詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党のキックバック問題

2024-03-31 21:41:26 | 読売新聞を読む

 自民党の裏金、パーティー券収入のキックバック問題。いまでは、だれもキックバック問題とは言わないようなのだが。2024年03月31日の読売新聞(西部版・14版)を見ながら(読みながらではない)、私は不思議な「フラッシュバック」に襲われた。
 見出しに「安倍派元幹部 離党勧告へ」。どうやら、安倍派の大物(?)を処分することで、問題にカタかつけようとしているのだが、ふと私の頭の中に蘇ってきたのが、田中首相の逮捕である。表向きは、やっぱり金銭問題。ロッキードから金をもらっていた。それを適正に処理しなかった。それからロッキード問題はさらに拡大もしたのだが。
 でも、田中が失脚したのは、ほんとうは金が原因ではない。アメリカがベトナムへの自衛隊派遣を要請したのに対し、田中は憲法をタテに拒否した。それを怒ったアメリカが田中を追い落とし、アメリカの政策をそのまま受け入れる首相に代えようとしたのである。田中が「汚れた金」を手にしていたことは、たぶん、だれもが知っている。田中が汚れた金でさらに金もうけをしていたことも、だれもが知っている。ほかの政治家も、数億の金をなんとも思っていないだろう。だれもが少なかれ汚れた金を手にしている。
 私が奇妙に思うのは、キックバックの問題が、だんだん安倍派崩しに動いて行っていることである。「政治資金規正法改正」という問題も動いてはいるが、それよりも自民党内の勢力争いの「地殻変動」のようなものが起きており、それが田中角栄事件を思わせるのである。すでに二階は次の総選挙に出ないと表明し、二階は「自民党処分」の対象外になったようだが、そういう追い落としの動きも、田中角栄、金丸信追い落としの動きに似ている。
 で。
 思うのは、アメリカがやはり裏で動いているのではないか。安倍よりももっと言うことに従うだれかを見つけた。もちろん、岸田のことである。しかし、その岸田が思うようにアメリカ政策を実行できない。岸田を邪魔するやつを追い落とせば、きっとうまくいく。そう考えて、動いているのではないか。
 いまのままでは岸田の支持率は下がりっぱなし。なんとか岸田を首相にしておくために、安倍派をたたきこわしてしまえ。安倍派の幹部に対する国民の批判も強い。ちょうど、田中が庶民宰相ではないとわかったときに、国民が田中を指示しなくなったように、安倍派の議員が金に汚い、権力を悪用しているという評判が高まれば、それを捨ててしまっても国民のだれも文句を言わない。いまが、安倍派をぶっつぶし、岸田政権を支えるチャンスだと「仕組んで」いるのではないか。
 「私は知らない」という安倍派幹部の主張をそのまま受け入れていたはずの岸田の姿勢の劇的な変化を見ると、アメリカが「お前を支えてやるから、さっさと安倍派をつぶしてしまえ」と言われているのではないかと、私は思う。

 春闘の賃上げや、物価の上昇もみんな同じだ。アメリカの都合である。日本の給料があがらなければ、アメリカの製品が日本で売れない。アメリカの製品を買わせるためには日本人の給料を上げる必要がある。ロシアのウクライナ侵攻も同じ。ロシアのガスやほかの製品がヨーロッパ市場を占めてしまったら、アメリカの製品がヨーロッパで売れなくなる。ロシアの製品を買わせないようにするためには、ロシアを戦争犯罪人に仕立ててしまえ、ということである。そのためにウクライナのひとが犠牲になろうが、ヨーロッパで物価が上昇しヨーロッパのひとが苦しもうが関係ない。アメリカの製品が売れて、アメリカがもうかればそれでいい。
 ロシアのウクライナ侵攻以後、円安はどんどん進んでいる。円安が進めば(ドル高が進めば)、アメリカ製品は日本では売れない。アメリカ製品を売るためには、日本人の給料が上がらないことにはむりなのだ。なんでもかんでも、アメリカの都合なのである。春闘の「満額回答」も経営者側の判断というよりも、アメリカから「社員の給料を上げないなら、お前の所からは何も買わないぞ」と脅された結果かもしれない。
 私は「妄想派」の人間だから、どんな可能性でも考えてしまうのだ。
 アメリカの強欲主義は「グローバリズム」の名を借りて、世界を支配している。一部では賃金の上昇を大歓迎しているようだが、そんなものは商品の値上げ(物価上昇)で消えてしまう。物価が上昇し、喜んでいるのは、アメリカの産業だけである。金もうけをするには、コストダウンをはかる方法と、値段を上げる方法がある。アメリカの商法は、もちろん値段を上げ、利潤を増やすというとても簡単な方法である。彼らは金を持っている。金が足りなくなったら、何度でも値段を上げて金を稼げばいいだけである。
 これが、いま起きていることではないのか。

 

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池田佳隆と政治資金(読売新聞から見えてくること2)

2024-01-11 12:30:28 | 読売新聞を読む

 自民党安倍派の裏金問題で、なぜ池田佳隆が逮捕されたのか。だれが「情報を提供したのか」ということをめぐって、私は背後に統一教会の存在があるのではないか、と8日に書いたが、2024年1月11日の読売新聞は、とてもおもしろい記事を書いている。

 自民党派閥「清和政策研究会」(安倍派)の政治資金パーティーで、池田佳隆衆院議員(57)(比例東海、自民を除名)を支援するパチンコ関連などの5社が2019~21年、パーティー券を計860万円分購入していたことがわかった。パーティー1回当たりの購入額は各社ともに法定上限(150万円)内だが、5社の代表は同一人物で、合計額は各年ともに上回っていた。識者は「法規制の趣旨に反する」と批判している。

 池田の裏金(キックバックされた金)の総額は「4800万円」とされている。今回の記事は、その総額の2割弱が同一人物(5社)から提供されていると書いている。で、その5社というのが「パチンコ関連」というのだが。
 私は、この「パチンコ関連」にとても驚いた。
 私はパチンコをしないのでよくわからないが、パチンコというのはいわゆる「小銭のジャンブル」であって、それが政治家に献金しないことには「恩恵」が受けられないような企業なのか、いったい政治家に働きかけてどんな「恩恵」があるのか、という疑問である。
 そして、このパチンコ(小銭ギャンブル)と「統一教会商法」はなんとなく似ているなあ、と感じてしまったのだ。パチンコ業界が成り立っているのは、小銭ギャンブルをするひとが、とてもたくさんいるということである。統一教会商法が成り立ったのも、詐欺にあって人がとても多いということ。そして、その「被害」は一気に1億円になったのではなく、少しずつ(といってもパチンコよりは高額)が積み重なって巨額になった。一種の「中毒」といえばいいのか、「依存症」のようなものが被害を大きくしている。何よりも「被害者(依存症の人)」の数が多い。統一教会問題では、被害者の総数、被害総額が把握しきれないという問題が起きたが、パチンコ依存症で苦しむ人(家族)の数も、きっと把握しきれないだろう。「小さな被害」は「存在しないもの」とみなされてしまう。
 「実態が把握できない」。これが似ている。
 実態が把握できない、という点では、今回のキックバック問題も同じ。池田に限って言っても、やっと860万円のパーティー券がわかっただけである。
 もうひとつ。
 統一教会の詐欺が問題になったとき、集められた金の「行方」が問題になった。韓国の組織に送金されているというニュースがあったと思う。パチンコ店の「収入」をめぐっては、たしか利益の一部が韓国だか北朝鮮だかに送金されているということが問題になったことがあると記憶している。統一教会と韓国、パチンコ店と韓国というつながりはないか。つまり、どこかで統一教会と韓国(あるいは北朝鮮)とのつながりはないか、ということも、ふいに気になったのである。
 これは池田のパーティー券を買った5社の「代表者」について調査すればわかることかもしれない。
 5社の代表者の行為は「脱法的な行為」と読売新聞は岩井奉信・日大名誉教授にいわせているが、池田のように厳しく罰せられることはないだろう。言いなおすと、いわば「肉を切って骨を切る」というような感じで、統一教会側からの「情報提供」があり、今回の事件が明るみに出てきたのではないか、と私はまたまた勘繰ってしまったのである。
 だってさあ。
 いろいろなパーティー券購入先があるはずなのに、読売新聞は、なぜ5社の分だけ克明に把握できたのか。記事に「わかった」ということばはあるが、どうやってわかったのか、それが書いてない。「読売新聞社の調べでわかった(政治資金収支報告書を読売新聞が入手し、分析した結果わかった)」とも、「調査期間関係者への取材からわかった」とも書いていない。「情報源」がまったくわからない。
 最後に、申し訳のように、

読売新聞は、5社側に書面などで取材を申し込んだが、10日までに回答はなかった。

 と付け加えているが、5社は、そんな質問に答えなくたって問題ないと判断しただけだ。だって、問われているのはパーティー券を買ったこと(資金提供をしたこと)ではなく、キックバックがあったことなのだから。
 そして、意地悪い見方をすれば。
 この、読売新聞の最後の「言い訳」は、裏金問題を自民党(議員)の問題ではなく、パーティー券を買った方に向けさせるという「自民党方針(池田方針)」に沿ったものかもしれないなあ。これからきっと、パーティー券を買った方にも脱法行為があった、悪いのは自民党だけではないというニュースが増えてくるぞ。

 邪推派の人間にとって、新聞ほどおもしろい「情報源」はない。「ことば」ほどおもしろいものはない。ことばは、何かを表すとと同時に、かならず何かを隠すものである。

 

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読売新聞の書き方

2023-12-22 10:38:39 | 読売新聞を読む

 読売新聞に限ったことではないが、私は「内容」よりも書き方に対して頭に来ることがある。最近話題になっている自民党の裏金づくり。「派閥」に限定して報道されているが、それは派閥の問題ではなく、自民党の問題だろう。つまり、岸田に責任があるのだ。
 それを書いているときりがないので、きょう取り上げるのは、次の文章。(2023年読売新聞12月22日朝刊、14版、西部版)「派閥幹部の立件に壁、指示・了承の証拠が焦点に…裏金疑惑任意聴取へ」という見出しで、こう書いてある。

 自民党派閥のパーティーを巡る政治資金規正法違反事件は、東京地検特捜部が「清和政策研究会」(安倍派)幹部らに対する任意の事情聴取に乗り出すことで、「派閥主導」とされる裏金疑惑の本格的な解明に移る。焦点は、直近5年間で5億円規模に上る不記載に国会議員の関与があったかどうかだが、立件のハードルは高い。(社会部 坂本早希、岡部哲也)
 「派閥を舞台にした『裏金作り』システムの詳細を見極めるには、幹部からの聴取は不可欠だ」。ある検察幹部は、近く始まる派閥中枢への聴取の意味をそう語った。
 政治資金収支報告書の作成・提出義務がある同派の会計責任者は、所属議員側へのキックバック(還流)分の不記載を認めている。今後の捜査では、同法違反(不記載、虚偽記入)容疑での立件対象が同派幹部に及ぶかどうかが最大の焦点だ。幹部の立件は会計責任者との「共謀」が成立する場合に事実上限られ、幹部による明確な指示、報告・了承のプロセスを立証する必要がある。

 国会議員の立件は難しい。「共謀」、つまり、国会議員の明確な指示、報告・了承のプロセスを立証しなければならないからだ。
 これはこれから起きることの「予測」を、「客観的」に書いているのだが、それはあくまで読売新聞が主張する「客観的」である。検察の立場でもなく、国会議員の立場でもなく、たんたんと書いている。しかし、そこには「国民の視線」がない。国民の視線がないことを「客観的」ということばでごまかしている。
 いいなおそう。
 読売新聞は今回の事件(まだ事件ではない、と読売新聞は言うだろう。立件されていないのだから)を、どうとらえているのか、この書き方ではわからない。「客観的」では、わからない。自民党に対して怒っているか、裏金づくりを受け入れているのか、それがわからない。
 もし怒っているのなら、「事件」の真相解明を検察だけに任せるのではなく、記者の手で資料をかき集め、分析し、さらに当事者に取材し問題点を暴き出す必要があるだろう。そういう「熱意」が先に引用した文章からは伝わってこない。
 逆に、こういうことが伝わってくる。
 今回の事件は立件が難しい。つまり、国会議員は逮捕されない。逮捕されたとしても、そ起訴されない。起訴されたとしても有罪にはならない。そう「予測」し、そういう情報で「国民の怒り」を鎮めようとしているのだ。逮捕されなくても、怒らないで、国民にこっそり呼びかけているのだ。これが法律というものなんですよ、社会というものなんですよ、わかってね、とアドバルーンを上げているのだ。
 もし、この記事に対して読者から批判が殺到したとしたら、そのときは少しトーンを変える。そういうことも想定しながら、読者(国民)の反応をみている。もし、ああ、そういうものなのかと読者(国民)が納得したら、国民も立件見送りを受け入れているという形で世論を誘導していくだろう。そういう誘導のための「準備」なのである。
 今回の記事は「特ダネ」でもなんでもないが、多くの政府関係の「特ダネ」はそういうものである。政府の方針を新聞で知らせる。そのあとで政府が発表する。そうすると、最初に聞いたときの衝撃(反応)は、いくぶん鈍くなる。
 二度目だからね。
 この「二度目」あるいは「三度目」という印象づくりのために、読売新聞は、わかったような記事を書いている。
 真実に迫る、という気迫がない。新聞は第三の権力と呼ばれた時代があったが、いまは政権の下請けをやっている。そういうことが、はっきりとわかる書き方である。だから、読売新聞はおもしろい。これから起きることが、ほんとうによくわかる。

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「ノルマ」ということば(その2)

2023-12-16 21:05:12 | 読売新聞を読む

 ノルマについて書いた途端、読売新聞のオンラインに、「自民の元派閥幹部「パーティー券100枚、200万円分がノルマ」…届かなければ自腹も」という記事が書かれた。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20231214-OYT1T50255/ 

 そこには、こう書いてある。

 自民党のある派閥幹部経験者が読売新聞の取材に応じ、派閥のパーティー券販売の実態などについて証言した。
 この元派閥幹部の場合、パーティー券100枚(1枚2万円)200万円分がノルマだった。企業などに購入を依頼するが、ノルマに届かない分は自らが負担することもあったという。「ノルマをこなすのは大変だ。多くの議員はそこまで余裕をもって売れていなかったはずだ」と話す。

 どんな世界でも「ノルマ」が課せられれば、それが達成できないときは「罰則」がある。自腹を切る(自分で負担する)は、ことばこそ違うが実態は「罰則」。
 読売新聞の所在に応じた「自民党のある派閥幹部経験者」は明言していないが、「自腹を切る」ひとがいるかぎり、その逆も絶対に想定されている。毎回自腹を切っていたら、やっていけない。どうしたってノルマ達成者には見返り(報酬=キックバック)があるはず。それがあるから、ときには自腹を切ることもできる。
 だから、これはトップが一方的に指示しているのではなく、全員が「合意」にもとづいておこなっていること、と見るべきなのである。

 検察が何人かの議員を聴取したとも聴くが、多額のキックバックを受け取った議員だけではなく、全議員、その秘書らをふくめて調べるべきである。議員は、秘書に「キックバックがあるから、パーティ券を売りまくれ」とハッパをかけているはずなのである。
 「ノルマ」ということばを聞いた瞬間に、そういう情景が思い浮かばないとしたら、それはジャーナリストが、あまりにのうのうと仕事をしている証拠だろう。
 さらに言えば、政府関係者からの「リーク」をたよりに特ダネという名の「宣伝記事」を書いているから、そういう「仕組み」を知っていても、いままで黙っていたということだろう。

 これはね、だから、ジャニーズの性被害や、宝塚歌劇団の「いじめ」と同質の問題なのである。ジャーナリストならだれもが知っている、でも書くと取材できなくなる恐れがある。だから、書かない。そういう「構造」が日本のジャーナリズムに根づいてしまっているのだ。

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「ノルマ」ということば

2023-12-16 09:44:06 | 読売新聞を読む

 安倍派の「裏金問題」が話題になっている。誰が主導したか、があれこれいわれているが、私が不思議に思ってしようがないのが、これがどうしていままで表沙汰にならなかったかということである。
 2023年12月16日の読売新聞(西部版・14版)に、こういう表現がある。

関係者によると、安倍派ではパーティー券販売のノルマ超過分を議員側に還流し、派閥側、議員側双方の収支報告書に収支を記載せず裏金化していた疑いがある。還流分は2018~22年の5年間で計5億円に上るとみられている。

 「ノルマ」ということばがある。このことばは、このニュースが報じられた最初のころからつかわれていた。
 ノルマということばは、何を意味するか。「義務」である。ノルマが設定されるとき、同時にノルマが達成されないときには罰則がある。それは裏を返せば、達成すればなんらかの報酬があるということでもある。
 つまり、ノルマということばが発せられたときから、罰金・報酬はセットになっていた。パーティー券を売り出したときから、「キックバック」は販売している人間にとっては「期待値」であったはずだ。
 言い直せば。
 それは誰が主導したのでもなく、自民党の「体質」そのものなのだ。
 有権者(もちろん大企業も、そこに働いているひとがいる以上、抽象的な有権者と言えるだろう)から金を吸い上げ(安倍は、確か、税金のことを「国民から吸い上げた金」と表現していた)、たくさん集まったらテキトウに自分たちの都合のいいようにつかおうと考えている。
 消費税がその「好例」である。福祉目的といいながら福祉につかわれるのは本の一部。大半は、企業の法人税減税の穴埋めにつかわれている。なぜ法人税の穴埋めにつかうかといえば、企業を優遇すれば企業から献金がある(政治資金パーティー券を買ってもらえる)。その献金が多ければ、使い道を隠して(裏金としてプールし)、都合のいいようにつかうことができる。
 「ノルマ」ということばをつかっていいかどうかわからないが。
 この消費税→福祉予算というものにこそ「ノルマ」が設定されるべきなのだ。福祉予算は総額いくら(ノルマ)である。その全額を消費税でまかない、そこにもし「余剰」が生じたなら、それを積み立てておいて次の予算に福祉予算にまわす、あるいは他の予算にまわすことを検討するというのが、「消費税→福祉予算」という構図のなかで考えられる「ノルマ」だろう。
 でも、実際は、逆に操作されている。法人税を減税する。福祉をふくめて支出予算が減る。穴埋めが必要だ。その穴埋めに消費税収入をつかう。この仕組みなら、企業からの献金は減らない。逆に、増えるかもしれない。実際、パーティー券の収入が「ノルマ」を超えているのは、企業が「進んで」パーティー券の購入をしているからだろう。議員の秘書たちが「進んで」パーティー券を販売しているのは、「ノルマ」を超えたら、それがキックバックされると知っているからだろう。
 資金集めパーティーというものが設定された段階で、そういう「話」はできあがっていたはずである。
 だれが「ノルマ」を決めるか、「ノルマ」はどうやって資金集めをするひとに伝えられるか。金の流れではなく、「ノルマ情報」の流れを追及すれば、今回の問題の「本質」がわかるはずである。5億円という金額ばかりが問題にされているが、それを問題にするのは、「情報の流れ/情報の共有方法」を隠すための「方便」のようにも、私には思えてしまう。

 「ノルマ」ということばを、いつ、どんなふうにつかうか。自分の経験と引き合わせながら考えれば、報道の「裏」に隠されたものが見えてくるはずだ。この「裏」ということばを、ジャーナリズム「書いていない事実」という意味でつかう。ある情報があるとき、「裏を取れ」というのは、補強材料としての事実を集めろという意味だが、それは何かのときに「表」に出てくるだけで、表に出さなくてもすむときは「裏」におかれたままである。

 

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藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」

2023-11-03 16:27:38 | 読売新聞を読む

藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」(「イリプスⅢ」5、2023年10月10日発行)

 藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」は、野沢啓の『言語隠喩論』への書評。とても気になる文章があったので、そのことについて書く。

 日/欧で言語学の用語が分かれていては、不都合だということもあって、野沢にしろ、私(藤井)にしろ、欧米の言語学を絶えず鏡のように映し出す参照項目にして、日本語のそれを考察しようとしてきた、という経緯はある。(略)
 日本語から立ち上げることに、かりに成功したとして、そこを理解しようとすると、またもや西洋言語学に拠るほかなくなる。つまり理解過程を含めて、言語学そのものを最初からやり直す覚悟をしなければ。
 だから、一旦は日本語から離れることが必要なのだろう。しかも欧米的な言語哲学に舞い戻るのでない、そこを切り開くことを目標とするのである。詩的言語の可能性は人類史とともにそこに胚胎するのだろう。

 藤井は、野沢の論を「言語学」、あるいは「言語哲学」と把握して論を進めているのだが、ふーん、そうなのか、としか私にはことばが出てこない。しかも、その「言語学」(言語哲学)が欧米を意識しているというのだから、欧米の言語そのものをほとんど知らない(当然のことだけれど、そのことばをもとにした「言語哲学」は完全に知らない)私には、まあ、理解を超えた次元のことが書かれているのだなと思うだけである。

 藤井はさらに、野沢の「フィールドワーク」についても書いているのだが、これも、私にはなんのことかさっぱりわからない。

 野沢の論のいちばんの問題点を、私は次のように考えている。
 野沢は、詩(隠喩的言語)に出合ったとき、野沢自身のことばの肉体がどう変化し(解体し)、どう動いたかを書かないことである。野沢は、詩(隠喩的言語)に出合ったとき、彼自身のことばが解体し、自己統制力を失なったと書くかわりに、(藤井のことばを借用して言えば)、外国の誰それの翻訳されたことば、あるいは日本の誰それでもいいのだが、だれかのことばをつかって「説明」することである。
 その説明(解説?)のなかには、詩(隠喩的言語)が生まれる瞬間の興奮がない。私(野沢)は、誰それのことば(翻訳されたことば)を読み、それを知っていると言っているだけである。私には、そうとしか思えない。なぜなら、その誰それのことばは、野沢が取り上げている日本語の詩(隠喩的言語)を読んで考えたことばではないからだ。野沢が問題にしている詩(隠喩的言語)を誰それが読み、その結果として、誰それ自身の築き上げてきた言語体系が解体し、再構築しなければならなかった、そして、その結果として生まれた「言及」ではないからだ。
 こういう、なんというか、「知識のひけらかし」に対しては、誰それがしているように、野沢の博識をほめたたえ、感動しましたと書くのが、いちばん合理的な対処方法なのだと思う。しかし、私は、どんなときでも「合理的対処方法」というものを信じていない(それが大嫌い)ので、そんなことはしない。
 野沢はさすがに本屋さん(出版屋さん)だけあって、陳列して売ることが上手である。私は貧乏な買い手ににすぎないから、どれだけ豪華な陳列を見ても変えもしないものには関心が湧かない。ほしいものだけを選んで買う。他の人も同じかもしれない。多くの人が「陳列がすばらしい」と称賛したらしいが、その称賛した人のいったい誰が(何人が)、野沢の陳列していたものを利用し、その人自身の思考を展開し、その人自身は(そのひとのことば/哲学)は、どうかわったのか。そういうことを、私はまだ見聞きしていない。「商品」は買った人が、こんなに便利だった、こんなに役立ったと他の人に勧めるなり、その人自身の「暮らし」を変えるのに役立たない限り、「売れた」だけにすぎない。まあ、「売れれば」それで企業はもうかるから、あとは知らない、でもいいのかもしれないけれどね。

 ところで。
 私が「その隠喩(だけではなく、あらゆる比喩)が、現実には何を指し示しているか」と問うとき、たとえば「世界一美しい薔薇」が「ナスターシャ・キンスキー」を指し示しているというようなことではない。形式的な「内容」ではない。
 「世界一美しい薔薇」くらいの比喩では、そんなものに触れたところで野沢のことばの肉体はどんな衝撃も受けないだろうけれど、野沢が「隠喩(詩)」と呼んでいるものに出合ったら、彼のことばの肉体は大きく揺らぐだろうと思う。
 少なくとも、私の場合、詩に出合ったとき、私のことばの肉体は揺らぎ、私の肉体のことばも揺らぐ。そこから立ち直るのは、とても難しい。そこから、私は私のことばの肉体をどう見直したか、それを「感想」という形でいつも書いている。
 私が読みたいのは、そういう野沢の隠喩(詩)に出合ったときの、彼自身のことばの肉体の変化である。欧米(?)の、誰それの、野沢が問題にしている詩とは無関係の翻訳言語なんかを読みたいとは思わない。
 野沢のことばの肉体は、どんなふうに動き、そのことばの肉体の奥から、それまで意識していなかったどんなことばの肉体が動いたのか。衝撃を受け、崩れたとしても、それは「無」にならない。消えてしまわない。「肉体」だからね。最後の最後に、無になりきれずに残った「肉体」、その「ことば」はいままで何をしていたのか、何をしていたと気づいたのか、野沢自身のことばで語ってほしい。
 野沢はいつでも「知識」の範囲内で書いている。さらに言えば、知識の範囲がいかに広いかを誇示するために書いている。この方法は「隠喩」からもっとも遠い表現形式ではないだろうか。

 比喩(隠喩かどうかは問題にしない)は、直接、そのままの形でやってくる。
 比喩が指し示す(あるいは暗示する?)その対象(内容/意味)は他のことばで言いあらわせるなら、その比喩は必要ないだろう。他のことばでいいあらわせないからこそ、比喩になる。こんなことは日本も欧米も、さらには「グローバルサウス」のことばも同じだろう。(グローバルサウスにも「言語哲学」や「言語論」はあるだろう。)
 そして、比喩は、それが善か悪か(とりえあず、そう呼んでおく)を問わず、それまでの「知識」を解体し、不思議な「陶酔」を暗示し、そこに読者を導きいれる。
 これは、詩だけにかぎらない。
 哲学であれ、美術であれ、音楽であれ、あるいはスポーツにもそういうものがあるだろう。
 詩を特権化してもはじまらないし、「隠喩」は詩というジャンルにだけ存在するのではない。「ことばの肉体」と「肉体のことば」が、いのちの運動に触れるとき(運動は、つねに肉体を伴う)、「意味」を破壊して動くものである。
 それを明示しようとするなら、誰それの(西洋の?)「用語」を使うのではなく、野沢自身の、あるいは藤井自身の「ことばの肉体」をつかうべきだろう。

 

 

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神原芳之「熱帯夜」

2023-10-09 21:43:08 | 読売新聞を読む

神原芳之「熱帯夜」(「午前」2023年10月25日発行)

 神原芳之「熱帯夜」、荒川洋治「枇杷の実の上へ」、工藤正廣「賛歌」と読み進んで、あれ、三人は申し合わせでもしたのだろうか、と思ってしまった。書いていることは違うのだが、私には、同じことをことを書いているように思えた。簡単に要約すれば、とりかえしのつかないことをしてしまった、という気持ちが、ことばの奥に動いている。とりかえしがつかないことは忘れてしまえばいいのだが、忘れられない。そのときの、忘れられないという気持ちのどうしようもなさ。
 荒川洋治の作品が、いつものながらに手が込んでいて(ことばが、論理=意味になる前に肉体の方へ引き返してきて)刺戟的なのだが、神原芳之「熱帯夜」について書くことにする。

眠りに入ったと思ったら
眠りから放り出されてしまった
夢の門が開きかけたが 姿が見えたのは
会いたくない人たちばかり

はっと身構えた途端に
夢の門は閉じ その人たちの姿も消えた
浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 一行目の「思ったら」は、二連目の一行目で「途端に」と言い換えられている。「途端」はそのあとも出てきて、最後には「瞬間に」ということばに言い換えられている。熱帯夜の「長い夜」は「瞬間」でもある、という、まあ、どうしようもなさ。
 荒川は、それを「一つ」、あるいは、そこから派生する「一同」と交錯させるのだが、これが、とてもおもしろい。

生涯の思い出は
数えてみればきりがないと思ったのに
ぼくにはたった一つだ
見たくなかったかげろうの
黄色い羽をはねあげる

 ああ、ここにも「思った」があるね。「思う」とは、ことばにすること。
 工藤は、こんな具合。

愛しい丘の上の
たった一人ぼっちのパヴロヴニア
高貴なあなたが不死の限り
わたしもまた不死を生きるだろう

 工藤は「思った」と書いてはいないが、生きるだろうと「思った」がことばの奥に潜んでいる。
 で。
 脱線しながら、神原の詩に戻るのだが、「会いたくない人たち」というのは、死んだ人だろうなあ、とも、私は勝手に思うのである。誤読するのである。
 そうすると、神原、荒川、工藤のことばは、死でもつながっているなあ、と感じる。
 神原は、死ということばをつかっていないが。

浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 「浜辺に打ち上げられた魚は」は、きのう読んだ石毛の作品に出てきた「馬鹿貝」に似ている。
 この詩では、まあ、神原自身が、一種の「臨死体験」をしているのだが、「魚」と眠りの「海」の呼応が平凡だけれど、この平凡がいいなあと思う。
 荒川の作品では「枇杷のある家は病人が絶えない」という俗信と強い関係があるのだけれど、その平凡さが、やはり、とても効果的だ。作為的ではない。奇をてらっていないところが、読者を(私を)安心させる。
 この奇をてらっていない感じは、神原の作品にも言える。
 詩のつづき。

そのまま虚空を 薄墨色の空間を見つめた
岩戸のような頑丈な夢の門のことを思う
そこには意地の悪い小人の番人がいて
その夜にみる私の夢を決めるらしい

救急車のサイレンが遠くから聞こえてくる
その音はどんどん大きくなり
目標はうちではないかと胸騒ぎした途端
サイレンの音は止んだ

 短編小説の「予定調和」の展開みたいだけれど、私は、けっこう「予定調和」が好きである。
 でもね。
 最終連は、かなり、嫌い。
 そして、私は、実は、この「嫌い」を書きたくて神原の作品についての感想を書いている。
 一連省略するので、ちょっとわかりにくいかもしれないが、問題の最終連。

気がつくと刺客が私に迫ってくる
逃げる足は何故か鉛のようで
たちまち追いつかれ
背中をぐさりと刺された
その瞬間に目が覚めて
刺された痕がひりひり痛んだ

 最初に取り上げた「思った(ら)」は、「気がつく(と)」と変化している。「思う」と「気がつく」は似ているかもしれない。「思った途端」「気づいた途端」「思った瞬間」「気づいた瞬間」。どのことばも、とても似ている。
 でも。
 私は、「思った」と「気がつく(気づく)」には大きな違いがあるように感じる。「気がつく」には何か反省的なところがある。言い換えると「意識の操作」がある。それは、ことばを「肉体」ではなく、「理性」に従属させてしまう。
 神原の作品は、「肉体」が刺され、「痕がひりひり痛んだ」と書かれているのだが、私にはどうも、その「肉体」(痛み)が感じられない。「主観」ではなく「客観」になってしまっている感じがする。
 荒川の詩の中に、

こうなってしまうと 取り分けにくい

 という、なんというか「理性」を拒んで、「肉体」そのものに判断を迫ってくることばがあるのに対して、神原は、「理性」で「思い」と「肉体」を「区分け」してしまっていると感じるのだ。
 ことばが「整理」されてしまうと、「意味」はわかるが、味気ない。

 


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G7でのアメリカの狙いはなんだったか

2023-05-22 22:20:37 | 読売新聞を読む

 2023年05月22日の読売新聞(西部版・14版)の広島サミットに関する記事で、私が注目したのは「中国問題」である。ゼレンスキーもやってきて、ウクライナに焦点が当たっているのはたしかだが、それは表面的なこと。実際は、中国がいちばんの課題なのだ。ウクライナ(ロシア侵攻)に関しては、すでにロシアが悪い、ウクライナを支援していくということでG7は結束している。
 読売新聞の「首脳声明の要旨」をみると、おもしろいことに気づく。(読売新聞の「要旨」なので、他紙は違うかもしれない。つまり、ここには読売新聞の意向=岸田、バイデンの意向が反映しているかもしれない。いや、反映していると思って、私は読んだ。)
 要旨は「前文」「ウクライナ」「軍縮・不拡散」「インド太平洋」「世界経済」とつづいていく。広島で開かれたのに「核不拡散問題」よりも「ウクライナ」を先に言及しているのはゼレンスキーを利用してG7をアピールするためだろうし、「世界経済」よりも「インド・太平洋」を先に言及するのは、中国含みと、インドを招待しているからだろう。(書き方の順序に、すでにさまざまな配慮が働いていることに気をつけないといけない。)
 で、「インド太平洋」といったん書いているのに、最後にまた「地域情勢」という項目があり、そこに中国のことが長々と書いている。他の項目が20行くらいなのに、「地域情勢」は60行もある。個別に、「軍縮に関する広島ビジョン」「ウクライナに関する声明」というのもあるから、これだけでは何とも言えないのだが、中国を含む「地域情勢」に非常に力点を置いていることがわかる。
 これは「国際面」の報道の仕方をみると、もっとよくわかる。見出しは、

米、対中協調に手応え/バイデン氏 議論リード

 アメリカは、中国に狙いを移している。(すでにロシアたたきは成果を上げている。ウクライナがどれだけ苦しむかは気にかけていない。)
 記事にこう書いてある。(読売新聞は、ほんとうに「正直」である。)
↓↓↓
 バイデン氏はアジアで唯一のG7メンバーである日本でのサミットで、インド太平洋地域への欧州の関心を高めようと努力した。フランスのマクロン大統領が4月に「台湾問題に加勢して欧州に利益はない」などと発言し、温度差が露呈していたためだ。
 バイデン氏が議論をリードし、中国を念頭に置いた経済安全保障分野での協力拡大に努力した。重要鉱物のサプライチェーン(供給網)の構築や対立国への貿易に制限をかける「経済的威圧」に対抗するための協力などが首脳声明に盛り込まれた。
↑↑↑
 バイデンは、デフォルト問題をアメリカ国内で抱え、G7はリモート出席になるかもと報道されたが、やってきた。なんとしても中国問題でリードしたかったのだ。
 ウクライナと違って、「台湾」はヨーロッパにとっては、世界の果。陸続きではない。マクロンが言うように、そんなところに「欧州の利益はない」。
 言い直そう。
 マクロンは「フランスにとって需要なのは中国であって、台湾ではない」と言っている。なぜかといえば、中国の方が人口が多く、経済力も大きいからである。台湾が中国になってしまおうが、台湾のままであろうが、そんなことは気にしない。共産党政権であろうが、そうでなかろうが、経済関係が変わるわけではない。物が売れる、物が買えるという関係はかわらない。
 ところが、アメリカは違う。アメリカは台湾をアメリカの支配下において、中国を抑圧し続けたいのだ。台湾に米軍基地をつくり、いつでも中国大陸を攻撃でするぞ、破壊できるぞという圧力をかけたいのだ。「地勢学的」にアメリカは台湾を手放したくない。それだけなのだ。そして、台湾から圧力をかけ続ける限り、中国は軍事費にも金を注ぎこまなければならない。経済発展が阻害されかもしれない。それも、狙いだ。
 考えてみなければならないのは、台湾とは、どういうところなのか。ウクライナとどう違うのか、ということである。
 ウクライナには、陸つづきであるためにロシア系のひともいた。台湾はどうか、もともと中国人が住んでいた。そして、大陸に共産党政権ができると、金持ちが台湾に逃げてきた。台湾は、いわば中国大陸の縮図のようになっているのではないのか。中国大陸各地にいた金持ちが住んでいる。それは「侵略」ではなく、逃亡だった。多くのひとは、中国大陸を逃れてきた。そのひとたちのなかには、「故郷」へかえりたいと思っている人もいるかもしれない。彼らが、「金儲け」だけのために、台湾の独立を望むだろうか。彼らが「共産主義」と戦わなければならない理由はどこにあるか。
 「自由を守るために?」
 違うだろうなあ。
 香港を見ればわかる。中国に返還されて、政治体制が変わり、自由がなくなった。しかし、それで住民が「戦争」を起こしたか。そんなことでは、戦争は起きないのだ。戦争は、住民が起こすのではなく、政治家が起こすものだからだ。
 アメリカが守ろうとしているのは、台湾のひとたちの「自由」ではない。(香港のひとたちの「自由」を守るために、アメリカは何か軍事的な行動をしただろうか。)アメリカが守ろうとしているのは、アメリカの「経済」だけである。アメリカが金儲けをつづけるためには、台湾が必要なのだ。台湾から、いつでも中国を攻撃できるぞ、とおどし続けることが必要なのだ。
 ヨーロッパでは「国境」をなくしてしまうという動きがすでにおこなわれている。パスポートコントロールなしで自由に他の国にいける。フランス・スペインの国境のバスク民族のすむ地域では、「国境を越えた行政地域」の試みも起きている。そういう「政策」を生きているヨーロッパが、同じ民族の中国・台湾の「分離」を支持するというのは、ヨーロッパの理念にも反する。
 こういうことは、たとえば中南米でも、重要な問題のひとつである。「国境」は政治的なものであって、国境を越えて先住の人々が生活しており、そこには同じことば、同じ文化がある。
 「国家」は作為的なものなのだ。
 「作為」に注目し、そこから、いったい誰が「台湾」を必要としているか。なぜ「台湾」が中国から独立していないいけないのか、を考えないといけない。
 もし台湾の中に、ぜったいに台湾は独立しなければならないと考える人がいるとしたら、それは自分の金をほかの人には指一本も触れさせたくないという人だろう。彼らにとっての「自由」とは金を自分の好きなようにつかう、ということである。
 台湾に住んでいるのは、最初からそこに住んでいた人だけではない。中国大陸から移住してきた人がたくさんいる「中国隊陸の縮図」が台湾なのだという認識から、「台湾有事」を見つめなおさないといけない。
 ほかの国が、台湾に「作為」を持ち込んではけない。

 別の視点も、付け加えておく。
 日本はほんとうに「島国」を生きている。海の向こうには「違う人間」が住んでいるとかってに思っているひとが多い、と私は感じる。同じ感覚で、台湾は島だから、中国とは別のひとたちが住んでいると考えていはしないか。
 少し脱線するが、最近ちょっとおもしろい会話を、ある外国人としたことがある。違う民毒と結婚した場合、生まれてきた子どもは「混血」とか「ハーフ」かは呼ばれることがある。いまは、こういうことばはつかわないのだが、便宜上、つかっておく。日本人の場合、たとえばイタリア人と結婚すれば、日本人とイタリア人の「混血」「ハーフ」。日本人と中国人、あるいは日本人と韓国人の場合は? 露骨に「混血」「ハーフ」という呼び方はしないが、「差別」は根強く残っていないか。で、問題は。では、イタリア人がフランス人と結婚したら、それは「混血」「ハーフ」? イタリア人、フランス人は、それをどう呼ぶ? 日本人は、それをどう呼ぶ?
 そこからひるがえって。
 中国隊陸の人と台湾に住む人が結婚し、子供が産まれた場合、それは「混血」「ハーフ」? ばかげた疑問(質問)と思うかもしれない。それをばかげた疑問と思うなら、台湾の「独立(自由)」を各国が協力して守らなければならないというのも、ばかげた「理想」に見えないか。
 なぜ、そんなものが「理想」なのか。
 ベルリンの壁がなくなったとき、西ドイツと東ドイツはあっというまに融合した。一方で、むりやり統合されていた民族が分離し、いくつもの新しい国が生まれた。こういう問題に、当事者ではないよその国の人が口を挟んで、いったいどうなるのか。

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岸田のことば

2023-05-21 10:09:47 | 読売新聞を読む

 2023年05月21日の読売新聞(西部版・14版)が広島サミットでの、各国首脳が広島平和記念資料館を訪問したときの「芳名録」について書いている。
 これが、非常につまらない。
↓↓↓
 G7首脳は、初日の19日に同資料館を訪れた。同省の発表によると、岸田首相は「歴史に残るG7サミットの機会に議長として、各国首脳と共に『核兵器のない世界』をめざすためにここに集う」と記した。
↑↑↑
 鉤括弧の中は「要約」かと思ったが、そうではない。それ以外に芳名録に書いてあるのは、「日本国内閣総理大臣岸田文雄」だけである。全文を読売新聞は紹介し、写真まで掲載している。
 何がつまらないか。
 「広島」が出てこない。「ここに集う」では、「ここ」がどこかわからない。もちろん広島平和記念資料館の芳名録なので「ここ」が広島であることはわかるが、もし、その芳名録がどこか別の場所で展示・公開されたときには、「ここ」がどこであるかわからない。「議長として」ということばがあるから、(開催国が議長をつとめるから)、日本だとはわかるが、それ以外はわからない。いや、ここからわかるのは「議長として」岸田が平和記念館へやってきたという「自慢話」だけとさえ言える。
 岸田は、外相時代から「自分のことば」で語ることができない。唯一、自分のことばで語ったと思われるのは、日露首脳会談が山口で開かれる前の、ラブロフとの会談だろうか。詳細は報道されていないが、会談のあと、ラブロフが怒って「経済支援(援助?)は日本が持ちかけてきたもの」と暴露し、安倍プーチン会談では北方領土問題は四島返還どころか、二島返還さえ、完全に拒否されている。きっと「日本が金を出すんだから、二島くらい見返りに返せ」と言ったんだろう。当時の読売新聞の記事は、そういう「ニュアンス」を伝えている。
 脱線したが。
 バイデンでさえ平和祈念資料館に触れている。
↓↓↓
資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思いださせてくれますように。
↑↑↑
 写真の文字はよく見えないが、英文は「May the stories of the Museum 」とはじまっている。ただし、「広島(hiroshima )」は書かれていない。
 私は、英語話者ではないので「stories 」に、まず違和感を覚える。「story 」はある視点から構成された世界である。広島は「story 」ではなく、「事実(fact)」であり「証拠(evidence)」である。アメリカは、「広島」が「事実」「証拠」であることを認めたくはないのだろう。そういう「配慮」が滲む。「広島」と書くと、きっと、アメリカ国内で反発が起きる。
 一方、ほかの国の首相(大統領)はどうか。スナク、マクロン、トルドーの「要約」には「広島」が見える。スナク、トルドーは「長崎」にも触れている。
↓↓↓
広島と長崎の人々の恐怖と苦しみ(スナク)
広島で犠牲になった方々を追悼する(マクロン)
広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に(トルドー)
↑↑↑
 核保有国であるスナク、マクロンの政策が、これからどう変わるか。核兵器廃絶にむけて、どう動くか、どう働きかけることになるのか、そのことに私は期待する。
 私は「ことばを信じる」。
 だからこそ、岸田、バイデンの「広島」という表現を避けたことばに、非常に危険なものを感じる。岸田もバイデンも、ロシアや北朝鮮(さらに中国)が核兵器をつかうことに対しては(あるいは、それを「脅し」につかうことに対しては)批判するが、イスラエルについてはどうなのか。(もちろん、「つかえ」とは言わないだろうが。)

 ことばは、いろいろなものをあらわしている。それは「語られなかったこと」、つまり「隠していること」をもあらわしている。
 ことばをつかうことで、何を隠そうとしているか、そのことを見つめないといけない。「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」とか「現状変更に反対」も同じである。
 三面の「スキャナー」というページには、こんなおもしろい「分析」が載っている。
 今回のG7にはグローバル・サウスと呼ばれる国々が招待されているが、その目的は、そうした国々を、中国、ロシアから争奪する(?)ことに目的があると、きちんと書いている。見出しに「新興国 中露と争奪」と書いてある。G7が新興国を中国、ロシアから奪い返すことが目的であると「要約」している。
 その記事だが……。
↓↓↓
 ロシアによるウクライナ侵略を巡っては、G7は対露制裁が必要だとの認識を共有しているが、限界がある。G7はかつて世界の国内総生産(GDP)の6割以上を占めたが、2021年には約4割に低下した。実効性を高めるにはグローバル・サウスの協力も得ることが欠かせない。
↑↑↑ 
 私が注目したのは「G7はかつて世界の国内総生産(GDP)の6割以上を占めたが、2021年には約4割に低下した。」である。ここには具体的に書いていないが、問題はアメリカの占める割合だろう。アメリカは、なんとして1位の立場を維持したい。アメリカの資本主義が世界を支配することを望んでいる。経済の国際秩序の変更に反対している。(G7は経済対策を協議することが出発点だった。最初はカナダは含まれずG7だった。いまでも、経済問題がいちばんの課題だろう。いまは、ロシアのウクライナ侵攻が主要議題になっているが、これも「経済」から見つめないといけない。G7では「軍事協議」はテーマではない。)
 つまり。
 世界が平和で豊かであるだけでは、アメリカは「満足」できないのである。
 たとえば中国のGDPが世界一になり、さらには3割とか4割を占めてしまう。経済の中心が中国になってしまう、ということが我慢できないのだ。
 ただそれだけなのだ。
 ヨーロッパとロシアは、天然ガスの売買で深い結びつきを持っていた。新しいパイプラインの建設で、その絆はさらに強まろうとしていた。それはアメリカとヨーロッパの経済関係の占める割合を小さくしてしまう。それが我慢できずに、いくつかの「仕掛け」をしたのだと私は考えている。
 最近は、ヨーロッパのなかに中国との関係を深める国も増えている。この関係も、アメリカは断ち切りたい。そのための「仕掛け」が「台湾有事」という形で進められている。すべては「アメリカ経済(強欲主義)」に原因がある。
 かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて浮かれた時代があったが、どこの国が、どこの国の製品がいちばん売れていようが、そんなことはどうでもいいだろう。

 どうしても脱線してしまう。
 「共同声明」が隠していること、岸田、バイデンが「追悼」の記帳のときでさえ「広島」と言わなかったこと、このことからサミットの狙いが何かを見つめなおすことが必要だ。
 アメリカの核の力で世界を支配する。それがアメリカの考える「世界」、アメリカ以外が核兵器を持たないことで確立される「平和」。それを実現するために、壮大な「芝居」が展開されている。アメリカは核兵器で世界を支配し、その軍事力を背景に経済活動を支配しようとしている。

 

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マイナーバーカードで管理(読売新聞を読む=2023年05月08日)

2023-05-08 21:53:06 | 読売新聞を読む

 2023年05月08日の読売新聞夕刊(西部版・4版)に不気味なニュースが載っていた。(番号は、私がつけた。)
↓↓↓
登下校 マイナで管理/保護者スマホに通知/今年度実験(見出し)
 政府は、マイナンバーカードで学校が児童・生徒の登下校状況を管理するシステム開発を後押しし、希望する全国の自治体への普及を目指す。島根県美郷町が今年度、実証実験に着手する。①共働き世帯が増加する中、デジタル技術を活用し、学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙いがある。
 ②新たなシステムは、児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録するものだ。③保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる。
↑↑↑
 記事は、①「学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙い」と書いているが、②のシステムは「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」と書いている。これでは、子どもが学校にいつ到着し、いつ学校を出たか、しかわからない。これで③「保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる」ことになるのか。
 家を朝の8時に出た。学校に9時になっても着かない。あるいは学校を4時に出た、しかし9時になっても家に着かないとき、登下校の過程で何かがおきたのかもしれないと想像はできるが、これでは「子どもを見守る」ことにはならないだろう。親が「子どもがまだ学校に到着していない」(子どもがまだ家に帰っていない)ことがわかるだけである。だいたい、子どもが学校に行っているとき、つまり学校に着いて、授業が終わって学校を出るまでは、学校の中にいるわけだから、基本的に「子どもは見守られている」。
 子どもの通学で問題になるのは、学校にいる時間ではなく、学校にいない時間である。記事の末尾に、きちんとこう書いている。
↓↓↓
 児童の登下校を巡っては、全国的に防犯ボランティア団体が見守りを担ってきた。ただ、高齢化などを理由に2016年の4万8160団体をピークに減少しており、④子どもを狙った犯罪が増加する中、通学時の安全確保が課題となっている。
↑↑↑
 子どもを狙った犯罪は通学時に起きる。つまり④「通学時の安全確保が課題となっている」のである。②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」では、通学している「時間」はまったくわからない。子どもがどこにいるか、わからない。これでは①の「子どもを見守る」という目的は果たせない。
 まったく、役に立たない。

 で、問題は、これからである。読売新聞は何も書いていないが、私のような疑問をもつ人間は必ず出てくる。見守らなければならないのは「登下校の時間」(学校の中にいない時間)である。そのために「防犯ボランティア団体」が活動しているのだが、②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムは、まったく「防犯ボランティア団体」と関連づけられていていない。
 ここから、きっと②「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムでは不十分だ。子どもをほんとうに見守るなら、「子どもが家を出発してから学校に到着するまで、学校を出てから家に到着するまでの過程を見守るシステム」が必要ということになるだろう。子どもの「常時監視」である。いまでも「防犯カメラ」がその役割をになっているが(問題がおきたとき、防犯カメラが調べられるが)、それがもっと頻繁になる。各通学路に改札口のような「ゲート」がいくつも設置され、そこのマイナンバーカードをタッチさせて通過する。そういうことになりかねない。
 これは、きっと「監視社会だ」という批判に晒され、成功しないだろう。
 そういうことは分かりきっている。だからこそ、「学校」で、その「訓練(苦情を言わない人間を育てる)」ということがはじまるのだ。批判力のない「幼稚園」「小学校」のときから、どこかを通過するたびにマイナンバーカードをタッチさせる。そうすることで「安全が守られる」と教え込む。それに慣らされてしまえば、どこへ行くにも「マイナンバー読み取り機」にタッチすることが「常識行動」になってしまう。「マイナンバー読み取り機」が「安全を守る」という保障になり、それを「監視」と気づかなくなる。
 狙いは、「子どもの安全を守る」なく、「監視に慣れさせる」ことである。その実験がはじまるのである。
 最初の実験が「島根県美郷町」というのも、私には、とても不思議である。「島根県美郷町」というのは、子どもの登下校で問題が置きやすい要素があるのだろうか。子どもを狙った犯罪が多い地区なのだろうか。そうではなくて、行政のやることに対して疑問の声を上げることが少ない地区なのではないのか。単に実験がしやすい場所が選ばれているだけなのではないのか。

 それにしてもねえ。

 私はつくづく思うのだが。こんなふうに「管理」して、ほんとうに子どもの安全が守れる? だいたい、「ずる休み」もできないなんて、つまらなくない? 親にも先生にも嘘をつく。それが「自立」の一歩というものではないだろうか。「行ってきます」と家を出て、友だちと誘い合わせて、家に引き返し、漫画を読む、ゲームをする、そういうことをする楽しみ(息抜き)がなくて、よく学校へ行けるなあ、と私なんかは思ってしまう。
 それは、ともあれ。
 これは、「子どもの安全」を掲げた「監視社会(管理社会)」の第一歩だ。反対運動を起こすべきである。なんといっても、子どもは行政に対して「反対運動」を起こせるだけの「意識」がない。それが、狙われている。「島根県美郷町」が狙われたのも、きっと、そうである。

 

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読売新聞を読む(2023年03月23日)

2023-03-26 21:37:54 | 読売新聞を読む

 2023年03月2 3 日の読売新聞(西部版・14版)。読売新聞の記者ではないが、山内昌之・富士通FSC特別顧問が「ウクライナ戦争」に関する「作文」を書いている。読売新聞は、どうしても「台湾有事(中国の台湾侵攻)」を望んでいるらしい。「台湾有事」がないかぎり、日本経済は立て直せない、と思っているらしい。「台湾有事待望論」としか、いいようがない。山内の「作文」は、そういう意向を汲んでの「作文」である。「ウクライナ戦争」というタイトルなのに、最後は「台湾有事」で終わっているのが、その「証拠」といえるだろう。
 だいたい「ロシアの侵攻」ではなく「ウクライ戦争」というところが、すでに今回の「戦争」が、アメリカがウクライナにけしかけて引き起こした戦争であることを暗示しているのだが(こういうところに読売新聞の「正直」が出ている)、それは「わき」においておいて、山内「作文」の問題点を指摘しておく。
 最後の方の部分に、こう書いてある。
↓↓↓
 中国は台湾侵攻作戦を、数日で決着がつく「小戦争」と見ているのではないか。だが、米国はウクライナ戦争を意識し、台湾軍の抗戦能力を高めるための軍事援助を強化する構えだ。中国はこうした情勢を直視するべきだ。
↑↑↑
 この文章に「米国はウクライナ戦争を意識し」ということばがあるが、「台湾有事」はあくまでも「アメリカの意識」のなかにある「戦争」である。山内はアメリカと読売新聞の意向を汲んでことばを動かしているのだが、山内が決定的に見落としている「事実」がひとつある。それは「台湾」はウクライナと違って、他の国と「陸地」でつながっていないという点である。ここがウクライナとは決定的に違う。
 アメリカはウクライナへの軍事支援(武器支援)をNATOを通じて「陸地経由」で続けることができる。しかし、台湾に対しては、それができない。もちろんアメリカ以外の国もそれができない。つまり、中国は簡単に台湾への他国からの武器供与を遮断できる。だからこそ、アメリカは台湾に非常に近い日本の南西諸島に基地をつくらせ、そこから台湾支援をしようとしている。
 陸地で、支援する国(地域)とつながっていないと「軍事支援」は非常にむずかしいのだ。
 それはアメリカが、中国のチベットや新疆ウィグル自治区に対する政策を批判しながら、軍事支援をできないことからもわかるし、なによりも香港で問題が起きたとき、香港を支援できなかったことからもわかる。香港は中国と「陸続き」である。中国は簡単に軍隊を香港に派遣できるが、アメリカはそれができない。(当然、NATOもできなかった。)
 さらに山内は、台湾のもうひとつの「地理的条件」を無視している。台湾はウクライナと違って、非常に「狭い」。つまり、あっと言う間に全土を中国軍が支配してしまうことができる。ロシアが東部から侵攻し、キーウにまでたどりつけなかったのとは、地理的に条件が違いすぎる。中国が台湾に侵攻するとしたら、「陸地」からは無理で、どうしても海、空からしかないのだが、これはアメリカが支援するとしたら、やはり海、空から支援するしかないのと同じである。NATO諸国は、中国が台湾に侵攻したとしても、その軍隊がヨーロッパまで押し寄せてくる可能性はないと知っているから、わざわざ海、空から台湾支援をするはずがない。
 どうしたって中国が台湾を侵攻すれば、それは「数日」で解決するだろう。
 それが「数日」で終わらないようにするために、アメリカは、日本に対し南西諸島に基地をつくれとせっついているのである。北朝鮮がアメリカ大陸までとどくミサイル開発を進めているのと同じだ。日本の南西諸島から攻撃できるんだぞ、というわけである。

 さらに山内は、世界の動きも見落としている。読売新聞ウェブ版は3月26日づけで、「中米ホンジュラス、台湾と断交し中国と国交樹立…蔡英文政権で9か国目」というニュースを伝えている。山内はこのニュースの前に「作文」を書いているだが、「9か国目」は別にして、それまでに「台湾と断交し中国と国交樹立」した国があることを知っているはずだが、それを「なかったこと」として書いている。そして、この「台湾と断交し中国と国交樹立」した国のなかに「パナマ、ドミニカ共和国、ニカラグアなど中米・カリブ海の国々が5か国を占める」ということを無視している。
 アメリカ周辺では、「台湾離れ=中国接近」が進んでいるのである。これに対抗する手段としてアメリカができることは「台湾有事」だけなのである。
 この「状況」は、ロシアがウクライナ侵攻をはじめる前の、ヨーロッパとロシアの関係に非常に似ている。ヨーロッパの多くの国は天然ガスや小麦などをとおして、ロシア依存を深めていた。ロシアとヨーロッパの経済関係は非常に緊密になっていた。それはつまり、アメリカとヨーロッパの経済関係が疎遠になるということを意味していた。それを打開するために、つまり、アメリカとヨーロッパの経済関係を協力にするために、ロシアとヨーロッパの関係を切り離すという政策を打ち出したのである。それがウクライナをあおって、ロシアのウクライナ侵攻を誘い出すという作戦である。
 ヨーロッパでは、それが「成功」したようにみえる。少なくとも、アメリカよりの報道しかしない日本の報道からは、そう見える。
 これに味をしめて、アメリカは「台湾」を舞台にして、アジアでも同じことをしようとしている。岸田はアメリカの言いなりになって、それに従っている。
 アフリカ諸国や中南米諸国はアメリカの政策をどうみているか。私は何も知らないが、世界に存在するのはアメリカとヨーロッパだけではないということを忘れないようにしたい。

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読売新聞を読む(2023年03月08日)

2023-03-08 08:57:05 | 読売新聞を読む

 2023年03月08日の読売新聞(西部版・14版)の一面。
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「核の傘」日米韓で協議体/米が打診 対北抑止力を強化
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 見出しだけ読めば、記事を読まなくても内容がわかる。同時に、疑問も、読んだ瞬間に浮かんでくる。
 私が見出しから理解した内容は、北朝鮮の脅威に対応するために、日米韓がアメリカの核運用について協議体をもうけるというものだ。北朝鮮のミサイル開発が進んでいる。日本はいつ攻撃されるかわからない。アメリカの「核の傘」に守ってもらわないといけない。韓国も同じだろう。日米、米韓とばらばらに連携するのではなく、日米韓が共同で対応すべきだ。「もっとも」なことに思える。
 記事にも、こう書いてある。
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 【ワシントン=田島大志】米政府が、日韓両政府に対し核抑止力を巡る新たな協議体の創設を打診したことがわかった。米国の核戦力に関する情報共有などを強化する。北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させる中、「核の傘」を含む米国の拡大抑止に対する日韓の信頼性を確保し、核抑止力を協調して強化する狙いがある。日本政府も受け入れる方向で検討している。
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 しかし、私はひっかかる。なぜ、「米が打診」? なぜ「日本が打診」、あるいは「韓国が打診」ではないのか。わざわざ、アメリカが日本と韓国に打診してくるって変じゃない?
 記事を読み進めると、こんな部分がある。
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 米国のイーライ・ラトナー国防次官補は2日の講演で、対北朝鮮の核抑止に向け「新たな協議メカニズムの議論に入っている。戦略的な作戦や計画への理解を深めるためだ」と語った。
 背景には、北朝鮮が射程の短い戦術核兵器の使用をちらつかせる中、米国の「核の傘」の信頼性への不安が日韓で広がっていることがある。米国は協議体を新設し、拡大抑止を提供する断固たる姿勢を両国に示す必要があると判断した。
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 イーライ・ラトナー国防次官補の講演の内容が全部載っているわけではないのでわからないが、ラトナーが問題としているのは「戦略的な作戦」、つまり「戦略核」である。大陸間弾道弾である。「戦術核」については、「北朝鮮が射程の短い戦術核兵器の使用をちらつかせる」と書いてあるが、これはラトナーが力点をおいて語ったことかどうかわからない。実際に語っているかどうかもわからない。カギ括弧でくくられていない。ラトナーが言ったのではなく、読売新聞記者の作文だろう。
 つまり、である。
 北朝鮮はミサイル実験を繰り返しているが、その狙いはアメリカ本土を直接攻撃する能力があるということを誇示するためである。照準はアメリカ大陸にある。アメリカを濃く攻撃できる能力があることをアピールし、アメリカを直接交渉の場に引っ張りだしたい。「戦略的」に北朝鮮は、そういう構想を持っている。アメリカはそれを理解しているからこそ、それに反応し、ラトナーは「戦略的」ということばをつかっている。
 そして、それに対抗するために、アメリカはさらに「戦略核」の能力を高めようというのではない。日本、韓国の基地から「戦術核」を使用しようとしている。その協議を進めようとしている。アメリカ本土が攻撃される前に、日本、韓国から北朝鮮を攻撃できるのだぞ、ということを北朝鮮にアピールしようとしている。
 「戦略」と「戦術」ということばが、記事のなかでつかいわけられているが、これが今回の作文ニュース(特ダネ)の「ポイント」(ほんとうのニュース)なのである。
 言い直せば、アメリカから大陸間弾道弾をつかって北朝鮮を攻撃するのに、日本や韓国と協議などしなくても、アメリカ独断でできるだろう。それに、大陸間弾道弾の方が経費もかかれば時間もかかる。戦術核をつかって日本、韓国から攻撃すれば、時間も経費も少なくてすむ。しかし、日本、韓国から「戦術核」を発射するには、日本、韓国の「了解」が必要である。
 そういうことを進めるためには、「論理」を一度逆転させて、日本、韓国は北朝鮮の書くの脅威にさらされている。それから日本、韓国を守るためにはアメリカと協力する必要がある、という具合に展開しないと、日本や韓国の国民の理解を得られない、だから「日米間で協議体」をつくろうという形で提案しているのだ。
 今回の読売新聞の特ダネ(米政府の発表ではなく、「わかった」という形で書かれている作文)は、それまでの特ダネがそうであるように、読者の(国民の)反応を探るためのアドバルーンなのである。「核の傘で日本、韓国を守るための協議体を日米韓でつくるといウニュースを流すと、日本の国民はどう反応するか」を探っているのである。日本で「これで安心」という声が高まれば、それに乗っかろうというのである。そういう声を高めてから「日米韓協議体」の話を持ち出せば、反論は少なくなる、という腹積もりなのだ。
 アメリカを守るために、日本と韓国をどう利用するか。アメリカの考えていることは、それだけである。(アメリカを守るために、ウクライナをどう利用するか。あるいはアメリカを守るために、台湾をどう利用するか。これは、単に「武力攻撃」だけてはなく、「経済戦略」を含めた利用である。むしろ、経済戦略を、「武力」にすりかえて進められている戦略だと私は考えている。)
 だから、というのは「論理の飛躍」に見えるかもしれないが。
 最近のビッグニュース、日韓の懸案だった「元徴用工問題」が急に解決に向かって動き出したのは、背後にアメリカが動いているからだと考えてみる必要がある。日韓が対立したままだと、アメリカの「戦術核をつかうときの基地として日韓を連動させる」という作戦がうまくいかない。なんとしても日韓を協力させる必要がある。障壁となっている「元徴用工問題」を解決させよう、ともくろんだのだろう。
 このあたりの事情を、書かなければ書かなくてもすませられるのだけれど、読売新聞は、例の「ばか正直」を発揮して、こう付け加えている。
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 日本政府は、核抑止力の強化につながるとみて打診に対し前向きに検討しつつ、日韓間の最大の懸案だった元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟問題の行方を注視していた。韓国政府が6日に解決策を発表したことで、日米韓の安全保障協力を強化する環境が整いつつあるとみている。
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 自分では何一つしない、口が軽いだけの岸田が、韓国政府に働きかけるはずがないし、韓国が突然「方針」を変換するのも、とても奇妙である。アメリカが韓国に圧力をかけたのである。「元徴用工問題」は日本にとっての懸念であるというよりも、アメリカの懸案事項だったのだ。それがあると日韓のアメリカ軍基地を連動させるときに障害になる、と考えたのだろう。
 そして、いま、その問題が解決に動き出したからこそ、次のステップ、日本と韓国にある米軍基地を利用して、北朝鮮に「核の圧力」をかける、という作戦に転換したのである。
 突然、記事の最後で「元徴用工問題」が書かれているのは、記者に「特ダネ」をリークしただれかが、「ほら、元徴用工問題もアメリカの後押しで解決したし……」と口を滑らせたのだろう。「そうか、そうだったのか」と記者は、自分の発見ででもあるかのように、そのことを「ばか正直」に書いてしまっている。
 だから、読売新聞の記事はおもしろい。

 

 

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読売新聞を読む(1)

2023-01-03 19:48:11 | 読売新聞を読む

読売新聞を読む(1)

 2023年01月03日の読売新聞。「世界秩序の行方」という連載がはじまった。第一回は「バイオ」をめぐる問題をテーマにしている。中国がゲノムデータを世界中から蓄積していると書いた上で、こう作文をつづける。
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 元米陸軍大佐で国防長官室部長を務めたジョン・ミルズ氏は、BGI(中国の遺伝子解析会社「華大基因」)などが集めたゲノムデータを中国軍と共有している可能性に触れ、「中国は特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出すことができるかもしれない。これは致命的な脅威だ」と指摘する。
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 私は読んだ瞬間に、では、アメリカの会社(あるいは大学でもいいが)は、「集めたゲノムデータをアメリカ軍と共有している可能性」はないのか。「アメリカは特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出す」可能性はないのか、ということである。
 だいたい中国が攻撃しようとしている「特定の民族」とは何を指しているのか。新疆ウィグルやチベットか。そこに住むひとは「民族」としては「中国民族」ではないかもしれないが、同じ中国の国民である。そういうひとを対象にウィルスで攻撃するとは思えない。中国で、いまアメリカが重視しているのは「台湾」だが、台湾の人たちは何民族というか知らないが、中国系のひとたちである。彼らを照準とした「攻撃ウィルス」はまず考えられない。
 そうなると、「台湾有事」とともに話題になる「日本民族」だろうか。たぶん、そういう「印象」を与えるのが、この記事の狙いだろう。中国は危険だ。日本を狙ってウィルス攻撃をしてくるおそれがあるという印象操作をしたいのだろう。それをアメリカの軍関係者に語らせたいのだろう。
 だいたい考えてみるといい。「特定の民族」が対象なら、アメリカは攻撃対象にならない。アメリカは「多民族国家」なのだから、ある民族を攻撃しても、他の民族(国民)が反撃してくる。アメリカを対象に「特定の民族を攻撃するウィルス」の開発は不可能だ。
 しかし、そういう「開発」が中国で可能なら、アメリカでも可能だろう。アメリカなら中国(民族)を対象に「ウィルス攻撃」ができる。それは中国がアメリカに攻撃するときよりも、はるかに「効率」が上がるからだ。
 先の文章は、こうつづいている。
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 米政府はバイオ技術の育成を国家安全保障政策の一環として推進している。バイデン大統領は同9月、バイオ分野への投資を拡大する大統領令に署名し、「バイオ分野で米国は世界をリードし、世界のどこにも頼る必要がなくなる」と訴えた。
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 明確に、バイオ技術が「国家安全保障政策の一環」であると書いてある。それを「推進している」と書いてる。そのためにバイデンは大統領令に「署名」している。アメリカがバイオ技術を国家安全保障に利用するのなら、中国が利用するなとどうして言えるのか。アメリカにそういう動きがあるからこそ、「中国はこういう狙いを持っている」と発想できるのだろう。
 「バイオ技術」を「核技術」に置き換えれば、すぐにわかる。アメリカは「核技術(核爆弾)を国家安全保障政策」として利用している。それは中国もそうだし、ロシアもそうである。北朝鮮も同じだ。「中国、北朝鮮が核攻撃をしてくるおそれがあるから、アメリカは国家安全保障政策として核ミサイルを保有し続ける。アメリカにはその政策が許されて、他の国がその政策をとってはいけないという論理は、アメリカ中心主義であり、公平ではない。
 もし「アメリカが中国民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出すことができるかもしれない」と中国の軍関係者が発言したとしたら、それはどんな反応を引き起こすだろうか。たいへんな問題になるだろう。しかし、アメリカの軍関係者が「中国は特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出すことができるかもしれない」と発言していることは問題にされない。そればかりか、アメリカの政策が「正しい」というための根拠に使われている。読売新聞は、そういう論理を平然と展開している。
 読売新聞は、今回の連載の狙いをこう要約している。
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 米中対立やロシアによるウクライナ侵略で、ポスト冷戦構造は崩壊した。米国が主導してきた国際秩序はどうなるのか。日本の戦略はどうあるべきか。
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 「米国が主導してきた国際秩序」が絶対的に正しいという前提である。「米国が主導してきた国際秩序」に対する疑問が完全に欠落している。それが、たとえば「中国は特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出すことができるかもしれない。これは致命的な脅威だ」という米軍関係者の発言を、批判もなく引用する姿勢にあらわれている。
 ことばは、慎重に読まないといけない。新聞には、報道記事の他に「作文」記事がある。「作文」には、意図が隠されている。報道にも意図があるが、「作文」の意図は、報道以上に危険である。情報が「作文に書かれた情報」に限定されるからである。

 

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