セックスシーンでも書いたが、この映画は、光と影を動かして見せる。
 「建築」は外面と同時に内面だが、この映画では、建物の内部で光と影を動かして見せる。内部にこそ、光と影がある、ということを明確に描いて見せる。
 特徴的なのが、新しいビルの模型をつかって主人公が内部を説明するシーン。懐中電灯をつかって太陽光線の動きを再現する。天井の窓に懐中電灯がくる。そのとき、内部で何が起きている。これは、このときは見せない。ただ、それを見つめるガイ・ピアースを映し出している。身動きできずにいる。
 いいねえ、このシーン。ガイ・ピアースは、「見た」のである。
 その「見たもの」を手に入れるために、エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアースはイタリアへゆく。大理石が必要なのだ。打ちっぱなしのコンクリートの建築のなかに、おかれる一個の大理石。それはイタリアの彫刻の大理石というよりも、ギリシャ彫刻向けの大理石かもしれない。人間の肌のような大理石だ。
 そして、ここでは大理石の切り出し場の山と、その内部(というか、切り出す過程でできた地下)が、もうひとつの光と影を生み出している。そこには、光は入ってこない。人間のつくりだした光が影を生み出している。
 そういうところから運んできた大理石、その大理石に光と影が交錯すると、どうなるか。
 まあ、これは、映画を見てください。美しい。そうなるのはわかっているけれど(書斎を改装したときから見当がつくけれど)、やっぱり息を飲む。私にはつくりだせない絶対的な美が、そこにあらわれる。予想していたことが、予想通りに起きると、たいていの場合は少しがっかりするものだが、この映画では違う。このシーンでは、なぜか、ほっと安心する。
 そのほか、車(バス、列車)が走るシーンも、非常にいい。両側にひろがる風景と、どこまでもどこまでもつづいていきそうな道(線路)が「不吉」である。大地は揺れないのに、何かとんでもないことが起きる、と不安になる。不安にさせる映像である。
 不安に耐える覚悟があるか、どうか。
 覚悟があるなら、見てください。不安(恐怖とは違う)は嫌い、というひとは、耐えられないかもしれない。音楽も。
 不安を克服して、強固が存在する、ということを学ぶ映画かもしれない。
 
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「聖なるイチジクの種」(その2)

2025-02-19 22:31:09 | 映画

「聖なるイチジクの種」(その2)

 「聖なるイチジクの種」について書いたとき、出演の最初に「スマートフォン」と書いた。その理由を書いておきたい。

 この映画は、一種の「推理ドラマ」である。つまり、消えたピストルを盗んだのはだれか、という「謎解き」がひとつのストーリーになっている。私は、どういうわけか、こういう「謎解き」の仕掛けが、すぐに目についてしまう。でも、この映画では、目についたからといって、それが目障りではない。
 最初に目を引くスマートフォンは、父親と母親がテレビを見ているのに対して、ふたりのこどもがスマートフォンを見ている、そのスマートフォン。姉の方はニュースを見ているかどうかわからない。しかし、妹は、若者が撮った警官と若者の対立の動画を見ている。そして、姉に「動画を見ろ」とメールで知らせる。
 これが、とてもいい。
 妹はヘッドフォンで動画を見ている。当然、音は聞こえないから、両親は、娘たちが何を見ているかわからない。ニュースには関心がなくて、音楽でも聞いていると思っているかもしれない。姉は、ヘッドフォンをつかっていないので、妹がメールを送ったとき、着信音が鳴る。しかし、両親は気にしない。メールの着信音は日常の音だからである。そばにいるのにメールで連絡してくる妹に、姉は不審な目を向ける。妹は、音が聞こえないように、動画を見ろ、と勧める。
 これは、この映画の全体を「暗示」している。つまり、この段階で、だれが銃を盗んだか(盗むことになるか)、わかる。妹が、家族の中で、いちばん「秘密」を生きることができる人間なのである。
 このシーンだけで、私は、この映画に魅了された。とりこになった。
 とても巧みな脚本だし、その巧みさを押しつけていない。最近は監督と脚本の両方をこなすひとが増えているが、この監督は「脚本」を押しつけず、ちゃんと役者に演技で昇華させ、画面全体を映画にしている。
 電波の届かない荒野での「どたばた」みたいなおもしろさは前回書いたから省略するが、「謎解き」に関係するスマートフォンがらみのシーンが、もうひとつある。
 父親が家族全員のスマートフォンを取り上げる。だれかから家族に電話がかかってきたら、父親が電話に出るつもりである。電話の相手がピストルの盗難に関係しているかもしれないからだ。そのために、家族に「暗証番号」を聞く。
 姉は「2003」だったかなんだか、数字を言う。きっと生まれた年だな。声に出して言うので、家族の全員に知られてしまう。妹は、母と姉には知られたくない。秘密を守りたい。だから、父親だけに、紙に書いて知らせる。声には出さない。母は「知ってるでしょう」と言う。ここでも、妹の、スマートフォンへの向き合い方が際立っている。なんというか、「熟達」している。「慎重」である。「嘘」というか「秘密」を生きることを、本能的に知っている。母や姉を味方にしないといけないのだが、その母や姉に対しても、まだ「秘密」を残すのである。こういうことは、少年(男)にはできない。前回、家族に父親以外に男がいれば、映画が違ってくると書いたのは、そういう意味である。
 で、こうした「伏線」どおりに妹が銃を盗んで隠したのだが。
 あとひとつ。家族の情報、父親が何をしているか、どこに住んでいるかというような情報がインターネット上に拡散される。それを知らせるのが、やはり妹である。これも、とても大切なポイント。妹は、偶然それを見つけたのではない。当然、だれかに教え、そのだれかをとおしてアップさせたのだ。そして、だれかがそのことに気づく前に、その少女が家族に知らせる。いつもインターネットを見ているから、「第一発見者」が少女であっても、少女は疑われない。そういうことまで熟知して、行動している。
 彼女のしたことは、ある意味では、家族(特に父親)への裏切りであるけれど、この映画の制作者は、そういう「裏切り」を若い人に期待している。肉親であっても、裏切る必要があるときは、裏切る。
 と、ここまで書いて、少し脱線するのだが。
 この「生き方」は、日本人にはむずかしいかもしれない。どうしても「肉親への愛」というものが顔を出してしまうだろう。
 でも、さすがは「コーラン」の国である。コーランの信者は、神と直接関係を結ぶ。神と自分の間には、だれも介在しない。こうした吹っ切り方ができるのは、どこかにコーランの影響があるのだと思う。
 で、もとにもどって。スマートフォンとインターネット。
 日本では、インターネットの「情報」は、変な具合に悪用されているが、権力と戦う手段として、うまくつかえば、ほんとうにうまくつかえるのだ。有効なのだ。そして、それを有効にするかどうかは、使い手の「意識」にかかっている。
 そんなことを教えてくれる映画でもあった。
 スマートフォンで撮影されたテヘランの、警官と若者の対立の様子、警官の暴行シーンに「真実」を見るだけでなく、監督が末っ子の少女に託した「生き方」(しぶとさ、秘密の生き方)にこそ、目を見張るべきだろうと思った。

 
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ティム・フェールバウム監督「セプテンバー5」(★★★)

2025-02-18 22:45:46 | 映画

ティム・フェールバウム監督「セプテンバー5」(★★★) (2025年02月18日、ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン3)

監督 ティム・フェールバウム 出演 ピーター・サースガード、ジョン・マガロ

 誰もが「結末」を知っている。そういう「現実」をどう描くか。
 この映画と、「ユナイテッド93」は、どこが違うか。
 「ユナイテッド93」は飛行機が墜落し、上客全員が死ぬのはわかっている。しかし、私は「がんばれ、がんばれ」と、最後は声を出しそうになった。もしかしたら飛行機の墜落は避けられるではないか、と期待してしまった。映画なんだから、「結末」が現実と違ったっていいじゃないか、と思ってしまった。
 ところが、この映画では、そんなことは起きない。
 なぜなんだろうなあ。
 「報道」に対する葛藤があまりにも淡々としているからかもしれない。登場人物の動きもスムーズすぎる感じがする。唯一おもしろかったのは、クルーの何人かが、同じ部屋でボクシングの試合を見ている。アメリカの選手のパンチがヒットしたのか。彼らが声を上げる。瞬間「君たち!」とボスが叱る。そこだけだなあ。
 あとは、内部対立がない。
 スポーツ担当と報道(ニュース担当)の対立も一瞬だけだ。あんな簡単に報道部門が引っ込むとは思えないなあ。
 いちばんのメーンの「裏取り」も、ひとりが疑問を投げかけるだけ。正式の社員ではない(と思う)ドイツ人女性(通訳)の「証言(伝聞)」だけで、それを「事実」と思い込むのは、ちょっと無理がないか。ここに描かれているのは、ほんとうに「事実」なのか、と思ってしまう。
 「誤報」をほかのテレビがすぐにそのまま「追いかけた」というのも、描き方が甘いなあ。ほかのテレビも「裏を取る」作業をするはず。それが全然描かれず、ただ他の局も一斉に「人質が解放された」と報道する(した)というのはなあ。せめて、他の報道機関の動きを組み合わせて描いてほしかった。
 「事実」を「事実」と認定する(判断する)には、もっと慎重でなければならないはずだ。50年前は、違ったのだろうか。
 それに。
 まあ、この映画はテレビマンがどう動いたかがテーマだからそれに絞ったのはそれでいいのかもしれないがし、私は、市民の反応があればよかったと思う。あの中継を、市民はどう見たのか。それが一度も描かれない。
 いまは特に、報道をどう受け止めるかが、とても重要な問題となっているのだから、そういう「現代的視点」が必要だと思う。「過去」をそのまま描くのではなく。

 
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青柳俊哉「日付のない朝」ほか

2025-02-15 21:44:51 | 現代詩講座

青柳俊哉「日付のない朝」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年02月03日)

 受講生の作品ほか。

日付のない朝  青柳俊哉 
 
きょうも目が覚める
菜の花の蜜を蝶が吸う
川がせせらぐ
 
きょうはきのうの続きではない
わたしは詩を書いて 
わたしがうまれていない日付をしるす
詩を野にはなつ
 
花野の野の花
の真珠のような分散和音
 
うまれるまえからしんだあとまでみつめる
川の音楽
花野をながれていく

 谷川俊太郎の詩を取り込みながら(青柳の書いていることばを借用すれば、谷川のことばを「はなつ」ように)書かれた作品。「花野」だけではなく「わたしがうまれていない日付」や「うまれるまえからしんだあとまで」にも、谷川のことばと通い合うものがある。
 この作品では、先に触れたが「詩を野にはなつ」が効果的。「はなつ」のなかに「はな」が隠れており、それが直前の「の」と結び合う。その隠れ方/結びつき方は「分散和音」のように、ということになる。
 「分散和音」が「音楽」になり、「川」のように「ながれていく」ということばの散らし方が「分散和音」的と言えるだろうか。
 青柳の詩は「絵画的イメージ」(重なり合う絵画)が強いのだが、今回は「音楽的」な印象が強い。


 
企業戦士の逃避行  堤隆夫

もうこのあたりでフィナーレでいいんじゃないかと
思い続けて二十年
いつか晴耕雨読の日々を夢見続けて
わたしの顔は もはや躁鬱病のデスマスク
わたしの足は すでに象皮病のエンタシス
わたしの手は ついに白蝋病の白鍵

自己嫌悪の「陰翳礼讃」の快晴日
眼窩のシャドウは 紋白蝶をなぞり
既視感覚の囚われ人は 終身刑

わたしは ウィーンの大観覧車の窓から
二十一世紀の カタストロフィーを予感する
わたしは アマゾネスの乳房に顔を埋め
歓びを演出する
登校拒否の少年と ゲームセンターの小宇宙を漂流し
舞台上と舞台裏の落差に「生存苦の寂寞」を感じ
わたしは 今日も通勤ジャムの渦の中
「銀河鉄道の夜」を夢想する

わたしは理解した
後戻りできない日々の 錆びた悔恨を
取り戻すことのできない日々の 焦燥の緑青を
わたしは歯嚙みし 地団駄を踏む

 堤の詩は「音楽的」な要素が多い。終わりから二行目の「焦燥の緑青」は絵画的(色彩的)美しさを「音楽的美しさ」が超越する。「しょうそうのろくしょう」。この美しさは「白蝋病の白鍵」(はくろうびょうのはっきん)と比較してみれば、よりわかりやすいだろう。「白蝋病の白鍵」にも音楽的工夫はあるのだが、それよりも色の方が押さえつけている。「焦燥の緑青」の方が、音にずれがあって、そのずれが技巧を超えた調和になっている。「和音」によって世界が「ふくらむ」感じがする。
 音楽的工夫でいえば、もうひとつ、一連目にもおもしろい工夫がある。音よりも「リズム」の工夫といえばいいかもしれない。「私の**は もはや/すでに/ついに」のたたみかけがとてもいい。私は欲張りなので、こういう工夫を見ると、ただこの工夫だけで作品を成り立たせてほしいといいたくなる。
 「私の**はもはや/すでに/ついに」だてではなく、「やがて/かつて/やっと」など重ねるとおもしろくなる。時間をあらわす変化だけではなく「きっと」のように、えっ、これ違うじゃないかという要素を紛れ込ませるのもきっと変化があっておもしろい。そのとき、前半と後半、あるいは前後の行の連絡(イメージの関連性)というのは、まあ、あるならあるにこしたことがないけれど、関連させようとしないでも自然に関連してくるものである。作者が関連づけられなくても、読者がかってに関連づける。
 こういうとき大事なのは、堤のように論理的な詩人には納得しにくいことかもしれないが、「結論」を捨てることである。リズムさえ守っていれば、旋律は即興で楽しむ。そのためにリズムを守り通すのだから。クラシックは旋律は変えないがテンポは変える、ポップスはリズムは変えないが旋律は変える、という感じかなあ。
 ちょっと試してもらいたい。昔(1970年代なら)寺山修司、その弟子(?)の秋亜綺亜が得意としたことばの展開なのだが。


ゲーテの椅子  山本和夫

文豪の書斎の
文豪の椅子に坐る。
--私は心の中で自問自答する。

私は日本の詩人です。
無告の民をもって独り任じています。
私は幼稚園の子どもたちのように今日も精いっぱい生きています。
--私は髪をかきむしり、自問自答をつづける。

私は神に誓っていい。
私は影を売ったことがありません。
ただ、それだけで、
ただ、それだけで、
やはり、あなたの椅子に坐る権利を持っています。
--マイン川に沿うた古い都・フランクフルトは、爽やかな初秋だった。

日本の、無告の、無名の詩人が、
いま
ゲーテの椅子にどっかり座って
にっこり。
 --フランクフルトのゲーテの家で--

         《無告の民》自分の苦しみを告げる所のない民族。孤独な人。

 ゲーテの椅子に、ほんとうに座ることができるのかどうか私は知らないが、想像の中で座ったとしてもそれを座ったと言ってかまわないだろう。
 「ファウスト」が間接的に引用されているが、そのあとの「ただ、それだけで、/ただ、それだけで、」の繰り返しがおもしろい。一回「ただ、それだけで、」と言っただけでは十分ではない。一度目と二度目の「ただ、それだけで、」の間には、飛躍がある。何かを超えるために、繰り返しが必要だったのである。
 リズムは、ことばに、説明できない何か「意味」を超える何かを与える。
 「無告の民」「無告の、無名の」が繰り返しにも作者はそういう「意味」を込めているのかもしれないが、「無告の民」ということばに注釈がついているので、なんだか「リズム」が壊された気がする。作者が感じていることを自分で考えてみようという気持ちを、私はそがれてしまった。
 「注釈」は、なかなかむずかしい。
 
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モハマド・ラスロフ監督「聖なるイチジクの種」(★★★★★)

2025-02-14 22:35:56 | 映画

モハマド・ラスロフ監督「聖なるイチジクの種」(★★★★★) (2025年02月14日、キノシネマ天神、スクリーン3)

監督・脚本 モハマド・ラスロフ 出演 スマートフォン、ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ

 一か所、思わず笑い出してしまうほど感心した。
 主人公たちが(主人公の夫が)「権力の犬」として狙われ、テヘランから脱出する。その過程で反権力に見つかり、カーチェイスがあり、争いになる。反権力のふたりがスマートフォンで動画を撮り、「SNSで拡散する」と脅す。しかし、そこは荒野のまんなかで電波が届かない。主人公の娘が「ここは電波が届かない。動画を発信できない」と叫ぶ。それが引き金になって反権力の二人が主人公の銃の前に屈してしまう。
 笑ってはいけないのだが、なんとも「象徴的」である。
 この映画は、ヒジャーブの身につけ方が不十分という理由で逮捕された女性の不審死が引き金となり、暴動が起きた事件をテーマにしているのだが、そのときのスマートフォンで撮られた動画が映画にも挿入されている。とても重要な働きをしている。
 それ以外も、家族の連絡(家族内の秘密の会話を含む)、友人との連絡、そしてはっきりとは描かれていないが、家族のひとりと反権力側のだれかとの連絡にもつかわれている。
 映画そのもののストーリーは、主人公が護身用に持っていた銃が紛失することを引き金に、社会問題と家族問題(世代間問題)が交錯する形で展開するのだが、その銃よりも、スマートフォンの方がパワーを持っている。ただし、パワーを持っているというけれど、それが有効につかわれたときパワーを発揮するのであって、必ずしも「万能」ではない。それは私が最初に書いた部分が、とても象徴的にあらわしている。私が笑い出したのは、その皮肉があまりにも強烈だったからである。
 こんなことを書くのは、私の考えていること、大切に思っていることを放棄してしまうことになるのだが。
 そうだなあ。
 やっぱり「革命」というのは、民主主義では「限界」があるのだ。どうしたって「力」で権力を倒さない限り成功しない。権力は、どんな権力であれ、自由を弾圧する。自由を弾圧しない権力が存在しないのは、トランプを見ればわかる。この映画も、最終的に「勝利」するのはスマートフォンではなく、みんなが憎んでいた「銃」なのである。銃がなければ、問題は解決できなかった。(チェ・ゲバラは、つまり、正しい、というしかない。)
 これはつらい「結論」だが、救いは「革命」の引き金を引くのは一番若い人間であるということだ。すべては、これから生きていく若い人の知性と決断にかかっている。

 それにしても。
 私たちが毎日つかっているスマートフォンはなんなのだろうか。自分を守るための「武器(命綱)」なのか。相手を攻撃するための「武器」なのか。
 たとえば。
 この映画でつかわれているスマートフォンが撮影したと思われる映像。それは全部ほんものだと思うけれど、何か、捜査されることがあった場合、捜査機関が撮影者を攻撃するために利用することもある。必ずしも捜査機関を追及する(追及することで自分の安全を守る)ときにだけ有効とは限らない。何よりも、捜査機関が、捜査の過程で「スマートフォンの映像そのものを加工し、動画は捏造だと主張するのにつかわれるかもしれない。そうなってくると、「泥仕合」。デジタル加工について何も知らない私なんかには「真偽」がわからない。
 「情報」をどう見極めるか。これは、この映画のもうひとつのテーマでもある。
 主人公は「情報分析」の専門家なのに、家族の中で起きてことの「情報」を的確に分析し、真実を見つけ出せず、いわば「自滅」していく。
 その過程で、いまはもうどこかに消えてしまったカセットテープや、スピーカー、さらにはひとが住んでいない「廃墟」が存在感をしめすところが、まあ、おもしろくもある。「娯楽映画」ではないのだけれど。

 さらに、もうひとつ。
 この映画は、おとこ対おんな、の戦い(父対母の戦い、夫対妻の戦い)をも含んでいるのだが、一家の「構成」をおとこひとり(父・夫)、おんな三人(母・妻、むすめ二人)にしているのも、とても興味深い。同じ四人家族でも、子供がおとことおんなだったとしたら、この映画の展開は違ってきただろう。
 監督は、若い世代を激励すると同時に、おんなたちの「革命」を応援しているのだと思う。
 
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堤隆夫『伝説の少女Rへ』

2025-02-10 23:57:09 | 詩集

 

堤隆夫『伝説の少女Rへ』(海鳥社、2003年12月25日発行)

 堤隆夫『伝説の少女Rへ』の「私以前の私」に、こういう行がある。

私は母を殺した
ああ 母という名の具象なる存在よ
私は 今夜も 刮目して待つ
庭のサンルームの屋根をたたく
夜半の 団栗の落下音
その音は まぎれもなく 母の鼓動
母が好きだった樫の木
母は今夜も私に啓示す
「私は今も生きているのよ」

 詩集の中で、私が好きな部分である。特に「母が好きだった樫の木」がすばらしい。樫の木、団栗の落下をとおして堤と母が対話している。母が好きだったものが何か知っているくらい、堤は母を知っている。つまり、母が大好きだった。それなのに、堤は、母を殺した。けれども、母は殺されはしなかった。「私は今も生きているのよ」。それを、堤は知っている。「直角」している。
 母は、どこにいるのか。どこで生きているのか。堤の肉体のなかに生きている。
 どういう肉体か。
 「ハイパーアルコールシティ」のなかに、堤と母との、忘れることのできない対話が記されている。単なることばではない。きちんと「肉体」をとおして、声にして、語ったことばである。堤の「肉体」は、それを忘れることはない。

きれぎれの 顎呼吸の合間から
「ワタシ モウ シヌカモシレナイ ジョウダンデ
キイタラ イケマセンヨ」
「ナニ ヘンナコトイッテルノ オカアサン
モウスコシ ガンバッタラ ヨクナルカラ」

 「母を殺した」とは、母のことばに対して嘘を言ってしまった。母のことばをしっかりと受け止め安心させることができなかったという後悔が言わせることばである。
 詩は、こうつづいていく。

わたしは この時ほど 人生を恐ろしく切なく
おもったことは ついぞなかった
初めて聞く 母の絶望と諦観の言葉
わたしの嘘は 地獄だった……
でも わたしには分かる
父は早世して わたしを 父の呪縛から解き放ち
自由の刑をあたえた
母はその代わり 子の不憫を 母の勇気ではねとばし
わたしに 感愛の刑をあたえた

「アイスルココロト カナシミノココロ
ワタシニ オシミナク アタエテクレテ
オカアサン アリガトウ
ホントウニ アリガトウ」

 堤の詩には「カナシミ」「カナシミノココロ」ということばがよく登場するが、それは、こういうこととなのである。愛しているからこそ、嘘をつかなければならないときがある。愛しているからこそ、ほんとうのことを言わなければならないときがある。そのとき、ひとは、それが嘘であるとわかる。そして、ほんとうであることもわかる。「正直」を直覚するのは、こういうときだろう。
 堤は、それを「刑」と定義している。人間は「刑」を背負っていきる存在である。だれも「刑」を背負っていきたくはないかもしれないが、「刑」を背負っているからこそ、「正直」に目覚めるのだろう。
 「矛盾」のなかでしか、つかみきれないものがある。

 私がつかった「肉体」という表現は、たぶん、わかりにくいことばだと思う。しかし、どうしても「肉体」と書いておきたいのである。
 堤自身も、「ことば」ではなく、というか、ことばと呼ぶには違うものを、母との対話のなかで感じていると思う。だから、そこにはふつうの表記のような、ひらがな、漢字がなく、すべてがカタカナで書かれている。
 堤は、そこでは、多くのひとが「共有」していることばではなく、堤の「肉体になったことば=肉体から切り離せないことば」を書いている。そのことばは、堤の「肉体」になってしまっているのである。
 「カナシミ」を「悲しみ/哀しみ/愛しみ/かなしみ」と書いてしまうと、それは堤の「肉体のことば」ではなくなる。母に嘘をついたときの「正直」とは違ったものになってしまう。
 堤は、また「カナシミノココロ」を「感愛」という漢字のルビとしてもつかっている。あえて「共有」できる表記にするなら「感愛」ということだろう。


 
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こころは存在するか(46)

2025-02-10 12:00:54 | こころは存在するか

 大岡昇平全集9、10(筑摩書房)には「レイテ戦記」「ながい旅」などが収録されている。その10巻の632ページに、楢崎正彦の「回想」の一部が引用されている。「ながい旅」の主人公、岡田資の姿を思い出しているのだが。
 ここで、私は、涙があふれてきた。
 ここには三人の人間が交錯している。岡田資、楢崎正人、大岡昇平。交錯していると書いたが、それは交錯ではない。区別がつかない。それは確かに楢崎正人が書いたものだが、そのことばが動いたのは岡田資がいたからであり、岡田がいなければそのことばは存在しなかった。そして、大岡が岡田のことを書こうとしなければ、また、そのことばは楢崎と岡田のあいだだけで動いていた。それが、いま、私の前で動いている。
 そして、そのことばのなかには「正直」だけがある。「正直」が「正直」に触れて、さらに「正直」になる。そのことに、私は、感動した。
 それだけではない。
 ああ、この本はもうすぐ終わるのだ、という思いも、私を突き動かした。(本なので、なとどれくらいページが残っているか、すぐわかる。)それは、ああ、もうすぐ大岡昇平が動かし続けた「正直」が、いったん完結するのだ、もっと読みたいのに……という「無念」の思いである。
 それは、「回想」を書いた楢崎の思いにもつながると思う。楢崎は、「ああ、もう岡田の正直に直接触れることはできないのだ」と強く感じている。それは、楢崎の周囲にいた人々も同じである。

 目の前で手錠をうけられ、一番端の部屋より挨拶をされて廊下をゆかれた。そして階段をおりつつ、閣下の大きなあの美しい唱題が廊下一杯に響きわたり、大扉のしまる迄相呼応して唱題の声がつづいた。(一部、表記変更)

 「呼応」して、ひとつになる。ひとつになることのできる喜び。この瞬間、だれもが悲しいはずなのだけれど、その悲しみを超える喜びがある。ことばは、そういうことができる。「正直なことば」と言いなおしておく。

 「あの美しい唱題」の「あの」ということばの強さ。私はその「あの」を直接知らないが、「あの岡田資、あの楢崎正人、あの大岡昇平」というふうに、その「あの」をつかいたい。そして「あの『ながい旅』」という具合にも。
 ことばは、存在しなければならない。

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アメリカ的思考(2)

2025-02-06 23:18:58 | 考える日記

 トランプの「ガザをアメリカが所有する」発言は、いままで私が見落としていたことを教えてくれた。きのうは、アメリカが台湾をすでに「所有済み」と思っていることに気づいたと書いたのだが、きょうは、その続編。
 アメリカ(その一州である日本)の主張のひとつに「開かれた太平洋・インド洋」がある。これはすべての国に対して「開かれた」ということではなく、むしろ「中国が進出してこない太平洋・インド洋」であり、別のことばで言えば「中国を締め出した太平洋・インド洋」なのだが。
 中国(台湾を含む)は太平洋(東シナ海、南シナ海)に面しているから、中国を台湾へ進出させないという論理の是非は別にすれば、「戦略」としては「締め出す」ということは、確かにあり得る。(それに賛成というのではない。)
 しかし、インド洋は? 接していない。なぜ、中国の陸地が接していないインド洋を太平洋と結びつけて問題にしなければならないのか。インド洋から中国を締め出そうとするのはなぜなのか。
 これはアメリカが、インド洋は太平洋とつながっており、大西洋を横断し、北アメリカ大陸を横断し、さらに太平洋も横断して「領土」を広げたアメリカが、さらに西へ向かって「領土」を広げるための「戦略」の一環なのだ。
 インド洋はインドに面しているが、同時にアフリカにも面している。
 アメリカが目を向けているのは、アフリカの東部海岸である。
 アメリカは、アフリカを大西洋側(西側)からとインド洋側(太平洋側、というか東側)の両方から挟み打ちの形で「所有(侵略)」しようとしているのだ。
 その戦略を邪魔させないために、中国をインド洋から締め出そうとしている。そして、そのために日本を利用しようともしている。
 「台湾有事」を演出し、中国は危険な国だと宣伝し、中国が台湾問題に集中している間に、アフリカを「所有」しようとしている。「台湾有事」は、いわば「誘導作戦」というか「おとり」なのであり、そこは日本に任せておけ、ということなのだろう。

 アフリカのことは、私は勉強したことがないので知らないのだが、アメリカは中南米において、いわゆる冷戦時代、中南米の社会主義の動きをたたきつぶすために「独裁政権」を利用した。チリの詩人・ネルーダも暗殺されている。CIAやアメリカ政府が関与していたことは、多くのひとが語っている。
 アフリカの諸国で、反アメリカ主義が広がれば、それを東側からも接近していくことで弾圧したい、とアメリカは考えているのだろう。西側からの接近を阻む国はないだろう。「開かれた大西洋」があるだけだ。中国の海軍がアフリカ西岸(大西洋)へたどりつくにはパナマ運河を通らないといけない。(もちろん太平洋を南下してマゼラン海峡を通る方法もあるが……。) トランプが、パナマ運河を「所有」する狙いは、だから、中国が太平洋を横断したあと、パナマ運河を通って、大西洋を横断し、アフリカ西岸へ向かうことを阻止するという狙いもあるのだ。
 中国をインド洋に進出させない、中国を大西洋に進出させない。そのために、アメリカは、ちょっと私などには想像もできない「構想」を着々と進めているのだ。

 アメリカが「仮想敵国」とみなしている国には、社会主義(共産主義)の国と同時に、イスラム教の国がある。アフリカにも北部を中心に、イスラム教徒の多い国が広がっている。
 北の方からは、NATOを誘導できるだろう。さらには、ガザを「所有」したあとは、アラブ諸国の目をガザに集中させておいて、手薄(?)になったアフリカに手を着けるというわけだ。ガザは、いわば「台湾有事」みたいなものである。ガザを「所有」したとはいっても、実際に対処するのはイスラエル。「台湾有事」に対処するのが日本であるように。

 これはあまりにも「荒唐無稽」な「戦略」に見えるかもしれない。
 しかし、荒唐無稽と思うのは、私が日本人の感覚を捨てきれないからだ。アメリカ人の「強欲主義」の視点からすれば、絶対に、そうなる。
 アメリカ人は、中国がアメリカと同様に強欲であり、太平洋を横断し、その先の大西洋も横断し、東へ「触手」を伸ばしていると感じるのだろう。西への「触手」は、「陸路」を西へ進んでいると感じているのだろう。中国人=アメリカ人、という発想だ。こういう発想は、アメリカ人にしかできないと思う。
 トランプは「馬鹿」だと私は考えているが、「馬鹿」だから、ふつうは隠しておくようなことを平気で明るみに出す。グリーンランド、パナマ運河、ガザを「所有」し、インド洋を「所有」したら、アメリカは「東西南北」の全方向から、中国、ロシア、イスラム教の諸国を包囲し、アメリカの「領土」を拡大し続けるのである。

 「主権」「独立」という概念をさらにさかのぼって、「人間(個人)とは何か」というところから、アメリカの(トランプの)「強欲主義」に立ち向かう思想(哲学)をつくりなおさなければいけないのだろう。

 

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アメリカ的思考

2025-02-05 23:00:29 | 考える日記

 読売新聞2025年2月5日の読売新聞夕刊(西部版・4版)を見て、びっくりした。一面の見出し。

米、ガザ所有構想/トランプ氏「住民は移住」主張

 見出しだけで十分なので、記事は引用しない。ネタニヤフと会談した後の記者会見で言ったという。グリーンランド、パナマ運河につづく、信じられないような暴言である。世界はトランプの所有物ではない。しかし、あまりにもアメリカ的すぎる強欲主義の主張である。
 で、ふいに思い浮かんだのが、つぎはきっと「台湾を所有する」と言うだろうということである。
 すでに、日本、韓国、フィリピンは、トランプにとって(そして、アメリカにとって)、アメリカの「所有物」なのだろう。(自民党政権は、それを完全に受け入れている。核兵器で多くの市民が虐殺されたにもかかわらず、そのことに異議をとなえないばかりか、アメリカの核の傘に入っている。そして、安全だと信じている。アメリカ大陸のアメリカ人が核があるから安全と思い込んでいるように。)
 そして、ここから思うのだが、「台湾有事」について、私は、台湾が独立し、アメリカが基地をつくれば、それは中国にとって、アメリカにおける「キューバ」のような存在になるだろうと書いたことがある。中国が「台湾独立」に反対するのは、何よりも台湾にアメリカ軍の基地ができるからだ。
 でも、この私の認識は、ある意味で間違っていた。今回のトランプの発言で、ほんとうにそう思った。
 先に書いたように、アメリカはフィリピン、台湾、日本、韓国という「防衛ライン」を「所有」していると思っている。フィリピン、台湾、日本、韓国をアメリカの一部と思っている。だから、台湾がもし中国に統合されてしまえば、それはアメリカの「防衛ライン」を破り、そのなかに侵入してきたことになる。つまり、中国の台湾統一は、アメリカにとっての、第二の「キューバ危機」なのである。もっとわかりやすくいえば、それは「台湾有事」ではなく「アメリカ有事(アメリカの防衛ライン有事)」なのである。
 中国人、あるいは台湾に住むひとの立場ではなく、「アメリカ人」になって(トランプになって)考えてみる必要があったのだ。私は、アメリカの政策を批判するだけで、アメリカ人になって考えたことがなかったので、見落としていた。台湾を、まさかアメリカの所有物であり、中国に奪われていると考えているとは思ってもみなかった。アメリカにしてみれば、第二次対戦後の台湾はアメリカの所有物なのに、それを中国に奪われてしまった、取り返さなければならない、ということなのだろう。
 フィリピンを例に考えてみればいい。フィリピンは、アメリカが「所有」する前は、スペインが植民地として「所有」していた。その後、日本が侵攻し、その日本をアメリカが追い出した。そして、「再所有」したのだ。
 第二次大戦後、アメリカがフィリピンに何をしたか。アメリカの資本がフィリピンをどれだけ食い物にしてきたかをみればいい。フィリピンをバナナをつくり、それを輸出するだけの国にし、工業などの産業を育成しなかった。(ソ連がキューバを砂糖生産の国にしたのと似ている。)真の独立には、「工業化」が必要なのだが、そのための協力などしていない。
 そこまで考えて、急に思うのだが、日本とフィリピンの関係も、アメリカの(マッカーサーの)「思想」の延長にあるのではないか。日本とフィリピンをつかって中国(共産党)を封じ込めるという思想とつながっているのではないか。マッカーサーは天皇を利用して、日本を完全に支配したが、少し手を変えて、日本とフィリピンの関係を動かしたのではないのか。フィリピンを利用したのではないか。
 日本とフィリピンは、日本がフィリピンに侵攻したにもかかわらず、良好である。(良好に見える。)人事交流は活発だし、一時期、日本の男性と結婚するフィリピン女性も多かった。あれは単に日本の労働力不足解消のひとつの方法だったのではなく、アメリカの戦略だったのではないか、という気がしてくるのである。他の国の女性でも可能性としてあり得たが、アメリカが日本とフィリピンの関係を強化するために「斡旋」をしたのではないか。
 それに類似したことだが、外国人「介護士」の採用も、まず、フィリピン人からはじまっていないか。日本・フィリピンの「友好関係」が背景にあるとはいえ、「優先」されている感じがする。それは、どこかでアメリカの戦略と重なっているからではないのか。
 日本(北海道)からフィリピンまで、アメリカは「中国封じ込め」の「防衛ライン」がほしかったのだ。そのために、日本とフィリピンの「友好」を演出したのだ。
 世界地図を開いて、日本からフィリピンまで線でつないでみればいい。台湾が含まれれば、その線の「途切れ」は非常に小さくなる。中国は太平洋へ進出できない。

 ヨーロッパから移動した「アメリカ人(になったヨーロッパ人)」は、アメリカ大陸を東から西の端まで移動し(占領し)、さらに海を超えて、ハワイをアメリカにし、そのあとさらにアジア大陸のすぐそばまでやってきた。アジア大陸を侵略しようとしている。その「拠点」として台湾が必要である。
 台湾を「イスラエル化」しようとしているといえるかもしれない。

 東から西へは、いま書いたように、太平洋を横断し、すぐ中国のそばまできている。
 西から東への侵攻は、ワルシャワ条約機構解体後、つぎつぎにNATOを拡大する形で、ウクライナまで「所有」しつつある。
 中東からも同じように、「所有」の範囲を広げることはできないか。イスラエルだけにまかせてはおけない。アメリカそのものが、イスラエルの近くに「領土」を「所有」し、それを基地にしたいということだろう。
 それは中東を飛び越し、インドを視野に入れた計画かもしれない。
 アジアには、中国、インドというふたつの大国がある。そのふたつの国の存在が、きっとアメリカには気に食わない。アメリカの思うがままに動かない。それを何とかしたい、何とか「アメリカ帝国主義」の配下におさめたいということだろう。

 トランプはアメリカの野望そのものである。

 

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