秋山洋一『忘れ潮』(七月堂、2021年9月16日発行)
秋山洋一『忘れ潮』を読みながら思うのは、「文学のことば」というのは対象と自分との距離のことである。
世界には「自分」がいて「もの」がある。その「もの」をどう感じるかが「ことばの距離」。ワープロのキーボードひとつとってもみて、単にキーボードと言えば「もの」が存在するわけではない。私は親指シフトのキーボードをつかっている。富士通の製品である。キータッチが私の手には一番なじんでいて、これ以外のキーボードは苦手である。どうでもいいことだが、この文章を書いているとき、ことばにはなっていないが、他の製品への「嫌悪」のようなものも動いている。そういうものが、わかりにくいけれど、ことばをつかうときいつでも存在する。それが「距離感」を生む。
私とキーボードのことはさておき。
秋山の「距離感」である。「春潮」の「ことばの距離感」は、どういうものか。一連目。
沖に朽ちた軍艦が見える
黄泉比良坂を下りれば
入江の底に埋められた
蓬が匂うすり傷のような細道
そこに解きがたい一行のように
煤けた電灯をかざす円柱
その前に頬杖ついてみたくなる
沖にある軍艦。「朽ちた」という修飾語がある。「もの」を見るとき、その「もの」に「細部」を与える。これが秋山の「もの」と「ことば」の「距離」である。「ことばの距離」とはそういうことである。これは「沖」ということば「軍艦」についても言える。「海」ではなく「沖」というとき、そこには「遠く」という意識があらわれている。「軍艦」には漁船ではない、という意識があらわれている。
特徴的なのは「黄泉比良坂」である。なぜ、固有名詞なのか。なぜ「坂」ではないのか。「坂」と書くだけでは、秋山のことばは動いてはくれないのだ。「坂」になにかの「特徴」を付与しないと秋山のことばにならない。
こういうことばに出会ったとき、その「距離の取り方」をどう感じるかが、評価の分かれ目である。あ、この詩はいいなあ、と思うのは「距離の取り方」に納得できたときであり、ついていけないなあと感じる(好きになれないなあと感じる)のは「距離」に疑問を感じるときである。
私は「蓬が匂うすり傷のような細道」に引かれた。「蓬」が「春」を象徴している。「すり傷のような細道」は感傷的な表現だが、「すり傷のような」という直喩は「細い」をくっきりと浮かび上がらせる。しかも、そこには「肉体」を感じさせるものがある。「匂う」も新鮮だ。この一行で、私の「読みたい」という気持ちは加速する。それをさらに引っ張っていくのが、「解きがたい一行」ということばである。「解きがたい一行」は「もの」というよりも精神的、意識的である。そしてそのことばは、なんと「円柱」へと変わっていくのだ。「細道」「一行」「円柱」。その変化。それをつなぐための「すり傷」「解きがたい」という少しの困難さ。その響きあいが、とても美しい。
でも、「その前に頬杖ついてみたくなる」はどうだろうか。私は、道の途中で「頬杖をつく」ということはしない。机のようなものがないと、そういう格好はできない。寝転んでということはあるかもしれない。でも道では寝転ぶことはないなあ。「解きがたい」問題にぶつかったとき、体を維持できない、体がつらくなって、頭(顔)を手で支えるために「頬杖」をつくことはあるかもしれないから、この「頬杖」が「解きがたい」ということばと呼応しているだろうということはわかるが、ここでは「距離感」が狂っていると思う。
詩は、ことばの暴走、ことばの距離感を維持したために、現実を突き破って別の世界へ達してしまう運動だと私は理解しているが、その「別の世界」を納得させるためには「一定の、安定した距離感」が必要なのである。それが、ここでは「狂い」はじめている。
この詩は、最後をこう閉じている。
路地が小桟橋に尽きている
赤錆のベルト地帯へ
はじめての春潮のように
うつくしい横顔の
犬殺しの青年が帰ってくる
省略した途中の連に「狂った犬の暗黒の胎から生まれた」と「犬」が出てくるから、最後の「犬殺しの青年」ということばには「ことばの呼応」があるのだが、私には納得ができない。「犬殺し」ということばには、何かしら大江健三郎の「奇妙な仕事」を読んでいる世代の書いた詩だろうなあ、と思わせるものがあるが、私はこういう「余韻」をつくりだす方法が好きではない。
蓬が匂うすり傷のような細道
そこに解きがたい一行のように
煤けた電灯をかざす円柱
この畳みかけるような、緊密な「ことばの距離感」を持続してもらいたいと思う。持続できたとき、少し時代とは違ってしまって古い印象になってしまうかもしれないけれど、しっかりした世界がことばのなかからあらわれてくると思う。
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